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巣立ち

 卒業式の日は、ここ最近で一際寒くなった。

 鈍く重たい雪雲がたれ込め、今にも降りだしそうな空模様。

 秋の三の月も、もうすぐ終わろうとしている。冬が、やって来るのだ。

 講堂には、騎士科と文官科の生徒が一堂に会していた。

 文官科の生徒は学帽を捧げ持ち、騎士科の生徒は、体の前で天を突くように剣を構えている。

 小難しい式辞は多くなく、影の薄い学院長だけが挨拶をした。輝かしい未来が広がっているとか翼を広げて巣立っていくとか、内容も薄くてシェイラはあまり覚えていない。

 挨拶が終わると、文官科一人一人の前に教師が並び、少し屈んだ生徒の頭に手ずから学帽を載せていく。中にはクローシェザードやヨルンヴェルナの姿もあったが顔見知りの教師は僅か十人程度で、これだけ沢山どこにいたのかと驚いた。

 次に、騎士科の生徒が儀礼めいた動きで剣を鞘に戻していく。それで式次第は全て終了のようだ。

 ――何か、思ったよりあっさりしてるんだな。

 卒業生もどこか淡々としている。

 勤務地が国内のため、会おうと思えば会えるからだろうか。今生の別れのように感じていたのは、どうやらシェイラだけだったらしい。

 卒業生が講堂を去ると、在校生もゾロゾロと動き出す。人波に紛れながら、シェイラはコディとゼクスの背中を見つめた。

「コディ、ゼクス。――――ありがとね」

 情けなく落ち込んでいたシェイラのために、彼らはセイリュウとアックスを呼び出してくれた。悩み事など吹き飛ばしてしまうような荒療治だったけれど、とても感謝している。

 感慨に耽っていると、据わりきった目のゼクスがゆっくりと振り向いた。

「……あぁん? それは一体いつの、何に対する礼だ? 古代語の宿題みてやった時のか? それとも豚肉のソテーをお前が奪った時のことか?」

 迫力のある凄みに、シェイラはたじろいだ。

「う、あ、えっと……全部?」

「いちどきに済まそうとすんじゃねぇよ! ものぐさか!」

 思いきり怒鳴られ、唇を尖らせる。別に、感謝の気持ちをまとめてしまったつもりはないのに。

「その都度ちゃんとお礼言ってるじゃん……」

「礼を言えば何でも許されるなんて思うなよ!」

 やり取りを黙って見守っていたコディが、シェイラの肩を叩きながら苦笑する。

「シェイラ安心して。ゼクスのあれは、照れてるだけだから」

「言うなよ! 余計恥ずかしいだろ!」

 言われてみれば、友人の頬は寒さに反してやけに赤い。面白くなってジッと見つめていると、ますます赤くなっていった。

 いつの間にか止まっていた足元に、冷たい風がビュウと吹きつける。

 寒さに身を縮めたシェイラ達は、素早く視線を交わす。『食堂のおばさんが作った温かいスープが飲みたい』。今、心は一つになった。

 三人は無言で頷き合うと、足早に寮へと戻った。


  ◇ ◆ ◇


 卒業式と似たような雪雲が空を覆った日、ついに退寮の時がやって来た。

 明日から冬休みに入るので、卒業生はもちろん在校生も一気に退寮していく。

 人の出入りが激しく、まるでお祭りのような賑やかさ。手持ちぶさたにしているのはシェイラ達くらいだ。

 邪魔にならないよう談話室で暇を持て余していると、ハイデリオンとトルドリッドがやって来た。

「お前達、本当に残るのか?」

「おう。なんたってクローシェザード先生の個別指導だからな。休み明けの俺達にビビるなよ」

 ニヤリと不敵な笑みを見せつけるゼクスに、トルドリッドは頬を引きつらせた。ハイデリオンも難しい顔から察するに、真剣に危機感を抱いているのだろう。

 ――私は正直、そこまで前向きな気持ちで残る訳じゃないんだけどね……。

 そもそもヨルンヴェルナの誘惑やらに負けて、残らざるを得なかっただけなのだ。

 けれどゼクスとコディが一緒ならば、かなり心強い。やる気に満ち溢れた友人の横顔に、シェイラは小さく笑みを浮かべた。

 彼らが出発するというので、シェイラ達は見送りのため馬車停めに向かう。

 そこは、出発を待つ生徒達でごった返していた。

 ハイデリオン達の番はすぐに回ってきて、二人が乗った馬車を慌ただしく見送る。

 一息ついて、あちこちで交わされる別れの挨拶を眺めていると、白に近い銀髪が目に入った。

 クローシェザードだ。彼が授業以外で職員棟から出ているのは、非常に珍しい。

 気になって観察していると、卒業生が一人一人、感謝を述べているようだった。

 ――わざわざ卒業生の見送りに来てるんだ。クローシェザード先生ってば、意外に律儀だなぁ。

 指導した生徒達が卒業していく姿に、感慨深いものがあるのかもしれない。彼は厳しいけれど、情に厚い人だから。

 それは、生徒達にもしっかり伝わっていたのだろう。だからこそクローシェザードの周りには、絶え間なく卒業生が現れる。

 何だかシェイラまで誇らしい気持ちになっていると、こちらに手を振る人があった。在校生に囲まれたセイリュウとアックスだ。

 セイリュウを囲む人垣はまともだが、アックスの周囲は筋骨隆々の男ばかりが男泣きに泣いている。それがあまりにも彼らしくて笑ってしまった。

「みんな花束とか、用意してるんだね」

 よく見ると、在校生から卒業生に花束を贈る習わしがあるようだった。

 セイリュウのように人望のある卒業生の腕は、花束で一杯だ。

「二人は何で花束用意しなかったの? セイリュウも寮長も、幼馴染みなんでしょ?」

 シェイラの質問に、コディとゼクスが瞬時に視線を交わした。これは、都合の悪い話題になった時によく見るやり取りだ。

 無言で押し付け合っていた二人だが、折れたゼクスが口を開いた。

「あー……。あれは、意中の先輩に送ってんだよ」

「――――へ? い、意中?」

 ゼクスの苦々しい表情や言い振りで、ただの尊敬や友愛の意味合いではないことが分かる。

 これ以上の説明は酷だ。シェイラは理解を示して首肯した。

「……へぇ~。セイリュウがモテるのは納得できるけど、寮長もあんなにモテるんだね」

 貴族、平民問わず頼られるセイリュウならば分かるが、アックスはところ構わず脱ぐ印象しかない。

 何となく釈然としないシェイラに、コディが困ったように笑った。

「あれは後輩が、純粋な厚意で用意していたんだと思うよ。寮長が花束を一つももらえなかったら、格好がつかないだろ?」

「本気のヤツも幾つか混じってるだろうけどな」

「なるほど……。まぁ寮長、一応カッコいいもんね。アリか」

 肩をすくめて付け加えるゼクスに、シェイラも頷いて返した。

 顔立ちは整っているし、鋼のような肉体も好む人には魅力的に映るだろう。

 けれどゼクスは、信じられないとばかりシェイラを見下ろした。

「イヤ絶対にナイだろ。俺は筋肉同士で絡んでるところなんか、想像もしたくない」

「ゼクスってば、偏見はよくないよ?」

「お前の許容範囲が広すぎるんだ!」

 男女の感覚の差だろうか、ゼクスは頑なだ。

 シェイラ達はしゃべりながらも、セイリュウを見送る列に並んでいた。在校生の波が途切れ、ようやく彼に声が届く距離になる。

「卒業、おめでとうございます」

 揃って頭を下げると、彼は嬉しそうに笑った。

「すまないな。並んでくれているのは、大分前から気付いていたんだが」

「いえ、人気がある証拠ですから」

「つーか、あの取り巻き共が順番譲ってくれるなんて思ってなかったしな」

 コディとゼクスがそれぞれ親しげに返す。交わす視線には仲のよさが溢れていた。

 微笑ましく見守っていると、不意にセイリュウの笑顔が向けられた。

「シェイラ。一つお願いがあるんだが、いいか?」

「へ? 僕ですか?」

 何のはなむけも持っていないシェイラに、できることなどあるのだろうか。目を瞬かせていると、セイリュウがゆっくりと目の前に立った。

「実は……君の使っている髪紐が、欲しいんだ」

 思いがけない申し出に、シェイラは髪紐に触れる。まだ結びづらい長さの髪をようやくまとめているのは、何の変哲もない革紐だった。

「これですか? セイリュウが使ってるのと、多分変わらないと思いますけど」

「いいんだ。それが、どうしても欲しい。――――嫌か?」

 やけに切実な瞳を向けられれば、断る理由もなかった。

 シェイラはあっさり頷いて髪をほどく。

「じゃあ僕の髪紐と、セイリュウの髪紐、交換にしませんか? お守り代わりにすれば、僕もセイリュウの強さにあやかれそうだし」

 シェイラの言葉に、セイリュウは安堵したように相好を崩す。

 髪紐をはずすと、彼の真っ直ぐな黒髪は肩下まであった。綺麗な髪だな、としばし見惚れる。

「ありがとう。――――大切にする」

 セイリュウがとても真摯な声音で呟き、髪紐を胸に押し抱く。慈しむような姿にシェイラは笑ってしまった。

「大切にするより、ちゃんと使ってくださいね」

「そうだな。大切に、使おう」

 笑い合っている内に、コディとゼクスが無言でいることに気付いた。振り返ると、いつの間にか彼らはシェイラ達を遠巻きにしていた。

「あれ? どうしたの二人共」

「いやぁ、最後くらい冷やかさないでやろうと思ってさ。優しさだよ」

「? ちょっとよく分からないけど、十分冷えてるよね。冬だし」

 ニヤニヤ笑うゼクスに、シェイラは首を傾げる。

 そうこうしている内にアックスがやって来て、おもむろに脱ぎだす。おまけに今日は彼を慕う後輩達も一緒になって脱ぎだすから、馬車停めは大変な騒ぎとなった。

 結局いつもと変わらない賑やかさに、シェイラも一緒になって笑った。



 一人、また一人と発っていき、ついに馬車停めには居残り組だけとなった。

 先ほどまでの喧騒が嘘のようで、何だか少し寂しくなる。

「――――あ、雪」

 コディが上げた声に合わせ、シェイラも空を見上げた。

 今にも降りだしそうだった暗い雲から、真っ白な雪片がちらほらと舞い落ちてくる。

「初雪だな」

 ゼクスのしんみりとした呟きをきっかけに、それきり三人は黙り込む。思うことはそれぞれ違っても、胸に宿る寂しさはきっと同じ。

 しばらく空を見つめていると、背後から冷然とした声がかかった。

「――――のん気に構えているようだが、稽古場の雪かきは居残りする者達の役割だぞ」

「げ」

 我に返るよりも早く、本能的にうめいたのはゼクスだった。恐る恐る振り返った先には、腕を組んだクローシェザードが立っている。

「……あのそれ、俺達がやる意味あるんですか?」

 ゼクスはこの鉄面皮の教師と、あまり個別に話したことがないらしい。慎重な口振りで反論する彼のぎこちない笑顔に、シェイラは噴き出しそうになった。まるで危険人物扱いだ。

 クローシェザードは別段気分を害した様子もなく、軽く肩をすくめた。

「楽をするつもりか? 君達にとっても、いい体力づくりになるだろうに」

「楽も何も、どんだけ広いと思ってんですか……」

 ガックリと項垂れるゼクスを見下ろし、クローシェザードは確かに口角を上げた。おそらく、正面きって口答えをする生徒が珍しいため、興味深く思っているのだろう。

「ゼクス、何を落ち込む必要があるの! あのクローシェザード様のせっかくのご指導だよ!? みんなで頑張ろうね!」

 更なる混乱を招くような発言をしたのは、コディだった。そういえば彼は、重度のクローシェザードファンだ。

「なんて暑苦しい……」

 絶望的にぼやくゼクスとは対照的に、コディの眼差しはキラキラと目映いばかりだ。

 クローシェザードが僅かに片眉を上げる。彼らを面白がっている証拠だった。

 長い冬休みも何とかこの面子でやっていけそうだと、シェイラは胸を撫で下ろした。

「コディ⋅アスワン。私のことは『様』ではなく、『先生』と呼びなさい」

「はい!」

 訂正だけすると、クローシェザードはさっさと教員棟へ消えていく。何か一言くらい優しく言い添えておけば、冷たいなんて誤解もされないのに。

 ――まぁ、ゆっくり分かり合っていけばいいか。

 シェイラ達も寮に向かって歩きだす。

 ふと、コディへ向けたクローシェザードの言葉が甦った。

 ――私の時みたいに、敬称は不要だって言わないんだ……。

 シェイラは二人きりの時ならば、『クローシェ』と呼ぶ許可をもらっている。それが何だか特別なことに思えて、くすぐったい気持ちになった。寒いのに、胸がじんわりと温かい。

 冬が始まる。

 シェイラは舞う雪のように足取りも軽くなって、前を歩くコディ達を追い越した。



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