第三十二話 少女の願い
俺は振り返り、男を見る。
年齢は三十代前半だろうか、高価なスーツを着こなした伊達男だ。
褐色の髪と、少し生やした無精ひげが結構渋い。
(これは……)
男から感じる魔力と同じ質の魔力を男が、嵌めた指輪からも感じる。
俺はいざという時のために、いつでも使い魔達を召喚出来るように身構える。
妙なのは男から殺気を感じない事だ、あれ程激しくリルルアと言い合っていながら、それを感じないのが腑に落ちない。
位置的に俺たちを盾にしてるのも悪意と言うよりは、リルルアとの争いを避けるためのように感じられる。
気が付くと二人の怒鳴り合いが聞こえたのだろう、となりの料理店の店主と客が店から出て来てこちらを見ている。
でっぷりとした料理店の店主は、太鼓腹をゆすってあきれ顔で言った。
「ああ、また始まったぜ。リルルアとアウェインの夫婦喧嘩が」
(ん? 何だ、夫婦喧嘩って言ったよな今)
料理店の店主の妻らしい女が、店主の太鼓腹を肘でつついた。
「元夫婦だろ? あんた、そこんとこ間違えるとぶっ飛ばされるよリルルアに」
料理店の客達は常連なのか、いつもの事といった感じでこちらを見ている。
「どうしてこうなっちまったのか。リルルアとアウェインって言えば、おしどり夫婦で有名だったのにな」
「ああ、ファルルアンの冒険者ギルドを仕切る若き魔闘士アウェインと天才魔道具師リルルア。二人ともあのミレティ様の愛弟子だろ?」
(へえ、この二人ミレティ校長の弟子なのか?)
「アウェインの奴どうせまた、冒険者ギルドで必要な魔道具を買いに来たんだろ。リルルアはアウェインには売らないって言ってるのにさ、わざわざ支部長の自分が買いに来る辺り未練たらたらなんだよな」
「ああ、離婚してもう三年経つってのにまだリルルアさんにベタぼれだからな、アウェインの奴」
(冒険者ギルドなんてのが都にあるんだな)
冒険者ギルドとか厨二病の俺には気になるところだが、今はそれどころではなさそうだ。
料理店の店主の妻は、亭主に負けない程の太鼓腹をゆすって溜め息をついた。
「素直にリルルアに会いに来たって言えばいいんだよ。女心が分からない男だね、ほんと」
アウェインと呼ばれた男は、魔力を高めたままヤジ馬たちに反論する。
「うっ! うるせえぞお前ら! 俺はギルドの仕事で仕方なく来てるんだ! 誰がこんな女に会いに来るかよ、勝手なこと言ってるんじゃねえ!!」
「こんな女で悪かったね! だったら、早くここから消えな! ギルドへの納品なら他の人間をよこすんだね!! 消えないなら、こうだよ!!」
その瞬間、リルルアの後ろ髪に結ばれている赤、青、黄色の美しい宝玉が強烈な光を放つ。
「炎と水と大地の番犬よ、集いて我に仇名す敵を滅せよ! エレメントゥム・カニス」
「おい! 元亭主に敵ってなんだ! 待て、リルルアやめろ!!」
リルルアが召喚呪文を詠唱した瞬間、3色の宝玉からそれぞれの色に輝いた大型の犬が唸り声を上げて飛び出した。
(やべえな、こりゃあ……)
四大勇者とまではいかないが強烈な魔力をリルルアから感じる。
「うぉおおおおお!!」
叫び声を上げるアウェインの体に、三匹の魔犬が喰いついて地面に押さえつける。
だが、魔犬達は唸りながら時々アウェインに小声で囁いてる。
リルルアに聞こえないように気にしている様子だ。
「馬鹿なんですか、アウェイン様? だから、来るなとあれほど」
「俺達もご主人様の手前、こうするしかないですからねぇ」
「どうせあんたリルルア様に攻撃なんて出来ないでしょうが、まだ惚れてるんですから」
どうやら俺達は夫婦喧嘩……いや、どうやら元夫婦のようだが。
の真っ最中に来てしまったらしい。
リルルアが、ゆっくりと階段を下りてこちらに向かって歩いてきた。
モデルの様な長身と、エキゾチックな美貌が特徴的な女性である。
年齢は、アウェインと同じぐらいか。
リルルアは、アウェインを見下ろすと冷たく言い放った。
「とっとと帰りな。あんたとあたしは、もう他人なんだ! これ以上、あたしの店の周りをうろついてるのを見たら容赦しないよ!!」
「くっ……分かったよ。もう来ねえよ……」
リルルアの言葉に、アウェインは低く呻いて顔を背けた。
と、その時である。
「フユ~、ワンワンです! 大きいです!!」
重苦しい雰囲気を打ち破るように、無邪気な声がする。
(おい、何してるんだお前は。少しは空気を読め)
三匹の魔犬の一頭の背中に乗ってはしゃいでいるのは、フユである。
それを見て、険悪だったリルルアとアウェインが固まっていた。
嬉しそうに笑うフユを見ている。
(やばい。固まってるぞ、そりゃそうだよな夫婦喧嘩の最中にこれは無いわ)
「あ、あのすみません。すぐに、やめさせますから」
今は俺が保護者だからな。
こんなでかい魔犬にフユの頭をガブリとでもいかれたら一大事である。
何かあったら、ローゼさんや俺を信用してフユを預けた白狼達に申し訳が立たない。
だが、俺が魔犬達に近づくと三匹の犬達は、不思議と嬉しそうにフユを見つめていた。
その顔は優しい。
フユが乗っている魔犬は、俯いて肩を震わせていた。
(何だ、泣いてるのか?)
「くそ……思い出すぜ、お嬢のことを」
残りの魔犬も、遠い目で空を見上げている。
「ああ……いつもこうやって、無邪気に俺たちの背中に乗ってたっけな」
「畜生、お嬢さえ生きてればこんなことにはならなかったんだ。リルルア様もアウェイン様もお嬢も、三人いつでも仲良くよぉ……みんな、いつも笑顔で」
となりの料理店のおかみさんが、口元を手で押さえて鼻をすすっている。
「そういやあ、そうだったね。明るい子でさ、リルカちゃんが生きてた頃はいつだって笑い声が聞こえて、ねえあんた?」
料理店の主人は、フユの姿を見て目を細めながら妻の言葉に答える。
「黙ってろお前は、一番辛いのはあの二人なんだ。思い出させるんじゃねえよ」
フユは、元気が無くなった魔犬を見て不思議そうに首を傾げる。
「どうしたですか? 泣いたら駄目です、フユちゃん笑顔が好きです!」
その言葉を聞いて、リルルアの瞳から涙がこぼれた。
「リルカ……」
それは静かに頬を伝わっていく。
アウェインが、地面を叩いた。
何度も何度も。
「くそが……くそ!!」
強く地面に打ち付けられたその手には、血が滲んでいる。
アウェインの目にも、涙が光っている。
そして一瞬躊躇した後、意を決したようにリルルアの方を見る。
「すまねえ……すまねえ、リルルア。今更こんなこと言える義理じゃねえのは分かってる。俺が悪いんだ、三年前リルカが病気で死んじまった時、俺は酒と仕事に逃げた。お前が苦しんでるのを見ようともしないで。苦しくて、自分の苦しさを抱えるだけで精一杯でよ」
(そうか、この人たちの娘は……)
「弱っていくあいつ助ける術が無くて、ただ泣いてる俺達にいつもリルカは言ってたのによ。泣かないでって、俺達の笑顔が大好きだって……」
魔犬達が静かに言った。
「そうですよ、アウェイン様」
「あんたとリルルア様が争って、お嬢が喜びますか?」
「本当はお嬢を亡くしたリルルア様の事が心配で、あんたはここに来てるんでしょうが」
アウェインは、血が滲んだ手を握り締めた。
フユがちょこんを地面に降りて、不思議そうにアウェインを見ている。
「フユ~、凄く悲しそうです。フユちゃんも悲しくなります」
しゅんと頭の白薔薇がしぼんでいく。
無邪気に魔犬の上に飛び乗っただけのフユには、状況が飲み込めてないのだろう。
可愛らしく大きな瞳で、自分を見つめている精霊花の子供の頭をアウェインは撫でると、何かを思い出したかのように笑った。
「そうさ、あいつはいつだってみんなの笑顔が大好きだった。そんな事さえ忘れちまってたんだな、俺は」
リルルアは、アウェインを見る。
そして、言った。
「ああ、あんたは馬鹿だよ。こんな姿、あの子が見ていたらどんなに悲しむか。馬鹿だね……私達は本当に」
そして、自らの使い魔である三匹の魔犬に歩み寄ると、その背中に乗っているフユを、優しく手の上に乗せた。
「あんたかい、使い魔になりたいっていう可愛い精霊花は。ミレティ様から聞いてるよ」
フユは頭の白薔薇を撫でられて、嬉しそうに言った。
「フユちゃん、エルリットの使い魔になりたいです! 手伝ってくれるですか? フユちゃん頑張ります!」
その言葉にリルルアは微笑んで、その後俺を見る。
「お前があの炎の槍の勇者の孫、エルリット・ロイエールスだね? まさかこんな子供がミレティ様やマシャリア様が認める『後継者候補』の一人とはね」
「『後継者候補』って何ですか?」
俺の疑問にリルルアは何も答えずに、フユを手に乗せたまま店の方に歩き始める。
「ついておいで、あんたには色々教えるようにミレティ様から言われてるんだ。属性分魔術や魔道具のことについてね」
そして、ふと振り返ると地面に膝を付いてる伊達男に言った。
「アウェイン、何してるんだい。あんたも来るんだよ。約束の品はもう出来てる。邪魔だから早く持って行っておくれよ」
「リルルア、お前!」
元々は、こんな優しい笑顔が出来る女性なのだろう。
リルルアは美しく微笑んでいた。
「久しぶりにあの子に手を合わせておくれ。喜ぶからさ、きっと」
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