第九話 世界最強クラスの魔物、つまり雑魚
「シラサキさん……?」
眼前の出来事に呆気にとられたような表情のままリリスは彼の姿を視界に収める。
無造作に切られた乱雑な黒髪に、少し切れ長の目つきは悪い。
彼が好みで選んだらしい、ゆったりとした服装に包まれていても分かる程に鍛えられた肉体。
白崎 修は至極当然と突っ立っていた。
「どうして、ここに?」
リリスは冷静に状況を把握しようと努める。
修は何故ここにいるのだろうか。救援を要請したのはほんの少し前、時間にすると一分たりとも経っていない。
もしかして彼は今回の作戦に参加を途中で止め、王都付近で滞在していたのでは?
「いや、お前達が呼んだんだろ? 助けをよこせって」
リリスの頭に浮かんだ常識的な解答は一瞬で否定されてしまう。
となると彼は本当に砦からこの距離を移動してきたと言うのか?
「グルルゥゥゥ」
刹那、獣が低く吠える音が木霊する。
ゆっくりと会話している余裕はない。
修の体の向きの前方に視線を送ると、そこには破砕された王城の壁と、その前に慄然と佇み存在を主張する四肢で踏ん張る巨大な体躯があった。左前脚の付け根部分が酷く変形しているが怯む様子は一切ない……あの負傷は、修の攻撃によって付けられたのだろうか。
「ん? 思ったより頑丈だな」
身構える騎士達とは裏腹、その姿を見た修は悠々自適と口にする。
それは決して強敵を前にした時の態度ではない。
反抗的な子供をあしらう様な、そんな次元の違う素振りを見せる。
しかし修はやってきたタイミングから考えても知らないことが一つある。
それはあの魔物の、瞬きした一瞬で距離を詰めてくる巨体からは想像できない動きの速さ。
「シラサキさんっ!」
それを伝えようと声を荒げるリリス。
しかし――――
「ガルゥッ!」
言葉にするよりも早く、魔物は行動を開始し、
「近い」
パンッ、と。
小気味良い高い音を鳴らし、魔物が修の目の前に現れたと思った次の瞬間には空間を吹き飛んでいた。全力投球された岩石のような速度と迫力で。
魔物は修に腹を見せる形で吹き飛び、顔面は背後に仰け反っていた。
そこでようやくリリスは、修が魔物を殴り飛ばしたのだということに気付けた。
唖然とする室内の人々の様子を気にする訳でもなく、修は静かにその光景を眺める。
「体長六メートル弱、重量は一トン越え。反射速度・耐久度・破壊力全て超高位、第一級災害指定妖魔に比べても上々、世界中から序列二桁クラスの魔術師を三十人程度集めて討伐出来るくらいだな」
つまり雑魚か。
最後にそう呟くと、修の目が据わった。
空を舞う巨体が激しく地面に叩き付けられる。
瞬時に態勢を整えようとしているが、先程の攻防を見る限りその後いかなる攻撃を繰り出そうとも接近戦で修に敵うようには思えない。
魔術の一つも利用せず、国家を脅かすほどの強敵を圧倒する勇者の存在に、気が付けば誰もが期待を抱き勝利を疑おうとはしない。
……魔術?
リリスが疑問を抱いたのと、魔物の歪んだ顔が膨れ上がるのは同時だった。
そうだ、接近戦で敵わなくとも、魔物には他の手段がある。
「気を付けてください! 魔術です!」
リリスの叫びと、魔物の口から猛火が吐き出されたのは同時だった。
人を容易く呑み込めるだけの大きさの炎が修に向かって放たれる。
しかし修はそれを躱そうとはしない。
その理由は考えるまでもなかった……炎の直線上には、修の後ろに自分がいた。
しまった。
修に警告するよりも先に自分の安全を確保するべきだった。
躱せばリリスが巻き込まれると考えているのか彼はそこから一歩も動こうとはしない。
このタイミングなら祝福の使用が間に合うが、修がそれを知っている訳がない。
「シラサ――――シュウさん!」
だから叫んだ。
躱してほしいと。
自分の身を守ってほしいと。
だけどそんなリリスの願いを掻き消すかのように、その炎はいとも簡単に修の体を呑み込んだ。
「あ…………」
期待を裏切られた絶望が室内に充満する。
火達磨になり、もう姿も見えない勇者の生存を誰もが疑った。
すぐ目の前の炎から激しい熱波が届く。
直接触れてもいないにも関わらず身が焦げ焼け落ちそうになる程の熱量を浴び生きられる者がいるのだろうか。
呆然と、その結果をリリスは眺める。
ふとここで一つの違和感に気づいた。
炎が……黒い?
眼前の赤い火達磨が、徐々に黒色に変色していく。
いや、色が変わったというよりは、むしろ黒の焔が猛火を侵食しているかのような光景だ。
「悪いけど」
疑問に追い打ちをかけるように、燃え盛る炎の中心から聞こえたのは青年の声だった。
抑揚もなく感情の込められていない、聞く者に哀愁のような不思議な感覚を与える静かな声。
金をも容易に溶かしてしまいそうな炎が、徐々にその勢いを衰えさせていく。
そしてその中から現れたのは、服に汚れ一つすらついていない修の姿。
一瞬だけ黒い靄のような物が見えた気がしたが、リリスはそれについて考えている余裕はなかった。
「俺に魔術は通じない」
そう言って、修は悠然と歩を進める。
隙だらけに見えるその有り様に対して、何故か魔物は恐れをなしたように身をすくめ自分に迫る敵をただただ見守る。
魔物の目の前に辿り着いた修は、おもむろに手を振り上げた。
「終わりだ」
耳を劈くような轟音と共に、魔物の体は一瞬で破裂した。
膨大な体積が数十、数百の破片に分裂し辺り一帯に拡散する。
そしてその全てが床に辿り着くよりも前に、形作っていた部位達は魔力にへと形態を戻し消失していく。
そんな風にして、白崎 修による魔物の討伐が終わりを告げた。
◆
正直焦った。
救援を求められて来たのはいいけど、玉座の間に入った時に目の前にあったのはリリスが魔物に襲われる姿。あと数秒遅れていたら彼女がどうなっていたのか分からない。何らかの防衛手段があったのかもしれないから一概には言えないが。
既に目の前から消え去った魔物を思い出す。
相当な強敵だった。元の世界に現れたら数万人の被害は覚悟しなければならないレベルだ。
ちなみ魔物は討伐され構成要素を失えば勝手に消滅する。というか魔力に戻る。
疲れた疲れた。砦からここまで秒速一キロ以上で飛ばしてきたのだ。久々の魔力行使は身に疲労とダメージを与える。
そんなことを考えながら周りを見渡すと、皆が信じられない者を見るような目で此方を見ていた。何だろう、もしかして俺が蹴り飛ばした魔物によって破壊された壁の修繕費を求められたり? 冗談だろ?
呆然とする彼らだったが、一番早く我に返ったのはさすがの国王らしく、彼は俺の元に駆け寄る。しかし歓喜ではなく焦った表情のまま。
「シラサキ シュウ、汝に私達は助けられた。感謝は惜しまない。しかしまだ王城の周りには数百の魔物がいる! 申し訳ないが、あと少しだけ手伝ってはくれぬか!?」
どうやらその理由は、まだ彼がこの場に危機が迫っていると思っているかららしい。
「ああ、それなら」
俺がその言葉に応えようとしていると、バンッ! と大きな音を立てて部屋の扉が開かれる。そこには汗を流し息も絶え絶えになった騎士の姿があった。
「国王陛下、報告を! 王城を囲むようにして現れた魔物の大群が、突如として姿を消しました! 騎士達は皆その直前に黒い影のような物を目撃しているらしく、詳細は不明ですが魔物の撃退には成功しました!」
その報告を聞いた国王は驚愕に呑まれた表情を見せた後、再び俺の方向に視線を向ける。その原因を俺は知っているのではないかと疑っているのだろう、正解。
「外にいた魔物なら、ここに来る前に全部倒してきた」
一秒もかからなかったな。
加えてそう零すと、国王は間抜けに口を開き威厳を感じさせないただのおっさんになっていた。
唖然。そんな空気が部屋中に轟く。
無言と驚愕に支配された状況の中、俺に駆け寄るのは美しい金色の髪を靡かせる幼い少女。
「……シュウさん、私達を助けていただいて、本当にありがとうございます」
リリスのその感謝の言葉を聞き、俺は右手で頭をかきながら頷く。
「まあ、約束したからな」
というかそんなことよりも、リリスが俺を下の名前で呼んでいるんだが。
これはどういう意味を示しているのか確かめる必要が大いにありそうだ。




