第三十九話 マシャリアの事情 後編
マシャリアは俺の肩に手を置いて当たり前のように言った。
「何に使う? 何を言っているエルリット。お前と一緒に暮らす為に決まっているだろう? 王宮の私の部屋で共にという訳にもいかないからな」
「え?」
思わず俺は聞き返した。
俺とマシャリアが一緒に暮らす? 一体どういうことだ?
当然と言った風に腕を組むマシャリアの顔を見ていると、分かっていない俺が悪いような気がしてくるから不思議だ。
(無いとは思うが、じい様ラブをこじらせて孫の俺で手を打とうなんてことはないだろうな?)
一応聞いてみようか……
「一緒に暮らすって、俺とマシャリアさんがですか? まさかじい様の代わりに俺の貞操を……」
マシャリアは呆れたように俺を見る。
「馬鹿かお前は? 弟子からつまらない冗談を聞かされるのは、ラセアルだけで十分だ」
「は……ははは。ですよね~」
そんな訳ないか。
一瞬、女神級の美貌を持ったエルフとの添い寝とか考えてしまったのは男のさがだろう。
しかし、なら一体何の為だ?
「だったら理由は何ですか? 聞かせて下さいよ」
俺の言葉にマシャリアは、腰の剣を抜いて俺の前にかざす。
「剣術の修行の為に決まっているだろう? お前は魔法の腕はともかく、剣の腕がからきしだ。筋は悪くは無いがガレスに認められるほどの腕になろうと思えば、士官学校の帰りに教えるぐらいではどうにもならない」
ああ、そういうことか。
いわゆる住み込みの弟子として俺をみっちり鍛えてくれるということらしい。
マシャリアは俺の事をじい様から託されたと思っているからな、中途半端は許せないのだろう。
(だからか、急に冒険者ギルドに出ていってくれなんて言い始めたのは)
確かに屋敷に住み込みで修行とか、マシャリアの弟子になりたい奴にとっては夢のような条件だろう。
「ラセアルにはお前より幼い頃に、共に暮らしながら剣を教えたものだ。ラセアルの場合は、父親のマレンシエ伯爵の別邸が王宮の側にあったのでそれを使ったのだが、公爵家に居候しているお前はそうもいくまい?」
「へえ、ラセアル先輩も小さい頃はマシャリアさんと暮らしてたんですね」
マシャリアは頷くと言った。
「五歳の頃から五年間みっちりと鍛えてやった。本当は三日と持たぬと思って引き受けたのだがな、一度も音を上げたりはしなかった」
確かに厳しそうだ。
ラセアルには素質もあったのだろうが、それだけ厳しい修練を積んできたのだろう。
そりゃあ突然一番弟子を誰かにとられれば、ブチ切れもするだろう。
マシャリアが五年も寝食を共にしたのは、ラセアルに才能があったからに違いないからな。
(こんな美人と五年も一緒に暮らせば、ああなるのも分からなくはないか)
今回の話も、ラセアル先輩が聞いたらただではすみそうもない。
俺はマシャリアに尋ねた。
「でも、いいんですか? 国王陛下の護衛は。夜、何かあったときに王宮に居なくても構わないんですか?」
マシャリアは頷くと俺に答える。
「その心配はいらない。夜は私の代わりにミレティが王宮につめることになる。そもそも、これはミレティからも頼まれたことだからな。陛下からも許可は頂いている」
「へえ、そうなんですね」
なるほど、マシャリアが王宮を離れるときはミレティ先生が代わりを務めるのだろう。
士官学校の授業が終わった後、交代するというわけか。
それにしても国王から許可が出るとか、もしかして例の後継者候補の育成の名目でということなのだろうか?
(出来れば、勇者の後継者候補とかの問題には関わりたくないんだけどな)
じい様の孫だということで変な期待があるのかもしれないが、面倒はご免である。
マシャリアは剣を腰の鞘に納めると、少し頬を染めて言った。
「そ、それにだな、もしかしたらお前の様子を見にガレスの奴が都に来るかもしれない。そ、そしたら私の屋敷に迎えてやろうと思ってな」
「は、はぁ」
感心して損したな、もしかしてこっちがメインの目的じゃないのか?
マシャリアは懐から最近買い求めたことが分かる真新しい本を取り出す、その本にはいたるところに付箋のようなものが差し込んであった。
ちなみにタイトルは『秘蔵版! これが男を虜にする料理レシピだ!』である。
「そ、それでだなエルリット、少し聞いておきたい。ガ、ガレスが最近好きな食べ物は何だ。べ、別に、手料理とか作ろうなんていう訳じゃないんだからな!」
これほど分かりやすいツンデレを俺は初めて見た。
「困りますわ、マシャリア」
そう口を挟んだのはエリザベスさんである。
俺とマシャリアの間に立つようにして、美しいツンデレエルフに異論を挟む。
「公爵夫人、何か問題でも? これは師である私と弟子のエルリットの問題、いくら公爵夫人でも口を挟むのは控えて頂きたい」
マシャリアは真顔に戻ると例の秘蔵レシピ本を懐にしまい、エリザベスさんと向かい合った。
女神級の美人同士だけに迫力がある。
エリーゼがいつの間にか俺の側に立って、ギュッと俺の手を握りしめている。
「エルリット、お家を出ていくんですか? 嫌です、エリーゼはエルリットのお姉ちゃんで奥さんです! ずっと一緒だってお母様が言いました」
少し涙ぐんでいるエリーゼの手を握って、俺は思わず微笑んだ。
「奥さんです」は別として、エリーゼにとっては俺はもう家族なのだろう。
エリザベスさんも俺の体をギュッと抱きしめた。
(ぐふふ……これは)
柔らかく、白薔薇のようないい香りが俺の体を包んでいく。
「マシャリア。エルリット君は私達の命の恩人ですわ。いいえ、私はもう息子同然に思っています、居候だなんて思ったことは一度もありません。これは家族に関わる話です、勝手に話を進められては困りますわ」
俺は反省した、エリザベスさんの言葉には嘘はない。
いくら将来、娘の婿になるかもしれない相手だとは言っても、金貨500枚をポンと出そうとするはずがないからな。
それに、馬車の中で寝ていた時も俺はまるでママンのような優しさに包まれていた。
「あの、俺も出来たら公爵家から離れたくは無いんですが」
俺はマシャリアに目配せをして、少し離れた場所に連れていくと耳打ちした。
二人を不安にさせるような内容なので聞かせたくない。
「例のエリーゼの誘拐事件のケリがまだついていませんからね。少なくても、それが解決するまでは俺は公爵家を離れるつもりはないですよ。俺にとっても、あの人たちはもう家族同然ですから」
「お前に言われて公爵家には密かに護衛がつけてある。心配はするな」
そうは言っても、もしあの事件に例の第二王子が絡んでいるとしたら、長期間エリーゼの側を離れるのは危険な気がする。
無論、都で直接手を出してくるような馬鹿な真似はしないと思うが、俺にも出来ることがあればやっておきたい。
後で後悔するなんて言うのはごめんだ。
「別に悩むことは無いじゃないですか、マシャリア様」
ギルバートさんが、俺達に向かって歩み寄りながらそう言った。
「どういうことだ、ギルバート?」
「何か、いい方法があるんですかギルバートさん?」
俺達の問いにギルバートさんは答えた。
「ええ、簡単ですよ。マシャリア様が、エルリット君と一緒に公爵家に居候すればいい話です。それなら誰も困らないと思いますが、いかがですか? エリザベス様」
(ああ、確かにそうだな。もちろんエリザベスさん次第だろうけど)
公爵はすっかり奥さんの尻に敷かれているからな、決定権があるのはエリザベスさんだろう。
エリザベスさんがそれを聞いて躊躇なく頷いた。
「構いませんわ! それなら、こちらとしては何の問題もありません、すぐにマシャリアの為の部屋を用意させますわ」
ギルバートさんは、マシャリアの方を見て答えを促す。
「マシャリア様はいかがです? 公爵家の皆様が問題が無いというのならば、それが一番良いと私は思いますが」
イケメンの上に機転が利く。
この人が出世をするのは分かる気がする。
こと恋愛問題に関しては、全く空気が読めないことを除けばな。
マシャリアは少し考え込む。
「うむ、エリザベス様がそう言うのなら……し、しかしガレスが訪ねて来た時に手料理を……む、無論作りたいわけではないが」
この人は普段は凛とした戦女神のような騎士なのだが、好きな相手には完全に乙女なのだろう。
貴族の家では普通は料理人がいる。
マシャリアのような伯爵が、手ずから料理をするなどというのは男にとっては贅沢の極みだ。
だが、ギルバートさんは肩をすくめて言った。
「やめたほうがいいですよ、マシャリア様は剣や魔法以外はほんと不器用なんですから。昨日私が試食されられた料理だってすごい味がしましたよ? またガレス様にフラれるだけです」
(おいギルバートさんやめろ……死にたいのか? あんた!)
どうやら、じい様に作るための料理の試食役はギルバートさんらしい。
まるで周囲が冷凍庫に変わったように冷気に満ちていく。
「グラキエス・ルプス!!!」
マシャリアがすっかり涙目になってそう叫ぶ。
「ば! 馬鹿にするな! わ、私だって料理ぐらい出来る!! 昨日は調子が悪かっただけだ!!」
(ああ、今のはギルバートさんが悪いな……)
召喚された白狼達があっという間にギルバートさんを取り囲む。
「どう思います?」
「いくらギルバートでも、言っていいことと悪いことがありますわ」
「今のは乙女のハートを傷つけましたわ」
「死に値しますわね」
「それでは皆さん、いつもより少し強めにいきましょうか?」
「ええ、そうしましょう」
「「「「「「ガブゥウウ!!!」」」」」」
いつもより強めに食い込んだ白狼達の牙を見て俺は溜め息をつくと、叫び声を上げるギルバートさんにかける為の回復魔法の術式を発動させていた。
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