第三十五話 女伯爵
ミレースと呼ばれたウサ耳の少女は、自分の耳をピコピコと動かして不思議そうに俺を見ている。
「え、ええ。本物ですけど……作り物をつけてる人がいるんですか?」
「は……ははは。そうですよね、いないですよねそんな人」
リアルバニーガールがいる世界で、わざわざそんな恰好する奴もいないか。
「エルリット、動いてます、可愛いです!」
エリーゼがピコピコと小さく動いているミレースの耳を見て、目を輝かせて俺を見た。
獣人族が少ないファルルアンだけに、エリーゼもウサ耳少女は初めてなのかもしれない。
キュイもエリーゼの腕の中で、大きな瞳を獣人の少女に向けている。
「キュイ!」
フユはキュイの頭の上に乗ると、頭の大きな薔薇を開いてミレースを見ている。
「フユ~、動いてるです! ウサウサです」
一方で、何故かミレースはエリーゼ達を見て固まっている。
そして、ピコンと耳を立てると言った。
「何なんですか支部長、この可愛い子達は! 待ってください! ちょっとそこを動かないでください!!」
俺がミレースを眺めていると、突然、彼女は懐から手帳のようなものと羽ペンを取り出す。
その羽ペンの柄には、可愛らしい小動物を象った小さな人形が付けられている。
ミレースの顔は真剣そのものである。
それを見て、アウェインはふうと溜め息をつく。
「また、ミレースの悪い癖が始まったな」
俺はアウェインに尋ねる。
「何ですか、悪い癖って?」
アウェインは肩をすくめて答えた。
「ああ、見てりゃあわかるさ」
ウサ耳少女の手が、まるでブレる様に高速で動き始める。
その目は真剣そのものだ。
十秒ぐらいだろうか、エリーゼ達を前にペンを走らせていた。
「フユ~、何してるですか?」
フユがそう言ってその手帳をのぞき込もうとすると、ミレースはにっこりと笑って手を止めると俺達に描いたものを見せる。
それは、まるで一流の絵描きが描いたようなレベルのスケッチだった。
天使のように可愛らしいエリーゼと、エリーゼが抱いた大きな瞳の白竜のキュイ、そしてその頭の上に乗る愛らしいフユの姿。
まるで生きているかのように躍動感が溢れている。
「凄いです! エリーゼたちです!」
エリーゼは、ミレースが描いた絵を見て手を叩いた。
フユも絵に描かれた自分達を見てはしゃいでいる。
俺は驚いて目の前のウサ耳少女に尋ねる。
「すげえ! これ、今の一瞬で描いたんですか!?」
ものの十秒ぐらいでこれを描いたなら、すごい才能である。
俺は感心してウサ耳のお姉さんを見上げる。
ミレースは、俺の言葉に恥ずかしそうに頬を染める。
「私、絵を描くのが大好きなんです! 特に可愛いものを見ると、ついスケッチしちゃって……」
リルルアが、ミレースの側に来て肩に手を置いた。
「ミレースはね、うちの魔道具のいくつかのデザインもしてくれてるんだよ。ミレースのデザインを指名する得意客もいるぐらいでね。あの魔法の杖の柄を見てごらん」
リルルアが指さした先には恐らく子供の用の魔法の杖だろう、短いが高価そうな杖があり、その柄には愛らしい動物の彫刻が付けられている。
どうやら、あれをデザインしたのはミレースのようだ。
「リルルアさんが、絵を描いている私を見て言ってくれたんです。魔道具のデザインをしてみないかって、私嬉しくって! それで、ずうずうしいですけど、時々」
ピコピコと耳を動かしながらそう話すミレースの肩の上に、いつの間にかフユが上っている。
そして、小さな手を一生懸命揺れるウサ耳に伸ばしていた。
「フユ~」
(おい、お前は何をしているんだ……自由すぎるだろ)
ミレースはくすっと笑ってフユの頭を撫でた。
リルルアが、そんなミレースとフユを見て微笑んでいる。
「ミレースには、いっそのこと冒険者ギルドなんてやめて、うちに来てくれたらいいのにっていつも言ってるんだよ」
「そんな、私なんて自己流ですし。ちゃんと学校に行った貴族の絵描きの方々に比べたらきっと……いつも言ってるじゃないですか、私なんかのデザインを使ったらリルルアさんの魔道具の価値が下がっちゃうって」
確かに名が通った絵描きになるために本格的に勉強するには、ファルルンの専門の学園に通う必要がある。
通っているのは貴族の子弟だからな。
ミレースの家は貴族の家ではないのだろう。
そう言って少し悲しそうな目をするミレースの肩を、リルルアが叩いた。
「何言ってるんだい、私があんたに頼みたいんだ。気取ったあんな連中よりも、生き生きとしたあんたの絵の方が私は好きなのさ。自信を持ちな、このリルルアが保証するよ」
ミレースは超一流と呼ばれている魔道具師の言葉に、嬉しそうに微笑む。
いいものはいいって、はっきりと言えるのは自分に自信がある証拠だ。
(見た目通り格好いい人だなリルルアさんは)
だが、目の前で進む引き抜き交渉にアウェインが慌てて口をはさんだ。
「おい、リルルアそれは困るぞ。ミレースは優秀なんだ、うちの帳簿の管理だって任せてるんだからな。勝手に話を進めるなよ」
どうやら、ミレースはデキるOLのようである。
もちろん事務仕事と絵を描くのでは全く違うだろうが、さっきの羽ペンの動きの速さは尋常では無かった。
事務仕事もあんな感じでテキパキこなすに違いない。
(この可愛いいウサ耳とのギャップが凄いな)
俺は、ミレースの頭の上で動いているウサ耳を見ながらそう思った。
アウェインのその言葉に、ミレースは溜め息をついた。
「リルルアさん、ごめんなさい。やっぱり支部長のことほっとけませんし。人がいいですから支部長は」
その言葉に、リルルアは笑顔で肩をすくめた。
「そうだねぇ。冒険者達に出来るだけ有利な条件で金を渡しちまうからね、あんたは。ミレースみたいなしっかり者が側にいてくれると、あたしも安心だよ」
そう言って少しアウェインを見つめるリルルアさんからは、元夫への愛情が感じられる。
アウェインは腕を組んで答えた。
「当然だろう? 命を張っているのは連中なんだ、俺も昔は冒険者だったからな。士官学校を卒業した後、貴族の三男じゃあ食ってけなかったしよ」
金で思い出した。
(そう言えば、冒険者ギルドで金が必要になったって言ってたな、確か……)
俺が欲しい腕輪の五十か月ローンも、それがネックになっているようだし。
聞いてみるか、冒険者ギルドについても聞いてみたい。
冒険者とか、厨二病の俺からしたら男のロマンだからな。
「あのですね、聞いてもいいですか? 冒険者ギルドってどんなことをしてるですか? それに急にお金が必要になったとか言ってましたけど」
金の問題だからだろう、答え辛そうなアウェインに代わって、ミレースがまずはギルドの説明を俺にしてくれた。
「えっとですね、冒険者ギルドっていうのは、皆さんから受けた色んな依頼を解決するところなんですよ。例えばリルルアさんの魔道具店から依頼があった素材を集めたり、農場を荒らすような獣や魔物を退治したり」
なるほどな、冒険者って言っても色んな仕事があるわけだ。
リルルアが、ミレースの肩に乗っているフユの頭を撫でながら付け加える。
「それに、もう三年前になるかね。都から東にあるフェリス渓谷に、古代遺跡が見つかったのさ」
「遺跡ですか?」
俺の言葉にリルルアが頷く。
「そこに魔物が巣を作っているんだ。もちろん、入口は国王様の兵士達が固めているんだけど、ランクが高い冒険者は国から許可証をもらって遺跡を探索できるのさ。遺跡に眠る遺物や高位の魔物を倒して質がいい魔石や特別な素材を手に入れたりね。上手くすれば一獲千金も夢じゃないからね」
リルルアは、先ほどの腕輪を手にもって吸魔石をこちらに向ける。
「フェリス遺跡っていうんだけどね。どこまで続いてるのか分からないほど広くて深い階層を持つの古代遺跡さ。ちょっとした迷宮になっていてね、今のところ50階層まではたどり着いたつわものがいるって話だけど、そこで倒した魔物から手に入れたのがこの魔石さ。そうだろアウェイン?」
(へえ! 遺跡とか面白そうだな)
迷宮を冒険するとか、厨二心を刺激される。
アウェインは頭を掻きながら俺を見る。
「まあな、遺跡に関して大きな発見をした奴は王国から褒美も出ることがある。発見の内容によっては爵位が与えられる者もいるからな。最深部は王国の騎士団と共に探索に当たっていることも多い」
なるほど、長年の経験を積んだ冒険者が水先案内役を務めるってわけか。
発見した物は、その内容によっては国が買い取るわけだ。
場合によっては、爵位と引き換えに。
王国にとっても冒険者にとっても得意分野を生かしあってメリットを分かち合える、中々上手いやり方である。
俺は首を傾げた。
「上手くいってそうじゃないですか? どうして急に大金が必要になったんです?」
今聞いた限り、冒険者ギルドの運営には問題は無さそうだ。
何故、急に大金が必要になったのだろう。
アウェインは肩をすくめて俺を見る。
「実はな、冒険者ギルドの事務所はある貴族の屋敷を改築して使わせて貰ってるんだが、その方から急に出ていって欲しいと言われてな」
詳しく聞いていくと。
ギルドホールの中には、使われていない貴族の屋敷を改築して使っているものも多いそうだ。
ミレースも頷く。
「ええ、それで新しい場所を借りたり、そこをギルドホールに改築したりで色々費用がかかりそうなんです」
エリザベスさんが、同情したように二人を見る。
そして、美しい首を傾げた。
「それは大変ね。でも変ですわね、確か冒険者ギルドがあるのは、都の西のあの屋敷ですわよね。どうして急にそんな話が? 持ち主の事を考えたら、そんな無理を言うようには思えませんけれど」
どうやらエリザベスさんも、その持ち主のことを知っているようである。
ミレースが、エリザベスさんの言葉に同意してピコピコと耳を動かす。
いつの間にかミレースの頭の上によじ登ったフユが、嬉しそうにその耳を触っている。
「フユ~、フサフサしてるです!」
こいつを教育することは、もう諦めることにしよう。
俺は見なかったことにした。
ミレースは、頭の上のフユが落っこちないように気にしながら言った。
「そうなんです、どうしてそんなに急にそんなことを仰るのか。今まではとってもいい条件で、屋敷を貸してくださっていたんです。それに、冒険者達もあの方の屋敷だってそれだけでわざわざ都に来る人もいるぐらいで。ギルドとしては、ほかの屋敷が見つかったとしても、出来れば今の場所を離れたくないんです」
「へえ、有名人の屋敷なんですね。ちなみにどんな人なんです?」
わざわざ、その貴族の屋敷だからと都に来る冒険者がいるぐらいだ、ちょっと興味がある。
どんな人間の屋敷なんだろうか。
ミレースが俺に答えた。
「レディ伯様です。レティアース伯爵様、女性なら誰でも憧れる方ですわ」
「レディ伯?」
俺はそう聞き返す。
エリザベスさんが、うっとりしているミレースの代わりに俺に教えてくれた。
「ファルルアンにはレディ伯という称号があるの。女性の伯爵の敬称よ」
「へえ、そうなんですね。女伯爵か、なんだか格好いいですね」
俺は感心しながらそう言った。
女性でありながら国王から特別に爵位を与えられた貴族、それも伯爵と言えば相当な功労が無ければ有りえないだろう。
「待てよ……レティアース伯爵。どこかで聞いたことがあるなその名前」
しかも最近聞いたような気がする。どこでだろう?
俺はそう言いながら、記憶を手繰るように首を捻った。
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