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誰かが嫌った世界の終わりはすぐそばに 序

 世界は今日も偽りの幸福を抱きながら廻り続ける。


 臆病者の恐怖も。

 不幸者の絶望も。

 失敗者の後悔も。


 それら全ての薄汚さを隠すように、優しい言葉で自らの欠陥を覆いつくす。

 この世界に生きる者たちのほとんどがそのことに一切の疑問を抱かないまま、幸福を享受し無意識に他者の不幸から目を逸らす。

 まるで自分の幸せだけが、この世界の全てだと言いたげに。


 生まれた時から未来は決まっていて。

 決意した時には既に手遅れで。

 終わってしまった何かに縋り、今日も誰かは始まらない明日を求める。


 虚偽と不信と瞞着と、

 不条理と理不尽に溢れた世界。


 大切な誰かが幸せになることのない世界。

 ならきっと、そんな世界は壊れてしまった方がいい。


 俺は今でも、そう願い続けている。



 ◇



「ねえねえお兄ちゃん、一人でさっきから何してるの?」


 不意に柔らかな声に鼓膜を揺らされ、それによって自分の意識が現実に戻ってくるのを感じる。覚醒したての脳は小さな響きによって微かに揺らされ、控えめな頭痛が襲ってくる。耐えられない痛みではないので気にせずに視界を開けると、目の前には中学生程の見た目の少女が不思議そうな表情で俺を見つめていた。


 幸か不幸か……個人的には不幸説を強く推しているのだが、それはともかく俺はコイツのことを知っていた。


「またお前か」


 綺麗な黒髪を肩甲骨まで伸ばし二つ結びにしている可愛らしい少女は、つい最近から俺の周りに現れるようになった。彼女が俺に纏わりつく理由は不明であり聞いても常に誑かされる。なんなら名前すら教えてもらっていない。会うのは既に五回目くらいだというのにだ。やっぱり俺コイツのこと知らねぇわ。


 さらにこの少女にしても、こっちはこっちで初対面から俺のことをお兄ちゃん呼びするし、もしかするとコイツも俺の名前を知らない可能性まである。いきなりお兄ちゃんとか呼ぶのほんとやめてほしい。シスコンになったらどう責任を取ってくれるんだか。俺には妹はいないんだぞ。それともお前が妹になってくれるのかコラ。


「……今、変なこと考えてるでしょ」


「考えてない」


「うそだー!」


「嘘じゃない、てかほんとお前誰だよ」


「……全人類の妹だよ!」


 どうやら俺には妹が出来たらしい。


「で、何の用なんだ?」


「ん? 用っていうか、お兄ちゃんが目を瞑って変な表情のまま歩いてたから、何をしているのかなーと思って! ていうかさっきも聞いたよ、ちゃんと人の質問には答えてよね」


「俺の質問にはほとんど答えないくせによく言えたなその台詞」


 呆れを通り越して感服してしまう。何ともまあふざけた存在か。どうしてこんな奴が俺のような真面目で冗談も通じない天才的な優等生に話しかけてくるのか理解できない。やはり俺から溢れ出る魅力を感じたのだろうか。


「また変なこと考えてるでしょ」


「考えてない」


「うそだ!」


「嘘じゃない」


「……まあいいや。で、何してたの?」


 どこか釈然としないが、経験上ここで答えないとコイツは求めている答えを得るまで粘り続けるだろう。そちらの方が面倒だと理解した俺は静かに先程のことを思い出そうとする。


「夢を見てたんだ」


「夢?」


「ああ、昔のことをちょっとな」


 そうだ、思い出した。それはあの日のこと。俺が本当の意味でこの世界を嫌い――そして、壊れてしまえばいいと願ったときのことだ。


 酷い耳鳴りがする。頭の中を掻き混ぜられたかのような不快な頭痛と吐き気がする。心拍数は上昇し脈拍も乱れてしまう。あの日から今日までこれだけの時間が経ってなお、少し思い出しただけでこの有り様だ。笑えない現実に笑えてくる。


 そんな俺の様子が不自然だったのか、少女にしては珍しく心配そうな表情を浮かべ慈しむように此方を見つめていた。


「歩きながら夢を見るなんて……お兄ちゃん、ちょっと器用過ぎない?」


 と思ったが、少女が気になった部分は全然違ったらしい。


 いや、確かに考えてみればなかなか高難易度な行為を俺は実行していたらしい。しかも俺と少女は現在、俺が通う住福高校に向かうまでの道にある大きな交差点の手前まで差し掛かっていた。


 早朝なのに交通量は非常に多く、年に数回、死者が出ない程度の小規模な交通事故が発生するような危険な場所だ。彼女が話しかけてくれなければ、俺はうっかり信号を無視して道路を渡ってしまい、迫ってきた車を吹き飛ばしていたかもしれない。心の中で小さく礼を言っておく。


「まあ、それはあれだ、趣味だ」


「変な趣味だね」


 しつこく何度も訊いてきた割には少女にとって大して興味のある話題ではなかったのだろう。その言葉によって会話は途切れ二人の間を静かな空気が支配する。


 信号が青に変わる。

 横断歩道を渡った先にある坂道を数分歩けば、目的地に到着する。


 車道を抜け坂道に足を踏み入れる。そのまま少女は数十歩程の距離を共に歩いた後、ふと思い出したかのようにパンッと手を叩いた。


「そうだ! 私も自分の学校に行かないと!」


「アホだろお前」


 そんなこと忘れるなよ。服装がカーディガンにスカートといったシンプルな私服で、さらにあまりにも自然に俺に付いてきていたため、俺も特に注意しようとは思わなかったわけだが。


「えへへ、ごめんねお兄ちゃん、埋め合わせはまた今度するから!」


「いやもう来んなよ」


 別にそんなこと頼んでいない。そもそも俺は彼女に対して何一つとして望みを抱いてなどいない。金輪際目の前に現れなくなってくれる方が助かるくらいだ。


「それはやだ」


 だと言うのに、

 その少女にとって、どうやらそれは受け入れがたい内容だったらしい。


 少女は真っ直ぐな赤い瞳で瞳で俺を見つめる。

 濁りを一切感じさせない透き通ったその眼に思わず固唾を飲み込む。彼女が何を考えているのかなど分からない。ただその独特の雰囲気に呑まれるかのような錯覚に陥る。


「また会いにくるから。

 その時に、絶対……私は」


「…………」


 少女は歯痒さを感じているかのように、しどろもどろになりながら必死に言葉を紡ぐ。そんな彼女にかけられる俺の言葉は一つしかなかった。


「はあ、分かったよ。お前の好きにしろ」


「……うん!」


 それの何が嬉しいのか彼女は笑う。見知らぬ他人との再会の約束。そこに価値を見出すことは出来ないが、彼女にとっては大切な意味があるというのだろうか。


「それじゃ、また今度ね!」


「……ああ」


 彼女の笑顔に、小さく振り続ける右手のさよなら。


 別れを示唆するどこにでもありふれた行為。きっと誰もが常日頃から経験していることでしかない。それが俺にとってはとても懐かしく感じた。


 二人の道は違える。

 俺は真っ直ぐ前を向いたまま歩く。

 彼女は今まで歩いてきた道を颯爽と駆け戻っていた。


 そんな風にして今日この日の彼女との邂逅は終わりを告げた。

 終わりを告げたと、そう思い込んでいた。



「きゃぁあああああああああ!」



 まるで女性が強盗にでも襲われたかのような悲鳴が、人々と自動車の喧噪が溢れるこの世界に響いた。


 距離は遠い。方向は後ろ。俺の数十メートル後方から聞こえていたその悲鳴に、周りにいる同じ制服を着た学生たちは次々と振り返っていく。


 普段ならば、俺はそんな悲鳴を聞いたところで振り返ることはなかっただろう。他人の元にどんな事件が舞い込もうとも俺には無関係だ。興味のない存在に意識を向けることなどするはずもなかった。


 なのにどうしたことか、今日の俺はやっぱりおかしい。昔の夢を見たせいか、それとも一人の少女との会話によって感覚を狂わされたのか、俺は自然に歩を進める足を止めゆっくりと振り返る。


 その先の光景は、衝撃的と表現するしかなかった。


 三十メートル程前方、通ったばかりの交差点。

 不自然なブレーキを掛ける一台の中型トラック。

 その前には一人の少女が宙を舞っていた。

 中学生くらいだった。

 腕が折れ血が出ていた。

 その体は、なんというか軽そうだった。

 彼女だった。


「…………は?」


 彼女が勢いよくアスファルトの固い地面に叩きつけられたのと、俺の口から気の抜けた声が零れるのはほとんど同時だった。


 恐怖が恐怖を呼ぶように、交差点を起点とし次々と悲鳴が上がり始める。離れた場所にいる人々でさえ、その残酷な光景に驚愕し嘔吐く者さえいた。日常の早朝風景は一転、阿鼻叫喚に包まれた現場へと変貌していく。


 何が起きたのかを理解するのなんて簡単だった。

 彼女はあのトラックに撥ねられたのだろう。

 既にその華奢な体は人としてあってはならない形に曲がり、頭部からは大量の血が流れ出ている。


 死んだな、と確信した。

 あれだけの怪我をして生き延びられる訳がない。

 さらにその運命を決定づけるように、彼女から魂が抜け落ちていく。

 完全に終わりだ。ここから彼女が助かる術はない。

 俺にそんな力はないし、もちろん誰にもない。


 だからそれはどこにでもある話。

 どんな命だって一瞬で簡単に掻き消えてしまうような、儚いものであるということを証明する出来事でしかなかった。


 俺はそれを知っている。

 きっとここにいる他の誰よりも知っている。

 もし気付くのが後数秒でも早ければ彼女を助けることは出来た。

 だけどそんなことはなかった。俺が気づいたのは彼女の死が確定した後だった。ただそれだけのこと。


『また会いにくるから。

 その時に、絶対……私は』


 なのに俺はそんな言葉を思い出していた。彼女が俺に告げたこと。俺が彼女から伝えてもらったこと。名前も知らぬ誰かに見た、歪な幸せの形。



 生まれた時から未来は決まっていて。

 決意した時には既に手遅れで。

 終わってしまった何かに縋り、今日も誰かは始まらない明日を求める。



 だから彼女の死は初めから決まっていた。

 それだけの話で。

 それ以外の何物でもなくて。

 名前も知らない誰かの生死など、俺にとっては至極どうでもいいことのはずで。


 だけど思った。

 願ってしまった。

 いつの日か思い描いた願い。


 誰かに突如として襲い掛かる不幸。

 不条理と理不尽に溢れた世界。


 ――――こんな世界、壊れてしまえばいいのに。


「もう、いいだろう」


 いいきっかけになったと考えよう。

 現実から目を逸らすのは止めよう。


 いつかの誓いを果たす。

 俺は初めから、彼女を嫌ったこの世界を壊すためだけに生きてきて。


 だから今日この出来事も、きっと予定調和に過ぎない。


 さあ、壊そう――――――

閲覧してくださりありがとうございます。

これからよろしくお願いします。

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