第一話 君のいる世界
高校の制服を着て、学生鞄を持った平凡な高校生がいるのが場違いなほど豪華で絢爛な室内で、俺と隣にいる少女は驚愕の表情を浮かべていた。
素っ頓狂な様子を見せるのは俺達二人だけだった。目の前にいる金色の少女や、彼女の周りにいる法衣や鎧を纏った者達は無反応のままだ。なるほど、状況が全く理解できない。
俺は高校前の交差点にいたはずなのに、気づいた時にはこんな場所に移動していた。やはりあの時の光が関係しているのだろうか。
状況の把握が何よりの最優先事項と理解。
先程の少女の言葉を頭の中で反芻する。
『ようこそいらっしゃいました、勇者様。この世界の名はジオ・ストラルダ。魔王の脅威から世界を救う者として、私は貴方をこの世界に召喚しました――――』
うん、思い出しても意味がよく分からない。新興宗教か何かだろうか。本気で言ってるならドン引き。
この人達の正体は分からないが、とりあえず拉致られたっていう認識でいいのだろうか。少しでも自分に都合のいい環境に作り替えるために目の前の身分の高そうな少女を人質にすべきか数瞬の間に逡巡。
「すみません。ここは一体どこなのか、貴女方は把握しているんでしょうか?」
しかし先に行動を起こしたのは俺ではなく隣にいた少女の方だった。行動が早い。
「はい、きちんと把握しています。ですからまず事情を説明したいのですが……よろしいですか?」
「はい、よろしくお願いします」
順応も早い。こんな訳分からん状況でよく怪しい奴らの言葉を聞けるものだ。
危機感が足りない。開口一番全力パンチのほうが何かと都合が良さそうなもんだが。
「えっと、貴方もそれでよろしいですか?」
「あっ、うん。いいよ」
でもやっぱり事情はきちんと把握しておきたい気持ちもあるので、俺も金色の少女の言葉に頷く。
先程までの黒髪の少女との言い合いの際の熱の大半も吹き飛んでしまったし、今の俺は冷静なのだ。
コイツらが自分に害する存在だと判断すれば、その時はその時だ。
「ありがとうございます。それでは、説明に移ります」
一切の感情を覗かせない様子のまま少女は小さな口を開く。
「まず初めに自己紹介から。私の名はリリス・ジオ・ルミナリア。ここルミナリア王国の第一王女としての役目を受け持っています。御二方の名前も聞かせて頂いてよろしいでしょうか?」
「私は……逢ヶ瀬 伶奈、です」
どうしてだろうか。逢ヶ瀬と名乗った黒髪の少女は悲しげな表情でチラリと此方を一瞥する。次はお前の番だと急かされているのだろうか。怪しい人達に名前を教えるのも少し怖いが仕方ない、ここは流れに乗るべきだろう。最悪の事態に対する備えはある。
「白崎 修」
二人の名前を聞いた金色の少女・リリスは小さく頷くと、説明を再開させる。
「ありがとうございます。アイガセさんと、シラサキさんですね。それでは改めて。
この世界の名はジオ・ストラルダ。貴方達のいた世界とは別の世界です」
「別の世界、ですか?」
さっきも言っていた内容だが、やはり荒唐無稽な話だ。
同様に感じたのは俺だけではなかったのだろう。逢ヶ瀬は確かめるように問う。
「はい。異世界と言うべきでしょうか。私は貴女たちをこことは別の世界から召喚したのです。目的はたった一つ、この世界に訪れた脅威、魔王の侵略の危機から救ってもらうためにです」
「異世界……」
説明を続けるリリスの表情と声は真剣だ。嘘偽りの全てを排除した真摯な態度でこの世界に訪れた脅威とやらを教えてくれた。
この世界の名はジオ・ストラルダ。今俺たちがいる場所は世界で有数の大国・ルミナリア王国の王都ルミナダの中心にある王城であるということ。
この世界には魔術と呼ばれる力が一般的に普及していること。
長年の間、魔術を用いて魔物という人間の平和を脅かす存在と戦い続けてきたこと。
さらに百年以上前より存在を確認された魔王と呼ばれる存在と、魔王を中心とした反乱組織・魔王軍が世界中のあらゆる場所で甚大な被害を生み出し、とうとうルミナリア王国の持ちうる戦力では対応が不可能になったこと。
故にこの世界とは違う異世界から勇者を召喚し、魔王の脅威から救ってもらおうと思ったこと。
そうして呼び出されたのが俺と逢ヶ瀬であること。
ありふれた三流小説のような設定が、リリスの口からつらつらと語られていった。
「簡潔にまとめると、これらがこの世界に関する事情。そして貴方達を召喚した理由です」
リリスの説明を聞いた俺は、重要な単語を頭の中で整理する。
異世界。魔術。魔物。魔王軍。勇者。意識を割くべきはこの程度だろうか。
ふむ、なるほど。
「訳が分からん」
どうしても理解できない部分があったため俺はそう呟く。
「どの箇所がですか?」
「まずここが異世界だっていうこと。そんで次に何でそこで俺達が呼び出されるのかについてだな」
召喚したのは魔王の脅威から世界を救う勇者だと言うのだから、もはや疑問を通り越して完全否定したい気分だ。
俺に世界を救う力なんてない。そんなことは自分が一番知っている。
「異世界である証拠は後にお見せするつもりです。ですので、まずは貴方達を召喚した理由から。魔王軍に対抗できるだけの祝福を持った祝福者が、貴方達だったんです」
「祝福?」
「祝福者?」
俺と逢ヶ瀬の疑問の呟きが同時に零れる。聞きなれない言葉……いや、言葉自体はよく知っているが、何故このタイミングで出てくるのかに関しては分からない。
俺達の反応はリリスも予想しているのだろう。疑問の声に戸惑うことなく答えを告げる。
「はい、そうです。人智の及ぶ世界の向こう側、魔術では到底説明出来ない現象を引き起こす奇跡の力。世界に愛された者にしか発現しない、英雄の力――――【祝福】」
そう告げるリリスの表情はどこか悲しげで、声色も僅かに揺らいでいた。
丁寧な言葉遣いや高貴な雰囲気から忘れていたが、その瞬間だけはリリスが百四十センチばかりの見た目通りのか弱い少女だと感じることが出来た。
だけどリリスはそんな自分を否定するように、どこまでも冷静を努めた表情のまま言葉を紡ぐ。
「そんな力を、貴方達も持っているんですよね?」
「「――――――」」
思わず息を飲み込む俺と逢ヶ瀬の二人。
リリスはそんな俺たちの様子を見て納得したように頷く。
僅かな硬直状態の後に、先に動き出したのは逢ヶ瀬だった。
「そう、ですね……確かに貴女が言った力について、私は身に覚えがあります」
そう答える逢ヶ瀬は少しだけ言葉を詰まらせながらもリリスにそう答える。
その言葉を聞いた者たちは――リリスの後ろにいた、これまでほとんど反応を見せなかった法衣や鎧を着た男達が小さく歓声を上げた。逢ヶ瀬の正体が、リリスの言うところの祝福者であるということがそれほど嬉しかったのだろうか。
となると、次に彼らが期待の視線を向けるのは俺にだ。
多少の居心地の悪さを感じながらも、俺はリリスに向き合う。
透き通る海を閉じ込めたような碧眼と俺の視線がぶつかる。
真剣な眼差しを向けるリリスに対し俺は尋ねた。
「リリスだったか、お前は俺達に魔王を殺すのに協力してほしいって言ってたけど、もし断ったらどうなるんだ?」
それが彼女達の望んでいた言葉ではなかったのだろう。僅かに眉を顰め怪訝そうな表情を見せた後、リリスはすぐに様子を元に戻し返答する。
「そんな恐ろしい言い方をした覚えはありませんが……どうなるとは?」
「ここが異世界だということをとりあえず認めるとして、断ったときにちゃんと元の世界に戻してくれるのか? ……いや、そもそも元の世界に戻る方法はあるのか?」
不意に思い至る。これまでに見てきた異世界が舞台にされた様々な創作物では、理不尽に呼び出されて元の世界には戻れないというものが多い。これだけは初めに確認しておくべきだ。
隣で話を聞いていた逢ヶ瀬にとってもこの質問の答えは重要だ。彼女も少し身を寄せるようにしてリリスの回答を待つ。
しかし注目を浴びるリリス本人はその問いを聞き少しだけ表情を暗くする。
まさか、と。最悪を想定した俺に対して彼女は告げた。
「元の世界に帰る方法はあります」
あるのかよ。
「――――ですが」
しかし、安堵しかけた俺に対しリリスは嬉しくない重大な情報を伝えるように、緊張感に包まれた表情のまま口を開いた。
「条件として、半年の期間が必要となります」
「半年?」
「はい。アイガセさんとシラサキさんを呼び出したのは、私の祝福によるものです。
そして私の祝福には多大な魔力を必要とします。魔力を蓄える期間として、およそ半年が必要なのです。魔王軍との戦闘を拒否したとしても、必要な魔力量が備わり次第もとの世界に送り戻すことは約束します」
「……なるほど」
半年、か。
帰還する方法がない、もしくは魔王を倒さないと帰還できないとかの条件に比べたらマシな方なのだろうか。
冷静になって考えてみても、特に今すぐ元の世界に帰りたいと思っている訳でもない。
当たり前だ。あんな世界に、心残りなんてないのだから。
「失礼します」
と、ここで会話に割り込む声が一つ。
リリスの後ろに待機していた者たちの一人、鎧を纏った三十代くらいの男性が音を鳴らしながら此方に歩み寄ってくる。
「リリス様、少々よろしいでしょうか」
その男性はリリスの横に来ると何かを言い始める。十歳程の見た目の美少女と三十代くらいの男の組み合わせは犯罪臭が凄い。そんなことを考えているといつの間にか俺のすぐ横にも逢ヶ瀬が寄っていた。
「意外です」
「何がだ?」
「さっきまで彼女の言葉を否定していたのに、突然信じ始めたからです」
「別に、向こうがあまりにも自信ありげに言うから、一割くらいは信じてやってもいいと思っただけだ」
「……そうですか」
「ああ」
それに、あれだ。
俺が勇者として呼び出されることに比べたら、異世界の存在くらい全然信じられる。
というか異世界以外の情報には心当たりがあるしな。
俺の相槌を最後に会話が一旦途切れる。彼女が俺に言いたかったことはそれだけなのだろうか。いや、そもそもリリスの告げた情報を彼女自身はどう思っているのだろうか。
それを尋ねるべく、俺はゆっくりと彼女の方を向き――――
「申し訳ありません、お待たせしました」
――――口を開く前に、リリスの言葉によって止められる。
「他にも様々な疑問が抱いているとは思いますが、それに答えるより先に私のお父様……ルミナリア王国の国王に会っていただきます」
「……」
「分かりました」
俺は無言、逢ヶ瀬は了承でリリスに返事する。
数ある疑問のほとんどが解決しないまま、俺たちが国王とやらの元に参じることになった。




