第二十二話 いずれ君と出会う
「助けたい……?」
頭の中で。
口の中で。
心の中で。
何度も反芻するように、彼女の問いを繰り返す。
『そうだよ。その答えを、私は聞きたいの』
想いを整理するよりも先に、急かすように彼女は紡ぐ。
「助けたいかどうかなんて分からない……」
『うん』
「だけど、分かることは一つだけある」
『それは何かな?』
「俺があいつを助ける必要がないってことだよ」
『……へぇ』
機械を隔て、彼女の吐息交じりの相槌が返ってくる。
俺の言葉は彼女の興味を引いたみたいだ。
『どうしてそんな答えになるの?』
「そんなの、決まってるだろ」
それが、俺と彼女の関係だから。
どれだけ自身の感情を吐露したところで、どうしたって最後の一歩を踏み出すことはできない。
だから俺は彼女に自分の想いを伝えられなかったし、彼女も俺に何かを求めることはなかった。
だけど、その関係をあえて言葉に表すなら、きっとこうだ。
「俺はアイツを嫌いで、アイツも俺を嫌いだからだよ」
『………………』
世界のために、自分を犠牲にする少女。
大切な物を守りたいと誓った幼い少女とはきっと違う。
歪で、狂っていて、間違えている贖罪の方法。
俺の決意と交わるはずもない彼女の存在。
それなのに、どうしてかそんな彼女の在り方が俺の心を捕らえて離そうとしない。
「別に俺達はお互いを助け合う様な、仲間意識に溢れた優しさを向け合う関係じゃない。いつだって相手の言葉に納得いかなくて、自分の方が正しいって押し付けたい……その程度のものだって、俺は思うよ」
俺と逢ヶ瀬が今まで歩いてきた道程は似通っているはずだ。
だけど、その先で俺と彼女が抱いた想いは真逆。
それが示すのは、俺達が根本から違う心を持っているということ。
『……君はそんなふうにして、自分に嘘をつくんだね』
「あぁ?」
だというのに、“彼女”はその答えを気に食わないと言った。
苛立ちを含んだ俺の反応に対し、彼女は動揺することなく言葉を紡ぐ。
『本当に大切な物からは目を背ける。
自分の答えが正しいって信じ込もうとする。
ねえ、気づいてる? 君の在り方はね、いつだって矛盾だらけなんだよ』
「お前は、なにを、言って……」
『逃げるなよ、“白崎 修”』
「――――――ッ」
ドクンと、胸が跳ねる。
俺の名前を呼ばれた瞬間、心が激しく揺れ動かされる。
「お前は、一体……」
この声を、俺はどこかで聞いたことがある気がした。
思い出そうとしても思い出せない。
名前を、聞かなけらばならないと思った。
『残念だけど、その回答は今は用意していないの。さっきも言ったよね』
だけど、彼女はそれでも教えてはくれない。
「それでも、俺は……」
『駄目なんだよ。今はまだ、君がそれを知るには早すぎる』
「今は……?」
耳に残る疑問を、俺は再度尋ねる。
『うん、そうだよ。いずれ私は、きっと君に出会う』
名前も知らない。
素性も分からない。
そんな彼女の言葉が嘘ではないと、俺は思った。
『――――さあ、もう時間だね』
言葉にならない感情を抱いている俺に、彼女は紡ぐ。
『最後にもう一度だけ尋ねるね。私が訊きたいのは二つ。君が“彼女”を助けたいかどうか……そして、君が本当に望むものはなんなのか』
考える余裕も与えないと、彼女は畳みかける。
『約束だよ。次に会えた時には、答え合わせをしよう。その時まで、私は君を待っているから』
だから、今はさようなら。
その言葉を最後に、俺の手の中にあるスマートフォンの電源が落ちる。
画面は真っ暗で、数秒前まで映っていた文字や数字を見ることはできない。
呆然とした頭のまま、俺はただひたすらにその画面を眺め続ける。
もう二度と光ることのない、彼女と俺を結んだ世界を。
何も分からない。
分からないことだらけのこの世界で。
消去法のようにして、俺は“彼女”のことを想っていた。
俺が彼女を、助けたい理由なんて――――
そんな、あるはずのない答えを、途方も知れぬ広野に求めた。
◆
何度死んだだろうか。
抵抗も意味はなく、何十回目の魂の消滅が訪れる。
逢ヶ瀬 伶奈と呼ばれる少女は、朦朧とする中で自身の胸を貫く石槍を眺めていた。
死んでいく。
死んでいく。
死んでいく。
体の苦しみなんてどうでもいい。
心に残り続けるこの痛みは、永遠に自分の中に残るものだと知っている。
「――――これでもう、五十回は殺したと思うのだけれど」
艶めかしい声が発されるのを、伶奈の耳は捉える。
数十メートル前方には、慄然と立ちはだかる紅髪の美女がいる。
魔王軍幹部リーベは、驚異的な力を持ってこの場を蹂躙していた。
謁見の魔は既に破壊の様相を示していた。
伶奈によって生じた大穴に加え、リーベの魔術によって壁や天井に至るまでが焦げ焼け、崩れ落ち、穿たれている。部屋としての役割を保っている現状が信じられない程だ。
部屋の端々にはリリス、ラルク、騎士達が倒れている。
救援に入ろうとする度にリーベによって片手間に攻撃され、どこに視線をやっても傷を負っていない者はいなかった。
中でもリリスだけは少しマシなように感じるが。
そしてこの光景の責任があることも、伶奈は理解していた。
先の魔術でリーベを殺し切れなかったのは自分の失敗。
それ以前に、伶奈はリーベを確実に殺すことの出来る威力の魔術を選択することができなかった。
放とうと思えば、使用できたにも拘わらず。
その結果が、今のこれだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
槍を胸から引っこ抜き、身体と魂の再生が始まるのを感じながら伶奈は眼前の敵を見据える。
自分より実力が数段劣っているはずの敵は、しかし笑みを崩すことなく伶奈を見つめる。
「ええ、本当に、祝福者っていうのは面倒な存在だわ。宣言した百回までに、まだ半分も残ってしまっているものね……どれだけ殺せば終わるのかしら」
言いながらも、消沈する様子はない。
当然だ。この三十分弱、ほとんどリーベは傷付くことなく伶奈を圧倒し続けているのだから。
「どれだけ殺しても蘇るだなんて、本当に考えるだけで恐ろしいわ。だけどそれだけじゃ私を殺すことはできないのも事実。貴女の祝福が回復主体で、私としては助かったというところね……さすがに私も真っ向から戦闘特化の祝福者と戦って敵うだなんて思いあがってはいないもの」
リーベはこれまでの戦闘を踏まえた上で伶奈の力を分析する。
伶奈が誰かを殺すことに躊躇しているという条件を考慮すれば、その推測は大方合っていると言ってもいいかもしれない。
だけど本当に考慮しなければならない条件はそれだけではない。
逢ヶ瀬 伶奈は、誰かを殺すことが出来ない。
同時に、彼女にはもう一つのしがらみが存在していた。
それは伶奈の魂が朽ちる度に、幾度となく彼女を束縛する。
その証拠に、最初はリーベの命を奪わない程度に抵抗していた伶奈の動きと魔術の質は、彼女の魂が消滅するごとに衰えていく。
当然、リーベも伶奈の様子には気づいているのだろう。
だからこそ、幾度となく蘇る敵を前にして笑顔を崩さずにいられるのかもしれない。
「くうっ……アイガセ、さんっ!」
不意に、幼い少女の叫びが響く。
向かい合う伶奈とリーベから離れた場所で、リリスは苦しそうに立ち上がっていた。
こんな戦場には似合わない可愛らしい彼女を見ると、伶奈の心に小さな灯が宿る。
自分はまだ戦わなければならない。諦める訳にはいかない。
彼女のような存在を守ることこそ、自分の贖罪なのだから。
しかしそんなことを想ったところで、伶奈にその手段がないことには変わらない。
リーベを殺すことが出来ない彼女は、最期まで粘り続けるしかできない。
それこそ、最後の魂が尽きる瞬間まで。
そうすればもう、背負わずに済むだろうか。
今まで犯した多くの罪を。
ああ、そう考えたら、そんな終わりも悪くないように思えてしまう。
結局のところ、それが逢ヶ瀬 伶奈の在り方なのだ。
命を賭けて誰かを守れるのなら、それで罪が赦される。
その結果本当に死んでしまえたなら、それはそれで罪の意識から解放される。
どんな結果が訪れようとも、伶奈はきっと自分の願いを叶えることが出来る。
心の弱い彼女が最後に張った予防線は、彼女が救われるための身勝手な方法。
「昇華」
虚ろに沈む世界に、声が届く。
リーベの周りには数十の魔物が生まれる。
「どうやらもう、私自ら手を下すことはなくてよさそうね――――いきなさい」
命を摘む物が迫る。
牙を剥き出しに、爪を尖らせ、翼を広げ、四肢に力を振り絞り。
ただその光景を、伶奈は眺める。
もう少し。
もう少しで、私は終われる――――
「【――】」
なのに。
やっと逃れられるはずなのに。
それを邪魔する存在が伶奈の前にはいた。
「あな、たは……」
喉は涸れ、声は掠れる。
言葉にならない呟きを、伶奈は目の前の“彼”に届ける。
「……これは、本当に驚いたわ」
対するリーベも、一切の含みもなく純粋に驚愕を表す。
それも当然だ、あれだけの強力な魔物が瞬き一つの間で消滅していたのだから。
「――――シュウさんっ!」
ただリリスだけは、その少年を見て嬉しそうに顔を綻ばせる。
白崎 修は伶奈に背を向けたまま、ただそこに立っていた。
「どう、して……」
ここにいるのか。
助けに来たのか。
こうして伶奈の前に立っているのか。
それら全てを合わせた問いに、修は振り向くことなく答える。
「考えるに考えたんだ」
ぽろりと漏れるその音は、どこか空虚で。
「やっぱり俺は、どうしてもお前を助けたいだなんて思えない……だってそうだろう、それは俺がお前の在り方を認めるってことで。俺がお前を助けたら、お前はこれからもそんな歪な方法を貫いてしまう」
そして彼はゆっくりと、身体を此方に向ける。
「だからどうしたって、理由は一つしか思いつかなかった」
その目に慈愛の色は一切なく、ただ冷たく睨むだけ。
「逢ヶ瀬 伶奈――――俺がお前を助ける理由は、お前のことが嫌いだからだ」




