第二十七話 代替品は救えない
◇
どこで間違えたのだろうか。
何を見落としていたのだろうか。
きっと全ては初めからだ。
俺はその真実から逃げていたのだ。
俺がこれまでどうしてリリスのことを大切に想い守ってきたのか。
それは全て、俺が咲に対してしてあげられなかったことの代わりでしかない。
自分のしてきたことを思い返せば、その指摘はあまりにも的を射ていて。
なのに俺はリリスにそう言われて、初めてそれを身に染みて実感した。
俺はリリスを咲の代替品として扱っていた。
それを見抜かれていたんだ。
「やっぱり、そういうことだったんですね」
何も言い返すことの出来ない俺を前に、リリスは悲しげにそう呟いた。
嘘でもなんでも、それは違うと否定すればいいのに、そんなことはできない。
リリスの真摯で慈悲深い双眸に見つめられれば、そんな考えは消えていく。
「初めから、私とシュウさんの在り方は異なっていたんです。交わるわけがなかったんです。それなのに私は分不相応にもその関係を求めて、その結果が今のこの状況です。シュウさんは何も悪くないんです……悪いのは、そんなものを望んだ私だけです」
違う、悪いのは俺だ。
無性にそう叫びたくなった。
「シュウさんは優しいですから、もし私がいなくなったら、きっと後になって自分のことを責めるんでしょう。私は貴方の大切な人の代わりでしかないのに、まるで本物のように接してくれて……私は、それが嬉しくて……だからこそ、これだけは告げないといけません」
なのにそんな時間すら与えないとリリスは次々と言葉を紡ぐ。
ぽろぽろと、涙を零しながら。
「シュウさん」
真っ直ぐに俺を見据えて。
「私と魔王の間に関わりがある……それは、国民達が流したただの噂ではなく、れっきとした事実です。私が存在する以上、魔王を倒すことはできないんです」
そんな、取り返しのつかない何かを言った。
「なん……だ…って?」
リリスは今、間違いなく自分と魔王軍――魔王との繋がりを肯定した。
しかもそこには具体的過ぎる内容が含まれていた。
リリスが存在する以上、魔王を倒すことができない?
「何を、根拠に、そんなことを言ってるんだ?」
聞かなければならないことだと、そう直感した。
でなければ俺はリリスの言葉に納得も理解もできない。
前に進むことはできない。
俺の問いを受けリリスはゆっくりと長い息を吐く。
神妙な立ち振る舞い、強張った表情、けれども真摯さに満ちた蒼の双眸。
照明から落とされる光を浴び、神秘的な雰囲気を纏う。
神聖な少女はその小さな唇を開く。
「私と魔王の間には、ある一つの契約があるんです」
「……契約?」
「はい。私が生まれた瞬間から始まり、そして今もなお続く契約です」
ぞわりと、心の片隅で何かが蠢く。
大切な物を忘れている気がするのに、その正体が分からない。
気持ち悪い。どれだけ答えを探ろうとそれを捕まえることはできない。
「契約が生じた原因は不明、条件も不明。ただ分かることが一つ。私と魔王の間には契約線が結ばれ、その線を伝って私の祝福の力が向こうに送られているんです」
「…………なんだ、それ」
「魔王軍が大きな動きを見せるとき、私はいつも魔力を失い倒れます。それは、私から大量の魔力が魔王のもとに送られているせいなんです。私の祝福が、彼らの助けになっているんです」
偶然だと斬り捨ててきた過去。
そこに整合性があったのだと告げられ、俺は再び声を失う。
けれど、本当にそんなことがありえるのだろうか。
契約という魔力概念自体は知っている。
だが、それは両者の合意という絶対の条件をもとに成立するものだ。
生まれた瞬間から存在し、条件さえ不明な契約などあるはずがない。
「お前は契約を一方的に結ばれたっていうのか?」
「はい。少なくとも、契約を結んだ時の記憶は私にありません」
「なら、何でお前から魔王に祝福の力が流れてるって分かるんだ?」
「それは、魔王が私にしか扱えない祝福を使用するのを、この目で見たことがあるからです」
少し息を切らせながら、それでもリリスは言葉を続ける。
「私の祝福【空間】の持つ能力の中の一つに、絶対固定――この世界に存在するありとあらゆるものからの干渉を拒絶する力があります」
言いながら、リリスはゆっくりと手を俺の方に伸ばす。
「シュウさん、何でもいいです。貴方が使える最強の力を……そうですね、あの黒い焔を私に向けて放ってください」
「は?」
黒い焔、それが虚無の魔法を指していることは分かる。
けれどあれは存在するもの全てを奪い尽くす最悪の力。
なぜ今リリスがそれを望むのだろう。
とはいえその提言に乗らないことには話が進まないとは分かっていた。
俺は魔法がリリスに触れる直前で止めることを決め、彼女の言葉に応えた。
「【虚無】」
禍々しい漆黒の焔が揺らめく。
未だかつて最大火力のこれを防げたものを見たことはない。
俺にとって絶対最強の力。
それをゆっくりとリリスに放つ。
瞬間、黒の焔は完全に消滅した。
「なっ」
リリスに当たる前に止めようと、そんなことすら考える余裕はなかった。
黒の焔はリリスの前にある透明な壁に阻まれたかのように一瞬で消えたのだ。
ありえない。
こんないとも容易く、虚無の魔法が打ち破られるなど。
「っ、はぁ……これが、絶対固定の効果です……大量の魔力と集中力を用い、あらゆる現象を拒絶する。そして、この力こそ、私から魔王に流れている祝福でもあります」
それほどの奇跡を起こす代償は途轍もなく大きかったのだろう。
息も絶え絶えに、リリスは詳しい説明を口にする。
「シュウさんの祝福を、防げるほどの力を、魔王は使えるんです……それを、使えなくするためには、契約を断ち切るしかないんです」
「だから、お前は……自分を殺して、その契約を断ち切ろうとしてるのか?」
「……はい、そうして初めて、私達が魔王を倒すことの、出来る可能性が生まれます。それがやがて、私の大好きなこの世界を救うことに繋がるんです。それは、とっても、素晴らしいことだと思いませんか?」
「……思えるわけ、ないだろ。そんな回りくどい手段なんていらない。契約線? そんなもの、俺が魔法で壊してみせる。だから、だから……」
「……それは、無理なんですよ。契約線だなんて名ばかりです。契約とは、魂に刻まれるものなんです」
諦観にも似た笑みを、リリスは浮かべる。
「シュウさんが私の契約を壊してくれるっていうなら、それは私の魂を壊すのと同義なんですよ?」
それは結局、リリスを殺さなければならないということに相違はなくて。
俺の魔法は目に見えるものしか壊せない。
リリスの魂が見えない以上、身体の奥底に隠されている以上、そこに刻まれた契約のみを消し去るなんてできない。
――――他に選択肢はないのだろうか。
彼女の意思を変えられる方法は。
彼女が死ぬ未来を打開する手段は。
思考を巡らせている途中、気付く。
どれだけ必死に考えても無駄だってこと。
状況はもう完全に変わってしまった。
俺はずっと、リリスが殺されるのは理不尽なことだと思っていた。
だからこそ咲との思い出を掘り起こし、あの時と同じ状況だなんて考えて、やり直せると思っていた。
けど違った。今はもう、リリスが死ぬことに意味が生まれてしまった。
不条理を覆すことができなくなってしまった。
これでは世界を壊す理由が成り立たない。
俺がこの身を立ち上げる必要はもうない。
俺がリリスを助けていい理由は、もう存在しない。
結局、ここが限界点だ。
俺はリリスを咲の代替品として扱っていた。
だから、リリスが代替品じゃなくなった今、彼女に向ける優しさは存在しない。
俺達は出会った瞬間から関係の築き方を間違えた。
間違え続けてここまできた。
ならきっと、これまで俺達の間に“本物”はなかったんだ。
それだけの、話だったんだ。
「だからシュウさん、私がいなくなっても自分のことは責めないでください。この世界を救うために私の存在が不要なこと、それはまぎれもない事実なんです。これがあるべき姿なんです。だから、貴方が気に病む必要なんてないんです……」
俺はもうリリスの表情を窺うことはできなかった。
視線を下に向け、彼女の慈愛と残酷さに満ちた言葉をただ享受する。
くるりと、微かに視界に映る少女の足の向きが反転する。
彼女は既に俺を見ておらず背を向けていた。
「シュウさん。貴方と過ごした日々は、私にとってとても充実したものでした……楽し、かったんです」
一生の別れを告げる少女に俺から言えることはなく、
「……ありがとうございました。さようなら、シュウさん」
“彼女”と同じ言葉を、最後に言い残し――――
「ッ、リリ――――」
――――反射的に伸ばした俺の手は、既に歩を進めた彼女の背に僅かに届かず空を切る。
ああ、これが俺と彼女の距離なのだろう。
偽りばかりで笑い合って。
本当に大切なことだけは絶対に伝わらない。
伸ばした手をゆっくりと下ろしていく。
その間にもリリスは歩みを止めず扉に到達する。
もう振り返ることはない。彼女は、そのまま俺の視界から消えていった。
もう二度と、彼女の笑顔を見ることはできない。
◇
部屋に一人、取り残されて。
ベッドに背中から倒れ込むように横になって。
目を閉じて、世界と自分を断絶する。
大切だと思えた少女は偽物で。
世界を壊す理由も失って。
俺が生きていく糧も崩れ落ちて。
その後に残るものは、何もない。
それを知った。
だから俺は、全てが終わるその瞬間を、独りきりで静かに待ちわび――――
「――貴方がそこで諦めるなんて、まったく似合わないよ」
――――風が、吹く。
冷たく力強い風が、どこからか強く俺に吹き付ける。
同時にどこかで聞いたことのある優しい少女の声が耳を撫でる。
リリス? 逢ヶ瀬? ソラ?
いや、違う。
これは、この声は確か――――
「お前、は……」
身体を起こし、俺は視線をその声の主に向けた。
閉じていたはずの窓が開かれ、黄白色のカーテンがぶわっと靡く。
その際に生じた隙間に、空高く燃える太陽から一筋の陽光が落とされる。
純白の長髪が、その陽光によって照らされ輝きを纏う。
窓枠に腰を掛けたその少女は、真っ直ぐに、その宝石の様な赤い瞳を俺に向けてにっと笑った。
「言ったよね、会いにくるって――だから来ちゃったよ、シュウくん」




