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4 後悔先に立たず

 翌朝、朝の爽やかな空気が残っている時間帯に訓練場に行くと犬の鳴き声が響いてた。


 棗があまり聞いたことのない短く含むような鳴き声に近づくと、立花が数頭の犬に囲まれていた。

 おそらく仔犬なのだろう。立花に飛び掛ったり、立花が持っているオモチャを奪おうとしている。

 立花はそんな犬達を華麗なステップで翻弄ほんろうして、フェイントを混ぜた性格の悪い投げ方でオモチャを飛ばし、その隙に何処かに隠れるを繰返している。


 その表情は生き生きとしていて、執務室の疲れた顔や楓に見せる無表情とは全く違っていた。


 棗は思った。もう無理だと。


 今までは、なけなしの反感と噂話で必死に敵愾心てきがいしんを保っていた。

 それがあんな顔を見てしまったら、好感以外に何が芽生えると言うのだ。

 楓や兄や周囲がなんと言おうと立花は優しい良い人だ。

 その上美形で爽やかで……上げ始めたらきりが無いことに気づいてやめた。

 どう考えても立花は長所の方が多い。



 棗が放心していると昨日の訓練士に声を掛けられた。

「おはよう、お嬢さん」

「おはようございます」

 棗が慌てて取り繕うと男は含みのある笑顔を浮かべる。


「見惚れてたでしょ?」

「そんな、朝だからぼーっとしてただけです」

「そうなの? まあどっちでもいいけどね。

 俺でもたまに見惚れることあるし、あいつら産まれたばっかの頃とかさ〜本当天使だったよ。思わず写真撮っちゃったもん」

「えっ! 写真?」

「見たいの?」

「仔犬可愛いんですよね?」

「ごめん、仔犬は殆ど写ってない」

 男は意地悪な微笑みを浮かべている。


「ごめんなさい。見惚れました。天上の光景かと思いました」

 棗が涙目で白状すると訓練士は後で一人で見ろと、注意事項付きでデータの入ったカードをくれた。


「正直なお嬢さんにもう一ついい事を教えよう」

「はい、ありがとうございます」

「立花に声をかけてきてご覧」

 訓練士は輝くばかりの良い笑顔で言った。



 声を掛けるだけでどんな良いことがあるというのか、若干半信半疑だったが立花への敵愾心を彼方に捨て去った棗は元来の素直さで従った。


 立花に声をかける都合の良い口実を手に入れた棗がいそいそと立花の元に行くと、犬達が凄い勢いで走ってくる。

 あまりの勢いに立ち竦むと立花が大きな声で犬達を制す。そのまま走ってきて棗を背後に庇うと犬達を叱る。犬達は立花の指示で大人しくなり帰って行った。

 しかし立花は棗に背を向けたままなかなか振り返らない。


「立花様?」

「ええっと……驚いたよな? ごめん」

 そう言ってようやく振り返った立花は気まずいのか恥ずかしそうに上目遣いで棗を見つめる。

 高慢な印象のある立花にそんなしおらしい様を見せられて棗は感情を抑える為に震えてしまう。

 それを怯えたせいだと思ったのだろう、立花が慌てて棗に謝りながら軽く遠慮がちに触れてくる。それに大袈裟に反応してしまい。立花に慌てて距離をとられてしまう。


 ああ、せっかく向こうから近づいて来てくれたのにもったいない。

 思わずへたり込んでしまうこの状態を、上手く説明出来ずに適当にゴマ化す。


「立花さま……ごめんなさい、腰が抜けました」

「えっ? 大丈夫か? 立てる?」

「手を……お借りしてもいいですか?」

 顔面が崩壊している自覚があるため、顔を上げられずに震える声を出すと、今度こそ立花はしっかりと棗の腕を取ってくれた。


 思わずガッツポーズをしたくなるような状態だが、突然挙動不振になり立花を怯えさせる訳にもいかず、棗は立花の腕を強く握り返して耐えた。

 捕まえた。もう逃がさぬ。


 棗がどうにか表情を取り繕って言う。

「ごめんなさい、立花様にお手を煩わせて……」

 全く心にもない謝罪なのだが、立花は今まで見た事もないほど優しい顔で微笑んでくれる。


「全然気にしなくていいよ。昨日もごめんな、怖かったんだろ? もっと気を使えって怒られた……」

 おそらく訓練士の男だろう。本当に気が利くいい人だ。こんな美しいものを至近距離で拝顔する機会を恵んでくれるなんて。


 うっとりと立花の顔を見つめながら棗は気がつく。

 さっきのやつ見逃した。棗の事を心配して狼狽える立花、見たかった。




 それから立花に支えられて建物の中に入る。心配して医務室に運ばれそうになるのをなんとか回避し、立花は食堂のシェフから朝食とコーヒーを受け取る。毎朝特別に用意されているらしい。

 棗がシェフに立花の餌付けをしている事を使えると、レシピを教えてくれた。その間立花は居心地悪そうにして、でも待っていてくれた。

 昨日のほったらかしと比べれば格段の進歩に棗は満足した。



「立花様は顔が広いんですね」

 着替えて応接室で朝食を食べながら昨日の報告を聞き終わった立花に話かける。


「子供の頃からいるからだろ?」

 仕事モードになった立花は聞きなれた冷静な声で答える。

「それだけじゃないと思います。みんな特別可愛がってる感じです」

「可愛がってる……」

 可愛いいと言う単語に嫌悪感があるらしい立花が渋い顔をすると椿が割って入ってきた。


「食事だけでもちゃんとなさいまし。子供の様にいつまでも心配をかけるからです」

 聞き飽きた内容なのだろう。立花はうんざりした顔で適当に返事をして部屋を出て行った。


「棗ちゃん随分立花様と仲良くなったのね?」

「そうなんですか? これで?」

「そうよ。一緒にご飯食べて、雑談出来る女の子なんて今までいなかったもの。だから気を付けてね、立花様は色んな意味で危険なのよ」

 椿の発言の意味が良く分からず、曖昧に返事をしていたら椿は棗なら大丈夫かも知れない、と言って詳しく説明してくれなかった。


 棗の顔面を崩壊させる以外に何が危険なのか分からないまま、その日の仕事を終え、寮に帰りつくと疑問は氷解した。

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