第二十一話 世界を壊す理由を
◇
――――水音 咲という少女がいた。
俺より三つ年下の、黒髪の少女。
世界最強の魔法使いと呼ばれていた。
それほどまでに、彼女の魔法は強力なものだった。
咲は世界魔術師協会の日本支部の、とある派閥に所属していた。
時には妖魔と戦い、時には魔術犯罪者を取り押さえ、時には派閥同士のいざこざに巻き込まれていた。
彼女の前に敵は存在しなかった。
当然だ。彼女の魔法の前に“不可能は存在しない”のだから。
魔法使いが奇跡の体現者とするならば――咲は奇跡そのものだった。
そんな少女と俺は昔、数年間だけ同じ時を過ごした。
何も共に暮らしていたなどというわけではない。
何気なく外に出かければ顔を合わせ、目的もなく行動を共にするような関係。
両親を失い咲と出会ったあの日から、そんな生活が生まれた。
当時、俺は既に協会から脱退し一般人と同じような日々を送っていた。
魔法使いであることを周りに隠し、退屈な毎日を過ごす。
……尤も、咲にだけは俺が魔法を使えることをバレていたが。
『なあ、何でお前は組織の奴らに従うんだ?』
ある日、俺は彼女にそう尋ねた。
『理由なんて必要?』
すると、咲はそんなおかしな返事をよこした。
『必要に決まってるだろ』
咲は都合よく組織に利用されていた。
世界に平穏を齎すためだなんて説明を受けながら、実際には奴らの私利私欲を満たすために魔法を使うことを強制されていた。
自由にできる時間が与えられているだけ扱いについては他の魔法使いに比べてマシだったが、それはただ組織が彼女の力を恐れていたためだ。他の魔法使いと違い、咲の魔法には制御する手段がないから。
そう、つまりその気になれば、咲は今すぐにも奴らに歯向かえるのだ。
なのに、彼女は今もこうして奴らの思うがままに動かされていた。
『お前だって本当は分かってるだろ。アイツらはお前を都合よく利用してるだけだ、従う必要なんてない。お前なら、あんな奴ら一瞬で屍に変えられるはずだ』
『うん、そうだね』
『なら、どうして……』
『さあ……なんでだろうね。生まれた時からこんなだったから、分かんないや』
表情を変えないままそう言う咲の姿を見て、なんだか胸の中が掻き回されたような気がした。
『お前が世界を守るためにその身を捧げようと、返ってくるのは苦痛や絶望だけだ。お前が人知れず命を費やし誰かを救う裏側で、お前に救われた誰かは感謝の念を抱くこともせず悠々と幸福を受け入れ日々を過ごしている……どれだけ頑張ろうと、お前自身が報われることはない』
『…………』
『それとも、お前は……自分を犠牲にしてでも救いたいくらい、この世界が大切で……好きだって、言うのか?』
これまで故意的に尋ねることを控えていた問い。
この答え次第で俺は何か大切なものを失ってしまう。
多くの不安と、一抹の期待。
そんな感情を抱いている俺の前で、咲はゆっくりと口を開く。
『大丈夫、私はちゃんと、この世界が嫌いだから』
――――ああ、よかった。
その答えを聞き、俺は心の底から安堵のため息をもらした。
俺と咲は異なった在り方の存在だ。
同じ魔法使いでありながら、咲は世界を救うために戦い、俺は身を引いた。
自分の嫌いな存在のために犠牲になることだって、俺なら絶対に許せない。
だけど、そんな俺達にも一つだけ共通点があったのだ。
それは、俺達がこの世界を嫌っているということ。
それだけが俺と咲を繋ぎ止める唯一の信頼だった。
ただ、咲は俺と違って世界を見捨てる残酷さを持っていなかった。
嫌いなものであれ救わなければならないという優しさを持ってしまっていた。
彼女が彼女たる以上、きっとその在り方は変えられない。
――――だから、俺は誓ったんだ。
『そうか』
咲の頭を撫でながら、俺は思う。
世界を心から愛して救う崇高な優しさも、世界を嫌い壊したいと願う残忍性も持ち合わせていない。
どこまでも中途半端で、だからこそ自分の意思を抑え世界のために犠牲になる存在が水音 咲という少女だ。
なら、せめて。
俺だけは決意しておこう。
いつ彼女の中にその願いが芽生えるかなんて分からないけれど。
もしいつの日か、彼女が心からこの世界を憎む日がくるとするならば。
その日に、この世界を壊すのは俺だ。
◇
それから、どれだけの時が経っただろうか。
一つの小さな綻びが生じる。
世界を救うための咲の行動が、結果としてその地に災厄を齎した。
環境は取り返しがつかない程破壊され、協会の魔術師と一派人を含め幾人も犠牲になった。
人々は咲に対し恨みを口にした。
これまで都合よく利用していたくせに、たった一度の失敗で彼女は悪人に仕立て上げられた。
世界最強の魔法使い――その存在に対する畏怖と羨望が急速に体を成した。
咲を利用していた派閥の人間も。
それと敵対していた人々も。
誰もが一様に咲を処分するべく動いた。
敵対していた派閥にとって、世界最強の魔法使いなどいるだけ邪魔な存在。
そして利用していた派閥にとっても、自分達の支配が行き届かなくなった魔法使いなど恐怖の対象であっても救いを求める対象ではない。
既に、世界にとって咲の存在は不要だったのだ。
――――その光景は今でもはっきりと覚えている。
いつも、俺と彼女が出会い言葉を交わした場所。
ありふれた住宅街と、その中にある小さな公園。
そんな見慣れた景色は既になかった。
崩壊した世界の真ん中に、咲はいた。
『あっ、ああっ……!』
傷だらけの身体を引きずる。
一秒でも早く咲の下へ、そう思っているのに身体は満足に動かない。
吹き荒れる颶風が容易く俺を吹き飛ばす。
それでも、俺は再び地面を這うように彼女の下へ向かう。
(――――どうして)
その最中、脳内は一つの疑問で埋め尽くされていた。
それは、なぜ咲が抗おうとしないのかについてだ。
彼女は最強だ。
それは比喩ではない。
彼女の前に不可能はない。
こんな絶望、彼女なら簡単に乗り越えられるはずだ。
なのに咲は、自分を殺そうとする悪意を振り払おうとはしなかった。
それを理解した瞬間、俺の中に一つの想いが生まれた。
それは俺が持つにはあまりに優しく――ドス黒い想い。
(――――大丈夫だよ、咲)
今こそ、誓いを果たすべき時だ。
彼女を救いたいと思う願望と、世界を壊したいという欲望が混ざり合う。
そして――――
『咲ぃぃぃいいいいい!!!』
俺はその想いのまま叫んだ。
『――――修』
その時、君は――――
◇
「――――ッ!」
咄嗟に、勢いよく身体を起こす。
思わず眠ってしまっていたようだ。
服に張り付いた汗が自分の焦燥を示している。
「…………咲」
その少女の名を小さく呟く。
とても馴染み深く、懐かしい名。
いま彼女のことを思い出した理由は分かっている。
要するに、これはあの出来事の再現なのだ。
あの絶望の日に、今の状況はとてもよく似ている。
世界のために戦い、それでも最後には死んでいった少女。
世界のためにもがき苦しみ、それでも犠牲になろうとしている少女。
――――ああ、咲とリリスの境遇は、本当にそっくりだ。
ただ一つ違うのは、今はまだあの日の絶望に届いていない。
今はまだこの状況をどうにかできる、どうにかできてしまう。
絶望が、まだ、足りない。
「残るは、あと少しだけだ」
きっと、逢ヶ瀬とソラはレイと戦う。
その結果、ほぼ間違いなくレイが勝利するだろう。
そして彼は宣言通り、人々の意思に従いリリスを処刑しようとするはずだ。
異世界から召喚された偽りの勇者を倒した、本物の英雄として。
そうして初めて、リリスを殺すことが人々の願いから世界の選択に変わる。
そしてようやく、あの日の絶望に釣り合う。
俺が世界を壊したいと心から願ったあの日に。
ずっと、探し求めていた。
俺が世界を壊す理由を。
この願望を解き放つ機会を。
「大丈夫だよ――――リリス」
だから俺は笑って、静かに彼女の名を呼んだ。
「君は殺させない、俺が命に代えても守ってみせる」
犠牲になんてさせやしない。
だって。
「――――今度こそ、俺が世界を壊してみせるから」




