第二十五話 守る理由
◇
身体強化を終えた俺とソラ。
臨時的に、一割程度の魔物化を施したリーベ。
そんな三人は秒速三キロのペースで空を駆ける。
走る際の余波を魔力で抑えられる限界がこの速度だった。
一人ならもっと早く行けるが、道が分からないので仕方ない。
ちなみに、この速度はリーベが出せる限界を優に超えているらしいので、左腕を俺、右腕をソラが掴んだまま向かっている。
ふと、旅立つ前の会話を思い出す。
ここにいる面子ではなく、向こうに残った逢ヶ瀬とレイの言葉だ。
『白崎さん、リリスさんをお願いします。その間、私はここを建築しておきますので』
倒壊した王城を眺めながら、何故かやる気になっている逢ヶ瀬の言葉。
『お、おう……』としか返事が出来なかった。
防衛もしっかりな。
『すまない、シラサキ シュウ。僕が不甲斐ないばかりに、アトロスを取り逃がすことになってしまった……それも、リリス王女を連れ去られる形で。どうか、彼女を助けてきてくれ』
真剣な眼差し、だというのに相変わらず爽やかな表情でそう告げたレイ。
彼に対し、俺は言葉を濁すように『ああ……そうだな』と言うことしか出来なかった。
本当に訊きたかった言葉を口に出すわけにはいかなかったから。
彼の腰元に携わる剣を見ながら、思ったこと。
『お前、それ使えば、普通にアイツ倒せただろ?』
喉から出かかった言葉を、意識的に止めた。
実際に尋ねることはなかった。
なぜ、その方がいいと考えたのかは、自分でも分からないけれど。
ただ静かに彼らに見送られ、俺達は出発した。
そして、今に至る。
「…………」
猛スピードで進みながら、ちらりと横を向く。
水色の髪が僅かに靡き、深い蒼色の眸が覗く。
彼女の、ソラの身体強化の錬度に俺は驚いていた。
魔術も使えるはずなのに、身体能力も異常に高い。
どちらかは、もしくは両方が魔法による産物だろうか。
そう思えるだけの力だ。
「なに?」
すると、俺の視線に気づいたソラがこちらを向く。
「いや、別になんでもないけど」
「……そう」
言葉を交わし、視線を外し、少しだけ気まずい空気が流れる。
それでも、相手の様子を窺いながら丁寧に飛ぶ。
リーベの腕を掴んだまま同速度で駆けているため、しっかりと息を合わせる必要があるのだ。
それを間違えれば凄いことになる。
具体的にいえばリーベの両腕が引き裂かれる。
気を付けなければ。コイツのことなんてどうでもいいけど、別に殺したいと思っているわけではない。
なんてことを考えながら、ちらちらとソラの方を見ながら飛ぶ。
たまに目が合うと、反射的に視線を前方に戻す。
そんな行為を繰り返していると、後ろから呆れたような声が聞こえる。
「……なんだか貴方達、付き合い始めの男女みたいね」
俺はリーベの腕を掴んだまま急ブレーキをかけた。
同時にソラも止まっていた。
……チッ。最悪なことに考えが被ったか。
「待って。二人とも、タイミングを合わせないで止まったわよね? 同時に止まったからいいものの、もう少しで私の身体が引き裂かれることに――――」
「うるせぇ」
「うるさい」
リーベの言葉を黙らせて、俺とソラは再度空を強く蹴り駆けた。
別にこいつの言葉に怒ったわけではない。
本当の本当だ。
「止まりなさい」
駆けること一時間強。
深い森に侵入した辺りで、リーベは俺達を静止した。
「なんだ?」
言われていた目的地まではあと少しのはずだ。
なぜ止まる必要があるのだろうか。
「ここから少し左に逸れた場所に小さな村があるわ。そこで少しだけ休息をとるわよ」
「はぁ? そんなもんなくて大丈夫だ、すぐにでもアイツのところへ――」
「少し冷静になるべきよ、勇者さん」
「……あ?」
ゆっくりと、湿った土の上に着地する。
リーベは俺の手を払うと、先程まで俺が握り締めていた左腕を翳す。
地面に向けぷらりと、おかしな方向に曲がっていた。
「彼のもとに近付くにつれ、貴方の握力が異常に強くなっていったのよ。表情も硬く怒りに呑まれているよう。そう、まるで人を殺す顔をしているわ――けれど、それじゃあ誰かを助けることはできないと思うのだけれど」
「……お前、なんで」
「私にも“彼女”に死んでほしくない理由があるのよ。言ったところで、貴方には理解できないでしょうけど」
骨折した左腕を治療しながら、リーベは静かに笑う。
彼女の言葉の意味がよく分からなかった。
リーベが、リリスに死んでほしくないと思う理由、それは果たしてなんだというのか。
そもそもリーベは俺達の前に敵として現れ、リリス達を殺そうとしたことがあったはずだ。
なのに、何故いまになってそんなことを言うのか。
そんな疑問を、気が付けば口に出して尋ねていた。
それを聞いたリーベは、さらに意味深な笑みを浮かべ。
「ええ、貴方の言う通り。私は彼女が死んでもおかしくない状況を作り出したわ」
けれど、と。リーベは続けて言った。
「――――その時は、“貴方が”助けたでしょう?」
――だから何だというのか。
理由になっていない解答。
しかし、リーベはそれ以上言葉を紡ぐつもりがないようで、踵を返すと歩を進めていく。
先程言っていた、村のある方向だ。
「……」
ソラは暫し俺の方を見たあと、リーベに続く。
言葉にならない感情を呑み込みながら、俺もゆっくりとその後をついていった。
その村は、想像よりもしっかりとした様相だった。
曰く、ここより南にある村や町は既に魔王軍に滅ぼされている。
防衛拠点として、様々な支援がされているらしい。
そのせいか、村人らしい服装をしている者は少ない。
鍛え抜かれた肉体を持つ若い男性や、正装に身を包む中年男性などが多い。
わいわいと、皆は楽しそうにしていた。
アトロスが近くにいるというのに、不思議な光景だ。
そんな村で、中途半端な服装と、鮮やかな髪色を持つ俺達は目立つ。
変に話しかけられないうちに、小屋や倉庫が集まった場所にまで移り腰を下ろす。
「10分よ。その間に、気を静めることね」
言い残し、何故かリーベは去っていった。
力を抑えるのとは別の魔道具が付けられ、ソラに居場所が分かるようになっているため、逃げることはないと思うが……
一応、五感を強めておこう。この村内なら、誰がどこにいるのかすぐ分かるように。
そして、残されたのは俺とソラの二人だった。
正直、今すぐにでも駆け出したい。
しかしアトロス達がいる詳細な位置を知っているのはリーベだけだ。
見当違いな方向に行ってしまったら最悪なことになる。
リリスが連れ去られてから既に二時間は経過している。
十分程度なら誤差の範囲。
リリスが危害を与えられることはないという確証もあるようだし、ここは素直に休むとしよう。
ソラと二人、無言のまま時間が過ぎる。
横で肩を寄せ合うように座り、視線が交わされることもない。
それでも、白と青の羽織に身を包む華奢な身体はそこにある。
視界の片隅で、水色の髪が僅かに揺れる。
ほんの少し、目線を横に向けた。
髪の隙間から覗ける、白い肌に大きな蒼の瞳。
幼く可愛らしい、子供の様な容貌が俺の視界を覆った。
そう、彼女は幼い。
年齢的にはきっと十二か十三程度。
戦場に身を置くには、身体、精神、何をとっても未熟。
戦いとは無関係な日々を送っているはずだ。
そんな彼女が、どうして今ここにいるのだろうか。
不躾な疑問、それを言葉にするべきではないとは分かっている。
そんな運命を持つ少女がいることも、俺は知っている。
だけど、ふと。
ソラの蒼眸が、朧げに揺らぐ。
どうしてだろうか。
それを見た瞬間、俺は。
「……ソラ」
反射的に、彼女の名を呼んだ。
俺の一言が沈黙を打ち破る。
「お前は、なんで勇者になろうと……この世界を守ろうと思ったんだ?」
いつの日か、逢ヶ瀬にも似た質問を投げかけた気がする。
彼女がなんて答えたのかは覚えている。
その答えは、どうしたって納得の出来ないものだった。
それでも、俺は彼女の在り方を否定するという形で応えたのだ。
ならば、ソラは。
この幼い少女は何を思い、この世界のために戦うのだろう。
見知らぬ世界を守る理由が、果たして彼女には存在するのだろうか。
ソラは間違いなく魔法使いだ。
直接彼女の口から聞かずとも、リリスの言葉が、ソラの行動が、全てがその事実を指し示している。
魔法使い。
世界に愛され、運命に嫌われた者。
彼らが送る一生は、不条理に満ちた残酷なもの。
普通はそんな存在が、世界を救いたいなどとは思わない。
逢ヶ瀬は例外中の例外でしかないはずだ。
だけど、ここにもう一人、その理に囚われない者がいた。
水色の勇者ソラは――どうして、世界のために戦うのだろうか。
初めて会った時から訊きたかったことを、俺はこの場でようやく尋ねた。
返答はない。
無言の時間が続く。
ソラは三角座りのまま、固く口を閉ざしたまま。
答える素振りを見せない。
訊いてはならないことを言ってしまっただろうか。
ソラが小さく言葉を発したのは、そう思った瞬間だった。
「……分からない」
その一言に、俺は思わず目を見開いた。
思いもしない答えだった。
彼女の行動には、何か理由があるものだとばかり考えていた。
それを、まさか分からないと返されるとは。
「分からないって……なら、どうして」
「それしか、選択肢がないから」
俺の疑問は簡潔に、不鮮明に切り捨てられる。
その呆気なさに、俺は呆然とソラの横顔を見ることしか出来なかった。
ソラはおもむろに、此方を向く。
深い蒼の双眸が、俺を射抜く。
「私は――――」
そして静かに、彼女の想いを語り始めた。




