試飲会
夕食を終えると、クローシェザードはすぐに席を立ってしまう。
忙しいのに時間を割いてもらうのは申し訳ないが、シェイラは彼がいる内にと話を切り出した。
「クローシェザード先生。実は、薬草茶を売り出そうと思ってるんです」
教員室で何度か淹れたことがあるため、彼の理解は早かった。
「あの珍しい茶か。構わないが、君に商魂があったとは驚きだな」
「もちろんゼクスを通してですよ。僕に商才なんかないし、そもそも儲けたいとも思ってませんし」
シェイラ達のやり取りに興味が湧いたのか、ヨルンヴェルナが口を挟んだ。
「薬草茶って何のことだい?」
「デナン村で作ってるお茶です。村には紅茶なんてオシャレな飲み物なかったので、薬草茶が主流だったんですよ」
口で説明しても分かりにくいので、シェイラは準備しておいた薬草茶を全員に振る舞うことにした。
ティーカップを目の前に置くと、ヨルンヴェルナは困惑げに眉をしかめた。
「……これが、その薬草茶かい? 見た目はかなり衝撃的だねぇ」
ほとんど黒に近い色味に、どうにも抵抗があるらしい。シェイラは苦笑いを返した。
「誰に出しても初めはそんな反応されるんですよね。紅茶だってそこそこ黒いと思うんですけど」
「紅茶は赤みを帯びているけれど、これは真っ黒じゃないか」
「まぁいいから、とりあえず飲んでみてください。スゴく濃く見えますけど、味はさっぱりしてるんですよ。うちでは食事中にも食後にも飲んでました」
「……君って僕が貴族だということを、時々本気で忘れているよね」
――そっちこそ、私が女だってこと、絶対忘れてる癖に。
決して口にはできない本音を眼差しにのせると、ヨルンヴェルナは面白そうに瞳をきらめかせる。ろくでもないことを言い出しそうな気配に、シェイラは慌ててカップを持たせた。
彼は眉をしかめながらも、恐る恐るといった仕草で口を付ける。
「――――へぇ。意外においしい。癖がなくて香ばしいんだね」
「それは炒った穀物が入ってるからですね。他にもショウガとかクマザサとか、一年かけて材料を集めるんですよ」
気負いなく飲み始めたヨルンヴェルナに、シェイラは胸を撫で下ろした。貴族の彼が飲めるのならば、世間に広めるのも難しくないかもしれない。
コディとルルも飲みながら頷く。
「これのおかげで、僕もずいぶん体調がよくなったんですよ。以前は胃腸が弱くて、緊張するとすぐ痛くなったりしていたんですけど」
「分かります。わたくしの主人も、定期的にご愛飲していらっしゃいますよ。わたくし達使用人にも振る舞ってくださるので、すっかり馴染んだ味です」
フェリクスは長年デナン村にいたため、今でも薬草茶に親しんでいる。使用人達に勧めていることも、ルルやリチャードから聞いていた。
――あそこで働く人達が前より元気になったって言うから、王都全体に広められたらって思ったんだよね。
ティーカップを置きながら、クローシェザードが口を開いた。
「君の後見人には、話を通してあるのか?」
「もちろんですよ。一応話を進める前に、クローシェザード先生にも許可をもらっておきたかっただけです」
先日の月の日に、フェリクスには報告済みだ。
それだけで彼には十分だったらしい。特に懸念を見せることなく首肯を返された。
「君のしたいようにするといい。ただし、本業に影響するようならば即刻やめてもらうぞ」
「はい。ちゃんと気を付けます」
細かい確認がないのは信頼の証と受け止め、シェイラは満面の笑みで答えた。
みんなが飲み終えた茶器をルルと共に片付けていると、クローシェザードが不意に視線を寄越した。
「ところで、儲けを気にしない君が、薬草茶を売ることによって得る益とは何だ?」
孔雀石の瞳に不審の色はなく、単純な興味だけが浮かんでいた。
シェイラは神妙な面持ちになると、ルルに後片付けを任せて再びテーブルについた。
「王都の人は、デナン村の人に比べると元気がないような気がするんです。余計なお世話なのは分かってますし、人の心配してる暇があるのかって言われたらそれまでなんですけど、この薬草茶で何かしらの効果があればいいなー、なんて」
「ふむ。そういうことか……」
クローシェザードが顎に手を当て、思案の体になった。
「例えば一定の効果を得て、王都の病人が減少したとしよう。しかし、それによって不利益を被る職種もある」
彼の言わんとしていることが分かって、シェイラは頷いた。
「医師、ですよね。フェ……後見人にも同じことを指摘されました」
患者が減少することによって、細々と経営している医院は立ち行かなくなる。フェリクスはそう予想した。薬店が利益を専横することで、他にも思いもよらないところから恨みを買う可能性があると。
シェイラとエイミーだけで話し合っていても、決して挙がることがなかっただろう政治的な意見だ。
けれどシェイラは、もう打開策を考案していた。
「僕、考えたんです。そしたら、定期健診をすればいいんじゃないかって」
「定期健診?」
クローシェザードだけでなくテーブルを囲む全員が、知らない言葉を聞いたように不理解を示した。
「やっぱり、王都にはない制度なんですね。僕のいた村では普通にやってたんですけど」
村では、不調がなくても定期的に医者にかかる決まりがあった。体に潜む様々な病魔を早期に発見し、治療するための制度だった。
シェイラはざっくり、デナン村で行われていた健康診断について説明した。
「うちの村では診てくださったお医者に、お礼代わりの食料をお裾分けしてました」
「……君の村は、先進的なのか前時代的なのか、本当によく分からんな」
「そうですか? でも、王都では物々交換が成立しませんし、そうもいきませんよね」
診察代が必要になると、切り詰めた生活をしている者は定期健診を受けたがらないかもしれない。それでは制度の普及に繋がらないとフェリクスは言っていた。
「そこで僕の後見人がいうには、国から補助金を出すよう働きかけるべきだ、とか何とか。正直、僕にはさっぱり分からないんですけど」
制度に関して意見を言えるほどシェイラは博識ではない。フェリクスの言葉をそのまま話すと、クローシェザードはすぐに理解したようだ。
「――――なるほど。医師から仕事を奪わずに済む上、国から補助金を捻出すれば貧しい者でも健診を受けられるという訳か。健康診断という考え方が常識になっていけば、むしろ町医者の生活は保障されるだろうな」
どこからも不満が出ない素晴らしい案だ、と賛辞を述べるクローシェザードのフェリクス至上主義は、相変わらず健在のようだ。
一緒に話を聞いていたコディが、興奮ぎみに目を輝かせた。
「凄い。もし本当にその制度が成立すれば、この国は劇的に変わるね。手の施しようがないほど悪化する前に病気を見つけられれば、助かる命も増える」
「うーん。問題は、頭の固い貴族達が本当に国庫を解放するのか、ってところだねぇ」
水を差すような発言をしたのはヨルンヴェルナだった。けれど現実的に考えれば、確かに肝になるのはそこだ。
いくらフェリクスが王弟だとしても、長く国政を離れていた彼に権力などほとんどないに等しい。無理やり政策を押し進めるより、賛同者を探した方が軋轢も少なくて済む。
――その賛同者を集めるために、色々根回ししてくれるとは言ってたけど。
政治の話になってくると、シェイラは途端に無力だ。ただでさえ忙しくしているフェリクスの手を借りねば何も実現できないことに、歯痒さを感じた。
黙り込むシェイラとコディの代わりに口を開いたのは、クローシェザードだった。
「病気の者が減れば労働力が増え、国力が上がる。長期的に考えれば利益は見込めるだろう。賛同者は必ず得られる」
淡々とした口調だが、だからこそ慰めの言葉ではないと分かる。シェイラは少し救われた心地になって、小さく頷き返した。
解散の運びとなり、それぞれが席を立つ頃。
商売の話題なら最も饒舌になりそうなゼクスが一言も発していないことに気付き、シェイラは首を傾げた。