第六話 翡翠の眼差し
◇
――――不思議な純白の少女との邂逅を終えて。
俺は既に太陽が沈んだ首都の街並みを歩み、帝城に帰還していた。
帝城の周りを囲む城壁を警備する衛兵以外とは言葉を交わすことなく、俺に与えられた客室を目指し城内の通路を進む。
このまま誰にも出会わないまま戻ることが出来ればよかったのだが。
「シラサキ! 帰ってくるのが遅いわよ!」
「げっ」
しかし客室まであと少しというところで、後方から俺の名が大声で呼ばれる。
多少の嫌気がしながら振り返ると、そこには一人の少女と、その両脇に二人の護衛の兵士が立っていた。
廊下の真ん中で大胆不敵にふんぞり返る、深みのある赤色の長髪に黒色のヘアバンドが特徴的な少女。
少し鋭さを感じさせる翡翠の双眸を含む、整えられた美しい容貌。
彼女の名はリーシャ・ジオ・エルトリア。エルトリア帝国皇位継承権第二位の皇女である。
そんな少女が、護衛の兵士を二人も引き連れて俺の前に立っていた。
それも顔を真っ赤にしてカンカンに怒った表情で。
「いま貴方、げっ、って言ったわよね?」
「言ってない」
「嘘ね」
「嘘じゃない」
そんなお馴染みの会話を繰り返していると、リーシャはビシッと右手の人差し指で俺の鼻先を刺す。
「シラサキ、貴方は今までどこをほっつき歩いていたの? 一緒に魔物討伐に行っていたお兄様はとっくの前に帰還されているのに!」
「散歩」
「散歩? そんなのいつでも好きな時に行けばいいじゃない。私との約束を無視したことを許すほどの理由じゃないわね。却下よ却下。まったく、自分が所詮客人という立場であることを理解しなさい!」
「……はい」
「何よその間」
「いや、別に」
返答するのが面倒になったとか、全然そんなことはない。
そんなことを頭の中だけで考えるが、言葉になることはなく霧散していく。
俺が帝城に滞在し始めて数日経つが、どうやらリーシャは自分の暮らす城に見知らぬ他人がいることが耐え切れないらしい。そのせいか会う度に俺に対して色々な文句を言ってくるのだ。それを踏まえ、本来なら顔を合わせなければどうとでもなると思うかもしれないが。
「ほら、何してるのよ。早く修練場に向かうわよ」
リーシャは俺が城に滞在するために、個人的な条件を一つ突き付けてきたのだ。
その内容がリーシャの特訓に付き合うこと。
彼女は俺を毛嫌いしていながら、実力自体は認めているらしく、そう申し出てきたわけだ。
言いたいことは全て言い切ったのか、リーシャは踵を返すとぐんぐん歩を進めていく。向かう先は彼女の言葉にもあった修練場だろう。付いていかなければ、また小言が飛んでくること間違いなし。
「俺まだ飯食ってないんだけど……」
既にポツンと小さな点となった彼女の背に呟いてから、俺も足を踏み出した。
◇
「視線の位置を狙う場所に固定するな。簡単に対策を取られるぞ――剣の速度も遅い。力も甘い。衝撃を与えられたからって簡単に手放すな。魔術への移行も遅すぎる。魔王軍幹部クラスならその隙に五回は殺せるぞ。俺なら五百回は余裕だ」
「ぐッ、いぃぃぃ!」
顔に迫る炎の玉を首を傾げるだけで躱し、剣を吹き飛ばされ無防備になったリーシャの額を人差し指で軽く押す。リーシャの軽い身体はそれだけで後方へ吹き飛んでいく。石造りの固い地面への着地自体は見事なものだったが、それでも少しの隙が生じている。
無事に両足を地に付け、肩で息をするリーシャ。今は動きやすい簡素な白地の服に身を包んでいるが、既に砂埃などによって全身は茶色に染められていた。
その光景を眺めながら、俺は先程弾いた剣が上から落ちてくるのを視界の端で捕らえ、そのまま左手を掲げ掴む。
「ほら、剣を失ったらどうする? 相手に奪われたら? 為す術もなく殺されるか?」
「うっさいわね! まだよ!」
叫び、身体の前で両手を合わせる。
瞬間、強烈な風が吹き荒れ彼女のもとに集う。
次いで前方、つまり俺を見据え放射――
「ウィド・ラ――――」
「遅い」
「っ!?」
――する直前、既にリーシャの後方に回り込んでいた俺は彼女の背に軽く掌底を与える。痛みは感じない程度に力を抑えているが、それでもリーシャの華奢な身体を飛ばすには十分で、そのまま彼女は顔面から地面に叩き付けられる。
本日通算十四度目の、皇女リーシャが地に這いつくばる姿だった。
両手両足を伸ばしきった、なんだかギャグ的な姿になった少女を俺は見下ろしている訳である。
これまでは何度身体が砂に塗れてもすぐさま立ち上がっていた少女だが、今回ばかりは立ち上がる素振りを見せない。部屋の隅に待機しているリーシャの護衛の兵士からの視線が少し痛い。大丈夫大丈夫、死んでない死んでない。
「おーい、生きてるかー? もう終わるかー?」
しかし十数秒待っても立ち上がらないリーシャを見て、少し不安になった俺はしゃがみ込み様子を窺おうと――
「ウィド・ラズ」
「ッ」
いつの間にか重ねられていたリーシャの両手から風の槍が放たれた。
咄嗟に術式を展開したにしては強力すぎる威力だ。
分析しながら、身を横に倒し普通に避ける。
「なるほど、さっき不発だった魔術をそのまま保っていたのか。で、俺の隙を生み出すために死んだふりをしていたと。今のはまあまあ良かったんじゃないか」
「――――ふっっっつうに躱しておきながら、お世辞言ってんじゃないわよ!」
躱されたことにか、それとも褒められたくなかったのか、怒りを露わに叫びながらリーシャは両手で力強く地面を押し、バッと勢いよく身体を起こす。そのまま身体についた砂埃をぱんぱんと払いながら俺に向き直る。
「今のは素直に喰らっておくべきでしょ! 私ほどの人物が身体をこんなに汚して、やられたフリまでしたってのに! 貴方って人は!」
「いや、だって発想自体はよかったけど、威力や速度はゴミだったから。あっいや違う、ゴミっていうのはあくまで俺にとってはという意味で、世間一般からしたら高水準だと――」
「なに意味不明な言い訳してんのよ! 私がいま戦ってるのは貴方なんだから、貴方がゴミって言ったらゴミなのよ! そうよ、私はゴミよ!」
「おいちょっと混乱してない? いきなり自分のことゴミ発言しちゃってるけど大丈夫皇女様?」
「うるさいわね!」
「うおっ」
剣も持たず魔力も練らずに放たれた拳の思いがけない勢いに驚きながらバックステップで躱す。武闘家に転職するのはいかが?
などという冗談を口にするわけにもいかず、俺は目の前の少女に声をかける。
「で、本当にどうするんだ? まだ続けるか?」
「……模擬戦形式はいったん終わるわ。素振りするから、隣で見てなさい」
「はいはい」
少し落ち込んだ様子のリーシャに指示されるまま、彼女に剣を手渡すと一番近くの壁に背を預け素振りを見守る。
「ふぅ」
騎士剣と同等の長さ、しかし装飾はほぼなく簡素な修練用の剣を正眼に構えたリーシャは息を吐き気を静める。続けて左脚を軸とし、すり足の用法で水平移動――その動力を腰、背、腕、手首へと繋げていき、流れるような動作で剣を真っ直ぐに振り下ろす。終えると静かに後方へ下がり、再び初めから繰り返す。集中を切らすことなく、一つ一つの動き最大限の意識を割き、美しいとさえ感じさせる素振りを何度も何度も。
そんな見本ともいうべき素振りを行うリーシャの真剣な横顔を見ながら、俺は彼女に申しだされた条件を思い出していた。
リーシャの特訓に付き合うこと。
彼女が強くなるため、そして祝福者と対等の力になるため、そう言って頼まれたのだ。
リーシャは祝福者ではない。兄のレイとは違う。
剣も魔術も、修練によって鍛え抜かれたものに過ぎない。
皇族であるため高水準の指導を受けているらしいが、精々がその程度だ。
実力がないわけではない。
いや、おそらく今すぐこの国の騎士団に入っても活躍できるだけの力は既に持っている。
その時点で驚愕的なことなのだが、リーシャはその先、つまり祝福者に匹敵する力を求めた。
正直、無茶な話だ。祝福者と一般人の違いは、蟻と像の違いに等しい。
それはきっとリーシャ自身も理解しているだろうし、こうして俺と模擬戦を繰り返していくうえで何度も実感しているはずだ。
それでも彼女は弱音を吐くことなく、この数日間俺との修練に耐えてきた。
そこまで努力する理由は知らないし、訊こうとも思わない。
ただその意思の強さだけは、彼女の真剣な翡翠の眼差しが証明している気がした。
素振りを終えるまでの間、俺は静かにリーシャの努力を見届けていた。




