第三十話 蒼穹に星は瞬く
◆
ルミナリア王国、王都ルミナダ。
その中心にある大広場の時計塔の下に、二人の青年少女がいた。
見栄えのいい純白の鎧に身を包み、白銀の髪と金色の瞳を持つ青年はレイ。
隣に座る、目を閉じながら何かを力強く握りしめる、金糸の少女はリリス。
この場を待ち受けていたと言うように盛り上がる民衆が二人を取り囲む。
目に見える範囲だけで数は優に数千を超えている。
あまりにも歪な光景と称する他なかった。
『これより、ルミナリア王国第一王女、リリス・ジオ・ルミナリアに対する処罰を決行する』
割れんばかりの歓声がレイに向けられる。
リリスの存在が世界に災厄を齎していると、馬鹿正直に信じている者達の哀れな姿。
――そう断じることができたなら、リリスの心はいくらか救われたろうか。
だが、その仮定は無意味だ。
何故なら、そこに辿り着いた道筋は違うとはいえ、リリスが魔王軍の力になっているという推測は紛れもない真実なのだから。ただでさえ単独で国家数個を相手取れる力を誇る魔王に与えられたのが、世界最強の祝福者ともいわれた金魅の最強の祝福――絶対固定。
不意に、リリスの脳裏にあの日の光景が蘇る。
三年前の、ひび割れながらも何とか守ってきた全てが脆くも崩れ去った瞬間。
魔王討伐のための協力を約束する調印の儀。エルトリア帝国の帝城内の、儀式用の広間から少し離れた廊下での、這いつくばる姿勢から見上げるように目にした光景。リリスと同様に地に這う、美しい純白の長髪を地に垂らす少女。リリスとその少女の前には黒のコートに身を包む男性が一人。そしてリリス達を守るように間に立ちはだかる白銀の髪を持つ少年がいた。
少年の手から世界を統べる剣の光が瞬く。
――が、男性の身には届かない。目に見えない力が彼を守る。
同時に、リリスの身体から急激に魔力が消えていく。
意識も少しずつ薄れていく。
その後のことは覚えていないけれど。
男性――魔王が使ったその力の源がリリスのものであるということ、そして自分と彼の間に一つの契約線が結ばれているということだけは、朧げに理解できた。
そしてそれから、時は呆気なく流れていく。
エルトリア帝国の祝福者が死んだこと。
新たにレイが祝福者として魔王軍と戦い始めたこと。
その裏側で、リリスは何一つ魔王軍との戦いに貢献できなかったこと。
様々な出来事がありその責任を追及されつつも、まるでリリスは世界から隔絶されたように、何もできないまま日々を過ごす。
(私は、どうすればよかったのでしょうか)
ずっと、ずっと一人で。
頼れる人なんかいなくて。
父に頼ることも出来ない。
一国の王が、娘のためという私情だけで動くわけにはいかない。
世界のためにできる何かを考えても答えはでない。
リリスは祝福者であっても、戦う力を持たない。
誰かの命を奪う覚悟だってできていない。
どこまでも無力で無意味な存在。
いや、それどころか、魔王の力になっている以上、リリスは世界にとって害悪でしかないのだ。
全てはこの魂に刻まれた契約のせいだ。
この契約を恨み、どうにかして断ち切る手段を考える。
それこそが今のリリスにすべきことで、世界のためになる行動だったはずだ。
だけどリリスは、その選択肢を選ぶことができなかった。
その理由だって分かっていた。
自分から無遠慮に魔力を奪い、世界に災厄を齎す原因となっている契約。
それをどうしても、リリスは嫌うことができなかった。
いや、違う――リリスはその契約に愛着すら抱いていた。
心のどこかで、契約を失いたくないと思っていたのだ。
何でそんな風に思うのかなんて分からない。
だけどそれは、きっと、いつの日か誓った大切なもので――――
自己嫌悪は増していく。
自分の意思が間違ってることなんて分かっている。
だからずっと、ずっと願っている。
この罪の意識から解放してくれる機会を。
そうしてくれる誰かを。
世界のために、迷うことなくリリスを殺してくれる、そんな存在を――――
そして、白崎 修という存在に出会ったんだ。
思わず、手に力が入る。
その中にある物の形がじかに分かる。
ああ、その姿をこの目に見たくて、ゆっくりと手を開いていく。
そこにあるのは、リリスの小さな手の中に収まる指輪。
安っぽい蒼色の宝石が埋め込まれている。
リリスが望めば、きっとこの数百倍の値段の物が簡単に手に入るだろう。
けれどリリスにとって、安くてもこちらの方が数百倍価値ある物だった。
だってこれは、彼女が彼からもらった唯一の物だから。
思わず複雑な感情がこもった笑みが零れてしまう。
白崎 修。
異世界の祝福者で、とても不思議な青年。
圧倒的な実力を持ちながら、それを世界を救うために使おうとはしてくれない。
そうかと思えば、重要な場面には必ず現れてどんな強敵でも簡単に倒してしまう。
いつだって、リリスのことを助けてくれる。
そしてにやりと不遜に笑いかけてくれるんだ。
ずっと、否定されてばかりだったから。
リリスにとって、彼女を彼女として優しさを向けてくれる存在は初めてだった。
ソラや伶奈は、どこか自分の中にある信念と向かい合っている気がしたから。
そんな中、修だけはリリスのことを一番に見てくれていた。
そしてそれが、とてもとても嬉しかったんだ。
彼と一緒にいるときだけは、色々な悲しいこと、忘れられる気がしたんだ。
彼のことを知らないまま。
身勝手に自分の理想を押し付けてしまった。
それが偽物だと分かったのはいつだっただろうか。
彼がリリスを瞳を見る奥に、彼女ではない誰かがいることに気付けたのは。
修とリーベが戦っているとき。
修とソラが話し合っているとき。
様々な状況の積み重ねによって、リリスはそれを知った。
知ったときに真っ先に感じたのは、悲しさや寂しさではなかった。
――――ああ、やっぱりそうだったんだ。
そんな、諦観にも似た納得感だった。
初めから分かっていたことだ。
世界から嫌われた自分を愛してくれる人なんかいない。
それを改めて突き付けられただけなんだ。
だけど別に、それでも構わない。
だって、偽物でもよかったんだ。
修がリリスを別の誰かの代わりにしてるとしても、彼が自分に優しさを向けていることには変わらない。
それがとても嬉しかったから、それだけで救われる気がしたから。
彼の隣にいられるなら、その過程なんてどうでもよかったから。
(シュウさん……)
初めて名前呼んだとき、緊張したな。
頭を撫でられたとき、気持ち良かったな。
助けに来てもらえたとき、嬉しかったな。
何気ない気遣いに、心が満たされたんだよ。
貴方が私に指輪をくれたとき、一生大切にしようって思えたんだよ。
ずっとこんな日々が続けばいいって、心から願ったんだよ。
けどね。
そんな願いは、長くは続かないものだから。
『行くな、リリス。アイツと戦うことになろうと、世界を壊すことになろうと――君だけは、俺が守ってみせるから』
その言葉を聞いて、思い出したんだ。
いつの日か、私は。
世界のために自分を殺してくれる存在を、求めたんじゃなかったかって。
私はシュウさんのことが大切で。
けどそれと同じくらいにこの世界のことが大好きなんだ。
世界のために、いつかこの命を犠牲にしなくちゃいけないことは知っていた。
それにね、シュウさんの必死な表情を見て分かったんだ。
その願いこそが、私を別の誰かの代わりとして扱っていた理由なんだって。
きっと貴方はその大切な誰かのために、この世界を壊したいんだって。
なら。
もしその願いが叶えば、私達はどうなるんだろう?
シュウさんが私達の関係が偽物だと気付いたとき。
願いを叶え、私を誰かの代わりに扱う必要がなくなったとき。
私の存在は不要だって、そう言われるんだろうか。
(嫌だな……それは)
ずっと彼と一緒にいたい。
だけどそれは叶わない。
きっといつか、私はシュウさんに拒絶される。
見捨てられるのは嫌だ、怖いんだ。
だから、そうなる前に切り離すんだ。
大切だからこそ、離れたくなったんだ。
全部が偽物だったってことにすれば、本物なんてなかったってことにすれば。
悲しむ必要なんてなくなるはずだから。
悲しみの涙は流さない。
そう決めた。
だからもう。
彼と離れることも。
死ぬことだって怖くない。
レイによる長口上がようやく終わる。
リリスが処罰――処刑されるに至る罪を語り終えたのだ。
どれもこれも、推測や疑いの範囲でしかない理由。
尤もリリスにとって、そんなものはどうでもよかった。
やっと世界のために死ねる、ただそれだけを思っていた。
「リリス王女、心の準備はよろしいですか?」
小さな声で、レイの金色の瞳がリリスを射抜く。
気のせいでなければ、その目は少しだけ揺らいでいる気がする。
その姿を見た瞬間、リリスは小さく笑いそうになる自分に気付いた。
「はい、大丈夫です。殿下に全てを押し付けるようで申し訳ありません……後のことをお願いしても、よろしいでしょうか?」
いまから死んでいく者とは思えない発言に、レイは目を大きく見開く。
だがすぐにその目を閉じると、数秒の葛藤の末しっかりと開いた。
「ええ、もちろん」
リリスの意図が正しく伝わったのだろう。
レイは真剣な表情で首を縦に振る。
リリスには分かっていた――レイが本当の意味で、リリスが魔王軍と契約で繋がっていることを理解していると。
だってあの日、あの場所にはこの青年もいたのだから。
リリスの祝福を利用する魔王の前に敗北した少年は、彼に他ならないのだから。
魔王を倒すためにはリリスの存在が邪魔でしかないことを、レイは知っているのだ。だからこそ、彼はこうしてリリスを殺すにふさわしい状況を作り出した。それを恨むつもりはない。本当は、リリスが自分でその道を選ばなければならなかったはずなのだから。
レイは自らその罪を背負ってみせようとしているだけ。
リリスを精神的に追い詰め、自害に持っていくことも彼にならできただろう。
それでも、レイはこの道を選んだ。
本当は裏で何かを企んでいるだなんてとんでもない。
彼は言葉通りの意味で、世界を救うために行動しているのだ。
間違えているのは、悪なのは、どこからどう見てもリリスの方だ。
それに抗うだなんて、まさに世界に逆らう行為でしかないんだ。
「目を、お瞑りください」
レイがそっと騎士剣を抜く。
純白の刃が陽光に当てられ輝く。
彼の腕ならきっと、痛みもなく果たしてくれるだろう。
彼の指示に従い、リリスは静かに目を閉じる。
視界が暗闇に染まり何も見えない。
唯一分かる存在は、手に握る指輪だけだ。
心残りはあったかな。
伝え忘れたことはないかな。
ああ、いっぱいある、山ほどある。
貴方に、言いたかったこと、もっとたくさん。
私は、まだ、シュウさんに、何も――――!
風切り音が響く。
それは、頭上高くから剣が振り下ろされる、そんな音だった。
……………………どうして、なんですか?
私は、拒絶したんですよ?
あんなに優しくしてもらえたのに。
全部全部偽物だなんて言って。
貴方と私が過ごした時間を全部否定して。
それなのに、どうして、貴方は。
「――――君は」
隣の青年につられるように、リリスは目を開ける。
レイが持っている騎士剣は刃を完全に失っていた。
そして、辺りに漂う黒い焔の残滓が自身の存在を主張する。
そっと、リリスは空高く視線を上げる。
眩い光が視界を覆い、けれど必死に耐えながらその存在を見上げた。
光は陽光によるものなのか、それともそこにいる青年によるものだったのか。
「リリス」
時計塔の天辺。
吸い込まれそうになるほどに広い青空の中に、彼はいた。
「俺はお前に何て言われようと、お前を救うよ」
――――白崎 修は、そう告げた。
次回
第三章『第三十一話 答え』




