第三十一話 本物の悪意
灰色の消滅が、周囲一帯を破壊しながら水色の勇者に迫る。
満身創痍の身体を引きずるように立ち上がるソラは身に迫る破壊に対し、ただ深い蒼色の双眸を向けることしか出来ない。
抵抗する手段もなく、ソラの小さな体躯は易々と呑み込まれ――――
その瞬間。
ソラとアトロスの間に割り込む一つの影があった。
その身体はソラよりもさらに小さく、輝かしい金糸を宙に舞わせる。
その少女は。
リリス・ジオ・ルミナリアは。
ソラの前に立ちはだかると、真剣な表情を浮かべたまま両腕を前方に差し伸べる。
そして、灰色の消滅を前に叫んだ。
「――――【空間】ッ!!!」
眩い光を放つ巨大な白色の魔法陣が、リリスの前に出現する。
その魔法陣と、アトロスによる魔法が衝突する。
「くぅ……っ!」
世界を破壊し尽くす魔法の力を、リリスは一心に食い止める。
体内に残存する魔力の全てを使い切る勢いで魔法陣に注いでいく。
身体中の脱力感に襲われながらも、ただただひたすらに抗う。
しかし、リリスの祝福には限度が存在する。
これ以上アトロスの魔法には耐え切れないと、ピシリと魔法陣にヒビが入る。
徐々に徐々に、光が衰えていく。
それでもリリスは諦めない。
祝福とは願いの力。諦めない限り不可能はない!
「うぁぁああああああああ!」
限界を超え、それでも願い続ける。
その願いに応えるように、魔法陣がかつてない輝きを灯す。
そして、世界が白い光に包まれた――――
光が完全に収束した時。
そこには、ソラとリリスが地面に這い蹲る姿があった。
共に、意識を失っていた。
「…………」
その光景を、アトロスは冷えた目で眺めていた。
僅かに揺れる瞳は、小さくない驚愕の証だ。
予想外のことが続けて起きた。
ソラが立ち上がったこともそうだし、リリスがソラを庇う様に祝福を使用したこともそう。
そして何より、自分の全力に近い魔法が防がれたことに驚きを隠せなかった。
完全に無効化されたわけではない。
その証拠に、魔法の余波によってソラとリリスはこうして地に這い蹲っている。
共に死んではいないだろうが、本来ならば死んで当然の一撃だったのだ。
普段は戦闘の場に出ることのない少女とはいえ、さすがは祝福者といったところか。
初めからリリスを殺すつもりはなかったため、このような結果に終わったことにアトロスは胸を撫で下ろす。
だが、リリスはともかくソラは別だ。
先程感じた異質な何かを、見逃すわけにはいかなかった。
気絶しているところにトドメを刺すことになるが、これも戦闘の結果だ。
そう自分に説き、アトロスは悠然と歩を進め距離を詰めていく。
そして、二人のすぐ前で立ち止まる。
右手に消滅を。
腕を下ろしソラに焦点を定める。
後は、ただこれを放つだけ――――
「……む」
不意に、足首に何かが当たるのを感じた。
当然のように視線を下ろし、それが何かを確かめる。
そして、アトロスは思わず目を見開いた。
「お前……」
そこには、リリスが小さな手でアトロスの足首を捕まえる姿があった。
リリスは這い蹲ったままで、弱すぎる力で、無意味な抗いをしていた。
土で汚れた顔をあげ、真っ直ぐにアトロスを見つめる。
「だめです……させ、ません……ソラさんを、守るんです」
「――――ッ」
その姿を見た瞬間、アトロスはぞくりとする何かを感じた。
形容し難い気味の悪い感覚だ。
その嫌な感覚を無理やり身体から追い出すように、アトロスは何気ない言葉を絞り出す。
「お前は、意識を失っていなかったか」
顔が地面に向けられた状態で寝ていたため気付けなかった。
尤も、ソラが気絶してリリスだけの意識がある可能性を考慮しなかったせいでもあるが。
アトロスは腰を曲げかがむと、消滅を宿していない左手で、リリスの手を引っ張る。
いとも呆気なく、少女の手は足首から離れる。
しかし。
「…………」
「だめ、です」
もう一度、リリスの手は同じ箇所を掴んだ。
「はあっ、はあっ」
息を切らしながらも、リリスは痺れを切らすことなく握り続ける。
異様な呼吸の速度だが、身体にはそれほどのダメージはないように見える。
それらの要素から、アトロスは一つの答えを見つける。
「症状から鑑みるに、先程の祝福で体内の魔力を切らしたか。止めておけ、それ以上無理をすると冗談ではなく死ぬぞ」
魔術や祝福を使用する際、人間が生きる上で最低限必要な魔力にまで手を出したときに陥る症状。酷いときには命にも関わる。
しかし、それを告げてもリリスは諦める素振りを見せない。
ソラを守るため、アトロスを捕らえ続ける。
そんな姿を見続けていると、不意にアトロスの脳裏にある記憶が過った。
目の前に広がる死体の数々。
無残に破壊された研究所の痕。
全ては阿鼻叫喚に包まれる。
そして――その中心にいた、一人の男。
「……ふー」
深い吐息を一つ。
激情に呑み込まれそうになるのを抑える。
そして、もう一度リリスの眼を見る。
鮮やかな海色の眸。
絶対に諦めない強い意思がそこにはあった。
「仕方あるまい」
自分でも、この選択が間違えていることは理解している。
それでも、アトロスはその答えを選んだ。
再びリリスの手を足首から離すと、アトロスはそのまま踵を返し歩き始めた。
ソラやリリスからは距離を開ける方向に。
そして、背中越しのまま呟く。
「第一王女。今回だけは、お前の意思を尊重してやろう。ただ、次にソイツが俺の敵となったときには、問答無用で殺す」
そう言い切ると、背後にいる少女が力なく倒れる小さな音が聞こえた。
今度こそ、安堵と共に意識を失ったのだろう。
いま戻ればソラを殺すことは出来るだろうが、アトロスは振り向くことなく進み続ける。
間違えてはいけない。
初めから、今回の作戦におけるアトロスの願いは一つだけだった。
「まずは、それを叶えるとしよう」
荒れ地から、乱雑に木々が生え茂る森にへと景色は変わる。
草木を分け入りながら、アトロスは歩いていく。
急ぐ必要はなかった。
この先に何が待っているかは知っているから。
結局、アトロスとソラとの戦闘の際に救援がやってくることはなかった。
元からあの場にいたリリスは例外だ。
となると、それが指し示す理由は一つ。
もう一つの戦場で繰り広げられている戦いが長引いているのだろう。
切断の名を冠する魔法使いスパーダ。
彼の実力は本物だ。
アトロスには及ばないことは確かだが、それでも本気を出さねば倒すことは出来ない。
それに加え、あの場には魔法を持たない魔王軍幹部に匹敵するだけの精鋭も数多く揃えている。
アトロスでも、その全員を一度に相手をするのは骨が折れる。
だから当然、今から向かう場所でも彼らと“奴”による互角の戦いが行われているのだと、アトロスは疑うことはなかった。
そう、この時、アトロスは何も知らなかった。
自分がとんでもない思い違いをしていることを。
自分が相手にしようとしている人間が、どんな存在であるかということを。
そして、アトロスは思い知ることとなる。
「……む」
木々が断ち切られ、視界が晴れる場所にアトロスは辿り着く。
スパーダの魔法によって拓かれた場所だ。
となると、ここで戦闘が行われているのだろう。
その区間に足を踏み入れると、その異質さに気付いた。
「なんだ、これは?」
まず、魔力濃度が異様に薄かった。
魔樹林の影響もあり始めから濃度が低いこの場所だが、それでもこれだけの低さは異常だった。
通常時の五分の一程度だろうか。
次に、物音がほとんどしなかった。
剣戟の音も、魔術が大地を吹き飛ばす音も、人々の叫び声も、何も聞こえない。
その理由は、すぐに分かった。
「あぁ、あぁっ、ぁああああ!」
少し歩いた先。
そこに、その光景はあった。
切り開かれた空間の中心に、大量の屍が集められる。
その全てが、見覚えのある――魔王軍の面子だ。
悍ましく、吐き気を催す残酷な光景。
その積まれた屍の頂点に、生き残った最後の三人のうちの二人が存在した。
「あ、あぁあ、も、もうやめてくれぇ!」
一人は、普段の様子とは一変して無様な呻き声を上げている。
彼の相棒の大剣は既にその手の中にはなく、屍の上に転がっていた。
刀身は真っ二つに折られていた。
それが、魔王軍幹部序列四位のスパーダの姿だった。
そして、その横にいる男は。
屍の上に立ち、スパーダの腕を握る黒髪黒眼の青年は。
――――白崎 修は、感情の消えた冷徹な視線を未だ呆然と立ち尽くすアトロスに向け、至極当然と言った。
「ああ――――お前が、敵か」
アトロスは思い知る。
本物の悪意を。




