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創造世界の英雄譚 ~魔法使いへ祝福を~  作者: 八又ナガト
第三章 -永遠の契約-
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第二十六話 慈愛の少女


 ◆


 全てが終わりを告げた――そう思われる瞬間を、俺はこの目に焼き付けることができなかった。


 最後まで見届けることが出来たのは、逢ヶ瀬とソラが数々の策を弄し、消滅の魔法(おそらくアトロスが使っていた物だ)をレイに浴びせたところまで。

 疑うべくもない決定打。

 逢ヶ瀬達の勝利は確定したはずだった。


 しかしその直後、突如として目の前に浮かぶ魔道具から映像が消えた。

 原因は不明。ただ、映像が完全に消える瞬間に垣間見たのは、逢ヶ瀬とソラの緊迫した表情だった。

 それは勝者の姿ではない。敗北者が目の前に絶望を突き付けられたかのような、そんな光景だった。


 その数秒後、魔道具が再び映像を映す。

 そこに広がる光景は、消える直前とは全貌を変えていた。

 思わず息を呑み込んでしまうほどに。



 広がる荒野の中心に、一振りの剣を持ったレイが立ち尽くし。

 その前に、血を流し倒れる二人の少女がいた。



 それはつまり、逢ヶ瀬とソラがレイに完膚なきまでに敗北した姿だった。


「……なんだ、あれは」


 その光景を見ながら、俺はおもむろにそう呟いた。

 俺の意識を奪ったのは逢ヶ瀬達の惨状でも戦いの結果でもない。

 ただ、レイが構える一振りの灰色の剣だった。


 画面越しにでも感じる。

 圧倒的魔力、圧倒的存在感。

 眼前に立ちはだかる全てを切り倒す、絶対の剣。

 その刃に秘める光と闇は、世界全てを呑み込んでも足りない。


 きっとあの剣は、この俺すらも殺す。

 俺如きの存在では勝ち目など存在しない。

 そんな嘘みたいな事実を突き付けられる。


 ああ、間違いなく。

 あの剣を持ったレイは、俺よりも強い。


「あれが以前よりお話ししておりました、祝魔剣です」


 俺がただ唖然と映像の奥にある絶望を見つめる中、すぐ隣に座るリリスが平坦な声で説明してくれる。


「ああ……なるほどな」


 ずっとリリスやリーシャが言ってくれていたこと。

 かつて世界を統治した剣。

 その剣を敵に回すのは、世界そのものを敵に回すのと同義である。

 そんな数々の馬鹿げた説明が、突如として信憑性を増す。


 彼女達は何も脅しのためにそう告げていたわけではない。

 それはどこまでも事実であり、真実だったのだ。


「これで、もう終わりか」


 その剣を前にし、伶奈たちはその身を地に伏せるのみ。

 画面越しに見える限りでは、血を流し気を失っているが死んでいる様子はない。

 レイが故意的に、元々の条件であった相手の命までは奪わないというルールを守ったのだろう。

 それが指し示す事実は一つ、相手を殺さないように手加減しても圧倒できる力が彼にはあること。

 それも魔法使い二人を相手に、だ。


「そのよう……ですね」


 気のせいでなければ、いくらか震えた声でリリスはそう呟く。

 視線は下に向けられ、力なく垂れたまつ毛によって彼女の蒼眸を窺うことはできない。


 レイの勝利に終わった。

 そうなった場合、この後に行われることに関しての話し合いは既に済んでいた。

 ルミナリア王国、王都ルミナダの大広場、時計塔のもとにリリスは行かなければならない。


 ……そこで何が行われるかなんて、説明するまでもない。

 だからリリスもその未来を恐れ、こうして震えているのだろう。


「それでは……行ってきます、ね」


 ゆっくりと、ドレスの裾を持ち上げながら少女は立ち上がる。

 高貴的で華麗な、淑女たる振舞い。

 幼い少女が纏うにはどこまでも大人びた雰囲気。

 そして、無表情を装った表情の奥に見える恐怖。


 そんなリリスの姿を見て、俺は。


 ――――小さく、微笑んだ。


「待て、リリス」


「……シュウ、さん?」


 それは口調こそ普段通りだが、自分でも驚くような優しい声。

 彼女をこんなふうに呼ぶのは初めてかもしれない。


 リリスは振り向く。

 しゃらんと、艶のある金糸が靡く。

 広大な海を閉じ込めた優しい蒼の瞳が俺を射抜く。

 その眼がゆっくりと、だけど確かに見開かれていく。


「行く必要はない」


 俺の言葉を聞き、リリスは驚いた表情をしていた。

 俺の微笑みと優しい声、そして言葉の意味が理解できていないかのように。


 だから俺は、俺の想いを正しく伝えるために、もう一度同じ内容を繰り返す。


「リリス、君が殺される必要なんかない」


「…………」


「逢ヶ瀬達は負けた。だから、普通なら俺達は向こう側の主張を受け入れなければならない。アイツは間違いなく君の命を奪おうとするだろう。クーデターを起こした国民達も、きっとそれに賛同するだろう……けど、“それがどうした”」


 彼らがリリスを殺そうとする理由。

 それは初めから破綻していた。

 魔王軍が引き起こした数々の残虐な出来事。

 その責任を罪のないリリスに押し付けただけだ。

 消去法のように導き出された、彼らが安心感を抱くためだけの方法。

 そんなものを、リリスが受け入れなければならない謂れなんて存在しない。

 決闘の条件だとか、世界の選択だとか、そんなことはどうでもいい。


 ――――いや。

 もう既に引き返せない所にまで来ているからこそ、それは大きな意味を持つ。


「君は、俺が守る」


 力強く、俺はそう告げる。


 きっと、リリスを守るためには俺はレイと戦うことになるだろう。

 レイは強い。祝魔剣を持ったアイツに真っ向から勝てる気はしない。

 けれど、それがどうした。

 それは諦める理由にはならない。

 普通に倒すことができないのなら、隙をついて殺すことに全神経を注げばいい。

 殺すことすら難しいとしても、きっと他に手段はある。


 だから大丈夫だ、リリス。

 もう死ぬことに恐怖し、震えることなんてない。

 君に殺意を向ける存在に怯えることもない。

 この世界に溢れる君への悪意は、俺が全部壊してみせるから。


 ああ、そうだ。

 俺は世界を壊すのだ。

 今度こそ、迷わず。

 破壊の願望をぶちまける。


 そして全てが終わった世界で。

 君だけはきっと、俺が助けてみせるから。

 大切な人だけは、見捨てないと誓うから。


 だから、だから――――


「行くな、リリス。アイツと戦うことになろうと、世界を壊すことになろうと――君だけは、俺が守ってみせるから」


 心からの懇願。

 ずっと、ずっと望んでいた。

 この時を、この瞬間を。

 誰かのために、世界を壊せる日を。


「シュウさん……」


 そんな俺の想いが、リリスに伝わったのだろうか。

 彼女は俺に向け、優しい笑みを浮かべ――――




「それはできません。だって私は、この世界を見捨てるなんてできませんから」




 ――――真正面から、俺の提案を否定した。


「どう、して……」


 一瞬のうちに停止した思考を必死に回しながら問いを生み出す。

 リリスの言った言葉の意味を理解することができない。


「どうして、否定するんだ……?」


 いや、違う。

 理解した上で信じることができない。

 リリスは本当は死にたいだなんて思っていないはずだ。

 震える小さな身体がそれを証明している。


「簡単なことです」


 優しく、落ち着きのある声が鼓膜を揺らす。

 真っ白な頭のまま、俺はリリスの言葉を聞き届けるしか出来ない。


「シュウさんは真面目で、とっても優しい人です。それを私は知っています。私がいま頷けば、シュウさんは本当に私を守ってくれるでしょう」


 リリスの口から語られるのは、彼女が俺に抱いた印象。

 きっとそれは、リリスの偏見によって現実から大きく捻じ曲げれている。

 どこまでも身勝手で独善的。

 そんなものが俺の本質だなんて、とっくの昔に知っている。


 それでもリリスの慈愛に満ちた瞳を見てしまえば、俺は思わず言葉を失って。

 彼女の言葉を否定するだなんて罪深いことはできなくて。


「なら、それが分かってるなら……頷いてくれればいいだろっ!」


 だから俺はどう足掻いたって、彼女の敷いたレールの上で喚くしかできない。


「頷くだけで! たった一度頷くだけで君は救われる! それでッ、それでいいだろッ! アイツなら俺が倒してやる! 君に悪意を向ける奴らだったら俺が消してやる! 君への悪意を内包する世界だっていうのなら、俺がその世界を壊してみせる!」


 ずっと待ってたんだ。

 大切な誰かに悪意が向けられて。

 その人を守るために俺が世界を壊す瞬間を。


 その一瞬のためだけに、俺はあの日から生き長らえてきた。

 そうしてようやく辿り着けたんだ。

 いま、この瞬間に。


「だから――だから、リリス!」




 不意に、頭の中であの日の光景がフラッシュバックする。

 崩壊した世界の中心にいる一人の少女――水音みずおと さき

 彼女は死を目前にして、その瞬間に俺は立ち会って。

 世界を嫌った君ならば、自分を殺そうとする世界を壊してくれるって、そう信じていた。


 だけど。


『――――修』


 その時、君は――――






『……ありがと、さよなら』






 ――――そう言って、笑ったんだ。


 まるでもう心残りはないと。

 生きることに満足したと。

 そんなことを告げるように。

 俺に笑いかけて――――死んだ。


 どうして、どうして、どうしてどうしてどうして!

 君は世界を嫌っていたはずだ。

 こんな世界に価値なんてないって、それだけが俺との共通認識だったはずだ。

 なのにどうして、こんな世界の犠牲にならなくちゃいけない?

 何一つとして抗うこともせず、呆気なく死を選んだんだ?


 頭と心が空っぽになる。

 瞬間、思い出したのはたった一つの誓いだった。


 そうだ。

 誓ったんだ、俺は。

 いつの日か君がこの世界を憎む日が来るならば。

 その日に、俺が世界を壊してみせるって。


 ああ、だからこそ今この瞬間が。

 俺が、世界を壊すべき――――


 “ねぇ”


 頭の中で、何かが囁く。

 聞いてはいけないと、そう分かっているのにその声は届く。


 “彼女は本当に……世界を嫌っていたの?”


 これ以上その声を聞けば、大切な何かを失う。

 俺が築き上げてきた少なくとも価値ある関係。

 俺が積み上げてきた数々の想いが詰まった記憶。

 その全てを失うことになるだなんて理解していて。

 だけどそれから逃れるなんてできなくて。


 “彼女が世界を壊してほしいだなんて、一度でも言ったことはあった?”


 その事実を、絶望の淵にあった俺に突き付けた。


 咲の口から直接この世界を壊したいだなんて。

 そんなこと言われたことなんてなかった。

 至極当然の事実が俺の心を抉る。

 俺は何か間違えていたのではないか。

 大切で、かけがえのない、取り返しのつかない何かを。


『あぁ、あぁっ……』


 世界を壊すのだと誓った。

 咲のために壊してみせるなどと息巻いた。

 けど、彼女がそんなことを望んでいなかったとするならば。

 もし彼女が俺に合わせていただけで、本当は世界を嫌ってなんかいなかったとするならば。


 ――――俺は、世界を壊すなんてできない。


 違う、違う、違う違う違う。

 咲は本心から世界を嫌っていたはずだ。

 本当はこの世界なんて消えてなくなればいいと思っていたはずだ。

 だから、俺は世界を壊さなくちゃならない。

 そう誓ったから。

 それだけが唯一、俺が君にしてあげられることだから。


 そんな矛盾した思考が渦巻く。

 だけど既に、その真偽を確かめる手段はなく。

 咲の本当の想いは俺には分からない。

 俺がしてやれることなんて何一つとして存在しない。

 いつか、その答えを知る日までは。

 心の奥底に燻った感情を抑え込むことしかできない。


 けど、ようやく俺はその日に辿り着けたんだ。

 咲と同じ状況にいる少女に出会えた。

 世界のために戦い、世界に嫌われた少女。

 もしその少女が心から世界を嫌い、壊すことを願ってくれるなら。

 その時に初めて、俺は咲が本当に世界を嫌っていたと確信することができる。

 ……世界を壊すことができるんだ。


 だから。

 そうして俺は、君に告げる。




「頼む、リリス……どうか、この世界を、嫌ってくれ……!!」




 きっとそれは俺がこの世界に来て初めて、心から彼女に伝えた言葉だったのかもしれない。ずっと、目を逸らして逃げてばかりだったから。


「申し訳ありません」


 だけど、そうして大切な何かを犠牲にしてまで絞り出した感情さえ、彼女に届くことはない。


 ああ、当たり前のことだ。

 だってリリスは、俺達が初めて出会ったその日から言っていたじゃないか。


「それでも私は、この世界が大好きです……だからシュウさんの想いには、応えられません」


 この世界のことが、大好きだって。


「それに……」


 まっすぐに否定されて、期待を打ち砕かれて。

 ただ茫然と眺めるだけの俺に、リリスは更なる現実を突き付ける。


「シュウさんの言う“君”というのは……私のことでは、ありませんよね?」


 知っていながら無意識に目を逸らし続けていた、その現実を。


「…………え?」


 予想外の言葉だった。

 俺達はいま、この世界を嫌いかどうかの話をしていて。

 だから俺が誰のためにリリスを守ろうとしているのかなんて、そんな話題は一つもなかったはずで。


 いや、そもそも前提がおかしい。

 俺はリリスを守るために世界を壊すと告げていたはずだ。

 その質問自体が初めから破綻している。


 そのはず、だったのに。


「言葉の通りです。今のシュウさんの言葉は、私じゃない、別の誰かに向けて言ってるんですよね?」


 リリスの追及は止まらない。

 確固たる自信をもって彼女はそう言っている。


「違う、そんなことはない。俺は本当に君を……君だけを想って」


「……シュウさんは私にそんな優しい言い方はしません。いつもなら、ちゃんとお前って言ってくれるはずです」


「ッ」


 その主張に思わず言葉を失う。

 否定することは簡単だった。

 そんなの状況によっていくらでも変わるだろって、そう言ってやればよかった。

 なのにどうしてか、俺はそれを言葉にすることは出来ない。


「ずっと、不思議に思っていたんです。どうしてシュウさんは何度も私を助けてくれるんだろうなって。世界を嫌っているはずのシュウさんが、私や世界のために戦ってくれるんだろうなって」


 だから、ただリリスの言葉を聞くしか出来ない。

 それ以外に何も、俺は……


「シュウさんは優しいです。目を見れば……リーシャさんとは違いますが、私にもそれくらい分かります。綺麗な黒色の瞳には他人を思いやる優しさがあって、けれどその奥にはそれ以上の悲しさがあります」


 彼女の言葉が真実かなんて自分にも分からない。

 優しさ、そんなものを俺は持っていない。

 悲しさ、そんな感情はとうの昔に捨てたはずだ。

 どこまでも身勝手で独善的な存在が俺だと、ついさっき思い出したはずだ。


 なのにリリスは自分の発言を疑うこともせず、笑顔で言葉を紡ぐ。


「その訳を、ようやく私は知れたんです……先日の、シュウさんとソラさんの会話を聞いて」


「――――!」


 瞬間、思い出すのはアトロスと戦った日のこと。

 俺がソラに世界を嫌う理由を問われ、答えた時のこと。

 ……それを、リリスが聞いていた?


「シュウさんは言っていましたよね。この世界を壊したいと願うのは、大切な人を殺したこの世界が憎いからだって」


「…………」


 それはあの日、俺がソラに告げた台詞だった。


「シュウさん。シュウさんには昔に何か悲しいことがあったんですね。大切な人を失って、世界を嫌わずにはいられなかった何かが。きっとその時に抱いた憎しみや鬱憤を晴らす場を、ずっと追い求めていて……その対象が、私でしかなかっただけなんですよね」


「違っ、俺は……俺は、ただ」


 否定、しなければならなかった。

 君の言うことは間違っていると、そう伝えなければならなかった。

 だけど何も、投げかけるべき言葉は生まれない。

 リリスに伝えるべき想いは見つからない。


「お願いです、シュウさん」


 ふと、一粒のしずくが落ちる。

 それは、俺の目の前の少女から零れていた。


 思考は消えた。

 時間は止まった。

 全意識が彼女に引き付けられる。

 君は、リリスは。


 いつの日か、俺が大切だと思えた少女は。






「私を――――貴方の大切な誰かの代わりにするのは、止めてください」






 涙を流し、微笑みながら、俺という存在を拒絶した。

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