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ジレンマ

 冬休みが始まった頃は、運悪く悪天候が続いた。

 雪かきがようやく終わりかけたと思ったら、また雪が降って振り出しに戻る。そんな不毛な展開が幾度となく繰り返され、未だに雪かきばかりの生活。

 それでも体力が付いたからか、食べて寝るだけだった日々にも変化が出てきた。時間的な余裕が生まれたことで、シェイラはクローシェザードから座学の指導も受けるようになっていた。嬉しい変化、とはとても言いがたかったけれど。

 その上晴れ間が続いたおかげで、最近は大分雪も溶けてきた。この調子でいけば、何とか今日中に稽古場も綺麗になるだろう。

「これで、ようやくクローシェザード先生に稽古をつけてもらえるね。剣を持つの久々だから、スッゴく嬉しいな」

 体力作りに専念したことで、一体どれだけ強くなっているだろう。シェイラは楽しみすぎて、雪を掻きながら鼻歌まで口ずさんでいた。

「……お前ホント、よくそんな前向きでいられるよな。俺達、ひたすら雪を掻いてただけなんだぜ? なまってるに決まってるだろ」

 最近口数の減っていたゼクスが、自発的に言葉を発する。シェイラはそれだけで嬉しくなって、笑いながら言い返した。

「そりゃ腕は鈍ってるだろうけど、勘なんてすぐ取り戻せるよ。この鍛えられた体で今までにない動きができるんだと思うと、早く試してみたくない?」

 期待した同意は、得られなかった。返ってきたのは皮肉めいた笑みと、カラカラにひび割れた声。

「お前は、クローシェザード先生を信頼してるんだな。俺には無理だ。この雪かきだって、面倒だからと適当にあしらわれてるようにしか思えない」

 不穏さを察したコディが、雪を掻く手を休める。

 稽古場が一瞬の内に静まり返った。どす黒い悪意が真っ白な雪を染め、空気を塗り替えていくようだった。

「……いい修行じゃん、雪かき。それに僕、我慢とか耐えるって嫌いなんだけどさ」

 尖った視線を跳ね返すように、シェイラはゼクスを見つめた。黄燈色の凛とした瞳で、真っ直ぐに。

「これも騎士になるための苦労なら、辛いなんて思わないんだ。我慢なんてしてないし、むしろ夢に一歩近付いてるんだと思うと、スゴく楽しい」

「――――――――」

 口元に笑みさえ浮かべて言い切ってみせると、ゼクスの表情が歪んだ。疲れきって淀んだ目が、傷付いたように見開かれる。

 榛色の瞳をよぎったのは怒りだろうか、苦しみだろうか。苛烈な感情にギラリと光る目は、手負いの獣のように獰猛だった。

 ゼクスが握り締めたスコップを振り上げる。

 コディが焦った声を上げるが、シェイラはそれをただ冷静に眺めていた。

 振りかぶった腕から伝わる激情に、スコップの先がブルブル震える。ゼクスはぎゅっと目を閉じた。

「――――――――くそっ!」

 ザク、とスコップが振り下ろされた先は、薄汚れた雪の上だった。

 ゼクスの食い縛った口から、低くうめくような声が漏れる。

「こんな無茶苦茶な生活続けてても、お前は何一つ不満なんてないんだろうな。将来騎士になれなかった時のことなんて、悩まないんだろ」

 少し考え、シェイラは包み隠さず本音を返した。

「そうだね。考えたこともないよ」

「――――ハハッ、考えたこともないか! お前はホント、俺の予想を上回るよな!」

 手の平で目元を覆ってしまったために、ゼクスの表情を窺い知ることはできない。

 けれど彼の乾いた笑声には、間違いなく嘲りがあった。それはシェイラに向けられたものではなく、おそらく自らを見下すゆえ。

「俺はこうしてる今も、そんなことばっか考えてるよ。マジになったところで全部無駄になるかもしれない。それくらいなら貴族と懇意になっといた方がいいんじゃないか、実家で仕事の一つも覚えた方がいいんじゃないかって。薬草茶の販売権利を手土産に、今からでも帰れないかって。――――お前みたいに、わき目も振らず進めない。どうしても逃げ道を探しちまう」

 ゼクスが、顔を隠す手を外した。

 すがるような、闇を照らす灯りに焦がれるような弱々しい視線をシェイラに向ける。

「本当に夢を叶える奴ってのは、きっとお前みたいな奴なんだよ。一心不乱に夢を追いかけて、先のことなんか疑いもしない。……お前といると、自分の駄目なところばっか目に付いて嫌になる」

 最後は吐き捨てるようにして顔を反らしたゼクスに、シェイラはゆっくりと近付いた。

 ――これが、ゼクスの本心。

 彼の弱音を聞けてよかった。

 何かに悩んでいるだろうことは気付いていたが、ゼクスはコディにさえ打ち明けなかった。黙って耐える強さは美徳だが、内心やきもきしていたのだ。話してくれたら力になれるかもしれないのに、と。

 ――でも、聞き出せたはいいものの……。

 悲しいかな、シェイラには彼の悩みがいまいち分からなかった。

 考え方は人それぞれだ。誰が正しいとか間違っているとか、比べるものではない。

 理解が及ばないことがもどかしく、申し訳ない気持ちになる。

「えっと。僕は、ゼクスみたいな考え方、大切だと思うよ? だって、戦闘中に退路を確保しておくのは、必要なことでしょ?」

 考え考え言葉にすると、ゼクスはぽかんと口を開いて呆けてしまった。論点が違っただろうか。

 シェイラはばつの悪い思いで頭を掻きつつ、それでも話を続けた。

「うーんと、えっとさ、だってゼクスのそれは、逃げじゃないだろ? だって現に、君は何からも逃げてないじゃないか」

「――――――――」

 不満はあっても、決して雪かきを投げ出したりしなかった。それは彼の強さだ。

「それに、僕が欠点だらけなことは、ゼクスの方がよく分かってるでしょ? 最近自分でも新たな短所を発見しちゃって、これでも結構落ち込んでるんだけど」

「……お前の、欠点?」

 信じがたいように聞き返されたので、シェイラはこっくり頷いた。

「僕って結構、動揺しやすいみたい。今まで山奥で単調な生活をしてたせいか、感情の揺らぎを制御しきれないっていうか。自分がこんなにウジウジしてるなんて、思ってなかった」

 研修で誘拐されかけた時は色々考えすぎて号泣したし、直近でいえば、セイリュウ達が卒業していく時も必要以上に困惑してしまった。

 閉鎖的で何の事件も起こらないデナン村での生活は、あまりに穏やかだった。

 シェイラはよく淡々としていると評されるが、単に目まぐるしい変化に、心が追い付かないだけなのかもしれない。

 ウンウンうなりながら自己分析に勤しんでいると、突然ゼクスが弾かれたように笑い出した。

 シェイラもコディも驚きで固まってしまったが、彼はなかなか笑い止まない。

 発作のような笑いが収まった頃、ゼクスはにじんだ涙を拭いながら独白のように呟いた。

「……そうだな。案外、必死でお前に食らい付いてりゃ、夢なんかいつの間にか、叶ってるのかもしれないな」

 ようやく上げられた彼の顔は、ここ最近で一番すっきりとしていた。

「俺、今まではあんまりにも夢物語すぎて、口にできなかったけど」

 ゼクスがシェイラの肩に手を置く。二週間で、以前よりずっと力強くなっているような気がした。

 二人の視線が、しっかりと交差する。

「――――騎士になろうぜ、一緒に」

 嬉しくなったシェイラが頷きかけたところで、不満げな声が上がった。

「おーい。僕だけのけ者にするつもり? 弱小貴族だって騎士になるのは難しいんだから、君達と立場は一緒なのに」

 いつの間にか、コディがすぐ側まで距離を詰めていた。飛び上がる勢いで驚いたのはゼクスだ。

「なっ、いたのかよ!?」

「いたよ。最初からいたよ。どれだけ二人の世界なんだよ」

「ふ、二人の世界って言うな!」

 顔を真っ赤にする友人に、コディは胡乱げな視線を送った。

「後ろめたいことでもないのに、何でそうやって赤くなるの? やましいの?」

「逆に恥ずかしいよ、ゼクス」

「うるせー!!」

 シェイラまで尻馬に乗ると、羞恥心が頂点に達したゼクスが吠えた。

 稽古場に、明るい笑い声が重なり合う。

 この先、何度も困難が立ち塞がるだろう。

 同じような失敗や挫折を繰り返し、夢さえ投げ出したくなる日もあるだろう。それはゼクスだけじゃなく、シェイラやコディにも言えることで。

 それでも、きっと。

 笑い合える友がいれば。背中を押してくれる仲間がいれば。

 置いていかれまいと奮起する気持ちが原動力になると、そう思える。何度だって立ち上がれると信じられるから。

「ゼクス、騎士になろうよ。みんなでさ」

 シェイラの言葉に、ゼクスは晴れ晴れとした笑顔になった。それはまるで、今の空のように清々しい表情。

「――――おう」

 今日交わした約束を、ずっと忘れないでいよう。

 熱い気持ちを、シェイラはしかと心に刻んだ。


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