第三十三話 塵となりて滅びゆけ
修は吐き捨てるように言葉を零した。
しかし、それは決して油断から出た言葉ではない。
修は一切気を緩めることなく、静かに黒の焔が燃え盛る光景を見据えていた。
その光景に異変が生じたのは、次の瞬間だった。
「勇者さん、恰好つけているところ残念だけれど、まだ終わりではないみたいね」
「分かってる」
離れた場所から投げかけられたリーベの言葉に、簡単に首肯で返す。
彼女の発言の通り、その現象は戦闘の続行を意味していた。
黒の焔の中心を起点とした旋風が吹き荒れ、黒焔を周囲に散らす。
全てが消え去ったとき、そこには灰色の長髪を靡かせる一人の男が立っていた。
“傷一つない”アトロスが、そこにいた。
「――滅歴」
修の視線に真正面から向かい合いながらアトロスは言葉を紡ぐ。
その一言が何を指し示すのか、修には理解できない。
「どうなってんだそれ」
怒涛の攻撃の全てが無駄に終わった結果に眉を顰めながら、修はアトロスに問う。
しかし、アトロスはそれを簡単に一蹴する。
「貴様がそれを知る必要はない。俺がこれから貴様を殺す――ただ、その事実のみを噛み締めていればいい」
「…………」
その発言が終わると同時、二人の集中力は最大限にまで高められていく。
質問に答えるつもりはないアトロスと、その意思を理解した修。
これ以上の対話は無駄だった。
間合いを測る両者。
動き出しは修の方が早かった。
地面を爆散させる勢いで地を蹴り、馬鹿げた推進力で跳ぶ。
瞬きする間もなく、修の拳はアトロスに迫り――
「零隔」
次の瞬間、修は遥か後方上空に吹き飛ばされていた。
胸に激しい痛みを感じる。
間違いなく骨が数本砕けていた。
下を向くと、先程まで修がいたはずの場所で拳を振り上げるアトロスの姿がある。
そこでようやく、修は自分がアトロスに殴られたことに気付いた。
何も見えなかった。
今の一瞬で何が起きたと言うのか。
思考が疑問に支配される中、アトロスは鋭い眼を修に向けた。
「ここからは、本気でいかせてもらう」
そして目にも止まらない神速の殴打が、次々と修の身体を打ち抜いていった。
魔法名【消滅】。
それこそが、世界に嫌われたアトロスに与えられた奇跡の名称だった。
名の通り、アトロスの魔力によって生み出された灰色の濃霧は全てを消滅させることが出来る。
理屈を超越した圧倒的な力。魔術師はもちろん、並の魔法使いや祝福者では対抗することすら出来ない魔法。
アトロスも普段はその力を中心に戦闘を行う。
だが、消滅の魔法の一番の本質は、その暴力的な破壊性ではなかった。
そう、アトロスが消滅させられるのは何も現存する物質に限らない。
彼の魔法の影響は事象にまで及ぶ。
その一つが滅歴。
歴史を消去する事象消滅魔法。
過去の出来事によって生じた影響を消滅してしまう。
これによって、彼は自身に生じた怪我や破損の出来事をなかったことにしている。
その結果、彼は何度死に至る負傷をしても、五体満足の状態に蘇るのだ。
もう一つが零隔。
此方もまた事象消滅魔法。
アトロスが選択した二点間の距離――間隔を消滅させ、零にしてしまう。
これによって、瞬間移動に等しい動きを可能にする。
ただ、これらの事象消滅魔法には様々なデメリットも存在する。
その一つが、莫大な魔力消費だ。
通常の消滅で十分な相手には、わざわざこれらを使用することはない。
しかし、相手もまた圧倒的な強者の時は話が別だ。
ソラや修を相手に手段を選ぶ余裕はない。
故にアトロスはデメリットを踏まえた上で、それを利用し本気で戦う覚悟を決めた。
その覚悟の結果が、現在アトロスの目の前に広がる光景だった――――
「ぐッ、うぉッ!」
縦横無尽、立体的な動きを駆使し放たれるアトロスの殴打を浴び、修は呻き声を上げるしかなかった。
それも当然。彼がアトロスの姿を視認した瞬間には、既に攻撃は終えているのだから。
これまでの修の圧倒的な戦闘ぶりが嘘のような有り様だった。
胸に掌底を放ち、胴を腕で薙ぎ払い、肩に踵を落とす。
対応する間もなく為すがままにされる修にひたすら攻撃を加えていく。
速度を限界まで上げる。魔法を使用する隙すら与えないように。
アトロスの絶対的優位。その事実はもう疑いようがなかった。
(……何かおかしい)
しかし、その中でアトロスは違和感を覚えた。
自分の攻撃だけが敵にダメージを与える中で、どうしてそんなものを感じるのか。
その原因はすぐに分かった。
いつまで経っても、修は倒れる素振りを見せない。
既にソラに放った殴打の三倍には到達しているというのに。
いや、それどころか、徐々に修の対応が早くなっている気がする。
彼の目線が、アトロスの動きに追いつき――――
「ハァッ!」
「ッ!」
そしてとうとう、修とアトロスの拳が真正面から衝突した。
結果としてアトロスの拳が修のそれを弾き顔面に一撃を加えたが、防御されたのも事実。
動揺を身に残しながら、止まることなく零隔を用いた連撃を再開させる。
しかし、アトロスが驚愕に目を見開くのは次の瞬間だった。
殴打を受け、手刀を逸らし、蹴りを弾く。
アトロスの神速の攻撃の悉くが、修によって防がれていた。
これまでは無防備にその体躯を晒すのみだったのに。
やはり、きっかけは先程の拳の衝突か。
あの瞬間に、修はアトロスの動きを完全に捉えたのだ。
(どうする?)
防がれるばかりでは話にならない。
消滅の魔法を直接浴びせるべきか。
いや、あの灰色の濃霧は破壊力は高いが、発動まで少し時間がかかる。
零隔を使用した際の速度では扱い切れない。
だからと言って零隔を使わないでおこうとも思わない。
アトロスの攻撃はたしかに防がれているが、それでも修が防衛一辺倒なことには変わらない。
この優位性をみすみす明け渡す必要はない。
仕方ない。
残された選択肢を実行する。
反消。
反発力を消滅させ一撃の破壊力を上げる。
擦無。
摩擦力を消滅させ拳の勢いを強める。
動無。
拳を放ってから敵に衝突するまでの動作を消滅させる。
消滅を利用した数種類の魔法の掛け合わせ。
この方法は著しく魔力を消費するが背に腹は代えられない。
ここからは威力も、速度も何もかもが別物だ。
「抗えるのならば、やってみせろッ!!!」
獰猛に叫び、身体中に湧き上がる力を一心に眼前の敵に降り注ぐ。
最早、その動きには自分すら満足に視認することは出来ない。
それほどの攻撃を修が対応できる訳がない――――
「超強化」
そう思ったからこそ、修を穿とうとした右手が掴まれているのを見た時は頭が真っ白になった。
そう、修は、普通に、左手で、
アトロスの右手首を掴み、動きを止め――
「黒塵」
ただの殴打を、全力で放った。
「――――――ぁ」
アトロスの本能が叫ぶ。
これは、マズイ。
この一撃を喰らったら、間違いなく自分は死ぬ。
これまでの全ての殴打が児戯に思えるほどの暴虐的な破壊を含んだ暴拳。
躱そうにも右手は修に掴まれている。
そんな絶望的な状況の中で、アトロスは反射的に判断を下した。
消滅の魔法を使用。右腕から漏れだした微弱な灰色の濃霧が、そのまま“アトロスの右腕”を断ち切る。
それによって、彼の動きを遮るものはなくなる。
零隔を使用する暇もない。
全力で空を蹴り、修の攻撃を躱すべく後ろに下がる。
「ぁッ、がぁぁぁッ!」
されど、その拳を躱し切ることは不可能だった。
いや、拳自体は躱したのだ。射程範囲外に逃げることには成功した。
しかし、振るわれた拳はその先にある大気までをも呑み込み破壊する。
それにアトロスの身体は巻き込まれた。
壊れていく、内に消滅の魔法を秘めるアトロスの体躯が呆気なく。
消えていく、顔面の皮が削がれ視界から光が消え暗闇が訪れる。
殴打の余波がアトロスの身体の前面部分を削り取り、生まれた結果がそれらだった。
空っぽになりかけた頭でそんなことを分析しながら、大きく体積を減らしたそれは地面に落下していく。
(ああ……俺の敗北か)
まだ、滅歴を使用するだけの魔力の余裕はある。
この負傷をなかったことにすることは可能だ。
それでも、そうするだけの気力は湧き上がってこない。
本気を出したアトロスの攻撃が全て防がれた上で、こうして反撃を加えられたのだ。
これ以上足掻いても、結果は火を見るよりも明らかだった。
ああ、そうだ。
こんなふうにして、アトロスという存在は何も為せないまま終わる。
そう認識した瞬間、彼の脳裏に様々な出来事が蘇る。
それは彼が、その願いを得るまでの記憶だった。




