第十二話 彼女はきっと嫌われたかった
◇
あの話し合いから数時間後。
俺はここ数日サボり気味だった習慣を思い出し、王城の背後に存在するフェイルの魔樹林に来ていた。
月光程度の明るさで視界も不鮮明。
周囲を高い樹木で囲まれ、濃い緑の葉は闇に紛れる。
足を踏み締めるには少し柔らかい大地に、腐葉土独特の臭いが鼻腔を刺激する。
「ふー」
目を閉じ一度だけ長く息を吹き出す。
全身に渡る魔力に神経を総動員し、僅かな感覚のブレさえ許さない。
「よし」
目を開ける。
視線を奥に。焦点を三百メートル先に合わせる。
3秒で辿り着けるだけの動きで。
目標を認識すると、俺は右手で優しく掴んだスマホに軽く触れた。
「――――――――」
駆ける。
ぬかるみ足を取られそうな地面を蹴り、真っ直ぐではなく木々の隙間を縫うようにして大地を駆ける。
途中にある大樹の幹を腕で、脚で、体で捉え立体的な動きで空を駆ける。
ついでに大気を蹴り駆ける。
精密に、繊細に、されど大胆に。
身体能力を最大限まで調整し、大気を歪ませながら進む。
「――――ッ」
到着。
音を立てず停止。
俺はそのままスマホの画面を見る。
此方の世界に来てから使い道のないように思えたスマホだったが、今回のように時間を測りたい時などには役に立つ。尤も既に充電は30%を切っているが。
「2.8秒……」
目標より0.2秒も早い。
失敗だ。ダメダメだ。誤差が大きすぎる。
この世界の魔力濃度の高さによって魔力行使に誤差が生じてしまう。
「……もう一度」
繰り返す。繰り返す。繰り返す。
何度も何度も何度も何度も。
大切な瞬間に間違えないように。
俺の力は、絶対に取り返しのつかないものだから。
一時間ほど経っただろうか、ようやくこの世界の魔力がこの体に馴染んでくる。
普段は週一で行っていた魔力行使特訓だが、ここでは少し頻度を上げる必要があるかもしれない。
と、そこで俺はある一人の存在に気が付いた。
六十メートル先、特訓に使っていた場所から離れたところにある樹木の隙間から窺える、月夜によって照らされ、幻想的な雰囲気を醸し出す美しい金髪。自身の内部にのみ神経を研ぎ澄ましていたとはいえ、この距離で気付かなかったのは反省すべきだ。
そんなことを考えながら、俺はこの数日間で見知った中となった彼女の元に足を進めた。
「よう、リリス」
「はい、シュウさん」
当然だが、そこにいたのは百四十程の背丈しかない幼い少女リリス。清澄で広大な海を閉じ込めたかのように輝く碧眼で俺を見つめながら、絢爛たる白銀の礼装の裾を掴みながら微笑む彼女は、まさに絶世の美少女と呼ぶに相応しい容姿をしていた。
公務用の服装で護衛も付けず、リリスは何故ここに、そしてどれだけ前からいたのだろうか。
「いつから見てたんだ?」
とりあえず当たり障りない後者から尋ねることにする。
「三十分くらい前からです」
「結構前からだな」
「はい。窓からシュウさんの姿が見えて、話したいことがあったからつい来てしまったんですけど、珍しく真剣な様子でしたから声をかけづらくて」
「いやいや俺は常に真面目で真剣だぞ」
「え……?」
おい、何でそこで驚いた表情をする。同意するところだろ。
俺に反抗的なのは逢ヶ瀬さんだけで間に合ってます。
「なんて、冗談ですよ」
嫌そうな顔をした俺を見たリリスが、ふふっと、手を口元にあてながら優しく笑う。
こんな笑みを浮かべる者が同級生にいたら一瞬で惚れるレベルだ。
まあ俺は十八歳だし当然そんなことはない。
いやだから俺はロリコンじゃない。
「シュウさんが真面目な人なのは、少し話しただけで分かりました」
一人心の中でノリツッコミしていると、いつの間にか話が進行している。
彼女は小さく微笑みながらも、表情を真剣なものに変えていく。
「だから私は、誤魔化したくないと思ったんです」
そしてリリスは、俺が尋ねるまでもなくここに来た目的を教えてくれた。
「…………」
誤魔化すとは、何のことなのか。
実を言うと、その心当たりはあった。
「さっきの、話し合いでのことか?」
「……はい」
まあ、そうだろうな。
俺がラルクとリリスに、この国と魔王軍には関係があるのかと尋ねたときの反応はあまりにも露骨すぎた。ラルクさんが必死に弁解しようとしている中で、リリスは一人震えるだけだった。
つまりそれは、リリスにとって身に覚えがあることなのだろう。
「お父様は、あの噂については誤解だと説明しました……だけどっ、実際の話、国民達がそう言うのにはある事情があって――――」
「別に言わなくていい」
「――――えっ?」
覚悟を決め意思を振り絞り、俺に何かを伝えようとするリリス。
だけど俺はその気持ちを真正面から否定した。
リリスは口をぽかんと開けて驚きながらも、はっと我に返ったかのように口を動かす。
「どうして、ですか?」
「いや、別に何があったかとか興味ないし……」
「でも、それだと私はシュウさんに……隠し事を、することになってしまいます」
「…………」
あの魔物襲撃事件の日以降、俺のことを下の名前で呼び好意的に接してくれている。
だけど、はっきり言って俺達はまだ心の内を全て打ち明け合う関係じゃない。
だから、別に。
そんな泣きそうな顔をしてまで教えてほしいとは思わない。
本人に直接それを伝えようとは思わないが。
瞳を僅かに潤ませながら、リリスは俺の返事待つように見上げる。
「……二つ、聞かせてくれ」
だから俺は代替案としてそれを告げた。
「……はい」
リリスは厳かに、まるで裁判の判決を待つかのような表情で頷く。
「一つ。リリス、お前は本当に魔王軍に協力しているのか?」
「……私の意思では、していないと断言できます」
……私の意思では、か。
まあいい。本題はこっちだ。
「二つ。リリス、お前は言ったよな。この世界には守りたいものがあるんだって。それは、王都でお前達を侮辱するような話をしていた奴らも当てはまるのか?」
「――――――はい」
「ッ」
迷うことなく断言。
一瞬も躊躇することなく、リリスはその意思を言い切った。
「……やっぱり、お前変わってるな」
「いえ、シュウさんには敵いません」
「お前ついさっき俺のこと真面目って言ってただろ」
「ふふっ、忘れちゃいました」
そう言って、リリスは笑う。
俺の意思によって、リリスはここに来た目的を果たせないことになってしまったろうに、彼女は笑っていた。
不意に、冷たい風が闇夜に吹く。
修練によって汗をかいていた俺の身体は収縮し、その影響をもろに受けていた。
「身体が冷えてきたな。よし、さっさと戻って風呂にでも入るか」
「はい、そうですね。私もそろそろお風呂に入って睡眠を……って一緒には入りませんよ!?」
「想像力豊かすぎるだろ……」
俺とリリスは談笑しながら、森を抜け王城を目指す。
先程までの真面目な話とは違い、基本的にはリリス主導でとりとめのない会話が続いていく。
歩く途中、ふと頭上から威圧的なオーラを感じた。
反射的に顔を上げ木々の隙間から違和感の元を探る。すると遥か数十メートル高く、俺が数日前にいたバルコニーとは逆側にあるその場所に、一つの人影があった。
人影というか逢ヶ瀬は、俺と目線がぶつかるなり物凄く嫌そうな顔をしていた。
全く訳が分からなかった。
なんだあいつ。
目的変更。
風呂の前に乗り込んでやる。




