第二十八話 知らないこと、知っていること
そこにいたのは予想だにしない人物だった。
陽光を浴び照り映える純白の長髪。
赤い宝石のような輝きを秘める赤い瞳。
チュニックワンピースに似た白色の衣装に身を包む。
一ヵ月前、エルトリア帝国の首都アートレアルで出会った少女が、そこにいた。
その事実に俺は本来ならば驚愕の表情を浮かべる、べきなのだろうが……
「いや、普通に不法侵入なんだけど」
なぜか数分前までの緊迫した精神状態はどこかに消え去りそうツッコんでいた。
なんで突然現れて窓枠に座りながら意味ありげに笑ってるんだろうこいつ。
「とりあえず、せい」
「ん? 何をするつもり……きゃっ、はぁっ!?」
立ち上がり少女の肩をポンッと押す。
後ろにあるはずの窓は既に開かれてるため、彼女の身体はすこーんと後方に飛んでいく。
そのまま落下。一瞬で俺の視界から消える。
それを確認した俺は窓を閉め安堵の息を吐く。
「ふぅ、これで安心安心」
「そんなわけあるか!」
瞬間、後方から風切り音とパチンという音が聞こえる。
同時に後頭部に痛くも痒くもない衝撃を感じた。
振り向くと、純白の少女がハリセンを振り切った姿勢で立っていた。
ハリセンってお前……
「いやそれより何でお前そこにいるんだよ、いま窓から飛んでっただろうが」
「残像だよ!」
「……あっそう」
なんかもう全てが面倒くさくなってきたので、適当に相槌で応答する。
いま一番大切な話はそんなことじゃない。
「で、何でお前ここにいるんだ? いきなりこの部屋に入ってきたのも訳わからんし、そもそもこの城には結界が……」
言っている途中に気付く。
既にこの城に掛けられた結界は解かれている。
原因は逢ヶ瀬とソラが気絶したことくらいしか思い浮かばないが――いや、問題はそこじゃない。
確か王都の人々は大広場に集められていると聞いていたが、何人かがこの機に生じて城の中に侵入してきている可能性がある。リリスがここにいるというのは知られているはずだから。
「まさか、お前以外にも誰か中に――」
「ああ、その点に関しては心配いらないよ。私以外に侵入者はいないから」
「――そうか、ならいい。てか侵入者って認めたなお前」
「認めてない」
「嘘つくなよ」
「嘘じゃない」
閑話休題。
「まあいい。そろそろ、ここに来た理由を答えろよ」
本題はそこだ。
一度しか会ったことのない、今回の一連の騒動とは関係ないはずの少女。
そんな彼女がなぜこの場所このタイミングで姿を現したのか理解できなかった。
「私がここに来た理由、ねぇ……」
俺の質問を意味深に繰り返しながら、少女は意を決したのか俺の眼を見据える。
「その質問に答える前に、一つだけいいかな?」
「……なんだ?」
続きを促す俺に、彼女は小さく頷くような素振りを見せていった。
「こんな状況なのにさ、シュウくんはずいぶんと楽しそうに笑うんだね」
「……は?」
何を言われているのか全く理解が追い付かなかった。
楽しそうに笑っている? 俺が?
何を言っているんだろうかこいつは。
頭の中にプリンでも詰まっているのだろうか。
ちなみに俺はコーヒーゼリー派だ。
笑ってなんかいないだろう。
いきなり一度しか会ったことのない少女が目の前に現れて。
事態の把握だってまだ全然できてなくて。
びっくり仰天してるところだぞ。
やっぱり力ずくでもこいつを部屋から追い出すべきだろうか。
体格差を利用して、こいつの華奢な身体を抑え込んで無理やり外にドーンと……
なんだか事案に繋がりそうな表現だ。
いやそもそもこいつが先に不法侵入してきたわけだしな。
正当防衛というやつだろう。
俺は悪くない、社会が悪い。
むしろ俺がこの部屋から出て行こうか。
それでいいんじゃないだろうか。
既にここに思い入れはない。
思い、入れは……
「へぇ」
思考は、目の前の少女の見た目に見合わない重い声によって閉ざされる。
「そうやって、いつも通りを装うんだね」
少女の真意は、やはり俺には届かない。
「装う……? 俺が? 何を?」
「分かっているくせに知らない振りするのはやめなよ」
「……あぁ?」
気に食わない。
どうしてそんな、何でも分かっているみたいな目で俺を見る。
「分かるよ」
「っ」
まるで俺の心の中を読んだかのようなタイミングで、少女はそう言った。
その出来事には俺も思わず言葉を失い目を見張る。
「もっと分かりやすく言うね」
冷静さを取り戻すまでの数秒の間を突くように、少女は言葉を紡ぐ。
「彼女が――リリス王女が今にも殺されそうになってるのに、そんな状況で貴方は笑えるんだね」
「――――」
本当に、こいつは、何を知っているのだろうか。
リリスが殺されようとしていること、それ自体は誰もが知っている。
だがこいつの発言はまるで、俺とリリスの関係すら理解しているかのよう。
そんな少女から放たれた言葉は、場合が場合なら俺の胸に深く突き刺さっていただろう。
「そんなの当たり前だろ」
――――けれど残念なことに、そもそもの前提が違っていた。
俺の態度が、リリスの陥っている状況によって左右されると考えていること自体が間違いなのだ。
それをきっと、こいつは知らない。
俺はリリスをずっと咲の代替品として見ていた。
けれどそれは間違っていて、代替品ですらなくて。
俺と彼女の関係を一言で表すなら、俺にはこれしか思いつかない。
「俺とリリスが築き上げてきた物は全部“偽物”だった。ただの一度として俺達は本当の意味で心を通わせたことなんてなかった……どこまでいってもただの他人でしかない」
それに加え、俺にはある信念があったから。
「俺にとって、他人なんて興味の対象じゃない。その存在によって動揺するだとか、怒りを抱くだとか、嬉しく感じるだとか、そんなことはありえない……そして俺はリリスを大切に思えなかった、ただそれだけの話なんだよ」
その事実を、俺はリリスに突き付けられた。
「だからそんな俺が……リリスが殺されそうだなんて事実に心を動かされるわけがないんだよ」
もし、彼女が俺の願いを汲み取ってくれたなら。
世界を嫌いだと告げ、壊したいと願ってくれたなら。
俺はきっとこの世界を憎み、彼女を助けることができた。
けれど彼女は俺の願いを否定し、俺の存在を拒絶した。
世界を大好きだと、こんな世界でも守りたいんだと言った。
俺の助けなんて初めから彼女は望んでいなかった。
俺は望まれないと動けない。
いつだって自分の外側に理由を求めている。
あの日から何一つ変わっていない。
そんなちっぽけな存在が俺だ。
けれどあの少女はきっと。
自分一人で立ち上がり、前に進む力を持っていたんだ。
俺なんかよりよっぽど強い意志を。
初めから、そんな二人の道が交わるわけなかったんだ。
「……そっか、それが貴方の答えなんだね」
俺の心に秘められた思いを知らなければ、まったく理解できないような主張。
しかし純白の少女はそれを真剣な表情で聞き続けていた。
「うん、その答えはやっぱり貴方には似合わない」
そして最後には、小さく笑いながら俺を否定した。
「似合わないって、なんだ」
それを耳にした瞬間、俺の中で溜まっていた感情が漏れ出す。
「今まで一度しか会ったことのないお前が俺の何を知っている? 何が分かる?」
「知ってるし、分かるよ――全部ね」
しかし怒りのままに投げた問いを、少女は真っ向から受け止めた。
「もちろん、貴方がこんなところで諦める人じゃないってのも理解してるよ」
「……お前、は」
今度こそ完全に声を失う。
彼女の言葉が嘘だとはどうしても思えない。
俺とリリスの関係を理解していて、俺がどういう存在か知っている。
あの日、アートレアルで会っただけのはずなのに。
いや、もしくは俺と彼女は、もっと前に会ったことがある……?
「じゃあそろそろ、シュウくんの質問に私も答えようか」
答えは出ない。
俺の思考を少女の言葉が遮ったから。
「貴方は私に訊いたよね、何のためにここに来たんだって」
言いながら、少女はゆっくりと右腕を上げていく。
その動きは腕が水平より少し高く上がったところで止まる。
そして少女は綺麗な白色の右手から人差し指を突き出し、真っ直ぐと俺の顔に向ける。
「答えは一つだよ。偽物だとか代替品だとか、他人がどうだの世界がどうだの、そんなどうでもいいことで悩んで頭を抱えてる貴方に言わなくちゃいけないことがあったから。伝えなくちゃいけない想いがあったから」
そして、強い輝きを秘めた赤い瞳で俺を見据えた。
「シュウくん。全ての答えを出すのは、“貴方自身”の本当の想いを知ってからでも遅くはないんじゃないかな?」




