第三十六話 アトロス 終
アトロスは願う。
研究所を壊す。
フローウェル達を殺す。
両親達を救い出す。
絶望に呑まれそうになる日々を、それらの願いを支えにして生き続けてきた。
だけど、その日はひどく呆気なく訪れた。
本当に大切な一つを除き、アトロスの願いの全てが実現した一日が。
その存在によって、齎された。
◇
始まりは、爆音と共に研究所を揺らす激震だった。
「何事だ!?」
採血の途中、アトロスの傍にいた研究員が腰を抜かしその場に倒れる。
当のアトロス本人は、椅子に座った状態のまま身動き一つ取れなかった。
(なんだ……これは……?)
外に、何かがいる。
それも消滅の祝福を持つアトロスの存在が霞むような圧倒的な何かだ。
怒号が、悲鳴が、雄叫びが。
阿鼻叫喚と称するに相応しい音が研究所内に木霊する。
何が起きているのか、内側にいる者達も理解できていないように身を震わせていた。
間もなくして研究所の扉が開くと、研究員やここに在住する貴族達が恐れをなした表情で飛び込んでくる。涙や鼻水に塗れた汚らしい姿の者も多くいる。
その中の研究員の姿をした一人が言った。
「化物だ! 化物がやってき――」
「――――ッ」
しかし、その言葉は最後まで続くことはなかった。
天井が崩れ、落ちてきた瓦礫がその男の身体を押し潰したから。
誰もがその光景を前に息を呑む。
崩壊はそれだけでは留まらなかった。
次々と落下してくる瓦礫に、数十人の人々は容易く押し潰されていく。
瞬き一つの合間に、呆気なく人の命は散っていった。
無論その脅威はアトロスにも降り注ぐ。
彼の頭上にも巨大な瓦礫が落下してきて、
「――【消、滅】」
反射的に、アトロスは灰色の濃霧で身体を纏った。
「…………ごほっ」
圧迫された肺から勢いよく空気が漏れる。
それはアトロスに命がある証拠だった。
アトロスは助かった。
咄嗟の対処が功を成したのだ。
彼の祝福は襲い掛かる脅威全てを破壊し尽くした。
辺りを見渡す。
アトロスの周囲だけは不自然に空白領域が出来ているが、問題はその外側だった。
瓦礫塗れだった。その隙間隙間から、人の腕だった何かや血が漏れ出していた。
「……うっ」
吐き気を催す。
右手で口元を押さえ耐える。
いったい何が起きたのか。
分かるのは、研究所が破壊され人々が死んだということだけ。
巻き込まれたのは研究員や貴族達だけ。
他の被験者たちの姿は見えない。
そもそもどれだけの研究所が壊されたのかもわからない。
他の研究所にいた者達は無事の可能性もある。
では、果たして何がこの状況を生み出したのか。
確かめるように、アトロスはゆっくりと顔を上げ視線を奥に送る。
その光景は、はっきりと覚えている。
目の前に広がる死体の数々。
無残に破壊された研究所の痕。
全ては阿鼻叫喚に包まれる。
そして――その中心にいた、一人の男。
黒色の長髪を靡かせ、漆黒のコートを纏う。
全身を黒に包まれた男がそこにいた。
(ああ、アイツか……)
間違いない。
あの存在が現状を生み出し、アトロスに悪寒を与えた張本人だ。
理屈ではなく本能でそれを確信していた。
「…………え?」
だけど、アトロスが本当の意味で驚愕に目を見開いたのは次の瞬間だった。
黒に染まる男に――ではない。
彼の前には数多くの死体が転がる。
そして、その中にはフローウェルも混じっていた。
「……は?」
瞬間、フローウェルが告げていた言葉がアトロスの脳裏に過った。
『貴方の両親と、カサド村の住人の命は既に私達の手の中にあります。貴方の父を剣で刺した方達のことを覚えていますか? 彼らは私の配下にいる者でしてね。私にもしものことがあれば、貴方の両親やそれ以外の人々を殺すように指示を出しているのですよ』
「あ……れ?」
フローウェルは言っていた。
自分にもしものことがあれば、人質の命はないと。
その中に、アトロスが彼を殺せばという条件はあっただろうか。
「あ……あぁっ」
ない、ない、ない。
どれだけ記憶を深く掘り下げても見当たらない。
二年も昔のことでも、アトロスが忘れるはずもない言葉。
それが指し示す真実は一つしか残っていない。
「父さん、母さんッ!」
アトロスは駆け出した。
崩壊した研究所も、死にゆく人々も、黒の男もどうでもよかった。
ただ闇雲に、地を蹴り空を蹴り走った。
目指す場所は、決まっていた。
◇
この二年でアトロスは祝福だけではなく、身体や魔力の扱いまでも鍛え抜いていた。
故に、馬車で数時間はかかるはずのその村に辿り着くまでに、三十分も必要としなかった。
必死に両手両足を動かし想定よりも早く到着したカサド村。
しかし、そこに広がっていたのは残酷な光景だった。
当然のように、そこら一帯には死体が転がっている。
二年前までは毎日顔を合わせていた村人達が、剣に切り裂かれ、槍に突かれ、魔術に焼かれた状態で地に伏していた。
その数は数十はくだらない。
その中でも、生きている者達はいた。
両脇に家が連なる道の端っこで、怯えるように座り込んでいた。
数的には死んでいる者より少しだけ少ない程度だろうか。
「アトロス……?」
その中の一人が、アトロスの姿を見て驚きながらもその名を呟いた。
大人と子供の中間にあるような顔立ちの少年、年の程はアトロスと同じくらいだ。
アトロスはその少年を知っていた。
名前はサード。二年前までは日常を共にする友達だった男だ。
二年ぶりに顔を合わせたアトロスとサード。
しかしながら、感動の再開とはいかなかった。
突如としてサードの様子が変貌する。
恐れや驚愕の表情が怒りに満ちる。
「アトロスぅぅううううう!」
サードは勢いよく立ち上がり駆け寄ってくると、そのままアトロスの首元を両手で掴みあげた。
その行動の意味が分からず、アトロスは思わずたたらを踏む。
そんなアトロスに向け、サードは感情をぶつける。
「お前の! お前のせいでお父さんは殺された! ……っ、お母さんだって、たった今!」
叫びながら拳を何度も何度も振るう。
だけど一切の痛みも感じない。
身体を鍛え抜いた質と量が全く違う。
「……すまん」
いつの間にか涙を流し、嗚咽をもらし崩れ落ちるサードに一言かけ、アトロスは再度歩を進めた。
事情を詳しく聞く暇はなかった。彼の一番の目的はサードの無事ではなかったから。
歩く。
見慣れた街並み。
だけど、血に塗れた死体がどこまでも転がる。
生きている者達からは、驚愕の視線と怒りの言葉をぶつけられた。
この状況にフローウェルの死が関わっているのはもう間違いないだろう。
それつまり、アトロスの罪であるということ。
胸に響く言葉も今は全て聞き流す。
償いをするのは後でいい。
アトロスにとって本当な大切なものはまだ見つかって――――
「…………あ」
――――それは、呆気なくそこに転がっていた。
ずっと会いたかった人。
自分のために人質になった人。
絶対に救い出すと誓った人。
父と母の血塗れの死体が、アトロスの家の前に転がっていた。
頭が真っ白になった。
何も考えることが出来なかった。
「どう、して……」
それでも自然と言葉は紡がれる。
「何で、死んでるんだよ……」
その言葉を呟いた瞬間、実感としてアトロスの身体を蝕んだ。
フローウェルの部下とやらは、既にこの辺りに姿はない。
指示されていた人物を殺してすぐに逃げたのだろう。
そう、アトロスの父や母と、気まぐれに村人の半分近くを殺して。
「あ……あぁっ……」
気付いた時には膝が崩れ落ち、両手で顔を覆っていた。
間違えた。間違えた。間違えた。
ずっと、彼らを救うためだけに今日まで耐え忍んできた。
なのに、こうも呆気なく全ては崩れ去る。
それも自分ではない見知らぬ他人の行動が原因となって。
どうして。
どうして。
どうして。
彼らは死ななければならなかった。
そう、全ては、アトロス自身の――――
「あと……ろす……か?」
咄嗟に顔をあげた。
そこにあるのは、変わらず血塗れの父と母の姿だけ。
だけど、父の顔が少し上を向き、生気のない目をアトロスに向けていた。
生きているとは思えない怪我なのに。
そんな中で、父は優しく微笑んだ。
「ああ……よかった」
そう言い残し、今度こそ父は事切れた。
「………………」
信じたくなかった。
信じるわけにはいかなかった。
父や母が死んだこと。
父が最期に笑みを浮かべたこと。
彼らを殺したのはアトロスなのに、どうしてその張本人に笑みを向けられるのか。
何も、何もわからない。
頭が上手く働かない。
身体を上手く動かせない。
だけどそんな中で、アトロスは一つの結論に至る。
(――――アイツのせいだ)
思い返すは、黒に包まれた謎の男。
彼がフローウェルを殺さなければこんなことにはならなかった。
かつてない憎しみがアトロスの胸を支配する。
そして。
そんな彼の下に、その男は現れた。
「なるほど……こういうことか」
鼓膜を震わせた低い声に、アトロスはハッと顔をあげ視線を後ろに向けた。
そこには、脳裏に思い浮かべていた男が至極当然と立ち尽くしていた。
アトロスと両親の三人に向け、冷たい眼を向けていた。
「随分と哀れだな」
「なん……だと?」
その物言いにはアトロスも反応せざるを得なかった。
いったい誰のせいでこんなことになっていると思っている。
憎しみの満ちた感情をその男にぶつける。
「貴様のせいだ! 貴様が現れなければ父さん達が死ぬことはなかった! 貴様がフローウェルを殺さなければ、いずれ俺が奴を殺し母さん達も救っていた! 貴様がッ、貴様があの場にやってきたから、父さんたちが死んだんだ!」
その言を聞いても、男は動揺する素振りも見せずただアトロスを見下すのみ。
それでもアトロスは続ける。
「貴様はどこの国の人間だ! 何が目的だった! あの研究所を壊し俺達を殺したかったのか!? 自分達の脅威を排除したかったのか!? 答えろ!」
自分でも何を言っているのか分からない問いを全力で投げかける。
アトロスはその男に怒りをぶつけたかっただけ。
別にその問いの答えが欲しかったわけではない。
だけど。
「目的、なんて大したものはない」
至極当然と、一切表情を崩すことなく男は続ける。
「気に食わない物が目の前にあったから壊しただけだ。気紛れの一種だ。研究所も、そこにいた人物も、ましてやお前の家族のことなど――――」
地面に這い蹲る二人の夫婦を見下しながら、言った。
「心の底から興味はない」
その言葉を聞いた瞬間、アトロスの中の何かが壊れた。
コイツは特に意味もなくアトロスから大切な存在を奪い取ったのだ。
身体の内側で燻っていた感情が爆発する。
「貴様ぁぁァアアアアアア!!!」
ずっと抑えていた怒りの感情。
そして何よりも、自身の身すら滅ぼしてしまいそうな憎しみの先にある殺意を、アトロスは初めて解き放った。
その意思に応えるように、身体中から灰色の濃霧が漏れ出す。
それはかつてない密度と量を含んでいた。
きっとこれに触れたものは、何であれ一溜りもなく消え去るだろう。
だからこそアトロスはその力を、目の前にいる男に放った。
「【消滅】ッッッ!!!」
しかし、それを前に男は。
怯むことなく小さく口を開いた。
「なるほど、これは確かに都合がいい」
◇
何が起きたのか理解できなかった。
気が付いた時には、血塗れになったアトロスが地に伏せていた。
「終わりか?」
その前には、傷どころか汚れ一つないコートを靡かせる黒髪の男が立っていた。
アトロスを見下しながらそう言葉を落とす。
(なぜ……負けた?)
アトロスの祝福は【消滅】。
その力で壊せない物は存在しない。
少なくともこの二年間の研究所生活のうちに破壊できない物はなかった。
だけどこの男は、その破壊の海の中を悠然と渡り、瞬き一つ残さぬ間にアトロスは敗北していた。
「貴様、は……」
呻き声の如く漏らした声に、男は耳聡く反応する。
「そうか、申し遅れたな」
戸惑うことなく。
まるで日常会話のように。
呆気なく、男はその正体を告げた。
「俺は魔王。この世界を壊す、魔法使いの王だ」
「まお……う?」
その人物のことはアトロスも知っていた。
世界に災厄を齎すといわれる魔王軍の頂点に位置する者。
その存在が現れたところには破壊と絶望が訪れる。
何故、そんな存在がアトロスの下に――――
「一つ、選択の機会をやろう」
ふと、魔王はよく分からないことを告げていた。
「先程は今回の行動に目的はないと言っていたが事情が変わった。お前の力の根源にある感情を知ってしまったからな」
そのまま言葉を紡ぐ。
「お前が俺に向ける憎しみは理解している。だが勘違いをするな。お前が本当に憎しみを向けるべきは俺ではなくこの世界だ。お前に絶望を強いたのは、お前の周囲を取り巻く人間とそれを許容する環境だ」
自分の責任を転嫁するような物言い。
だけど何故かその言葉はするりとアトロスの内に入ってきた。
魔王に対する憎しみがなくなる訳ではない。今もなお留まることなく増加している。
しかし、そもそもそのような状況を生み出したのはフローウェルを含める自分の権力を求めたクズ共だ。
自分のためだけに多くの者を犠牲にしようとする。
アトロスや、この村の人や、あの研究所にいた人々もきっとその犠牲の例に漏れない。
この世界は汚くて残忍。
世界の一部しか見ていないアトロスでもその事実を知っている。
きっと今この瞬間も、世界のどこかではフローウェルのようなクズに苦しめられている罪のない人々が多く存在するのだ。
「故に、俺はお前に問おう」
ふいに、魔王と目が合う。
闇を凝縮したような漆黒の瞳。
人の命を感じない冷たさ。
だけどそこには不思議と、アトロスと通じる何かがあった。
「選べ」
そんな中で、魔王は言った。
「お前のその力。祝福か、それとも――――世界を壊す魔法か」
その答えを、アトロスはもう知っていた。
この胸に湧き上がる感情は、世界に愛された存在が持つものではない。
憎悪も、激怒も、殺意も、その悪意の悉くは世界に嫌われたからこそ得ることが出来たもの。
そう、それは様々な感情が混ざり合った末に生まれた――――“壊す願い”。
それを持っている存在の呼び名を、アトロスは呟く。
そしてその日、アトロスは魔法使いになった。




