第二十話 二人の少女の祝福の名は
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騒音とは一転、世界に静寂が戻る。
唖然、呆然、驚愕。人々の顔にそんな色が灯る。
「やった……のか?」
ラルクは逢ヶ瀬の前に空いた大穴を見ながら、信じられないと小さく零した。
それほどまでに規模と次元が違う戦闘が、目の前で繰り広げられたからだ。
「そ、そんな……ありえん! 冗談ではない! 何をしているリーベ殿! 早く私の元に戻れ!」
ガドリアは、驚愕と焦燥に満ちた表情で大穴を覗きながら全身全霊で階下に向け叫んでいた。自分を守ってくれるはずの存在が消滅したからだろう。
「ッ、アイガセさん、大丈夫ですか!?」
そして最後の一人リリスは、呆然を瞬時に振り払い、一人佇む少女の元へ駆け寄る。
生き返った原因は不明だが、数分前まで死に迫る状態であったことに違いはない。
綺麗に透き通っていた黒髪は、戦闘の影響か乱雑に彼女を纏い、勝利したにも拘わらず未だ悠然と立ち尽くす姿はどこか異様だった。
リリスの心配が的中したのか。
ふらり、と。逢ヶ瀬の体が急に崩れ落ちる。
「――――ッ。治癒を!」
手から滲んだ蒼色の光を発し、逢ヶ瀬の体を包み込む。
しかし、リリスは一つの違和感に気付く。
(怪我を、していない……?)
魔力が一切反応しない。
それは治癒する必要がないのと同義だ。
リーベが言うところの遷移魔力、人としての性質を一から変える最悪の力をその身に受けてどうして無事なのか。いや、そもそもリリスの感覚が正しければ、逢ヶ瀬は彼女の前で二度死んだ。リーベに触れられた二回ともで、魂が消失し間違いなく生涯を終えたのだ。
だけど、今は彼女から非常に強い生命力を感じる。
紛れもなく魂が輝いている。
……祝福が、関係しているのかもしれない。
そうとしか考えられない。
死んだ人間が生き返る程の力など、魔術では不可能なのだから。
しかし今はそんなことはどうでもいい。
ただ、生きていてくれてよかったと、リリスは目の前にいる年上の少女を見ながら微笑んだ。
そしてそのまま、視線を横にずらす。
二人の男性が向かい合うその地点を見る。
「……あぁ、私は……」
だから、逢ヶ瀬が小さく漏らしたその声を聞き逃してしまったのも、きっと仕方がないことだったのだろう。
そこには、国王ラルクとガドリア公爵がいた。
国王ラルクは大穴の手前に立ち、ガドリア公爵は奥でしりもちを付いている。
さらに、ガドリアの背後からはボロボロになった廊下から数十の騎士達が駆けてくるのが見えた。彼らの多くは身体に傷を負っている。救援を送ってから経った時間を考えても、何らかの手段で足止めされていたのかもしれない。
「ガドリア、今から貴様を捕える。それ相応の罪状は覚悟しておけ」
「……ッ、ふざけるな! わ、私の野望がこんなところで途絶えるわけには!」
「この期に及んでまだ抵抗するつもりか?」
既にガドリアの背後には騎士達が辿り着き、身動きの取れないように各々の槍を彼の周りに添えていた。抵抗するにはもう手遅れだ。
「くっ、くそぉぉっ!」
しかし、その状況からもまだガドリアは醜く抗う。
質の低い魔力を身に纏い、槍の穂先に体中を切られながら前方に身を投げ出す。
つまり、逢ヶ瀬の魔術によって出現した大穴に飛び込んだ。
「私はここでは終わらない! 絶対だ! 覚えていろラルク!」
負け惜しみのような笑い声を上げながらガドリアは下へ落ちていく。身体強化さえかけていればこの高さでも死にはしないだろう。
その光景を見て、一番暗い表情を浮かべるのは彼を捕らえていた騎士達だった。
「も、申し訳ありません国王様! まさかガドリア公爵が今のような手段で逃げようとするとは」
「反省は後にしろ! 今すぐ王城周辺を包囲し絶対に逃げられないようにするのだ! ガドリア公爵の実力ならば、問題なく捕らえられ……ッ」
ラルクの言葉が止まる。
その理由はリリスも肌で感じた。
言い知れぬほどの嫌悪感を全身が捉える。
「――――ッ! これは!?」
刹那、空間が震えた。
大地が砕かれたのでもないかと思ったが違う。
轟音と衝撃と、そして最後に光を見た。
破城槌と呼ぶべき程の強大な破壊の光が、遥か下層から現れた。
空を焦がし、城を激震させ、熱波と崩れ散った大理石の破片が全身を叩く。
円柱状の光はそのまま天井をつらぬ――――
「……えっ?」
――――かなかった。
大穴から出現した光が天井に接しようとしたその瞬間、突如としてその先端が数十の光線にへと分裂する。それらはほぼ真逆に方向を変えると、頭上から雨のように降り注いでくる。
そしてその先には逢ヶ瀬と、リリスがいた。
しかし肝心な戦力の要は、先程の戦闘の影響か今も下を向いたままで対応する素振りを見せない。
このままだと自分達は死ぬ。
だから、リリスは反射的に手を翳した。
身体中に残る魔力を絞り出すように集中させる。
彼女は唱える。
彼女の持つ祝福の名を。
「【空間】」
そして、世界の理が崩壊する。
リリスの眼前に現れた白色の巨大な魔術陣は光線の悉くを完全に防ぐ。
天変地異を引き起こしかねない魔力の奔流は彼女の前では無力も同然だった。
触れた部分から一欠片も残さずに光線は消滅していく。
光の矛と、
光の盾と。
二つの衝突は一瞬で盾に軍配が上がった。
当たり前だ。
これが魔術と祝福の違い。
覆ることのない圧倒的な差。
消滅した光線は、きっと今頃遥か彼方のどこかで何かを壊しているのだろう。
体感で数十秒、実際は数秒程度かもしれない。
光の破城槌が姿を消すまでの間、リリスは全力で祝福を使用し続けた。
破城槌の消滅に合わせるようにして、リリスの前に出現していた魔術陣も姿を消し、彼女はそのまま倒れるように両膝を地面につけた。その疲労に見合った行動を、リリスはこの一瞬でして見せたのだ。
しかし、それで全ての脅威が去った訳ではなかった。
否。むしろここからが本当の始まり。
「貴女は……どうして……」
リリスは両手両膝を床につけたまま、見上げるようにして前方を把握する。
そう尋ねる声が震えていることは、彼女自身も気付いていた。
光が収まった大穴の上空。
そこに、一つの人影があった。
紅髪の女性、リーベが、普通に。
「……戦勝ムードのなか申し訳なのだけれど。そろそろ本気で、いかせてもらおうかしら」
口調は流麗なままで。
だけど声色は敵意の満ちたそれに変わっていた。
その事実を噛み締めるまでの数秒を、唖然としながら眺めるしか出来なかったリリス達を、一体誰が責められるだろうか。
逢ヶ瀬によって倒されたと思ったリーベが生存し、増してや今まで本気でなかったなどという言葉を発した。
しかもその言葉を裏付けるように、リーベが保有する魔力の質と量は格段に上昇していた。
いや、というよりむしろこれは……
呆然の中の僅かな思考の時間。
その数秒が彼女達にとって命取りだった。
「ウィド」
リーベを中心に風が舞う。
彼女の周りを囲むようにして吹き荒れる颶風は大気を歪ませ、室内に溢れる瓦礫を吹き飛ばす。
そしてその影響下にあるのは、物だけではなかった。
「くっ!」
「なっ!?」
「うわぁあああ!」
倍々に膨れ上がっていく凶暴な颶風は人さえも巻き込んで巨大化していく。
リーベの背後にいた騎士達、眼前にいたラルク、そしてついにはリリスと逢ヶ瀬にまで及ぶ。
風速百メートルを優に超越する衝撃と回転がリリス達を襲う。
「ッ、アイガセさん!」
それだけの干渉を受けてなお風の流れに巻き込まれないのは、その場にしかと足をつけ立ち止まる逢ヶ瀬のみ。リリスは防衛術式で衝撃のほとんどを消しながらも、移動の力まで拒絶することは出来ず逢ヶ瀬から離されていた。
「貴方達は邪魔ね。興味もないわ」
リーベは逢ヶ瀬に視線を向けたままパチンッと一度だけ大きく指を鳴らす。
途端に円状に移動していた颶風は掻き消え、リリス達は推進力に操られるまま壁や床に叩きつけられていく。
その光景を一瞥もしないまま、リーベは空を強く蹴り逢ヶ瀬に接近する。
驚異的な速度。
リリスの目にはほとんど止まらない速さだった。
気付いた時には逢ヶ瀬の目の前にいた。
「ぐっ……アイガセ、逃げろ!」
「危ないです!」
呻き声をあげながらも、反射的にラルクとリリスの両名は逢ヶ瀬に向けそう叫んだ。
彼女なら対応できる程度だとは分かっている。それでも叫ばずにはいられなかった。
だけど、そんなリリスの予想は外れる。
「へぇ……」
ぐちゅり、という嫌な音の後に場に轟いたのはリーベの驚嘆だった。
だけどそれは、決して逢ヶ瀬の反撃がリーベに届いたからではなかった。
むしろ、その逆。
「どう、して……」
目を大きく見開き、口もぽかんと開けたままリリスは思わず呟く。
それほどまでに、その光景は納得しがたいものだったから。
リーベの右手が、逢ヶ瀬の心臓を貫いていた。
「ぐっ、はっ……」
逢ヶ瀬の口と胸から血が噴き出る。
同時に、三度目となる魂の消滅が始まる。
「はぁッ」
それだけの負傷に拘わらず、逢ヶ瀬は追撃を避けるように後方に飛び去る。
そして今日三度目の奇跡が始まる。
血に溢れ風穴になっていたはずの胸は瞬時に再生を開始。
同時に、抜け落ちていった魂が何者かによって補充されるが如く蘇っていく。
そう、死者の身体と魂の蘇生が行われているのだ。
「魂を滅ぼしても駄目、死に至る大怪我を与えても無意味、ね」
その光景を眺めながら、リーベは冷静に状況を分析していた。
「そう、なるほどね。つまり貴女の祝福は命に関わる何か。貴女自身を殺したと思っても、すぐさま傷や魂を癒し再生してしまう……今のところ際限は不明、と言ったところかしら」
リーベは顔に付着した血を艶めかしい舌使いで舐め取りながら、黒の双眸を細めて逢ヶ瀬を射抜く。
対する逢ヶ瀬は右手で胸を押さえながら、意思を感じさせない淀んだ瞳でリーベを見つめ返す。
そんな状態の中、リーベは告げた。
「じゃあ手始めに。貴女、百回ほど死んでもらえるかしら?」




