第五話 少女は願う。なら彼女は
俺と逢ヶ瀬が口論していたのは約一時間前。
その際に起きた不可解な出来事……か。
いや、まずは分かるとこから考えるか。
「リリス、魔法陣についてなんだが」
「……魔術陣のことですか?」
「ん? ああ、多分それそれ」
この世界では魔法陣を魔術陣と呼ぶのか。そう言えば先程からもリリスはそう言っていた気が……ふむ。
「まあその魔術陣のことなんだけど、覚えてる限りどちらかを中心にってことはなかったと思う」
思い出してもその結論にしか至らない。
というかどう考えても、あの時あの光は俺達二人を対象にしていたようにしか思えないのだ。
一度、逢ヶ瀬と話し合う必要がある。
「そうですか」
「力になれんくて悪いな」
「いえ、他に思い出したことがあればいつでも教えてください」
そう告げるとリリスは今度こそ振り返ることはないと言いたげに足早に歩を再開させる。
歩くこと三分。
俺達は城内の最上階から二つ下の階にあるバルコニーに到着した。
「なるほど、確かに凄いな」
目の前に広がる景色は確かに感嘆するに値する光景だった。
王城の前には城壁が、その奥には円形に広がる王都が存在していた。
周囲を外壁が取り囲み中央にはこれまた大きな広場。
その広場を中心にして煉瓦造りの家が立ち並ぶ様子はまるで懇切丁寧に書き込まれた漫画の一ページのようだ。少しワクワクする。
ちなみに通路を歩くときに窓から見た景色によると、王都とは反対面には巨大な森が広がっていた。敵の強襲などを考慮しても伐採し尽くした方が良いように感じるが何か特別な理由があるのだろうか。
さて、王都の光景を見たところで抱いた感想はその程度だ。これを見ただけでここが異世界だと信じる証拠になるとは思えないのだが。
「どうですか?」
しかし何故かリリスは自信満々に俺に確認する。
「どうって言われてもな……ここが異世界だと納得した上でこの光景を見せられたら、ああ異世界なんだなって思うだろうけど、これだけじゃあ微妙だな」
「そ、そうなんですか? ですが一人目の勇者は泣きながら何度も頷いてましたよ『うん、ここは異世界だ』って」
「えっ、そいつこの光景見て泣いてたの?」
「はい。というか召喚された瞬間から泣いてました」
「なにそれ怖い」
状況が全く想像できない。
「いや、あれじゃないのか? 元の世界の家族と離れ離れになって悲しくなったとか」
「私もそう思い尋ねたのですが、『そんな存在はいない』とも仰られていましたよ」
「へ、へー」
何だろう。変な奴というか闇が深そうな奴というか、どちらにしろ興味を抱いてしまう。少し会ってみたいな……確か一ヶ月後に帰還するんだったか。それまでこの城に滞在しておこうかな。
思案顔を続けていると、不意にリリスの視線に気づく。彼女は不安気な表情で此方を除いていた。まるで自分の考えていた行動を全て終え相手の出方を待っているかのように。彼女の想像と俺の実際の反応の際に戸惑っているのだろう。となると仕方ない、譲渡するのはこちらだ。
「まあ、ここが異世界だってのは既に信じかけてたからな、別にこれ以上の証拠は求めない。それよりも、リリスが俺に対して言いたいことがもうないんなら、俺からお前に質問してもいいか?」
「はい、もちろんです」
聞きたいことは至極単純。
ずっと感じていた違和感と嫌悪感についてだ。
この世界の人々はまるでそれが当然かのように振る舞っていたが、俺から見れば見逃せるわけもない事実。
「なあ、リリス」
「なんでしょうか」
「お前は、この世界を嫌ってないのか?」
「…………」
余りにも突拍子もない問いかけだったのか、眉を顰めながらリリスは訝しむように俺を見つめる。碧色の瞳は僅かに揺れ、その奥からは動揺が見て取れる。
「どういう意味ですか?」
故に、投げかけた問いに返されたのは答えではなく更なる問いかけ。
質問の意図が分からないと、リリスはそう告げた。
「そのままの意味だよ」
俺は彼女の疑問に対する回答を示す。
「この世界が異世界で、魔王軍とやらの脅威があって、この国が対抗するために動いてるのは理解できた。納得もできる。だけど一つだけ許せないことがあるんだ」
「それは、なんですか?」
「リリス、お前を取り巻く環境だ」
「ッ」
予想外の回答だったのか、リリスは目を細め軽く自身の唇を噛む。
しかし彼女がどんな反応を見せようとも俺の感情は変わらない。
「なあ、何で世界の危機とやらのために、お前みたいな十歳やそこらの子供が付き合わされないといけないんだ」
「十二歳です」
「ご、ごめん」
真面目な話の途中なのに、リリスはとてつもなく鋭いツッコミを入れてきやがった。とんでもねぇぞこいつの素質ぁ、幼く見られるの気にしてるんですね。
閑話休題。
「まあ、十二歳にしろ子供には変わりないだろ。そんな奴が世界を救うだとか人々を守るだとか、そんな正義や矜持のために利用されるなんておかしいだろ」
「……ですが、私には祝福という力があって」
「それでも答えは同じだよ。力がある者が誰かのために頑張らなきゃいけないっていうのは、自分可愛さに他人を犠牲にしようとする弱者の傲慢だ。そんなもんに応えてやる義務なんてない」
「それは違います。力なき民を死地に追いやり自分だけ安全に悠々と過ごすなんて、そちらの方がよっぽど卑怯で悪徳です」
「自己責任だよンなもん」
「いえ、力なき者達を守るのは、力を与えられた者の責務です」
「まあ、そう考える奴もいるかもな。だけどそれは、お前が傷ついていい理由にはならない」
「……え?」
「話が回りくどくなったけど、ここからが本題だ。お前は嫌じゃないのか? 見知らぬ誰かのために自分が身を粉にして働かなくちゃいけないことが」
この世界に来た瞬間から、その考えは抱いていた。
俺と逢ヶ瀬を召喚したのはリリスで、迎え入れたのも事情を説明するのもリリスで、更には自国の兵士の不始末の尻拭いをするのもリリスで、こんな幼い少女で。祝福者だとか第一王女だとか、そんなことを考慮したとしても彼女に伸し掛かる重責の量はあまりにも多すぎる。
それに……
「助けてって、聞こえたんだ」
「それは、どういう……」
「この世界に呼ばれる直前だ。魔術陣の光が俺達を覆って……その時に確かに声がしたんだよ」
声色からしても状況からしても、その正体はきっと目の前にいる少女なのだろう。
だからこそ。
「聞かせてくれ、リリス。色々言ったけど、結局聞きたいことは一つなんだ。お前は誰かに強いられて嫌々自分の責務を果たしてるんじゃないのか? 本当はこんな、自分が不条理な目に遭わないといけない世界を嫌ってるんじゃないのか?」
その答え次第で、俺は。
「好きですよ」
覚悟を決めようと、そう考えていた俺の耳に飛び込んできたのは、一切の濁りが存在しない透き通った声。言葉の内容を確認するのさえおこがましいと思えるほどに真っ直ぐで強い意志を感じさせる肯定。
目を見張る俺の目の前で、リリスはゆっくりと目を瞑り、優しい笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。
「私は、この世界が好きです。私を大切に想ってくれる人がいて、私が守りたいと思う人がいるこの世界が好きです。ですから無理なんてしていません。私がこの世界を救おうとするのは私の願いそのものなんです。
……シラサキさんの今の言葉も、私を想って言ってくださったんですよね? 勘違いだったら恥ずかしいですけど。えへへ」
そして彼女が、今までの感情を隠そうとしていた佇まいとは一転して年相応の可愛らしい笑みを見せるものだから、俺は間抜けな表情を見せるしかなかった。
それが彼女の答えだった。
俺はこの世界についてまだ何も知らなくて、どうなったって別に構わないけど。
ここに生きる少女は、確かにこの世界を愛していると言った。
愛する何かのために自分は頑張っているのだと答えた。
「……そうか」
「はい、そうなんです」
そんな在り方が、あっていいのか俺は知らない。
全力で否定したいと願っても、どうしたって適した言葉が見つからない。
大切な誰かのために在りたいと思う気持ち。
それを、俺はいつの日か知っていたのだろうか。
もう、俺からリリスに伝えられることはなかった。
肯定するにも否定するにも、今の俺はその資格を持たない。
だから俺は、自然と。
「あいつは、何で協力するって答えたんだろう」
逢ヶ瀬 伶奈を。
黒色の長髪を靡かせる一人の少女を思い出していた。
確かに彼女も言ったのだ、力ある者には責務があり、自分はそれを成すのだと。
リリスの答えは聞いた。理解できるかどうかはさておき納得はした。
だけど彼女は。彼女には自らを犠牲にしてでも守りたいと思う何かが、この世界にあるのだろうか。
それを知る権利なんて俺にはないけれど。
どうしてだろうか、知らなくちゃいけない義務がある気がした。
「……そうだ」
「ん? どうかしましたか?」
「リリス、逢ヶ瀬はいつ、どんな作戦に参加させられるんだ?」
「え? それはえっと、明朝六時に勇者と複数名の騎士団員が王都を出発、魔王軍を今も食い止めている砦に援軍として向かい制圧する予定です」
明朝六時、か。
寝坊体質で朝は苦手だが仕方ない。
俺の明日の予定は決まった。
「交換条件だ、リリス。
明日一日だけ、俺はお前達に協力してやる」




