第二十五話 魔法の一欠片
人の魔力とは、単純に身体の内部に保有する魔力量のことを指す。
しかし魔物は違う。魔物は身体の部位全てが純粋に魔力が変貌した形であり、物質化した人間の身体以上の効率で駆動する。故に、魔物はただそれだけで強力なのだ。
そして当然、そんな魔物の力を自由自在に操りたいという者が現れる。
人間の身体の一部を魔物化し、より強力な魔力行使が出来るような実験が元の世界にも存在していたことを、修は知っていた。
その成功例が、目の前のリーベだった何か。
修は静かに“それ”を眺める。
「…………」
ゆらりとブレる紅の双眸は、修に焦点を当てながらも人としての意思を感じない。既に彼女は修を殺すべき対象としてしか捉えておらず……否、“殺したい”としか考えてない。
それはまさに悪意。
人であることを放棄した存在の末路。
彼女が人に戻れる限界値を突破していることなど、その姿を見れば分かる。
魔法も祝福も持たぬ身で、人間の限界を超えた努力の結晶。
「ぁあああああああああ!」
――――それを理解しているからこそ、咆哮を上げながら迫る脅威を前にして、修は感情を抑えるように目を瞑った。
両腕をぶらりと垂らし、視界も自ら閉じ、やる気を感じさせず油断と隙だらけ。
悪意に満ちた存在は、紅の残光を後方に醸し出すほどの速度で修に肉薄する。
強靭な身体能力。
颶風を生み出す巨大な黒両翼。
先刻の数百倍の質と量の魔力行使。
瞬間移動に近しい速度のまま、リーベは金剛石をも斬り裂く両手の巨爪を振るう。
十の刃は空を歪ませ、修の喉に吸い込まれるようにして迫り――――
「無駄だ」
おもむろに振り上げられた修の右腕によって、ガラス細工のように呆気なく木っ端微塵に破砕する。
「飛べ」
そのまま押し出すように放たれた修の前蹴りは、リーベの腹に突き刺さり砲弾のように弾き飛ばす。
音速を超えたその物体は、周囲の木々やその他諸々の悉くを削り抉りながら吹き飛ばされる。
「――――――――ッ、ハアァアアアア!」
されど、リーベの対応は早い。
両翼をはためかせ勢いを減速させると、ものの一秒弱で速度を完全に消滅させる。
そしてそのまま――――前方四百メートル前に佇む存在を視界に捉え、“跳んだ”。
修に届くためには、たった一歩で十分だった。
コンマ数秒後に訪れる結末を脳裏に描きながら、リーベは眼前の敵を滅ぼすための方法を構築する。
自身の身体中の魔力を変貌させ、異常な錬度と速度で数十数百の魔術を築き上げる。炎の槍、氷の氷柱、颶風の刃、雷の砲撃――――と、実に千にも至ろうとする脅威がリーベの周囲に出現する。その一つ一つが、優に城を崩すことが可能な最上級魔術の力を持つ。
さらに、それだけには留まらない。
リーベは千の最上級魔術を生み出した後――――それを一つに集結させる。
彼女だけが扱える、魔法にも匹敵する魔力操作能力を駆使した結果。
修を殺そうとする悪意が、彼女の中に秘められた可能性を限界まで引き上げる。
その過程は眩い光を生み出し世界を呑み込む。
とうとう修に百メートルと迫る寸前、光は止みリーベの目の前には膨大な魔力が注ぎ込まれた巨大な白い光の球が浮かび上がっていた。
それはきっと、彼の後ろに建つ王城だけではない。
王都に住む者全てを殲滅し、蹂躙し、最後にはそれを超えてこの国家さえも破壊し尽してしまうだろう。
尤も、その代償は自分の死。
だけどそれも、“彼”を思えば喜ばしいとさえ感じる。
残った一パーセントの感情のような何かが、リーベに小さな微笑みを与える。
だから、彼女は最期は笑ったまま呟いた。
「エルス・ジ・アルドレイン」
そして放たれる、一条の光。
世界を包み、全ての存在を破壊する光を前にして。
白崎 修は、ゆっくりと目を開けた。
世界を壊す一つの想い。
リーベが放った光線は、瞬く間に修の背後にある全てを破壊し尽すだろう。
それが世界を滅ぼそうと構いはしない。
だけど修は、ふと二人の少女の姿を思い浮かべる。
だから、自然とその決意はできた。
身体を半身にし、大弓の様に右腕を引く。
両足は大地に根を張り、修の存在を受け止める。
そして、光が、迫る。
もう二度と、間違えないように。
大切な何かを失わないように。
白崎 修は願い、求め続けた。
小さく、だけど芯のある彼の声が響く。
彼の魔法が、世界に干渉する。
「――――――【虚無】」
風切り音を過去に残し、鏃の如く右拳を前方に打ち出す。
瞬間、修の眼前の世界が“黒”に染まる。
世界を壊す黒の焔が、修の拳から放たれた。
光一つない闇夜の様な漆黒は、“世界そのもの”を拒絶し奪う。
黒の焔は一瞬の均衡も許さず、白の光さえ消滅させる。
白崎 修による虚無の魔法は、そのまま全てを呑み込んだ――――
終わる。
終わる。
世界が終わる。
リーベは自身を包む黒の焔に呑み込まれながら、その現実を感じていた。
膨大な魔力によって構築された彼女の身体は、修の魔法の前には一切の抵抗も許されることなく消えていく。
壊れ、崩れ、奪われ、そして終わる。
白崎 修によってリーベの新たな世界は終わりを告げようとしていた。
人の身を変貌させた魔物としての身体そのものが。
悪意に満ちた世界を壊したいと願う心が。
彼女の覚悟と共に、瞬く間に消滅していく。
だからそのまま、魔物としてのリーベの存在は終わる。
最後に残ったのは、敬愛する者を想う、愛しい感情だけだった――――――
◆
「ふー」
終わった。
眼前に広がる荒廃した大地と、体の中に生じる魔力を感じながら、俺は戦闘の終わりを理解しゆっくりと息を吐いた。
二十メートル程前には、紅髪の女性……情報を統合的に考えるなら、リーベと呼ばれる奴だろう。そいつがだらりと倒れ意識を失っていた。彼女を人外たらしめた角、牙、爪、翼などの諸々は消滅し、人間としてのリーベの姿がそこにはあった。
死ぬほど強力な一撃を浴びせたが、持ち前の治癒能力のおかげか、彼女はなんとか一命を取り止めていた。とはいえ完全に回復するまでには数時間は掛かるだろう……今回は、俺の狙い通りに事が済んだという訳だ。
魔王軍幹部リーベ。
自身を魔物化させ、強力な魔術を行使する存在。
他にも俺が見ていないだけで幾つかの力は持っているだろう。
人の限界を超えた、紛いも無い強敵だった。
「俺が今まで見てきた“人間”の中なら一番強かったよ」
踵を返し、俺は後方に沈むリーベに称賛を残す。
ああ、本当に強かったよ。
久しぶりにこれだけ盛大に魔法を使ってしまった。
「一パーセントも……な」
最後には、そんな言葉も零した。
俺は王城を見上げると、そのまま力強く地を蹴る。
たった一っ跳びで俺は謁見の間にまで飛び上がり、そのまま大穴の中に入った。
すると、そこにいた者達の視線が一身に注がれる。
「倒した……のか?」
一番初めに声をかけてきたのはラルク。彼は恐れをなした表情のまま、震える声で俺にそう尋ねる。
「ああ、アイツの生命力は根こそぎ奪った……けど、なんか生きてる。あと数時間は目覚めないと思うから、捕らえるなり好きにしてくれ。その後の処分なんかもそっちで決めてくれ」
「あ、ああ、分かった……お前達、魔王軍幹部リーベを捕らえ、今すぐ牢獄に閉じ込めろ。魔道具を用い魔力濃度を限界まで下げておくことも忘れるな。あやつから聞き出さねばならぬ情報が山程ある!」
「は、はっ!」
ラルクの指示に従い、騎士達は通常の扉(なんか消滅してるから扉と言うより入口)から外に出ると階下へ向かって行った。別にこの穴から飛び降りればいいと思うんだけど、あいつらは真面目だなぁ。
と、そこで俺は一つの視線に気付く。
金色の長髪をさらりと伸ばす彼女と目が合う。
リリス・ジオ・ルミナリアは、優しく俺に笑いかけていた。
完璧に整えられた美貌に笑みを向けられると、幼い少女だということを忘れ、つい見惚れてしまう。
だから俺はロリコンではない。
「シュウさん……本当に、ありがとうございます。私達を助けてくれて」
「……あー」
そして飾り気のない純粋な言葉をかけてくるもんだから、応答に困ってしまう。
色々と悩んだ結果、何とか俺が思いついたのは……
「悪いな、半年から一年って言ってたのに、帰ってくるまで数時間足らずだった」
王都を出る前にリリスと交わした約束について。
それ聞いたリリスは一瞬だけきょとんとした表情を浮かべ……
「はい、構いません……いえ、とっても嬉しいです」
そう言って、満面の笑みを浮かべてくれた。
「…………」
「あ、あの。シュウさん、これは……?」
はっ! しまった。気が付いた時には俺の手はリリスの頭の上に置かれ、そのまま撫でていた。もしかしたらこいつリーベより魔力あるんじゃないか?
「……っと」
「あっ……」
手をリリスの頭から離しながら、何故か少し悲しそうな表情を浮かべる彼女の奥に、もう一人の少女の姿を確認できた。艶のある黒髪を靡かせ、彼女はそこに立っていた。
黒の双眸は、確かに俺を見据える。
「……逢ヶ瀬」
ゆっくりと歩を進めながら、俺は彼女と向かい合う。
リーベにやられてると聞いてた割には無傷なんだけどこの人。
……まあ、魔法が関係してるんだろうけど。
さて、こうして目の前にやってきたところで、俺が彼女に伝えるべき言葉は残されているのだろうか。
俺は彼女のことを嫌いだと言った。
彼女が願う在り方から一番遠い道を築いてみせた。
そんな俺が彼女に与えられるのは、もう大丈夫だとか、怪我はないかだとか、そんな優しい何かではない。
捻って捻って捻りあげて、ようやく適した想いを絞り出す。
「なあ、今どんな気持ち?」
うっかり、煽ってしまった。
「…………」
どうしよう、逢ヶ瀬の目がすんげぇ冷たい。
暫しの静寂。
それを破ったのは、彼女の静かな声。
「……やっぱり私は、貴方のことが嫌いです」
「……ああ」
既に分かり切っている事柄を、彼女は告げる。
「でも」
――――だけど。
「それでも、貴方に命を救われたのは事実です。私が望んでいたかどうかは関係なく、その現実だけは絶対に変わりません」
ここから先は、予想もしなかった言葉。
「だから……私が貴方に抱く嫌悪感とは別に、これだけは言わないといけないんだと思います」
彼女は――逢ヶ瀬 伶奈は、ほんの少しの笑みを見せた。
それはきっと、悲しみを含まない純粋なもので。
「ありがとうございます――――“白崎さん”」
たったそれだけなのに、どうしたって俺の心を捕らえて離さない。
「……おう」
だから俺も応えるように、最後に小さく呟いた。
次回、エピローグ。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
まだまだ続くので、よろしくお願いします。




