第三十八話 最期の瞬間を二人で
不思議な空気が流れる俺とアトロスの間に、新たな声が飛び込んでくる。
「随分と無様ね、アトロス」
「……リーベか」
紅髪を靡かせるリーベが姿を現わせると、アトロスは微かに眉を顰めながらその名を呟いた。それを確認し、俺は少しだけ身を引いた。
リーベはアトロスのすぐ傍まで近寄ってくると、視線を下に向けながら言葉をかける。
「所詮、貴方はその程度だったということね。世界を恨んで、魔王様を殺すと誓って……その結末がこんな呆気ない死だなんて、最強の“祝福者”と呼ばれていた貴方が随分と哀れなこと」
「……ふっ、尤もだ。もう少しばかり生きるつもりだったのだがな」
リーベの言葉には皮肉が含められていたのだろう。
だけど、それに対するアトロスの反応は自嘲気味な笑みだけだった。
それを見たリーベの表情が、少しだけ陰る。
「……ねぇ、アトロス。残念だけど貴方の死はもう確定しているわ。何も為せないまま終わるのは……どんな気持ちなのかしら」
「それをお前が俺に問うのか」
もう一度、鼻でふっと笑った後アトロスは言葉を漏らす。
「そうだな。様々な感情が次々と浮かんでは沈んでいく。後悔や絶望、そんな類の想いばかりだ」
そこで、アトロスは一旦言葉を止める。
そして数秒の間を置いた後で言った。
「だけど……ようやく終われるのだと。そんな安堵の気持ちもある」
「……そう」
それで二人の会話は終わったのだろうか。
二人の間に沈黙が広がる。
なんとなく分かっていたことだが、リーベとアトロスには魔王軍の幹部同士以外で何らかの関係があるのだろう。そんな二人の最後の会話はこんなふうにして終わろうとしている。俺にはその光景をただ眺めるしか出来ない。
そう思っていた時だった。
大地が小さく振動し始めたのは。
「ッ、これは」
体勢を整えながらも、俺は疑問を口にする。
別の誰かがアトロスの援護に来たのだろうか。
いや、他の人の気配は感じない。
となるとこれは……
「俺の魔法の残滓だ」
戸惑う俺に向け、アトロスは告げる。
「残滓?」
「ああ。俺が最後に使用した世界消滅は周囲全体を巻き込み破壊する。そのほとんどを貴様に喰い尽くされたが、逃れた一部がこの一帯に広がっているのだろう。精々が半径数十キロ程度であろうが……間もなく、その範囲の全てが消滅される」
「そういうことか」
とすると、早くこの場を離れる必要があるわけか。
リリスやソラがいるのは約十キロ離れた場所。
早く向かわないと間に合わないかもしれない。
「いくぞ、リーベ」
「……ええ」
返答まで少し間が開いていたのが気になったが、そこには触れずにリリス達がいる方を向く。
急がないといけない。アトロスや、少し離れた場所に集めておいた魔王軍の人員はその破壊とやらに巻き込まれるだろうが、奴らを最後に殺すのは俺ではない。だから俺は悪くない。気にしない。どうでもいい。
「――シラサキ シュウ。最後に貴様に問いたい」
そう思い力強く地を蹴ろうとしたところ、後ろから芯の通った声が俺に届く。
「なんだ」
前を向いたまま俺はそう応えた。
そんな俺の背に、アトロスはそのまま告げる。
「貴様に、世界を壊す意思はあるか?」
「――――――」
何故、アトロスからそのような質問が出たのかは分からない。
だけど、その問いに対する俺の答えは決まっていた。
「ああ。俺はきっと、世界を壊すよ」
俺の言葉を最後に、静寂が辺り一帯を支配する。
悠長に話す時間もないというのに、俺はこのまま場を去ろうとは思わなかった。
静かにアトロスの答えを待つ。
「“アイラ”に気を付けろ」
そんな俺に投げかけられた言葉には、要領を得ない単語が含まれていた。
咄嗟に振り向き、疑問を抱いたその単語を口にする。
「アイラ?」
「そうだ。まるでこの世界の全てを熟知しているかのように振る舞う、現れるところに災厄を齎す女だ」
どこかで、そのような話を聞いたことがあった気がする。
そう、それはつい最近……
「私が貴方に教えた女性のことよ」
「……ああ」
そういえばそんな話をした気がする。
全てを見通したかのような女性。
現れたところに災厄が訪れると言われている。
そしてあの日、逢ヶ瀬の危機を俺に告げた存在。
……こんなところにまで絡んでくるのか、そいつは。
「で、なんでこのタイミングでそのアイラとやらの話になるんだ?」
その疑問を解消するべく、俺はアトロスに尋ねる。
「簡単な話だ。俺は先日アイラと会い、その時に感じた。奴はお前に対して強い執着心を持っている」
「執着心?」
「ああ、そうだ。奴は俺に対し貴様に関する幾つかの事柄を話した。その時の様子からそう判断したのだ。そしてその話の結果、俺は今日のこの襲撃を決断した。第一王女の身柄を確保することは二つ目の目的だった。俺が何より最重要視していたのは、貴様を……シラサキ シュウという存在を殺すことだったのだから」
「…………」
いまいち、どんな反応をしていいか分からなかった。
アイラと呼ばれるその存在が俺に執着心を抱き、何故か俺についての知識を持っていることは分かった。
だけど、前者はともかく後者に関しては、あの日の時点で想定出来ていたことだ。
行為の理由までは分からなくとも、彼女は間違いなく俺のことを知っている……あの電話の時に、既に俺はそう理解していた。
だから、いま俺が知らなければならないのは、アイラの存在についてではなく。
「お前はそいつからどんな話を聞いたんだ?」
彼女が及ぼした影響の方だ。
「そうだな……様々なことを聞いたが、結局のところその答えは一つに集結する。貴様がこの世界に絶望を齎すと、そうアイラは告げていた」
「……絶望」
「貴様の魔法を受け、俺自身も納得することができた。貴様の願いはいずれこの世界を壊す。その結果、善人も悪人も関係なく全ての者が犠牲になるだろう……その過程で、多くの者が苦しみ、悲しみ、絶望する。貴様はただ世界を壊すのではない、世界に住む者にあらん限りの絶望を与えた上でその願いを叶えるのだ。俺はそんな未来を壊そうと……それが出来ないのであれば、せめて誰一人苦しみを味わうことなく世界を滅ぼしてしまおうと。そう願い、今回の作戦を実行した」
突拍子のない話が、アトロスの口から長々と語られていた。
先程と同様、アトロスが話す間、俺は無言で聞き流すしか出来なかった。
それからさらに少しの言葉を紡ぎ、アトロスは口を閉ざす。
そのタイミングを見計らって俺は訊いた。
「お前の言いたいことは分かった。いや正直全然理解できないけど、とりあえず認識だけはした。その上で訊きたい。お前が俺の行為を否定したいっていうなら、なんでわざわざアイラに気を付けろなんて忠告するんだ? お前にとって意味があるようには思えないんだけど」
「それはただの、俺による最期のちっぽけな抗いだ。アイラはお前がいずれ世界を壊すと言った。そしてアイラ自身もそれを願っているよう感じた……故に、だ。貴様がもしアイラと敵対し彼女の存在を否定するというのならば、貴様が世界を壊すという未来そのものがなくなるかもしれない。ただ、そう思っただけだ」
「……そうか」
俺の首肯を最後に、両者ともに言葉を紡ぐのを止める。
そしてまるでタイミングを見計らったかのように、大地の震動の勢いが増した。
思わずたたらを踏んでしまうほどに。
「時間か」
タイムリミットだ。
これ以上ここにはいられない。
本当に手遅れになる。
だから俺は踵を返し、今度こそアトロスに背を向けたまま――最後に零した。
「じゃあな、アトロス。今まで戦ってきた中で、お前が一番強かったよ」
「ふっ、そうか……なら、さっさと行け」
最後にそんな言葉を交わし。
俺とリーベは共にリリス達の下へと駆け出し――――
「……リーベ?」
数百メートル進んで気付く。
何故かリーベは付いてきていなかった。
崩壊していく世界の中心で、彼女はアトロスと二人何かを話している。
言葉をかけることも、その身柄を捕らえに行くことも出来なかった。
既に地面は崩れ、瓦礫と共に二人の身体は下に落ちていたから。
――二人の身体が、薄っすらと溶けていく。
「……お前とも、ここでお別れか」
その意味を理解し、俺は今度こそ迷うことなく駆けた。
崩壊する世界に呑み込まれるより早く、ただ、彼女達の下へ――――




