第二十六話 初めての大空
さて、次の日の朝の事である。
俺たちは王宮にいた。
エリザベスさんとエリーゼは、国王と一緒に士官学校に向かうので、俺も同行したのである。
まだ学校が始まるには少し早い。
「キュイちゃんに、会いたいです!」
エリーゼは、俺とエリザベスさんをうずうずした目で見ている。
少し早めに屋敷を出たのは、エリーゼがキュイに会いたがったからでもあるからな。
俺たちが白竜の厩舎に向かうと、ギルバートさんとマシャリアが見えた。
二頭の白竜も一緒にいる。
「キュイちゃんです!」
大きな二頭の親竜の側に、まだ眠そうに飛竜の子供が歩いている。
母親のアルサに付いて歩いているのだろう。
時々アルサが遅れるキュイをくわえて歩いたり、優しく頭をつついている。
「エルリット、キュイちゃん歩いてます! 可愛いです!」
(へぇ、昨日生まれたばかりなのにもう歩けるもんなんだな。まるでヒヨコみたいだ)
「キュ~」
まだ眠いのだろう、ヨチヨチと歩いてボチョッとその場に座り込んだ。
ギルバートさんがそれを微笑ましく眺めながら、俺たちを見た。
「これは、おはようございます。エリザベス様、エリーゼ様、エルリット君」
マシャリアも、エリザベスさんとエリーゼに頭を下げると俺に言った。
「実はな、せっかく陛下が士官学校にお見えになるのだから、この白竜を士官学校の生徒たちにお披露目しようと言う事になったのだ。捕獲にはラセアルたち4人の功績が非常に大きかったのでな、陛下から直々にお褒めの言葉があれば励みになろう」
「ああ、なるほど。それはそうかもしれませんね」
確かに国王から直々に声をかけられれば、四貴公子の連中はもちろんだが、他の生徒たちも俺達もという気持ちになるだろう。
『ふう、森よりもずっと過ごしやすくて気に入っていたのだが。こんなに朝早くから仕事をさせられるとはな』
『何言ってるんですか。貴方が起きるのはいつもお昼近くでしたわよ、今までがだらしなかったのよ貴方は』
ラセルとアルサは、今日も通常運行の様だ。
『あら、エルリット君おはよう。気持ちのいい朝ね!』
『おはようございます、アルサさん。今日もお綺麗ですね』
レディを褒めるのは紳士の嗜みである。
実際に、朝日の中のアルサさんの姿は白く美しかった。
アルサは少しジト目になって、隣のラセルを睨む。
『聞きました貴方! これが紳士ですわよ。それに比べて貴方ときたら、さっきからだらしなくあくびばかりして!』
『む、無論、君はいつでも綺麗だよアルサ!』
それを聞いてアルサはため息をついた後、翼を一度はためかせてラセルと白い首を絡め合った。
朝から熱々である。
両親が仲良くしている姿を見て、座り込んでいたキュイが立ち上がって翼をパタパタしている。
アルサとラセルが、キュイに鼻先を摺り寄せる。
「キュキュ!!」
それを見て、エリーゼが嬉しそうにエリザベスさんに抱きついた。
「キュイちゃん可愛いです。お父さんとお母さんと仲良しです」
「エリーゼと同じね」
エリザベスさんの言葉に、エリーゼは嬉しそうに頷くと俺の手を握った。
「エルリットも家族です!」
「そうね! エルリット君も家族よね!」
そう言ってエリザベスさんは、俺をギュッと抱きしめた。
(ぐふふ……いい匂いが)
いかん、アルサに紳士と言われたばかりでこのざまである。
我ながら反省が必要だろう。
「キュ?」
キュイが大きな瞳でこちらを見つめている。
少し目が覚めて、俺たちに気が付いたのだろう。
俺はアルサたちに近づいて、許可を得るとキュイを抱いてエリーゼの元に連れていく。
「おはようです、キュイちゃん!」
エリーゼはそう言って、優しくキュイの頭を撫でる。
「キュキュ!」
キュイはエリーゼの手に鼻先を摺り寄せて、嬉しそうにしている。
どうやら、エリーゼにはすっかり懐いているようだ。
俺はキュイをエリーゼに抱かせると、マシャリアたちに言った。
「もしかして、マシャリアさんたちが士官学校に連れて行くんですか白竜を」
その言葉に、美しい女エルフは頷くと。
「ああ、私が雌の白竜に、ギルバートが雄の白竜に乗って士官学校に向かうつもりだ」
ギルバートさんも頷いて言う。
「どうせこの白竜たちをお披露目するなら、陛下と生徒たちの前に白竜で舞い降りるのが一番効果的かと思ってね。陛下もそれが良いと仰せになられて、そうする事にしたんだよ」
(なるほどな、確かにそれは壮観だな)
美しい白竜に乗った美女とイケメンが空から舞い降りるとか、昨日の女子軍団辺りはキャーキャー騒ぐだろう。
ギルバートさんのアイデアだとしたら、中々の演出家ぶりである。
マシャリアがアルサに飛竜用の鞍を付けると、早速その背に乗る。
「その前に少し一緒に飛んで慣らしておこうと思ってな、行くぞギルバート!」
ギルバートさんも、ラセルに鞍を付けると頷いた。
「ええ、皆さんは少しそこで待っててください。すぐにまた降りてきますから」
慣らし運転みたいなものか。
アルサさんには必要ないかもしれないが、確かにラセルには必要かもしれない。
今も大きなあくびをしていたからな。
両親が大きな翼をはためかせるのを見て、キュイがエリーゼの腕の中で首を伸ばす。
「キュキュキュ!!?」
大きな瞳を見開いて、両親の姿を見ている。
そうか、キュイにとっては空を飛ぶ父親と母親の姿を見るのは初めてだろう。
自分に翼はあっても、それを何に使うのかはまだ良く分かってないだろうからな。
『ほら、貴方。見てますわよぼうやが』
アルサの言葉に、ラセルが急にキリッとした顔になってキュイを見る
『うむ、父親の威厳を見せねばなるまい!』
さっきまで散々あくびをしていたのに、よく言うものである。
二頭の白竜が一際大きく羽ばたいた瞬間、白く美しい影が勢いよく大空に飛び立っていく。
流石に凄い迫力だ。
「キュ!? キュキュキュゥウウ!!!」
キュイが目を丸く見開いて、アルサとラセルの姿を追いかけている。
空を飛ぶ二頭の姿に興奮したように、翼をバタバタとさせる。
腕の中でジタバタするキュイに、エリーゼが悲鳴を上げた。
「駄目です、キュイちゃん! そんなに暴れたら落ちちゃいます!」
エリーゼは仕方なくしゃがむと、キュイを地面におろした。
キュイは空を見上げて、キューと鳴いて鼻息を荒くする。
「キュキュイ!!」
ラセルがしたように目をキリッとさせて、ヨチヨチと歩くと必死に翼を羽ばたかせる。
「キュキュ!!」
ラセルの真似をしたのだろう、たどたどしい足取りで地面を蹴ったキュイは当然飛ぶことは出来ず、その場に尻もちをついた。
自分も、父親のように飛べると思ったのだろう、キリッとしていた大きな目が悲しそうに変わって、空を見上げて大きな声で鳴いている。
(そりゃ無理だよな、まだ赤ん坊なんだから歩けるだけでも大したもんだ)
「キュ~!!! キュキュ~!!」
翼をバタバタとさせて、大空高くに見える両親の姿を見上げている。
自分も両親のように飛びたいのだろう、その気持ちが伝わってきた。
いっその事、風魔法で手伝ってやろうかと思ったが、それはキュイの為にならないだろう。
自分が飛べないのだ分かると、次第に翼を振るのもやめて小さな声で鳴きながらしょんぼりと下を向いてしまった。
「キュイちゃん……」
エリーゼは静かにキュイを抱き上げると優しく頭を撫でた。
「大丈夫です。キュイちゃんも飛べます。大きくなったらエリーゼ、キュイちゃんと一緒に空を飛びます!」
「キュゥウ?」
元気が無くなっていたキュイは、優しく何度も頭を撫でられてエリーゼを見つめる。
不思議なものだ、言葉なんて通じなくても気持ちが通じることはある。
それが、偽りのない心から生まれたものだからなのだろうか。
(それにしても、大人になったエリーゼが白竜のキュイに乗った姿は綺麗だろうな)
想像しただけでも、絵になる光景である。
キュイはいつの間にか大人しくなって、エリーゼと一緒に空を見上げていた。
暫くするとギルバートさんの言葉通り、二頭の白竜は俺たちの前に降りてきた。
俺と一緒に、エリーゼはアルサに近づく。
今までは親竜に近づくのは怖がっていたが、キュイの母親だと思うと怖くなくなった様子である。
アルサはエリーゼが抱いているキュイに鼻を寄せる。
「キュキュ!!」
ラセルも加わって俺に言った。
『どうかね、息子は。尊敬の眼差しで見ていたかね!』
『え、ええ。まあそうですね』
それを聞いてアルサは呆れたように言った。
『全く貴方は、すぐ調子に乗るんだから。少し速すぎでしたわ。二人で息を合わせるように飛ぼうとしてましたもの、あの騎士とエルフは』
アルサはやっぱり賢い。
どうやら、ギルバートさんとマシャリアの意を汲んでいる様子だ。
『ええ、実は俺が通っている学校の式典にお二人は参加することになっているんです。言いにくいんですけど、お二人を捕らえた俺の学校の生徒たちの表彰式のようなものでして』
『あら! 気にすることは無いわよ。ここはとても良いところだし、坊やも安心して育てられるわ。エルリット君も居るし、感謝したいぐらいよ』
ラセルも頷いた。
『うむ、気にするな少年よ!』
『貴方は気にしてください。たまたま運が良かったですけど、悪い人間に捕らえられでもしていたら大変でしたのよ』
アルサさんの言葉に、ラセルは小さくなっている。
まあ、卵を抱えていた母親からしたらもっともな意見だから仕方ないな。
ギルバートさんは、二頭の白竜を感心したように見上げる。
「さすが白竜ですね。とても昨日捕らえてきたばかりとは思えない」
マシャリアも頷いた。
「これならば士官学校に連れて行っても問題はあるまい、しかし陛下の前で何かあってはならない。念のためにエルリットには、私の後ろに乗ってもらうぞ」
(まあ、俺は白竜の言葉が分かるからな……って、ん? つまりそれは俺が一緒に空を飛ぶって事か!?)
すげえ! 厨二病の俺にとって飛竜の存在だけでもうやばいのに、その背中に乗って空を飛ぶとかもうやばすぎである。
少し怖い気もするが、ドラゴンに乗って空を飛ぶとか男のロマン以外の何物でもない。
チャンスを逃す手は無いだろう。
「い、いいんですかね?」
「心配するな陛下にはもう許可は頂いている。お前もこの国の名誉王国騎士だ、たまには陛下の為に働いてもらわねばな」
名誉騎士の肩書も、無駄ではなかったな。
エリーゼが、瞳を輝かせて俺に言った。
「凄いです! エルリット、飛竜に乗るんですか!?」
「キュイイ!」
キュイは良く分かっていないのだろうが、エリーゼが嬉しそうなのを感じて大きな声で鳴いた。
ギルバートさんは、エリーゼに微笑むと言った。
「エリザベス様とエリーゼ様は、陛下と共に先に士官学校に向かって頂きます。聖騎士団が警護を担当しますので、ご安心を」
その言葉通り、少し時間が経った後エリザベスさんはエリーゼは、国王と一緒に士官学校に向かった。
聖騎士団に護衛をされながら、壮観な様子を俺たちは見送る。
キュイはエリーゼに抱かれて馬車に乗り込んだので、少しの間両親とはお別れだ。
最初キュイは少し寂しがったが、アルサが頭をつつくと大人しくエリーゼに抱かれて馬車に乗り込んだ。
キュイをも一緒にお披露目するらしい、白竜の親子は士官学校の生徒たちの心を奪うだろう。
さて、国王が王宮を発って暫くするとマシャリアがアルサに着けている鞍を二人乗りの物に換える。
「さあ、そろそろ行くぞ。エルリット!」
「ちょ、ちょっと待ってください俺にも心の準備が」
何といっても空を飛ぶのだ、俺は大きく深呼吸をした。
ようやく心を決めて俺は緊張しながら、アルサさんの背中にまたがったマシャリアの手を握る。
マシャリアが一気に俺を引き上げると、凛とした声で言った。
「しっかり捕まっていろ! 振り落とされるなよ!!」
『行くわよ、エルリット君!』
アルサの翼が大きく羽ばたくと、砂埃が舞い散る。
そしてその瞬間、まるで重力から解放されたようにふわりと自分の体が浮くのを感じた。
身体に感じる加速度に、俺は思わずマシャリアの腰にしがみついた。
(うお! 何だこれ!!)
俺は大空にいた。
さっきまでいた地面が遥か眼下になっていく。
(すげえ! すげえええ!! ファンタジー映画の主人公になったみたいだ)
大空高く舞い上がった後、アルサは大きく翼を広げて風に乗る。
さっきまで感じていた加速度が嘘のように、大空を滑るように飛んでいく。
まるで、風になったみたいに気持ちいい。
すぐ隣をラセルとギルバートさんが飛んでいる。
「どうだい、エルリット君。初めて飛竜に乗った感想は?」
感想なんて聞かれるまでもない。
ギルバートさんの言葉に、俺は叫んだ。
「最高ですよ!! 決まってるじゃないですか! やっふぅうううう!!」
暫く飛ぶと、都の街並みの中に士官学校が見えてくる。
すると、その上空に2人の美女が待機をしていた。
マリャリアはそれを見て言った。
「どうやら、ミレティの出迎えのようだな」
ミレティ校長の風の精霊たちである。
「マシャリア、エルリット君。おはよ~、ついて来てね!」
マシャリアは、風の精霊の後をついていくようにアルサを飛ばしていく。
ギルバートさんの乗るラセルと、華麗に円を描きながら士官学校の上空で待機する。
眼下を見ると、丁度国王を守る騎士団の隊列が士官学校に入っていくのが見える。
どうやら闘舞台へ向かっている様だ。
美しい歌声が、響き始める。
ミレティの精霊たちだ、闘舞台の少し上空でまるでオペラの歌姫のように歌っている。
国王を迎える為のセレモニーが地上でも始まっているようだ。
「マシャリア、ミレティがもう降りて来ていいって言ってるわ。じゃあ私も行くわね」
俺たちの側にいる精霊も、俺たちにそう言うとその歌の輪に加わる。
まるで、オペラ会場にいるかのような美しい歌声の中で俺たちは闘舞台に降りていく。
舞台の側につくられた、立派な貴賓席に国王が座ると同時に舞い降りた二頭の飛竜に、士官学校の生徒たちは大歓声である。
ギルバートさんの演出は大成功のようだ。
「すげえ! 白い飛竜だ!! 国王陛下の新しい飛竜だぞ!!」
「国王陛下万歳!!」
「ようこそ士官学校へ、国王陛下!!」
突然の来校にも関わらず、生徒たちは皆整然と国王を迎えている。
流石に士官学校である。
(エリーゼの前ではキュイキュイ言ってるただのジジイだったが、人気あるんだなあの国王)
国王への歓声に混じって、女子生徒たちから黄色い声援が飛ぶ。
「「「マシャリア様、素敵ぃい!! 結婚して下さい!」」」
「「「駄目ならギルバート様でもいいです!」」」
色々間違っている気もするが、気のせいだろうか。
マシャリアは某歌劇団の男役スター顔負けの人気である。
ギルバートさんも一応滑り止めとしては人気のようだ。
もちろん男子生徒からも歓声が上がっている。
「な! 何で、お前がマシャリア様と!!?」
闘舞台の方から、動揺したような声が聞こえた。
ふと気が付くと、目の前の闘舞台の上に4人の士官学校の生徒たちが膝を付いて国王に礼をしている。
この連中が、四貴公子だろう。
白竜を捕らえた事で、国王から声をかけられる予定だからな。
そして、その中の一人が大きく目を見開いて唇を震わせながらこちらを見ている。
ラセアルである。
マシャリアの側に立っている俺を、まるで親の仇の様な目で睨みつけている。
(ああ……そうかこいつの事すっかり忘れてたな)
初めて空を飛べることにワクワクして、ラセアルの事をすっかりと忘れていた。
マシャリアは、俺の肩に手を置くと微笑む。
「どうだ、エルリット初めての大空は」
「は……ははは。最高でしたよ」
ラセアルの目がまるでレーザービームを放つように、俺の肩に置かれたマシャリアの手にくぎ付けになっている。
どうやら、試合前に思いっきり火に油を注いだようである。
(こりゃ、勝つしかないな。負けたら、そのまま勢い余ってぶっ殺されそうだ)
俺はそう思って、ふうとため息をついた。
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