第七十二話 盟約
巨大なドラゴンはその顎を大きく広げると、黄金の瞳で俺を見下ろしている。
そのド迫力にフユが俺の首にしがみついた。
「フユ~、食べるですか? フユちゃんたちを食べるんですか!?」
相変わらずキュイ以外のドラゴンは怖い様だ。
「心配するなフユ、召喚したのは俺だからな。喰われたりはしないさ……多分な」
「フユ~! エルリット! 今、多分って言ったです! フユちゃん騙されないです!」
フユはそう言うと俺の髪の中に隠れて、こっそりと顔だけ出してファルーガを見上げている。
何事にも絶対は無いが、召喚するときの術式に俺に従うように記述はしている。
当然だろう、こんな強力な精霊が大暴れしたら死人が出かねないからな。
「ところで、さっきファルーガさんが言っていた条件っていうのは何ですか?」
「ふむ、それはだな……」
力を貸すから、喰わせてくれとかなら断るしかない。
痛みがあるとか物騒なことを言ってたからな。
その時、リスティの声が闘舞台に響いた。
「試合中にいつまで無駄話してるんだい! 舐めるんじゃないよ!」
俺達の様子に痺れを切らしたのだろう、リスティがガルオンと共にこちらに向かってきている。
リスティのその叫びに、ファルーガの黄金の瞳が闘舞台を睥睨する。
「確かに立て込んでいるようだな、小僧」
「ええ、悪いんですが条件を飲む前に、少し力を貸してもらえませんか?」
俺の言葉に答える代わりにファルーガの巨大な顎が大きく開き、その奥に真紅の光が生じた。
高温の火炎の塊が、まるでレーザービームのようにガルオンに向かって放たれる。
その炎が真紅のドラゴンが放ったものだと気が付いた瞬間、崩れかけている闘舞台の地面にそれが着弾して凄まじい衝撃音を放った。
砂埃が辺りに舞い散る。
『ぐぬううう!』
かろうじてそれをかわしたガルオンが、地面を転がる。
(凄ええ……火炎っていうよりはまるでレーザーだな)
その時、凄まじいスピードで獣人の美少女が巨大な竜の足元を駆け抜ける。
あまりのスピードに、ファルーガの火炎攻撃も間に合わない。
ガルオンは囮だったのだろう、見事な連携攻撃だ。
「エルリット! この勝負貰ったよ!!」
リスティの獣気で作られた青い爪が俺に迫る。
だがその瞬間、巨大な鞭のようなものがしなると、リスティの体を目めがけて一撃を加える。
俺はそれが、ファルーガの尾であることに気が付いた。
獣人の美少女は舌打ちをする。
「ちっ!!」
俺の目の前でリスティの体が二つに裂ける──。
いや、裂けたように見えたのはリスティの残像で、本体は後方に宙返りをすると鮮やかに空中を舞っていた。
それを追尾するようにリスティの体をファルーガの尾が捕らえる。
「くっ! うぁああああ!!」
しなやかな体を締めあげられて、勝気な美貌が苦痛に歪む。
飛びぬけた美少女だけに、その姿は少しエロティックだ。
『リスティ!』
ガルオンが猛然とファルーガの尾に飛びついて、そこに牙を剥いた。
巨大な竜が一瞬ひるんだ瞬間に、ガルオンは自らの主を口に咥えて後方に飛んだ。
(速ええ……)
レーザーの様に放たれた火炎も、リスティを捕らえた尻尾の一撃もバロたちとは桁違いの速さだ。
真紅のドラゴンの黄金の瞳が、冷静にガルオンとリスティの姿を見つめている。
『リスティ、大丈夫じゃったか?』
『ああ、危ないところだったけどね……あの瞳、あたしの動きが見切られるなんて! エルリットの奴、厄介な相手を喚び出しやがったね』
人外の攻防戦に、観客席から大歓声が起きる。
「すげえ! 何なんだよ今の」
「見て! あのドラゴンの火炎が当たった場所!!」
「うっそだろ……」
ファルーガが撃ち込んだ火炎のレーザーのような一撃が着弾した部分は、まるでクレーターのようになっている。
しかも着弾した中央部分はまるで洞窟のような深い穴が開き、周辺の石畳は熱で溶けて飴のようになっていた。
フユが俺に首にしっかりとしがみついている。
「フユ~! エルリット、凄いです! 大きいドラゴン強いです!」
「ああ……確かにな」
まさに桁違いだ。
聖獣であるガルオンも相当ヤバいが、うちのドラゴンはその上を行くようである。
こちらを警戒しながら、再び距離を取るリスティとガルオンを見ながら俺は思った。
確かに強い、だが──。
(このままだと負けるな)
真紅のドラゴンは、その長い首を俺の方に寄せて低い声で言う。
「ほう、小僧。そなたも分かっているようだな」
俺の表情を読み取ったのだろう。
俺はリスティたちに気取られぬように、ファルーガに囁き返した。
「ええ。実際、今こられたら終わりです。きっとすぐに向こうも気が付きますよ」
確かにファルーガは強い。
というか桁違いに強すぎる。
召喚したのはいいのだが、この世界に存在するだけで膨大な魔力を消費しているのが俺には分かる。
もちろん、その補給源になっているのは召喚者の俺の魔力だ。
それが切れれば自動的にファルーガはこの世界から消えるだろうし、その頃には俺の魔力も枯渇しているだろう。
多少の時間はかかるだろうが相手はそれまで、防戦に徹すればいい。
(それに、このままだと魔力のロスが大き過ぎるな)
仮に俺の魔力が枯渇しなかったとしても、ファルーガを使ってあれ以上連続して攻撃を続ければ間違いなく召喚が解除される。
理由は簡単だ。
バロやフユのように使い魔であれば、契約により俺の魔力としっかりと結びついているからロスは少ない。
言ってみれば使い魔と俺は見えない管のようなものでつながっており、それを使って魔力を流し込んでいるようなものだ。
途中で零れる魔力は殆ど無い。
だが、単純に召喚したに過ぎないファルーガに魔力を補給する行為はそうはいかない。
俺の魔力を大きなバケツでファルーガにかけているのと同じだ。
周りにも飛び散るし、うまく吸収してくれない部分は流れ落ちる。
つまりこのままでは、ファルーガが攻撃する際に大量に消費する魔力の補給が間に合わないのだ。
そこに気が付かれて、連続攻撃を誘うように動かれたら終わりだ。
一撃においては最強の武器もエネルギーの補充に時間がかかるのならば、必ずしも戦いの中で最強の武器となりえないだろう。
実際に今俺は、ファルーガに魔力を補充してやることに手一杯である。
ここで、さっきみたいな攻撃をされたら完全にアウトだ。
解決策があるとすれば、魔力の供給ロスを減らすこととその消費量を減らす事である。
ファルーガは俺の耳の側で言った。
「方法が無いこともない」
「さっきファルーガさんが言っていた、条件ってやつですか?」
真紅のドラゴンに俺は尋ねる。
ファルーガは俺の言葉に同意する。
「そうだ。これではろくに力も使えん、火炎の王たるこの我がこのまま敗れるなど許されぬ。我と血と魂の盟約を結べ、小僧」
これほど高位の精霊を、使い魔にすることなど出来ない。
互いの結びつきを強めるのであれば、より高度な契約が必要となる。
(『血と魂を以って盟約を成す』ってやつだったな確か)
俺も、じい様の蔵書で読んだことはあるが、そこには魂を削られるような苦痛を伴う契約だと書いてあった。
「実は俺も本で読んだことしかないんですが。あれって相当痛いって書いてありましたけど、どうなんです?」
ファルーガは事もなげに答える。
「我を信じよ。多少痛むだけだ、恐れることはない」
「もし嘘だったら恨みますよ」
リスティとガルオンはまだこちらを警戒してる。
暫くは無理には攻めてこないだろう。
やるなら今しかない。
俺は溜め息をつくと背中の剣を抜いた。
そして真紅のドラゴンを見上げる。
「分かりました。ひと思いにやっちゃって下さい!」
(出来れば、使わずに済めばとは思ったけどな)
俺はそう言うと、フユに少し離れているように言った。
真紅のドラゴンの巨大な顎がこちらに向かって迫ってくる。
そこには馬鹿デカく鋭い牙が並んでいた。
大きな口が俺の体を飲み込むと、ゆっくりと閉じる。
エリーゼとエリザベスさんの悲鳴が聞こえる。
「きゃぁああ、エルリット! お母様、エルリットが!!」
「エルリット君!!」
観衆の混乱したような声が周囲に響く。
「お、おい!!」
「あいつ……今喰われたよな? 嘘だろ……」
「おい…足しか残ってないぞ!」
「きゃぁああ! エル君!」
その会話だけ聞いていると、まるでホラーである。
少しだけ避難させていたフユが、叫んでいるのが聞こえる。
「フユ~! エルリットを食べたです! 返すです! エルリットを返すです!!」
(あいつ、ドラゴンが苦手な割には必死だな)
いつもは生意気だが、可愛いところもあるものだ。
ファルーガが苦笑したように低く呻いた。
「早くせんか。そなたのせいで、まるで我が悪者ではないか」
「はは、すみません。何しろドラゴンの口の中なんて初めての経験なので」
フユの声が俺の足元で聞こえる。
「フユ~! エルリットの足が喋ったです!!」
足で喋るほど器用ではない。
俺はフユに言った。
「良く見ろよフユ。胴体も繋がってるだろ?」
「フユ~、エルリットです!」
俺の足元からフユがこちらを覗き込んでいるのが見える。
観客席からは俺が喰われたように見えるかもしれないが、ファルーガの口は完全には閉じられていない。
確かに俺は今ドラゴンの口の中にはいるが、かじられたわけではないからな。
その場に立つ俺を、巨大なドラゴンの口が上から包んでいるといった方が正しいだろう。
傷があるとしたら今しがたファルーガの牙でつけられた頬の傷ぐらいだ。
そこからは血が流れているのが自分でも分かった。
「そなたの番だ、早く済ませよ」
俺はファルーガの巨大な咢の中で手に持った剣を構えると言った。
「じゃあ遠慮なくいきますよ!」
俺は、ファルーガの上あごの内側の部分を剣で切り裂く。
するとそこからは真紅の血が、まるで炎のように輝きながら流れ出した。
その血は俺の頬から流れる血を巻き込むように渦を巻くと、真紅の輝きを増していく。
俺の血とファルーガの血は混ざり合い、俺の目の前に真紅の魔法陣を形成し始める。
(一瞬、マジで喰われるかと思ってビビったぜ)
俺を口の中に入れたのは、ここしか俺の剣が通る場所がないからだ。
それにここにいれば、リスティやガルオンも迂闊に攻撃は出来ないだろうからな。
ファルーガが俺を口の中に入れたまま言った。
「我を召喚せし者よ、我と血と魂の盟約を結べ」
俺は、ファルーガと俺の血で作られた術式に手を置いて続けた。
ファルーガが目の前に作り出した魔法陣に描かれた古代文字を、俺は読み上げる。
「我は汝、汝は我、血と魂の盟約にてここに炎の烙印を刻まん! イグニア・レークス・シンヴォレオ!!」
俺が盟約の言葉を放った瞬間、強烈な真紅の輝きが目の前の魔法陣に凝縮されると、それは二つの細い帯となって俺とファルーガの体にそれぞれ溶けるように入っていく。
互いの血と魔力を混ぜ合わせて作られたそれが、俺の中で燃え上がるのを感じる。
(くそっ! ……何が多少だよ。やっぱり滅茶苦茶痛いじゃねえかよ!!)
半端ない痛みだ、俺は歯を食いしばった。
血と魂の盟約の言葉の通り、魂に直接何かを刻まれている感じがする。
「うぉおおおおおお!!」
思わず叫び声をあげると、爆発しそうな程の力が自分の体に宿っていくのが分かる。
それと同時に俺を包んでいたドラゴンが咢が消えていった。
観客たちから再び声が上がった。
「おい……消えていくぞ、真紅のドラゴンが」
「どうなってるんだ、一体!」
巨大その頭だけではない、ファルーガの体は真紅の炎に姿を変えると、猛烈な渦を形成しながら次第に俺の体の中に消えていく。
それと同時に俺の右手の甲には真紅の紋章が鮮やかに浮かび上がっていった。
ミレティ先生は俺を見つめながら微笑みを浮かべる。
「血と魂の盟約、精魔融合術式ともいいますけど。高位の精霊と魔導士にのみ可能な術式です」
こちらの様子を窺っていたガルオンが呻いた。
『高位精霊を身に宿し戦う秘術があるとは聞いたが、見よリスティ! あの姿を!!』
『ガルオン、気をつけな! 見た目だけじゃない、あいつから凄まじい魔力を感じる!』
ミレティ先生はジッと俺の姿を見る。
「うふふ、その姿、とても素敵ですわよエルリット。若い頃のガレスを思い出しますわ」
いつの間にか傍に立ち、俺の顔を見上げているミレティ先生の言葉に俺は首を傾げる。
(その姿ってなんだ? 若い頃のじい様?)
妙な違和感を感じる。
……ん? 待てよ。
どうしてミレティ先生が俺を見上げてるんだ?
俺は隣にいるミレティ先生を見下ろした。
いつもと自分の視点が違う。
可愛らしく俺に微笑むエメラルド色の髪の美少女は、明らかに俺よりも背が低い。
(っていうか俺が背が高くなってるのか? これって!)
フユがミレティ先生の肩の上に乗って、俺のことをジッと見ている。
「フユ~、エルリット格好良くなったです!」
失礼な奴だ、今までパッとしなかったみたいじゃないか。
エリーゼとエリザベスさんの声も聞こえる。
「お母様! エルリットが大きくなりました!」
「もしかして、エルリット君なの!? 素敵よ、エルリット君!!」
気のせいだろうか、エリザベスさんのテンションが急上昇している気がする。
俺の体から真紅の炎が湧き上がると、それは小さな赤い竜の姿になって俺の肩にとまる。
そして言った。
「我の力を使いこなすには、流石にあの体は幼すぎるのでな。なに心配はいらん、この戦いが終われば元に戻るだろう」
こちらを見る小さな竜の瞳に映っているのは、燃え上がるような真紅の剣を持ち、それと同じ色の鎧を身に纏った赤い髪の騎士だった。
いつもお読み頂きまして、ありがとうございます。




