第十六話 牙を剥くのは
しかし、口出しをせず話を聞き届けようとする俺とは違い、隣にいる少女は真っ先に立ち上がる。
「処罰……?」
そして、真正面から反対の意思を示す。
「理解できません。私達も先日、彼女が不適な名で呼ばれるようになった所以や、現在こうしてクーデターを起こす原因となった事柄について話を聞きましたが、そのどこにも彼女の……リリスさんの責任があるようには思えません。彼女に罰を与える必要など存在しないはずです」
力強い否定の言葉。
だが、それを聞いてもレイが穏やかな表情を崩すことはない。
「どうして、それらを聞いて彼女に責任がないと考えたのかな?」
その問いに逢ヶ瀬は一瞬眉をひそめるが、すぐに気を取り直し口を開く。
「単純なことです。国民達が騒動を引き起こすきっかけとなった情報、つまりルミナリア王国の上位貴族の裏切りや、リリスさんが魔王軍幹部と共にいたこと関しては嘘偽りの推測が含まれたまま広がっています。そこにあるのはただの事実のみ、真実ではないからです」
「なるほどね」
驚くことに、レイは逢ヶ瀬の言に首肯で応える。
「確かに君の言う通りだ。そんな確実性のない情報のために一人の少女が犠牲になるなんてあってはならないことだと僕も思うよ」
「っ、そう考えているのなら、なぜ処罰などと……」
その反応は逢ヶ瀬も予想外だったようで、戸惑ったように言葉を詰まらせる。
しかし、本当の意味で表情を衝撃で染め上げるのは次の瞬間だった。
「簡単な話さ。君がいま話した内容の中に、君たちがこの世界に来る以前のものが含まれていないことに気付くべきだ」
「ッ」
それは本当に想定していなかったことなのだろう。
逢ヶ瀬は大きく目を見開き、完全に言葉を失っていた。
そこに畳みかけるように、レイは話を続ける。
「君の主張はすごく興味深かったよ。人々が知っている情報は事実であったとしても真実ではない。少し詩的な表現だが、確かにその通りだ。人々はこの国と魔王軍の一部の繋がりを事実として抜き出し、その理由を偽って広めた。なるほど確かに、それを真実ということはできないだろう」
けれど、と。
ここからが本題だとでも言いたげに、たっぷりと間を置いて言った。
「君の言葉を借りるなら、“彼女”が金魅の忌み子と呼ばれる所以――世界最強の祝福者、金魅から連綿と続く国民の反国感情を生み出した出来事の数々は、事実であり真実なんだよ」
「――――」
その説明に対する回答を、逢ヶ瀬は持っていなかった。
俺達のような異世界から召喚された存在と、ずっとこの世界で戦い続けてきた勇者の最大の違い。
それは、俺達が持っているこの世界の情報――とりわけ、俺達が召喚される以前に関してのものが圧倒的に少ないということだ。
ガドリア達の裏切り。
リリスとアトロスが共にいたこと。
一番近い場所で関わってきた俺達は、それらに関する話に嘘偽りが含まれているかどうか判別することが出来る。
しかしそれ以前の、それこそリリスが金魅の忌み子と呼ばれた理由などに対しては、聞かされた話からの推測以上を行うことはできない。彼女が自分の責任から逃れるために嘘の情報を俺達に教えたとでも主張されてしまえばそれでおしまいだ。
いくら魔法使い、ひいては祝福者として絶大な力を持っていようが、俺達はこの世界において戦力を除いた情勢、環境、人々の思考といった点に関して圧倒的に知識不足かつ、影響を及ぼす権限を持っていないのだ。たかだか一国の協力者であるという立場上、その一線を越えることはできない。
おそらくは逢ヶ瀬も同様のことを考え言葉を失っているのだろう。
尤も、それを考慮し会話を中断してくれるほどレイは甘優しくはなかった。
――その光景を、俺はただ静かに見つめる。
「といったように、人々が彼女に怒りを向けるには理由があることを説明させてもらったわけだけど、君たちがいなかった当時のことについて僕の意見だけを押し通すわけにはいかないね。だから一つ、君たちが僕の言葉を信じる証拠のようなものを挙げさせてもらおう」
言いながら、レイは視線を逢ヶ瀬からラルクに移す。
「ラルク殿下、貴方に問いたい。貴方は心の底から、リリス第一王女と魔王軍の間に関係がないと言い切ることができますか?」
その問いは、ラルクが真っ向から否定すれば解決してしまいそうなほど単純なものだった。
逢ヶ瀬は、縋るような目でラルクを見つめる。
しかし――――
「…………」
これまで不自然に無言を貫いて来ていたラルクは、ここに来てなお苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるだけで、とうとう何も言葉を発しない。一言関係ないといえば、娘を守ることができるというのに。つまり、この無言が指し示す意味は一つ。
不意に俺は、とある日の執務室での会話を思い出した。
俺が彼らに国家と魔王軍に繋がりがあるのかと尋ね、不自然に誤魔化された時のことを。
……ああ、きっと、あの時から答えは決まっていたのだろう。
「これが全てだよ」
思考を遮るように、レイの言葉が静まった室内に響く。
「最も僕の言葉を否定するべき彼が否定しない時点で、状況証拠としては十分だと思わないかい? ――さあ、それじゃあ彼女の処罰を求める声への対応について話し合おうか」
言うべきことは言い切ったと、レイは逢ヶ瀬の疑問を断ち切る。
それ以上言葉を紡ぐことが出来なければ、俺達はこの議論の主導権を完全にレイに握られることになる。
「……くっ」
だけど最後の砦であった逢ヶ瀬は、悔しそうに顔を歪めながらゆっくりと椅子に座る。それが、主導権が完全に相手に奪われた瞬間だった。
このまま俺達は、レイの言葉に先導されるままリリスへの処罰を決めることになる――――
そう考えていると、不意に俺と“彼女”の視線がぶつかった。
俺がこの部屋に足を踏み入れてから未だ言葉を発してはいない、普段の勝気な様子はどこにやら、居たたまれないように顔を下に向け無言を貫いていた少女。
そんな少女の弱々しく震える瞳の奥には、彼女の強い意志が確かにあって。
何かを縋るような翡翠の眼差しが、俺を真っ直ぐに見据えていた。
“お願い”と。
彼女の、リーシャの唇が小さく動いた気がした。
その行為が何を指し示すのかは分からない。
けれどどうしてだろうか。
それを見た瞬間、俺は――――
「なあ、ちょっといいか」
レイが何かを言い出すより前に、俺はおもむろにそう告げた。
部屋にいる全員の視線が俺に突き刺さる。
「まだ何か言いたいことがあるのかな?」
「いや、話は変わるんだけどさ」
「このタイミングでかい? まあ、君らしいといえば君らしいね」
呆れたように表情を崩すレイの姿を見るのも程々に、俺は続ける。
「お前ら、随分とここに来るの早かったな」
「……? どういう意味かな?」
俺の言いたいことをまだ分かっていないのだろう。レイは素直に首を傾げる。
「いや、別に。そういやエルトリア帝国の首都からここまで二週間かかるはずだったよなって、ふと思ってさ」
「…………」
俺の場合は国境沿いから空を駆けたために一週間強で着いたが、それは例外だ。
「何を言いたいのかな?」
気のせいでなければ、少し声が低くなったレイの問いが俺に投げかけられる。が、俺はそれを無視し視線を逢ヶ瀬に向ける。
「逢ヶ瀬、クーデターが始まったのは俺が帰ってきた日からどれくらい前だ?」
その質問に少し怪訝な表情を見せた後、逢ヶ瀬は素直に答えてくれる。
「始まった時ですか? 前にも言った気がしますが、たしか数日前……三日程前だったと――っ!」
途中で逢ヶ瀬も俺の言いたいことに気付いたのだろう。はっと目を大きく開き言葉を止める。
俺が求めていた答えを彼女は告げた。
視線をゆっくりとレイの方向に戻すと、既に彼の表情から微笑みは消えていた。
――つまりはこういうことだ。
俺がエルトリア帝国の首都アートレアルを出発してから今日で二週間。
通常の馬車での移動なら、ようやく今日到着できることになる。
レイ達が今この場にいるということはつまり、俺のすぐ後に出発したことを示している。
しかし実際にクーデターが始まったのは今日から一週間と三日前、要するに十日前。
ほんの数日の差異だが、それは決定的な事実を表している。
いま俺達の目の前にいる奴らは、“クーデターが発生するよりも前に”首都を出発しているのだ。
その事実をこの場にいる誰もが理解したのだろう。
瞬時に緊迫感が辺り一帯を支配する。
クーデターが始まるより前にそうなることを予想し行動を起こす。
国内の人々の動きの流れから推測することも可能といえば可能だろう。
だが、俺はそれより簡単に出来る方法を一つだけ知っていた。
つまりそれは、クーデターを引き起こす張本人になってしまうこと。
「ところでまた話は変わるんだけど、実は前の話し合いでさ、今回のクーデターにはそれを故意的に引き起こした黒幕がいるんじゃないかって予想があって――」
「僕だよ」
言い切るよりも早く、レイの呟きが俺を止めた。
全員の視線が白銀の勇者に突き刺さる。
そんな中で。
彼は、一度は失った笑みを浮かべ――いともあっさりと告白した。
「君の予想の通りだよ、シラサキ。リリス王女にとって都合の悪い噂を流し、クーデターを引き起こすよう画策したのは――――僕だ」




