第三十二話 穿ち浴びせ奪い取る
睨み合う黒と灰。
先に動き始めたのは黒の勇者だった。
黒の勇者、白崎 修は手に握りしめるスパーダをおもむろに投げ捨てると、積み上げられた屍の上から悠然と降りてくる。その身にはどういうことか、傷一つ、血の跡一つ存在していなかった。
赤茶色の地面に降り立つと、修の歩みは止まる。
それを機に、アトロスは問いかけた。
「貴様が一人で全員を殺したのか? それとも」
視線を横にずらし、少し離れた場所で三角座りをしている紅髪の女性に向ける。
なぜか衣類は乱れ、顔には小さな傷を負っていた。
「リーベ。これは、貴様の協力した結果か?」
「違うわ。それどころか戦いに参加してすらいないのに、その男が放った衝撃波に巻き込まれてこの様なのだけれど。とっても痛いわ」
「……そうか」
「それについてはすまんかったと思ってる」
どうやらアトロスの見当違いだったらしい。
修も申し訳なさそうに謝っていた。
二人の関係が謎だが、それはともかく与えられた条件から分かることは一つ。
「やはり、貴様一人で殺したというのか」
鋭い灰色の眼で修を睨み付けながら訊く。
しかし、その問いに対して修は後頭部を掻きながら「あー」と言い辛そうな素振りを見せた。
「さっきから勘違いしてるみたいだから言っとくけど、別にコイツら死んでないからな?」
「なに?」
「ほれ、証拠」
ぽんっと、軽く足元に転がっていた屍を蹴り、アトロスの下に飛ばす。
いや、屍ではないか。その男は意識を失ってはいるものの、確かに息をしていた。
顔を上げ他の人々にも視線を向けると、なるほど誰も死んではいない。
(まさか、こんな初歩的な認知ミスをするとはな)
それだけ、修が放つ雰囲気が異様だったのだろう。
かのアトロスでさえ呑まれてしまうほどに。
「人を殺すのは嫌いなんだ。他人の生き死になんてどうでもいいけど、自分が手に掛けるとなったら話は別だ。だから、殺さないように手加減するのに手間取った」
「手加減した、だと?」
「ああ。それでも余裕で勝てると思ったんだけどな。強かったよコイツら、まさかこんだけ時間がかかるとは思ってなかった」
「――――」
アトロスは直感した。
白崎 修の言葉に嘘偽りは含まれていない。
本当にこの男はスパーダ達を強者だと認めた上で、手加減して圧倒してみせたのだ。
……だけど、それに関して少し疑問点がある。
「随分と余裕なのだな」
「余裕? 手加減したことか?」
「違う。貴様の戦闘の話ではなく、俺達の方のことだ。貴様がここで悠々と時間をかけているうちに、俺はもう一人の勇者を倒したぞ。そう、他者を殺すことから逃げ無駄に時間をかけたせいで、貴様は仲間を失ったことに――」
「いや、嘘つくなよ。そっちでも誰も死んでないだろ」
「――なぜ、そう思う?」
多少なりとも動揺を誘おうとした発言を、修は真っ向から否定する。
どうして彼にそれが分かるのか。
修は、その疑問に対する返答を口にする。
「俺が普通にお前達の戦闘を見てたからだけど」
言っている意味が分からなかった。
「何を言っている? 貴様はここでスパーダ達と戦っていたのだろう。此方に駆け寄ってくる気配もなかった。戯言もほどほどに――」
「お前こそ何言ってんだ?」
アトロスの言に対し返ってきたのは、修の呆れ声だった。
彼は心の底からアトロスの言っていることが分からないといった様子で言葉を紡いだ。
「たかだか十キロ程度。見えるし、聞こえるし、五感で感じられるだろ」
「――――ッ!」
それは、驚愕を禁じ得ない内容だった。
十キロ。確かにそれは身体強化などを使用すれば人の目にも届く範囲だ。
だが、それは何も邪魔がなかったらの話。
まず、ここは森の中だ。
この区域はスパーダの魔法によって拓かれ、アトロスの戦っていた場所も遮蔽物のない荒れ地である。しかし、その間には大量の魔樹林が生え茂るのだ。通常ならば木や葉に視界は遮られる。
さらに、修はずっとスパーダ達と戦っていたはずだ。その中で意識をアトロスのいる場所に向け続けることが可能だというのだろうか。それも、彼らを殺さないように手加減した上で。
「最後の一撃、リリスが守ってくれてよかったな」
だが、こうして修は実際にあの場所で起きた出来事を把握していた。
アトロスがソラを殺そうと放った魔法を、リリスが祝福によって防いだ出来事まで彼は知っている。
口調は軽々と、しかし表情からは完全に色が失せる。
静かに、身体中に滲み出る怒りを抑えながら。
「あの時、お前の魔法が本当にソラやリリスを殺しそうだったらさ」
修は言った。
「お前、その瞬間に死んでたからな」
瞬間、アトロスは自身に迫る数百の暴打を見た。
「なッ――――」
視認と同時に翳した両腕は呆気なく破砕された。
凄絶な破壊力を秘めた拳が次々と身体中に減り込んでいく。
一撃一撃がアトロスの体を歪ませ、肉片を散らしていく。
だからといって、ただただ殴打に身を晒すだけのアトロスではない。
この攻撃は確かに強烈だが、それでも一撃の威力自体は対処できる程度。
消滅の魔法を発動し、身体中を覆い――――
「遮無徹塵」
突如として性質を変化させた一撃が、アトロスの腹部を穿った。
奥の景色を眺めるだけの大穴が発生する。
それだけの負傷を与えてもなお、修は止まらない。
「黒土瞬塵」
身体に開いた穴に意識を割かれるアトロスに、修は再び数百の殴打を浴びせる。
掲げた右腕は吹き飛ばされた。
左腕は断ち切られた。
右脚と左脚は――――
どの部位がどうなってるかなど、もう既に分からない。
アトロスにとって永遠に等しい時間が過ぎ去っていった。
そして。
「トドメだ」
そっと、修は構えを改めた。
腰に抱える拳に、黒い焔が纏わりつき。
「【虚無】」
全てを奪う一撃を放った。
「――――――【消滅】ッ!!!」
その脅威に対し、アトロスは咄嗟に灰色の濃霧を前方に放つ。
そして、黒と灰の魔法がぶつかり合う。
衝撃の余波で両者ともに身体が後方に吹き飛ばされながらも、ただ前だけを見据える。
閃光が世界を覆い、凄絶な熱波が両者の顔面を叩いた。
その均衡が続くこと三秒。
押し切ったのは黒の焔だった。
勢いの衰えたそれが、アトロスに迫る。
「ぐぅッ――――!」
諦め悪く身体に纏った灰色の鎧すら消し飛ばし、黒の焔はアトロスを呑み込んだ。
そして、彼の身体を構成する全ての要素を奪っていく。
後には黒の魔法だけがその場に残った。
黒の焔を前に立っているのは、白崎 修ただ一人。
彼は目の前の光景を眺めながら。
どこか悲しげな表情で、それでいて毅然な態度で言った。
「この程度か、魔王軍最強」




