第七話 努力で敵うことはなく
素振りを繰り返すこと五百回。
最後の一振りを終えると、リーシャは深呼吸を行い気を静める。
「お疲れさん」
汗を拭くためのタオルを差し伸べると、リーシャはバッと奪い額に当てる。
位の高い人物とは覚えないほど乱暴に顔全体を拭くと、そのまま俺の方を向く。
「素振りを見て何か気になることはあったかしら?」
「いや特には。見本かと思うくらいにはちゃんとしてたと思うけど」
「……じゃあ、祝福者に敵うと思う?」
「絶対無理」
「うっ」
誤魔化しても仕方ないため彼女の質問に思うまま答えると、リーシャは何か固い物で殴られたかのように仰け反り、そのまま仰向けに倒れる。左腕を自分の顔に翳し視界を塞ぐと、目的は不明だが右手を天井に向け伸ばす。
「どうすれば強くなれるのよ……」
心の奥から引っ張り出したような言葉。
悔しさに耐え切れず、つい漏れたかのように彼女の感情が込められていた。
「まあ一般的な努力じゃ、どれだけ足掻こうが無理だろうな」
先程自分が言った言葉に補足を加えるように、リーシャに俺自身の考えを投げかけていく。彼女は左腕を少しスライドさせると、澄んだ翡翠の眼で縋るように俺を見つめる。
「なら、どうすればいいの?」
「正攻法で戦わないことだ」
「……つまり?」
リーシャはそう言いながら上半身だけ起こし、そのまま答えを待つ。
少女らしい素直な態度に少しだけ微笑ましい気持ちを抱きながら、彼女の期待に応える。
「第一に、相手に祝福を使わせないことだな」
リーシャの横に置かれている修練用の剣を拾いながら説明を続ける。
「例えば、俺のまほ……祝福の効果の一つに強化がある。特徴としては、その強化を使用すれば瞬間移動に等しい速度と一撃で山を崩せるだけの力を得るんだが、その理屈自体は通常の強化と変わらない。身体中の魔力の純度を高め循環させることによって強度を上げているだけだ。しかし逆に言えば、強化する意識さえなければ――」
左手で持った剣を、切っ先が右腕の血管に届かない程度の深さで振るう。
容易く腕の皮は切られ、内側から血が滲み赤みが増す。
「こんな風に、通常なら簡単に弾くことが出来るような弱々しい一撃でも傷つけることが出来る。要するに相手が祝福さえ使用しなければ十分に勝機は見える。まあ常時発動型の祝福とかが相手だと話は変わってくるけど、それは一旦置いとくぞ」
そこまでの説明を終え、ちらりとリーシャの方へ視線を向けると、いつの間にか立ち上がっていた彼女は興味深そうに俺の傷を負った右腕を眺めていた。
「私がどれだけ模擬戦で与えようと思っても与えられなかった傷がこんなに簡単に? つまり寝込みを襲ったり、抵抗する手段さえ与えなければどんな強敵も倒せるということ? いやそれとも……」
一人で恐ろしい内容をぶつぶつと呟きながら、リーシャは俺の言葉を真剣に噛み締めていた。
ただ、俺の魔法の能力のうちの強化はほんの一部に過ぎず、別の常時発動型も併存しているため、不意打ちされてもやられることはないけど。まあわざわざそんなことまで伝える必要はないだろう。
それから暫く独り言を続けていたリーシャだが、突然なにかに思い至ったかのように顔をあげる。
「相手が祝福を使う前に倒してしまえばいいことは理解したわ。けど問題なのは、どうやって相手に祝福を使わせないかでしょう? それについてはどう考えてるの?」
「まあ、問題はそこだよな」
その問いには俺も思わず首を傾げる。いま俺が説明したのはあくまで理論上の方法に過ぎない。けど現実的に考えて、祝福者が何の対策もなしに睡眠するとも、隙を生み出す行為をするとも思えない。地球においても、協会の派閥によっては常に魔法使いに護衛を付けていた。
だけどそれは逆に言えば、護衛だけは隙だらけの魔法使いの側にいられるというわけで……
「なあリーシャ。一つ訊いときたいんだが、お前はどういう状況で祝福者と戦うことを想像してるんだ?」
「どういう意味かしら?」
「戦場で向かい合って真正面から倒したいのか、不意打ちでもなんでもいいから殺せればいいのか。それとも祝福者から大切なものを守れさえすればいいのか――」
「全てよ」
強い意志が込められた声で、リーシャははっきりとそう告げた。
「少なくとも、お兄様ならそれが出来るもの。魔王軍と戦うためには、その全てを可能にする力が必要だもの」
「……魔王軍、か」
本来なら訊こうとは思っていなかった、彼女が力を求める理由。
意識しないうちに、俺はその領域に足を踏み入れていたようだ。
だけど今更引くことはできない。俺はリーシャの真剣な眼差しに応えるように、核心を問う。
「つまり、お前は祝福者に匹敵する力を手に入れて、それを魔法使いを倒すために使いたい、ってわけだな?」
「そうよ」
そうなると、やはり俺の言った話は現実性を持たなくなる。
対等な条件の下で一般人が魔法使いに敵う術は、ない。
彼女が出来ることは、ほんの限られたことだけだ。
「だったら、もう魔法使いを倒せる奴を援護するくらいしか残ってないな」
「……え?」
一周回って辿り着いた俺の結論を聞き、リーシャは翡翠の眼を大きく見開く。
それはまるで予想外の事を告げられたかの様な……もしくは、知りたくないことを突き付けられたかのような。
それでもここで言葉を止めることは出来ない。現実を知らずに戦場に挑んだところで、無駄に命を散らすだけ。だからせめて、少しとはいえ関わりを持ったリーシャには俺自身の口から言わなくてはならない。
「だからお前に出来る最大のことは、騎士団の奴等みたいに、お前の兄であるアイツを援護することだって意味で――」
「――それこそ、何の意味もないじゃない!」
「…………」
言い切る直前、リーシャの心からの叫びが修練場全体に響き渡る。
これまでに彼女から聞いたどんな言葉よりも大きく、想いが込められた……弱く、悲痛に満ちた声だった。
その叫びの意味するところを、俺は知らない。
故に、俺は何も気遣った言葉をかけることは出来ない。
感情的に叫んだリーシャも、俺の視線に気付きハッと顔をあげる。
そして気まずそうに顔を逸らし、目線を地面に落とす。
「ごめんなさい、今のは私が悪かったわ。貴方に言っても仕方ないことなのに、取り乱してしまって……ただ今日は、もうこれで終わらせて」
「……ああ、分かった」
「私は、先に戻るわ」
最後にそう告げると、リーシャは護衛の兵士を連れ修練場から出ていく。
俺はその後ろ姿を静かに見つめるしか出来なかった。
「……はぁ」
思わず溜め息を一つ零す。
彼女が残していった剣を軽く数度振るいながら、意識を整える。
普段なら俺もリーシャに続き部屋を出て浴場にでも向かうところなのだが、どうやら本日はそうもいかないらしい。
「おい、いるんだろ」
俺以外誰もいなくなった修練場で、おもむろに呟く。
その言葉は何も意味を為さず大気に溶け消えていく――わけではなく。
「やあ」
修練場の入り口から、俺のものでもリーシャのものでもない爽やかな声が飛び込んでくる。
発信源が何者かは視線を向けずとも理解しているが、それでも俺は身体をそちらに向ける。
照明に反射する白銀の髪に、整った顔立ち。
普段の様な鎧姿ではなく簡素な恰好をしているレイが、そこに立っていた。




