第十九話 笑顔に陰り
スアレルに到着してから三日間。
逢ヶ瀬と利き舌対決(最終的には大食い対決になった)をしたり、
ソラとにらめっこで激闘を繰り広げたり、
そんなふうにつかの間の日常を送り。
調印の儀が行われる日がやってきた。
◇
その日は、朝から様子がおかしかった。
目覚めた瞬間から、城内は厳かな空気に包まれていた。
部屋の扉を開け外に出る。
廊下を歩いていると、城内を見回る兵士達とすれ違う。
彼らは俺の姿を見て一礼したのち去っていく。
全員の表情が固い気がした。
その様子に疑問を抱きながら歩を進め、食堂に到着。
そのまま中に入ると、いつもとは少しだけ違う光景が広がっていた。
「……あれ、リリスか?」
食堂の奥の方。
そこには、蒼色の豪奢なドレスに身を包む、金髪の少女がいた。
その隣には深い茶髪で、年齢は三十半ばに見える男性。
金色のマントを羽織るのはラルクだ。
親子二人で何かを話し合っていた。
「本当か? 身体のどこかに違和感があるようなら、無理に参列する必要は」
「いえ、お父様。大丈夫です。私も参加します……参加、しなければなりません」
「……そうか。お前がそう言うのならば、これ以上は止めんが……今日は各国の騎士達も警戒を強めている。何かあれば、早めに伝えるようにしてくれ」
「はい、分かりました」
それで会話は終わったのだろう。
リリスは踵を返すと、静かにこちらに向かってくる。
「あっ、シュウさん」
そして俺と目が合うと、柔らかに微笑んだ。
いや、でもこれは……
「おはようございます。朝食ですか?」
「いや、適当に歩いていただけだ。城内の空気が妙に張り詰めてる気がしてな」
「……そうですね。今日は、特別な日ですから」
特別な日か。
まあ確かに、この世界きっての二つの大国による調印の儀が行われる当日だしな。
けど、ほんの少しだけ違和感が……
まあいい、それに関してはひとまず置いておこう。
「リリス、お前、体調悪いのか?」
「え?」
俺の言葉を聞き、少し驚いた表情を見せた後、納得したように頷く。
「先程の会話を、聞いていらっしゃったんですね」
会話、とは。
今のラルクとリリスによるものの話か。
確かに二人の言葉を思い返してみると、そんな話題だったような気がする。
それを聞いて、俺がリリスの体調が悪いと思った、そう彼女は考えているのか。
けど、俺がそう思った理由は違う。
「いや、単純にお前の笑顔が少し暗かったからだ。お前に元気がなかったら、俺も少し寂しいからな」
「………………」
「………………」
「……ふえっ?」
ぽかんとした表情と、少しの空白な時間の後、リリスの顔がポンッと真っ赤に染まった。
おい、どうした、大丈夫か。
本当に病気とかじゃないだろうな。
「ど、どうしてそんなふうに思……いえ、そうだと分かるんですか?」
小さな体をあたふたと動かしながら、リリスはそう尋ねてくる。
笑顔が普段と違ったのを分かった理由か。
よく見ていたから……みたいな言い方だとまるで変態みたいだな。
なぜ見ていたかについて答えた方が良いだろうか。
うん、そうしよう。
方針を決めると、俺はリリスに向き合い告げた。
「お前の笑顔が、この世界で唯一の癒しだからさ!」
逢ヶ瀬やソラには、そういった要素がまったくないからね!
という気持ちを込めて、言ったのだが。
リリスは呆然と立ち尽くすのみで、これといった反応を見せない。
さっきよりも恥ずかしいセリフを言った気がするが、リリスの顔が赤く染まることもない。
俺とリリスがいるこの場所は、微妙な空気に包まれていた。
「り、リリス?」
おそるおそる、名前を呼びかける。
すると彼女は、ぴくっと肩を動かし、揺らいでいた蒼眸に意思がこもる。
「す、すみません、シュウさん。少し驚いてしまって」
「お、おう……何に驚いたんだ?」
「いえ、その……そうなふうに言われたことが、初めてだったもので。癒し……私の笑顔が、癒し……」
「リリスさん?」
俺の発言を繰り返し言葉にされると、なんだか気恥ずかしいのでやめてほしい。
しかし、そんな俺の意思とは裏腹に、リリスは下を向いたまま何度も同じ言葉を反復する。
手持無沙汰なまま、俺はその様子を眺めていた。
すると、突然リリスは俺の方を見たかと思うと、一瞬だけ眼を大きく見開いた後、そっと顔を横に向ける。
そして両手で顔を隠したまま、喉を震わせた。
「あ、あの……ずっと見られていたら、その、恥ずかしい、です」
「あ、はい」
どうしたのだろうか、今日の彼女は。
普段と違った反応。
本当に調子が悪いのかもしれない。
それにしても。
必死に顔を隠す少女と、その前にいる俺。
傍から見たら、事案現場……?
「何をしているんですか?」
「うおっ」
そんなことを考えているときに、突如として後ろから静かな声が聞こえる。
少しだけ驚きつつ振り向くと、そこには冷たい目つきをし黒髪の少女、逢ヶ瀬が立っていた。
これは違う、何かの間違いだ!
「白崎さん。貴方、彼女に何をしたんですか。犯罪ですよ」
「おい、何かしたのを前提に話すのやめろ。法には触れてない。何故ならここは日本ではないからだ」
「なんですかその言い訳は……」
呆れたように零した後、彼女はリリスの方を向く。
「大丈夫ですか、リリスさん? 変態な彼のことです。とんでもないことをされたんじゃ」
「ち、違います。そういったことはありませんから、大丈夫です」
リリスもちゃんと事情を説明してくれている。
うん、これで何も問題はないだろう。
「あ、そうです! ソラさんはまだですが、せっかくこれだけ揃ったんですから、皆で朝食をとりましょう。そうしましょう!」
そしてリリスはどこか芝居がかった口調で場を取り繕うと、一人足早にテーブルに向かう。
その後ろ姿を、逢ヶ瀬は目を細めながら見つめていた。
「白崎さん」
と思ったら、声をかけられる。
「なんだ?」
「本当にリリスさんに何もしてないんですか? 彼女、どこか様子がいつもと違う気が……それに、彼女以外の皆さんもどこか張り詰めているようですし、城全体に緊張感が満ちているように思います」
「やっぱりそう思うか? ちなみにリリスには何もしてない。犯罪行為なんてしていない」
「…………」
「無言で見るのやめろ」
言いつつ、俺は心の中で逢ヶ瀬の言葉について考えていた。
城の様子がおかしい。それは俺も思ったことだ。
調印の儀が行われる当日だから、という答えは間違っていないだろう。
魔王軍を筆頭に、それに反対する者もいるはず。
邪魔する奴が現れてもおかしくはない。
……だけど、一つだけ思うところがある。
違和感、として俺が捉えていたことだ。
兵士達の真剣な表情も。
城内の緊張感も。
それらは、今日になって一気に顕著になった。
邪魔者が現れるのは、何も当日だけに限らない。
昨日までの段階で、二つの国のトップが既にこの城にいるのだ。
いくらでも妨害するタイミングはあったはず。
なのに、なぜ今日だけがそんな空気なのか。
その理由だけが分からなかった。
「とりあえず、飯食うか」
「そうですね」
思考は一旦中断。
俺と逢ヶ瀬は、リリスに続いて席につく。
リリスを挟み、逢ヶ瀬、リリス、俺の順番に。
「あの……シュウさん」
使用人に頼み、料理が運ばれてくるのを待つ途中、ふいにリリスから声をかけられる。
「先程は少し恥ずかしくて顔を逸らしてしまって、申し訳ありません」
身体を縮こめながら、彼女は殊勝に謝罪する。
そんなこと、別に気にしていないのに。
そう言おうとした瞬間、リリスは「それに」と続ける。
「ああいったことを言われるのは、初めてで、その、少しだけ混乱していて、自分の気持ちがまだ整理できていないのですが……」
「…………」
しどろもどろになりながら言葉を紡ぐリリスを、黙ったまま静かに見届ける。
数秒の間を置いて、彼女は言った。
「きっと、嬉しかったんだと思います」
「……そうか」
「はいっ」
会話の流れで言った、リリスの笑顔が癒しだという台詞。
もちろん嘘ではないが、そんな言葉がこんなにも彼女の心を動かすものだとは思っていなかった。
けど、まあ、嬉しいと言うのなら、悪い事ではないと思う。
……それにしても。
“初めて言われた”、か。
その言葉は、はたして何を指しているのか――――
「そして来た、私」
と。
なんだか子供の様な可愛らしい声が、不自然な文法で何かを言っていた。
見上げると、そこには水髪のセミロングの少女、ソラが立っていた。
「おはようございます、ソラさん」
逢ヶ瀬がそう挨拶をすると、リリスも続く。
「なんだその登場の仕方は」
俺はソラの言葉の真意を測るべく反射的にツッコんでいた。
相変わらず不思議なところのある奴だ。
常識人である俺を見習えばいいのに。
「ふっ、このセリフの崇高さが分からないなんて。とても哀れ」
しかし、何故か俺は同情されていた。
ソラはそのまま俺の横の席に座る。
もういいや、放っとこう。
その後、運ばれてきる料理の数々。
豪華な食材がふんだんに使われ、普段ならとても嬉しいのだが。
「「こ、これは……」」
俺と逢ヶ瀬は、そのメニューを見て眉をしかめる。
朝だというのに、牛肉の脂が多い様々な部位をデミグラスソース紛いでじっくりと煮込んだもの。
何の因果か、それは昨日行われた利き舌対決における品と被っていたのだった。
そう、軽く二十杯以上食べた品と。
好物だと思われたのだろうか。つらい。
その後、俺と逢ヶ瀬は苦戦しつつ、ソラはぺろりと、その料理を食べ切った。
ただ、気になる点が一つ。
「…………」
俺達とは違い軽めのメニューを用意されたいたリリスだが、彼女は結局半分以上を残していた。
利き舌対決ってなんだよ。




