第十一話 微笑みが消え去ることはなく
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足を一歩ずつ前に進めていく。
城壁を囲み、視界を埋め尽くす大量の人間など気にしてはいられなかった。
目の前に立ちはだかる人物を力ずくで押しのけ、分け入っていく。
俺に弾き飛ばされた人々は此方を睨み罵声を浴びせてくるが、軽く一瞥すると何故かすぐに押し黙った。
その事実以外に認識するべきことはなかった。
そんな大群の中を数十メートル突き進み、とうとう大衆の先頭――城壁に辿り着く。
大門は固く閉じられており、遥か高い城壁の上を通るしか手段は存在しない。
ぐっ、と力強く膝を曲げ、その反動で跳ぶ。
周囲の人々からの驚嘆の叫びを下方に残し、すぐさま城壁に守られていない上空に到達する。
そこでようやく気付く。
城壁に守られていない部分には一見何も存在しないように見えるが、透明で高質の結界が張られている。
醸し出す魔力から推測するに逢ヶ瀬かソラのどちらか、もしくは両者によって張られたものだ。
これが指し示すのはつまり、通常は考えられない上空からの襲撃にも備えなければならないほど、緊迫した状況だということ。
だけどそんなものは、俺にとっては関係ない。
右手を差し伸べ静かにその結界に触れる。
「虚――――」
しかし、言葉は最後まで発されることはなかった。
黒い焔が発現するよりも先に、つまり俺が結界に触れた瞬間に、その防壁が直径二メートルの円状に解かれたからだ。
慣性力に抗うことなくその空間に身を滑り込ませると、すぐさまその空白は埋められていく。
「…………」
その光景を尻目に、俺は強く空を蹴った。
城壁の内側に突入し地面に降り立った瞬間、驚愕を表情に張り付けた様子の鎧に身を纏った騎士達が槍を手に駆け寄って来た。しかし俺の顔を確認するや全員が安堵の息を漏らす。次いで、執務室で国王が待っていると告げられた。現状について、騎士よりもラルクに聞いた方が早い――そう判断した俺は、返事も程々に執務室に向かった。
そして今、眼前には幾度か足を踏み入れたことのある執務室が存在していた。
俺は戸惑うことなく取っ手を掴むと、壊すような勢いで開けた。
瞬間、中にいた人物達の視線が俺に突き刺さり――同様に此方も、幾つかの見慣れた顔を視界に収める。
「白崎さん……」
真っ先に俺の視線が捉えたのは、美しい艶のある黒色の長髪を靡かせる少女だった。普段は落ち着きのある理知的な眼は微かに揺れ、彼女の内心の動揺を瞳を映し出す。整った容貌には薄っすらと疲労が窺える――彼女の名は逢ヶ瀬 伶奈。俺と共に地球からこの世界ジオ・ストラルダに召喚された少女だ。
「シュウ」
次に俺の視界に移ったのは、逢ヶ瀬より少し身長の低い少女だ。日本ではまず目にしない、陽光を受け反射しながら流れる清澄な川を彷彿させる水色のセミロングに、深海のように深い蒼色の双眸を持ち、容姿全体としては綺麗さよりも可愛らしさが印象付けられる――彼女の名はソラ。俺と逢ヶ瀬より半年程早く勇者として呼び出された少女だ。
本来ならば俺と彼女の関係には、とある事情で少しの亀裂が入っているが、今の俺にそれを意識する余裕はなかった。
この執務室にいるのは全部で三人。
残りの一人は、眼前の机の向こうで椅子に腰かける男性だった。
ルミナリア王国国王、ラルク・ジオ・ルミナリア。
深い茶色の髪と鋭い眼を持ち、豪傑たる雰囲気が特徴的な彼だが、その姿を一目見るだけで普段の堂々とした様子は薄れていることは分かった。覇気というものがなくなっている。
――――誰よりも本当に会いたかった彼女だけが、この場にいなかった。
尤も、それで俺の行動が変わるわけではない。
城内に彼女がいること自体は分かっている。
目の前の逢ヶ瀬とソラの間を通ると、書類などが大量に積まれた机に軽く左手を置く。
瞬間、ピシリと木が割れる音が耳に届くが、そんなことはどうでもよかった。
「どういうことだ……」
自分でも驚くような、底冷えするような冷たい声と共にラルクを睨む。
「答えろ。どうして――――」
自身の感情を認識する間もなく、俺は言った。
「――――どうしてリリスが忌み子と呼ばれ、国中の人間から殺意を向けられているんだ」
――――エルトリア帝国を出発して、ルミナリア王国との国境に至るまでの一週間には何の問題もなかった。馬車の進行速度に不満はありつつも、耐えられる範疇だった。
問題が起きたのはルミナリア王国に入国した日のことだった。
俺達は夕暮れ時に国境に辿り着き、それから少し進んだところで野宿することになった。
暗闇のなか移動する危険性は理解しているため、俺もそれに反対はしなかった。
それから数時間後、俺は睡眠の際に小腹が減り起き上がった。
食料を取りに行こうと立ち上がり、暗闇の中で躓かないよう強化を行い――――気付いた。
ここから十数キロ離れた場所からから人の声がする。それも複数。
さらに強化した視力によって、すぐにそこが一つの村であることを理解した。
何故だろうか。そこで不意に嫌な予感がした。
何か確証があった訳ではない。ただ、突如として胸中に生まれた不安を抱いたまま歩を進め、その村に辿り着いた。その村に辿り着く数十分の間に、日が昇り始めていた。
その村にいる者達は、そんな朝早くから目を覚まし集まっていた。どこか、不穏な空気を発していた。
彼らは突如現れた俺を不審な人物だと思ったようで敵意を示してきたが、反射的に王都ルミナダに行く途中に村が見えたから寄っただけだ――そう告げると、どうしてか皆は納得した様に頷いた。
やけに簡単に説得に成功したものだ。
そう安堵した俺に、村人の中の一人が言った。
アンタも、王都でのクーデターに参加するのか? ――――と。
瞬間、思考は停止した。
何を言っているのか分からなかった。
だから俺は、その疑問をそのまま問うた。
すると、その若い男性は怒りを抑えきれないといった様子で説明した。
以前から魔王軍と繋がりがあると思われていた王族だが、とうとうその証拠が上がったらしい。
ルミナリア王国第一王女リリス・ジオ・ルミナリアは、魔王軍と協力し世界に災厄を齎している。
いま世界を救えるのは、この国の勇気ある人間だけだ!
そんな馬鹿げた内容を、疑うことなく自信満々に告げた。
その証拠とは何なのか。真っ白な頭の状態のままで訊いた質問にも、若者は親切に答えてくれた。
そしてその答えは、間違いなく事実であった。
ただそれだけの事実でどうしてリリスが魔王軍と協力している証拠になるのか、そしてクーデターに結びつくのか、どうしても俺は理解することが出来ず――――
反射的に駆けだした。
王都に辿り着き、直接訪ねなければならないと感じたから。
どうして彼らが、その事実を知っているのかも確かめず。
後方に残したエルトリア帝国の騎士に連絡もいれず。
この先に何が待っているのかも分からないまま。
俺は焦燥感に突き動かされるまま、超強化を行い空を駆けた。
そんな俺を嘲笑うかのように、王都に向かう途中の町や村も同様の状況だった。
国家は腐敗していると、リリスは悪だと、殺さなければならないと皆が言った。
その中で聞いた一つの言葉が、無性に俺の頭に残った。
金魅の忌み子――決して好意的な意味で使われていないであろう彼女の蔑称が。
以上の経緯をもって、空を跳ぶこと約二時間後、俺はこうしてルミナリア王国に帰還し、王城の執務室の中で疑問を露わにしていた。
「そうか……今がどのような状況か、おおよその事情は知っているのだな」
俺の問いに、ラルクは苦渋を味わうかのような態度で唇を噛みながら目を瞑る。
そのまま数秒間の沈黙が過ぎ、俺の我慢の限界が訪れようとした瞬間、ラルクは覚悟を決めたようにゆっくりと目を開けた。
「分かった。シラサキにも全てを話そう。国民達が我が娘リリスを殺せという理由を。長くなるが、構わないか?」
「……ああ」
ラルクの言葉に俺は首肯する。
俺はそれを聞かなければならない。
心のどこかでそんな確信を抱いていた。
そしてラルクの口が開き、ゆっくりと今に至る事情が語られ――――
「――――待ってください、お父様。私が……全てを説明します」
――――ようとした瞬間、凛と響く幼い少女の声が聞こえた。
俺以外の三人が――視線を扉に向ける全員がはっと息を呑むのが分かった。
つられるように俺も後ろに振り返る。
そこに、彼女がいた。
この世界の何物にも劣らない輝きを纏い、美しくも儚い金色の長髪をさらりと垂らす。広大な青空と、透き通る海を閉じ込めたかのような大きく慈愛に満ちた蒼眸。すっと通った鼻梁と、桜色の唇に至るまでがきめ細やかな白い肌の上で調和し、彼女の可愛らしくも綺麗な容貌を生み出している……ただその美貌は、いつものような元気さを失っていた。病に伏す少女のように弱々しい。
だけど彼女は、そんな状態でも優しく微笑む。
まるで世界の悪意を一身に浴びてなお、彼らを愛することを止めないとでも言うように。
「……リリス」
「はい、シュウさん」
リリス・ジオ・ルミナリアが、そこにいた。




