第三十四話 アトロス 序
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祝魔歴4--年。
クルトリアード公国。
フランロア領、カサド村。
狩人の父親とその妻のもとに、アトロスは生を受けた。
国の端に位置する、とても小さく決して豊かとはいえない村。
それでも、そこで暮らすアトロスの日々は悪いものではなかった。
両親はアトロスに最大の愛を注ぎ、村人達とも良好な関係を築いていた。
「父さんはな、昔は国の五指に入る弓の名手だったんだぞ」
ある日、狩りに付いてきたアトロスに向け、父は自慢げにそう言った。
その証拠と言わんばかりに、彼の弓から放たれた矢は空高く飛ぶ鳥を打ち抜いていく。
「どれ、こんなもんだ」
にししと、子供のような顔で父は笑う。
「へー、すごいすごい」
そんな父に対し、アトロスはいつも素っ気ない返事をしていた。
「おーい、返事が適当だぞー」
がしがしとアトロスの頭を力強く撫でながら、それでも父は笑った。
本当は、アトロスは父が凄い人だとは分かっていた。
素直に褒めるのが恥ずかしかっただけだ。
「まっ、怪我のせいで今はこうしてその日暮らしが出来る程度なんだけどな。それでも、お前や母さんと旨い飯を食うには十分だからな。そーれ、また当たったぞ。はっはっは! ……ぐほっ」
「あっ」
腰に手を当て豪快に笑う父に、弓が刺さった鳥が勢いよくぶつかる。
それを見たアトロスは一言。
「ださ」
これは本心だった。
「あなた、アトロス、おかえりなさい。あら、今日はこんなにいっぱい取れたのね……アトロス、どうだった? 狩りをするお父さんはかっこよかったでしょう?」
「はっはっは、当たり前だろ母さ」
「正直、微妙だった」
「!?」
「あらあら。またあなたが何か変なことをしちゃったの? ふふっ」
憮然な顔のアトロス、驚いた表情の父。そしてそれを見て笑う母。
母は笑いながらアトロス達に呼びかける。
「さあ、お昼にしましょう。その鳥は晩に焼いて食べましょう。とっても楽しみね。けど、だからといって昼の分を残したりしたらダメだからね」
狩りで大量にエネルギーを消費した男二人は、当たり前だと頷いた。
何気ない平穏な日々。
父と狩りをして、少し修行をつけてもらい。
母の作った美味しい料理を食べ、家事を手伝う。
村にいる同年代の友達と遊んだりもする。
ずっとそんな日々が続くのだと、アトロスは疑うことはなかった。
だけどこの日、その日常はひどく呆気なく崩れた。
「襲撃だぁーーーー!」
普段と変わり映えしない日の昼下がり、突如としてその声は響いた。
何事かと、村人達が外を窺う。
アトロスも皆と同じように家の外に出ようとする。
しかし、その前に一つの影が現れた。
「アトロス、お前は中にいろ」
普段の気軽な振る舞いとは違う。
真剣な目と低い声で、父はそう言った。
隣にいる母も頷いていた。
「この感覚……まさかこの辺りに、これだけ強力な魔物が出るとはな。すまない母さん、少し行ってくる」
「ええ……気を付けて」
「もちろん」
言い残し、父はすぐさま家を飛び出していった。
何が起きているのか、それはすぐに分かった。
「グゥゥゥォォォオオオオオオオオオ」
身を凍えさせるような獣の声がアトロスの耳に響く。
遅れて、金属が固い何かにぶつかる音や、爆発音のようなものが聞こえてくる。
父はいま、魔物と戦っているのだ。
一分やそこらでは決着がつかないらしく、その戦闘は長々と続いていた。
だが、それが分かったからといってどうなる。
父から修行を受けてはいるものの、それで出来るのはちょっとした護身程度。
自分が外に出て戦闘に加わっても邪魔になるのが関の山だ。
だけど――――
「ぐっ、くぁああ!」
これまでに聞いたことのない、痛みに耐えるような父の悲鳴が聞こえた瞬間、反射的にアトロスは動いた。
「ッ!」
「ッ、アトロス!?」
制止しようとする母の手を躱し、アトロスは勢いよく戸を開け外に出た。
そして、驚愕の光景が目に飛び込んでくる。
人の体躯を優々と超えるその身を黒い毛に覆われた、鋭い牙や爪が印象的な巨大な生物――いや、魔物。
その魔物の前には何人かの大人たちが立っているが、例外なく傷ついている。
そして、そこにはアトロスの父もいた。
弓を握る左腕を、ぶらりと地に垂らす。
大量の血が流れていた。
「ガァァァアアアアアアア!」
そんな傷だらけの父や村人たちに向け、魔物は迫る。
それを見た瞬間、気が付けばアトロスは駆けていた。
「父さん!」
間に合え、間に合え、間に合え。
何が起きているのか完全に理解している訳ではないが、これだけは分かる。
このままだと、父は死ぬ。
父は自分の下に駆け寄ってくる息子の姿を見て目を見開いていた。
しかしアトロスにそれを気にする余裕はない。
その灰色の眼を、真っ直ぐ魔物に向ける。
何も考えず飛び出して来てしまった。
自分では魔物と張り合うことはできない。
このまま身一つで挑んだとして、返り討ちに遭うだけ。
……いやだ、そんな風にして終わるわけにはいかない。
自分がどうにかしなければならない。
ならば力が必要だ。
願え。目の前に立ちはだかる邪魔者を掻き消す、破壊の力を――――
瞬間、ドクンと心臓が跳ねた。
そして、それを直感した。
反射的にアトロスは右手を伸ばした。
その先にあるのは、今にも父を食い殺そうとする魔物。
その光景を見ながら、アトロスは初めてそれを唱えた。
何故か、その名は自然と彼の身に染みついていた。
「【消滅】ッ!」
そして、灰色の濃霧がアトロスの手から放たれる。
凝縮された灰色の槍が、魔物の身体を貫いた。
それが通った箇所には、もう何一つとして存在していない。
奥の景色が見える巨大な穴がぽっかりと開く。
遅れて、魔物の体は力を失くした様に黒い靄となり魔力に戻っていった。
こうして、アトロスは魔物を倒した。
身に余る力を用いて。
弱者が最強になった瞬間だった。
シーンと、世界が静寂に染まる。
誰もが目の前で起きた出来事を信じることが出来ず、ただ茫然とアトロスと魔物がいた場所を見つめていた。
「いま、何をしたんだ……?」
その中で、膝を地に付けた一人の男がそう呟いた。
それが皮切りとなり、次々と疑問を表す声が上がる。
「そ、そうだ、なんだ今の灰色のっ」
「あの魔物はこの村の全員が総出でも倒せないレベルだぞ! それを一瞬で!?」
「おい待てお前ら、今の光景を信じるのか!? アトロスはまだ子供だぞ!? 剣も魔術も、まだろくに扱えない……のに……」
ハッとしたように、最後に言葉を零した男は目を見開いた。
その理由が他の人々にも分かったのか、似た表情を誰もが浮かべる。
「まさか、こんな突拍子もなくあんな強烈な力を扱えるようになるなんて……祝福に目覚めたのか?」
「祝福……? いや、あれだけ化物染みた攻撃だぞ!? 見てみろ、一瞬で魔物を葬っただけじゃなく、大地や奥の小屋まで破壊し尽してる! こんなの、まるで……」
そして、とうとう皆はその可能性に辿り着く。
未だ自分のしたことの意味を把握していないアトロスとは違い、村人達はその可能性に恐れをなしていた。
あれだけの力が祝福ではないのならば、なら残るは一つしか――――
「馬鹿やろうッ!」
――――しかし、その後の言葉が紡がれることはなかった。
誰もが注目を寄せるアトロスの身体を、力強く抱きしめる一人の男がいたから。
「何やってんだよお前、中にいろって言っただろ……」
それは、アトロスの父だった。
彼はボロボロの身体で、血に塗れた腕でアトロスを抱きしめていた。
その眼には涙がたまり、声は悲しげだった。
「け、けど、あのままじゃ、父さんが……」
こんな父を見るのは初めてだった。
戸惑いながらも、アトロスはそう言葉を零す。
「父さんは死なねぇよ。あんなんじゃ、全然死なねぇ。ボロボロになっても、腕が使い物にならなくても、後ろにお前達がいる限り、絶対負けねぇのがお前の父さんだ。だから、お前は待っててよかったんだよ」
それが意地だと言うことは分かった。
そしてその意地が、アトロスのことを想う気持ちによって生み出されていたことも理解していた。
父はただ、アトロスを危険に晒したくないと思っただけで。
「けど、ありがとな」
アトロスの両肩を掴み、距離を開く。
真正面から向かい合うと、父は満面の笑みで感謝を告げた。
父の笑みを見て、声を聞いて、アトロスの胸に暖かな気持ちが生じる。
ああ、自分のやったことは、何も間違えていなかったんだと。
「……そうだよな。今のが何であれ、アトロスの坊主が俺達を救ってくれたことには変わりねぇよ」
その光景を眺めていた中の一人が、ふとそう零した。
つられる様に、次々と皆が賛同していく。
「ああ、そうだ! 今は誰一人死ななかったことを喜ぼうぜ! こんな強力な魔物と出会ったってのによ!」
「おう、そうだそうだ! 今日は宴だぞ! 全員で飲み狂うぞ!」
「こら、怪我を負った人たちはお酒は控えないといけないわよ!」
アトロスと父を中心に、戦勝ムードが広がっていく。
それを見て、父はニヤリと笑うと、立ち上がって叫んだ。
「よーしおめぇら! 嬉しい知らせがあるぜ! なんと今日は俺が獲物を五羽も射抜いてきたんだ! でけぇのもいるぞ! 全員で食おうぜ!」
その言葉に、村人たちは『おー!』と雄叫びを上げた。
(……よかった)
そんな光景を見ながら、アトロスは一人安堵する。
自分の浅慮な行動は、結果として父を守ることができた。
そして、村人達も疑問に思いながらも自分達のことを認めてくれた。
これで、これからも平穏で幸せな日々を送ることが出来る。
この身に宿った不思議な力が何かは分からないけど、自分達を魔物の脅威から守ってくれた素晴らしいものなのは間違いない――――
そう、思っていた。
あの事件から数日後、家族全員で寛いでいたアトロスの家に、コンコンというノックの音が飛び込んできた。
「あら、誰かしら?」
料理の途中だった母が、布で手を拭きながらそう言った。
「俺がいくよ」
「そう? ならお願い」
わざわざ母の動きを止める程のことでもないだろう。
アトロスは特に何も深く考えることはなく、そのまま戸に向かう。
そして、何も疑うことなく家の戸を開けた。
それが、彼にとって自分の手でその戸を開く最後の機会となることも知らずに。
「……え?」
思わず、アトロスは動揺の言を零した。
予想外の人物がそこにいたから。
まず、軽装に加え腰に剣を携える者が五名ほど。
その中心には、格式高い服装に身を包む白いヒゲを持つ男が一人。
そして言葉を失ったアトロスに対し、その男は言った。
「初めまして、アトロスくん――いいえ、新たに目覚めた祝福者よ。私達は、貴方の身柄を引き取りに来ました」




