秘密の守護者
しばらくじっとシェイラを見つめていたクローシェザードは、やがて長々と息をついた。
「……とにかく、フェリクス様のご命令だ。私には君を守る義務がある。まずは生活面の細々としたことを決めておこう」
「生活のことですか?寝る所と食事さえ確保できていれば、何とかなると思いますけど」
シェイラが真顔で答えると、クローシェザードは不機嫌そうに頭を抱えた。出会ってものの10分で、憧れの騎士様にこの仕草をさせてしまった己が不甲斐ない。シェイラは気まずさからそっと目を逸らした。
「君は、風呂やらトイレやらを一体どうするつもりだったのだ?」
「えっと。お風呂は我慢するしかないし、トイレは個室なので周りを見ないようにすればいいかと。まぁ何とかなるかなーって」
「策とも呼べない愚策だな。君にはまだ作戦を立てる指揮官を担う才能がないらしい」
ムッとしてシェイラはすぐに反駁した
「事実ですが、私は騎士になっても出世は望んでいません。一士官のままで構いませんから」
「向上心の問題を言っているのではない。作戦中、もし指揮官が命令不能になったらどうする?誰かに何とかしてもらえばいいと?」
「!」
任務遂行中にはあらゆる可能性を想定しておかなければならない。指揮官が不在になるとか、戦闘不能になるとか、あるいは命を落としてしまう場合。残された上官が即座に作戦を組み立てなければならない場合、役立たずは足手まといになるだけだ。
騎士になりたいと夢を語るばかりで、覚悟が全く足りていないと指摘されたも同然で、シェイラは悔しさに俯いた。
「……すいません。そういう授業があれば真剣に勉強します。でももし現場の指揮をとらなければならなくなった場合、私は自分より下位の者でも優秀ならば作戦を任せます。そのかわり、全責任は自分が引き受ける」
一拍置いて、クローシェザードが満足げに片頬で笑った。
「ふむ。――――悪くない答えだ」
シェイラは顔を輝かせかけたが、続く言葉に気を引き締めた。
「これから学んでいくことが役に立つか立たないか、決して自分で判断するな。どんな知識でもいずれどこかで役に立つ。選り好みをするなど言語道断だ」
「はい!」
六年制の学院に四年生から編入したため、学ぶ期間はたったの三年。ただでさえ人より出遅れているのだから、確かに選り好みしている場合じゃない。これからはマナーでも何でも積極的に学んでいこうと考えを改めた。
「さて、作戦だが。公共の場で大々的に名指しして呼び付けたことで、大抵の者は私が君に厳しくしていると判断するだろう。何度も呼び付けたとしても、それは罰の一貫だろうとな。その方が何かと都合がいい」
「はい」
「まず風呂のことだが、君を浴場の掃除係に推薦することで何とかしよう。掃除をするという名目があれば最後に一人で入る違和感もなくなるだろう」
「はい」
それも周りが勝手に罰だと勘違いしてくれるということか。本来ならあり得ない始業式での呼び出しが、そこまで考えてのものだとは思わなかった。
「トイレは、少し遠くなるがこの階の突き当たりのものを使えばいい。この階は騎士科特別コースの教師専用フロアなのだが、今現在私以外の教師はいない。私は使用しないので、君は気兼ねなく使うといい」
「そんな、クローシェザード先生に気を遣わせる訳にはいきません。男子に混じってトイレに行くことに、特に抵抗はないので……」
「いいから使えと言っている」
「はい!使わせていただきます!」
妙な圧を感じて、シェイラはすぐさま意見を翻した。
クローシェザードがうんざり顔で眉間を揉みほぐす。
「フェリクス様の過保護が酷いのだと思っていたが、これは確かに……」
苦々しくクローシェザードが呟く。無表情ではあるが、意外にも無感情ではないのだな、とシェイラはコッソリ感心した。困らせているのは自分なので、そこは複雑なのだが。
クローシェザードが気を取り直し、話を戻した。
「寮は本来相部屋だが、少々難のある部屋ならば一人部屋が確保できた」
流石に寝る時まで気を使い続けるのは辛かったところだ。シェイラはクローシェザードの気遣いに改めて感謝した。
「ありがとうございます、とても助かります。けど、難とは?」
「手狭だし、続き部屋がないのだ。貴族の子息は部屋付きの従者を連れているから、続き部屋がないと不便だと敬遠される」
「なんだ、そのくらいのことなら全然。使用人なんてしませんし、どこに行っても広々とし過ぎていて落ち着かなかったから、逆に嬉しいくらいです」
シェイラが笑って請け合うと、クローシェザードは一つ頷いた。
「ふむ。差し当たって生活面での問題はこれくらいだろう。また困ったことがあったらすぐに相談しなさい」
「はいっ」
「あとは可能な限り側で守るため、君には何とか特別コースに入ってもらう」
クローシェザードが顎に手を当て、思案げな表情をする。
そういえばコディも、15歳から授業が特別コースと一般コースに分かれると言っていた。クローシェザードは特別コースを受け持つため、シェイラが一般コースになると都合が悪いのだろう。
「特別コースって、どうすれば入れるんですか?」
「特別コースに入れるのは生え抜きの生徒のみだ。とはいえ、どれだけ剣の実力があろうと、魔術が使えなければ可能性は皆無に等しい。ほとんどが魔力を持つ貴族で構成されているコースだ」
魔術を使える者に魔術なしで立ち向かうのは難しい。当然の帰結だろう。その上で彼は特別コースに入れ、と言っているのだ。
「……えーと。その、私が入るのは絶望的なんじゃ、」
「君には、精霊術という特技があるのだろう?」
クローシェザードが精霊術を使う前提で話していることは察していたので、すぐに反論できた。
「でもフェリクスに、よっぽどでなければ使っちゃいけないって言われてます」
「今がそのよっぽどな時だ。要はばれないように使えばいいというだけの話だろう」
「そういうの、曲解っていいません……?」
ニヤリと一癖ある笑みを浮かべたのを、シェイラは見逃さなかった。クローシェザードは素知らぬ顔で話を続ける。
「しかし普段の生活であまり便利に精霊術を使われるのも不都合だ。面倒だが、君の能力は誰にも気付かれない方がいい。だからこれを用意した」
彼が懐から取り出したのは、丸い石が連なったブレスレットだった。話が思わぬ方に転がって、シェイラは戸惑いのままそれを受け取った。
「これは?」
「術の発動を抑える魔道具だ。魔術に有効なものだが、精霊術でも問題ないだろう。私にしか解除できないようになっているから、実力テストの前には必ず外しに来るようにしなさい」
「私が実力テストで精霊術を使うことは、決定事項なんですね……?」
手首にしっかりはまったブレスレットを外そうとしたが、石の一つひとつが吸い付いたように肌から離れない。
クローシェザードは満足そうに一つ頷いた。
「君の目標は、実力テストで好成績を納めることだな。それと並行してマナーに関しても勉強しておく必要がある。その辺りは私が教えよう。ただし、甘くはないから覚悟しておくように」
どの精霊術ならば試合中バレずに済むか、行使する際に唱える呪文をどうするか、考えるべきことは多々あるが、シェイラはやる気に満ち溢れていた。
「クローシェザード先生に直接教えていただけるんですから、頑張りますよ!」
笑顔で言い切ると、クローシェザードはほんの僅かだけれど頬を緩めた気がした。
こうして、憧れの騎士は学院生活の協力者にもなった。
◇ ◆ ◇
寮監に挨拶をして入寮手続きを行い、シェイラは寮に入った。
本館や職員棟と違い木造建築だったため、木の温もりにホッとする。シェイラには石造りの建物より馴染みがあった。
寮の一階、入ってすぐの突き当たりは談話室だった。そこに、シェイラを心配したコディとゼクスが待っていた。ゼクスの場合は心配というより、興味本位という感じだったが。
「大丈夫だった?酷い罰にはならなかった?」
「オイ、シェイラ。あの怖そうな先生新任だろ?話してみてどんな感じだった?」
「ゼクス、そんな質問してる場合じゃないだろ」
「お前はホント真面目だなぁ、ちょっとした冗談だろ。で?」
目の前で矢継ぎ早に会話が交わされ、彼らの付き合いの長さを感じる。情報の大切さを知っているゼクスは、やはり商家で生まれ育っただけあるといったところだ。
「えっと、浴場の清掃係に任命された。クローシェザード先生は無表情で怖そうに見えるけど、すごくしっかりしたいい先生だったよ」
浴場の清掃係、と聞いて、二人は揃って同情的な顔になった。やはりクローシェザードの思惑通り、罰だと思われるようだ。
ゼクスがシェイラの肩をポンと叩いた。
「まぁよ、その程度で済んでよかったじゃねぇか。レイディルーン先輩が怒ってなかったってことだよな、うんうん」
「あと、マナーというか貴族との付き合い方がなってないってことで、礼儀作法を教わることになったよ」
シェイラの言葉に反応したのはコディだった。
「へぇ。それは少し羨ましいな。あのクローシェザード様から直接ご指導いただけるなんて」
彼の頬は心なし上気している。憧れに輝く瞳は小さな子どものようだ。どうやらコディはクローシェザードを以前から知っていたらしい。
「有名な人なんだ?」
「すごいなんてものじゃないよ!」
コディが興奮ぎみに答える。彼の勢いは凄まじく、ゼクスと二人ちょっと引いた。
「あの方は、13歳という最年少記録で近衛騎士団に配属された偉大な方なんだ!政変時ではあったけれど、まだ成人もしていない学生を近衛騎士団に抜擢するなんて前代未聞だったんだよ!」
学生時代からその実力は周囲が太刀打ちできぬほどで、陛下の覚えも目出度かった。政変で信頼できる騎士が不足する中、クローシェザードに白羽の矢が立ったのは当然と言えるかもしれない。
「更にすごいのは、そんな経緯だったから周囲の反発も大きかっただろうに、実力で黙らせてしまったところなんだよ!戦場での活躍ぶりはまさに武神のごとく、幾つの勲章を授けられているか本人にも数えきれないと言われるほどさ!」
「す、すごいね」
コディの饒舌ぶりが、とは言えない。
どんな知識が役に立つか分からない、の理念の元、延々と続くクローシェザードの武勇伝をシェイラは聞き続けた。
ゼクスは要領よく逃走した。