開戦
残酷な描写、あると思います。
「――――風の精霊よ!」
シェイラは迫る巨体に向け、風を起こした。
狙うのは虎のような魔物の尻尾。一見ただ大きい虎だが尾が蛇になっていて、そこだけ別の意思を持って攻撃してくる。
魔物の牙や爪には強い毒性があると事前に説明されていたため、まずは片方だけでも無力化しようと精霊術を放つ。風に巻かれた尾の蛇を、数秒だけでも足止めできるはず。
本体の虎が大口を開けてシェイラに迫る。狙われているのはおそらく喉笛。急所は本能的に知っているらしいと冷静に考えながら、紙一重でかわす。
剣を振り下ろそうとしたシェイラだったが、一対一ではないため横槍が入る。隙を突くように足元を小型の魔物に攻撃され、僅かに後退した。
クローシェザードは、破れてしまった護符の予備があるはずだと言っていた。
それを元通り貼り直せば、国境の結界は正常に作動すると。けれど貼り直すにもややこしい手順があるようで、少し時間がかかるらしい。
――それでもいい。終わりがあると分かってれば、頑張れる。
魔物の流入を塞き止められれば、国内に入り込んでいる分を駆逐していくだけだ。数が数なので、簡単なことではないが。
ただ殺すためだけに戦うのは初めてだ。食用の獣を狩るのはもちろん、村を襲ってきた害獣を殺した時でさえ、毛皮や骨を役立てていた。
けれど魔物は毒性のため、討伐のあとは焼き尽くすしか道がないらしい。
魔物は魔素を欲し、人を襲う。人は食われまいと魔物を殺す。
お互いに、ただ生きたいだけ。生きるための殺し合いだ。
シェイラは、目の前の命と向き合った。魔物を見据える黄燈色の瞳に迷いはない。
獣の前足がうなりを上げて襲い来る。先端の爪に触れないよう気を付けながら避ける。頭上へ叩き落とすような二撃目は、さすがに避けきれずに剣で受け止めた。押されたら勝ち目はないので、すぐに攻撃に転じた。
いなした前足へ、くるりと体勢を変えて斬りかかる。驚くほど手応えがなかったが、かなり深く刃が沈んだ。
咆哮を上げて距離を取る虎の前足は血まみれだった。強化された剣の切れ味に内心感嘆しながらも、シェイラはこの隙を見逃さない。
「――――水の精霊よ!」
気が逸れていたために、虎の魔物は全身ずぶ濡れになった。シェイラはすかさず風の精霊の力を借りて、つむじ風を巻き起こす。
炎系の術ではダメージに体格差が出るため、すぐに無力化するのが難しい。一瞬で戦闘不能にするには、氷が一番有効だった。
精霊術は精霊の助けを借りるものなので、主に火、水、風、土の四大元素、場所によっては光、闇が操れる。
けれど前述通り補助系の精霊術はないし、氷や雷といった類いは使えない。使えないところなのだが、シェイラは凍らせる方法を知っていた。
気圧が低くなればなるほど、水は沸騰しやすくなる。沸騰によって温まった水は気化する時に気化熱を奪うため、温度が急激に下がるのだ。それは、人と同じように体液を持つ魔物にも該当する。まして真空では一溜まりもなかった。
つむじ風で作り上げた真空状態の中で、虎がみるみる凍り付いていく。
これを生き物に向けたことは今までなかった。沸騰の段階で耐えがたい苦痛が伴うことは分かりきっていたためだ。
虎の魔物も耳を塞ぎたくなるような苦鳴を上げていたが、シェイラは躊躇わなかった。完全に動けなくなったのを一瞥し、すぐに次の魔物と対峙する。
「シェイラ君、素晴らしくえげつないね! あとで今の術をじっくり見せてほしいな!」
後方から楽しげなヨルンヴェルナの声が聞こえる。シェイラは弓矢をつがえながら叫び返した。
「よろしければ、ヨルンヴェルナ先生の体で実践しましょうか!?」
「ちょっと興味があるけれど、やめておこう! やはり命は大切にしないと!」
「先生の口から当たり前の言葉が飛び出すと、違和感しかありませんね!」
わざわざ大声で何を言うかと思えば、何とくだらないやり取り。間断なく続くヨルンヴェルナの魔法攻撃の方が、よほどえげつないのに。
シェイラは戦場での昂りもあってか、思わず笑ってしまった。その間にも小型の魔物を弓矢で打ち抜いていく。
この平原には光の精霊がいるらしく、力を借りて光速で放つことができた。小型の魔物ならば一発で討伐できそうだ。
二本目の矢をつがえると同時に、横合いから鋭い爪が襲いかかる。巨大なとかげのような魔物だ。気配に気付いていたシェイラは、そのまま矢を握り締めて鱗に覆われた体へ突き刺した。矢の本数にも限りがあるため、引き抜いて別の魔物を狙う。痛みにうめいていたとかげの魔物は、矢を放った後で絶命させた。
一瞬の隙が命取りになる。あとからあとから襲い来る魔物の多さで休む暇もない。
疲労が少しずつ蓄積されていく体とは裏腹に、神経はどんどん冴え渡っていくようだった。
背後からの攻撃だって手に取るように分かる。別々の魔物に三方向から襲われても、一瞬たりとも迷わなかった。
目の前の牙をかわすと同時に、頭部を狙う爪を薙ぐ。腹部に迫った魔物の腹を思いきり蹴り返した。
僅かに牙がかすった時は、すぐにレイディルーンの治癒魔法が飛んでくる。状態異常にも有効なのだろう、シェイラが毒に倒れることはなかった。
大型の魔物を相手取る時は、劣勢と見せかけて罠へと誘導する。ヨルンヴェルナが仕掛けた広範囲攻撃魔道具の威力は絶大で、発動するまでに攻撃範囲から逃れるのに苦労した。
そんなことを繰り返しながら、クローシェザードの様子を確かめる。彼の周りには屍の山が築き上げられていた。
相変わらず、一度振り抜くだけで何匹もの魔物が命を落としていく。疲れを見せない鋭い動き。
白に近い彼の銀髪は、真っ赤に染まっていた。鎧も服も肌も、見えるところは全て赤い。その姿で剣を振るうクローシェザードの猛々しさといったら、英雄扱いも当然と思えるほどだ。そのくせ表情だけは湖面のような静けさで、まるで神が戦場に舞い降りたように錯覚する。
視線に気付いたのだろうか、クローシェザードと目が合った。
「集中しろ」
あまり離れていないとはいえ喧騒の最中にいるのに、彼の声は荒らげずとも通った。
「すいません。あなたが、あまりに綺麗で」
素直に答えると、クローシェザードはむっつりと黙り込んだ。彼の前にいた魔物達が、なぜか八つ当たりのように切り飛ばされていく。魔物にちょっと同情した。
「君だって大差ないだろう。血まみれだ」
シェイラは蛇の魔物の胴を一太刀で薙ぎ払いながら、自らを見下ろす。確かに、赤以外の色が見つからないほどだ。
「じゃあ私達、今お揃いですね」
感覚までおかしくなっているのか、何だかやけに嬉しくなる。
シェイラはへらりと笑ってから飛び上がり、漆黒の獅子の魔物の眉間を狙った。剣は過たず振り下ろされ、頭部を一刀両断する。生温かい血液を撒き散らしながら、絶命した魔物がどう、と倒れた。
クローシェザードに視線を移すと、彼の前にポッカリと空間が出来上がっていた。一匹たりとも打ち漏らさない姿勢は驚嘆に値する。
「すごい。さすがですね」
「……君、魔物に集中しなさい。あまり見られては気が散る」
「それは、すいませんでした。クローシェザード先生を見てると頑張ろうって思えるので、つい」
相手の迷惑を考えずに振る舞ってしまった。
シェイラが謝る先で、ついにクローシェザードが全方位攻撃を始めた。いまや前方どころか、彼の周囲に動くものはいない。
その時、首筋にひやりとした冷気を感じた。見上げた先には、辺り一帯を覆うような大気の渦。
シェイラとクローシェザードは、頭に響く警鐘に従って退避した。
ゴッ……!
氷の粒を伴った大気の渦が一直線に落ちてくる。
一拍置いて、シェイラ達の元へも叩き付けるような冷気が押し寄せた。寒いというより、もはや痛い。その規模は災害に等しいのではないだろうか。
風がやんで顔を上げると、周辺の魔物はほとんどが凍り付くか、動きをひどく鈍らせていた。
シェイラは大規模な氷魔法を仕掛けた張本人を、キッと睨み付けた。
「こういうことをするなら、事前に忠告くらいお願いします!」
もちろん張本人とはヨルンヴェルナのこと。
彼のおかげで一帯の魔物を戦闘不能にできたはいいが、シェイラ達まで氷漬けになっていたかもしれないのだ。怒るのも当然だった。
けれど全く堪えた様子を見せず、ヨルンヴェルナはとてもいい笑顔で手を振っていた。
「君達、あまりイチャイチャしていないで、しっかり戦ってよねぇ!」
「……はい?」
意味不明な返答に、思わず表情が歪む。
「イチャイチャなんてしてないのに。変人の感覚って、本当に理解に苦しみますね」
「……とりあえず、まだまだ生きている魔物はいるぞ。油断するな」
「あ、はい」
微妙に眉をしかめたクローシェザードに促され、シェイラは再び剣を構えた。