第二十七話 禁忌に潜む想い
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夢を、見た。
自分の身体から大切な何かが抜け落ちていく。
現実と空想の境目が朦朧とする。
だから、きっとこれは夢だ。
似たような経験を過去に何度もしたことがある。
その度に懐かしいような、悲しいような感覚が押し寄せてくる。
夢の中のはずなのに、どうしようもなく心が揺れ動かされる。
何にも触れることは出来ないと知っているのに、つい目の前に広がる真っ白な空間に手を差し伸べてしまう。
そして、やはり伸ばした手はただ空虚を掴むのみ。
何も残らない。そこには初めから何もない。
いつもと同じこと。
だから今回も。
私は、何も成せないまま静かに意識を取り戻す。
――――――――――
涙を流していた。
目を覚めた時、真っ先に理解したのはそれだった。
「ここ、は……」
ゆっくりと身体を起こしながら金色の長髪を垂らす少女――リリス・ジオ・ルミナリアは、ゆっくりと周りを見渡した。
薄暗い室内。
木組みの家――いや、小屋だ。
テーブルが、服が、本が、そこら一帯に無造作に散らばっている。
その中で、自分はどこにいるのか。
お尻に当たる柔らかな感触。
ベッドか……いや、ソファだ。
リリスは、自分がソファに寝かされていたことを理解した。
さらに付け加えるなら、彼女の身体には黄白色の毛布がかけられていた。
起き上がったときにパラリと床に落ち、ドレス姿が露わになる。
「なんで、私はここに……?」
リリスは自分の見ず知らずの場所にいる理由を探るため、必死に記憶を遡り思い出す。
最近起きた出来事が、時系列も脈絡も関係なく次々と浮かび上がってくる。
異世界からソラを召喚したこと。修や伶奈を召喚したこと。
修とレイが手合わせをして引き分けに終わったこと。
リーベを捕らえたこと。
頭を撫でられて嬉しかったこと。
助けてという心からの叫びに、応えてくれた人がいたこと。
「――――ッ」
そして、最後に思い出した。
自分が調印の儀が終わった瞬間に倒れたことを。
記憶が繋がるのはそこまでだ。
ということは、あの後に自分がここまで連れてこられたということをリリスは理解した。
誰が、何の目的で。
小屋の扉が開く音がしたのは、そう考えた瞬間だった。
「ッ」
咄嗟に身構える。
そこにいたのは、黒色のコートに身を包む片腕の男だった。
濁った灰色の長髪に、鋭い眼――
その眼が、静かにリリスを射抜いた。
「あっ……」
声が出ない。
不思議な音が零れるだけ。
そう、これは恐怖だ。
その男が誰かなど、リリスも当然把握していた。
魔王軍幹部の中でも、最大級の被害を世界に齎す魔法使い、アトロス。
そんな存在が、リリスのすぐ目の前に立っていた。
同時に悟る。
自分をここに攫ったのは、他でもない彼だと。
「起きたか、第一王女」
身構えるリリスを尻目に、アトロスは別段気にする素振りも見せず小屋内を歩くと、食器類が固められている場所に行く。
その中から綺麗なカップを器用に片手で二つ取り出し、近くにあるポットから何かを注ぐ。
カップの一つを手に、ただ茫然とその光景を眺めるしかなかったリリスの傍に近づいてくると、アトロスは自然にそれを差し出した。
「飲め、喉が渇いているはずだ」
「えっ、は、はぁ……」
反射的にカップを受け取る。
中身を確認するとただのお茶だった。
遅れて、リリスはアトロスの行動を疑問に思った。
彼は一体何を考えているのだろうか。
だが、とうの本人は木椅子に腰掛け、口元にカップのふちを添えるのみ。
途中、動かないままアトロスに視線を向けるリリスに気付き、訝しげな表情を浮かべた後、得心がいったかのように頷いた。
「心配は無用だ。毒などは入れていない」
リリスの視線の意味を取り違えたのか、見当違いな返答をよこす。その言葉を聞いてリリスはハッと意識を現実に取り戻す。
身体が揺れ、手に持つカップの中でたぷんと揺れるお茶。
それを見ながら、意を決したようにリリスは口を開いた。
「何が、目的なんですか?」
絞り出すような声。
顔をリリスの方に向けるアトロスに、続けて言を零す。
「貴方は、魔王軍幹部のアトロスですよね? 覚えてはいませんが、貴方が意識を失った私をここまで連れてきたのでしょう。なのに、こんな客人に対するような待遇……何のつもりなんですか?」
「……殺す必要がなく、痛めつける意味もないため、このような対応をしているだけだ。その理由までは、語る筋合いもない」
「……なら、貴方は、私に被害を加えるつもりはないと言うつもりですか」
「何を言っている?」
リリスの問いに、アトロスは僅かに眉を顰める。
少女の言葉を否定するような冷たい反応に――リリスは、少しの期待を抱き彼の言葉を待った。
そんな彼女の前で、アトロスは言った。
「俺に――俺達に、お前を傷つける理由など何一つとしてないだろう」
「――――――ッ」
その言葉を聞いた瞬間、
リリスの理性が吹き飛んだ。
「――――どうして!」
普段の冷静沈着な彼女からは想像もできないような大声で、リリスは叫ぶ。
アトロスの言葉を彼女が信じるわけにはいかなかった。
「どうして、いつもそうなんですか!? 私は、この世界きっての大国の第一王女です! 祝福者です! 異世界から勇者だって呼び出せて、貴方達と対等に渡り合える存在を増やすことだってできるんです! だってそうでしょう!? 私が呼び出したソラさん達は、既に魔王軍幹部を何人も倒しています!」
「…………」
「なのにどうして、貴方達は私に危害を加えないと言えるんですか? 必要ないって思うんですか? ――殺してしまえば、貴方達に敵対する者の数を、減らせるのに……貴方達の、ために、なるのに……」
もはや、リリスは自分でも何を言っているのか理解できていなかった。
積もり続けた長年の鬱憤が、飾る必要のないこの場で爆発した。
両手で顔を覆い、嗚咽交じりの嘆きを零す。
「私をっ、殺せばいいのに……」
幼い少女から出たとは思えない、悲観と諦観に満ちた言葉。
アトロスは静かに、リリスの叫びを聞き届けていた。
リリスが落ち着くまでに、数分が経過した。
冷静さを取り戻した彼女は、ソファの上で三角座りをしながら言葉を発する。
「……申し訳ありません。少し、取り乱してしまったみたいで」
「構わん」
言を一蹴し立ち上がると、いつの間にかリリスが落としたカップを拾い上げる。
そのためだけに立ち上がったようで、すぐに木椅子に座り直す。
そして、ゆっくりとリリスに真っ正面から向き直った。
「質問は、今ので全てか」
「……え?」
「お前をここに連れてきた理由と、殺さない理由を問うたのだろう?」
「あっ」
リリスの心からの叫びを、アトロスは質問として捉えたらしい。
もしくは、リリスの真意を見抜いたうえで誤魔化しているのかもしれないが。
「そうだな、後者から答えるとしよう」
驚くことに、返答する意思すらあるらしい。
先程までは、答える筋合いはないと言っていたにもかかわらず。
「お前を殺さない理由。その一つは、それが魔王軍にとっての禁忌だからだ」
「……禁忌?」
「ああ、そうだ。尤も、これは他の禁忌とは違い、幹部とそれに準ずる者にしか伝えられていない事柄ではあるがな。そもそも一介の人員では、貴様を含む祝福者に傷を与えることなど叶わん」
「……どうして、そんな禁忌が定められているんですか?」
「知らん。その理由を知っているのは、魔王と側近程度だろう。奴に頭を下げてまで聞きたいとも思えん」
初めて知る、衝撃の事実。
リリスは心の底から驚愕していた。
まさか魔王軍の中に、自分を殺さない決まりがあるなど考えたこともなかった。
……けど、もしそうならば、色々なことに辻褄が合う。
だが、それも理由を知っていなければ到底納得できるものではない。
それほどまでに突拍子もない内容だった。
そう考えるリリスの視線に気づいたのだろう。
アトロスは少し戸惑う素振りを見せた後、口を開いた。
「……これは憶測にもなるが、どうやら魔王の素振りを見るに、奴はお前の持つ“祝福”が魔王軍にとって必要だと思っているようだ。直接奴から聞いたわけではない故に、信憑性は低いがな」
「……私の、祝福ですか?」
「ああ、そうだ。何に利用するのかは知らんが、異世界から人間を召喚できるほどの力だ。使い道はいくらでもあるだろう」
「そんな、ことが……」
「あくまで可能性の話だ。奴の考えることなど知らん――が、それこそが、俺がお前を連れてきた理由の一つでもある」
リリスは口を閉ざし、アトロスの次の言葉を待つ。
初めて見た時の恐れは消え、いつの間にか自然な態勢になっていることには、リリス自身も気付いていなかった。




