第百二話 赤い薔薇の女神
「タイアスさんに資金を出した人物、それはディアナシア王妃陛下じゃありませんか? エルーク殿下」
俺の言葉にリスティが驚く。
「ディアナシア様が!? まさか……」
この巨大な施設を眺めながら、俺は答える。
「他にこんなものを作る金を出せる人間がいますか? しかも、魔族の存在が一切外部に漏れていない。つまり漏らそうとした者には、それ相応の報いがあるからですよ」
「フユ~、エルリット酷いです! 薔薇の女王様は優しいです!」
フユは俺の言葉に頬を膨らませて抗議する。
小さな手は、王妃から貰った赤い薔薇が変化した飾りを大切そうに触っていた。
「フユにとっては、そうだろうけどな」
俺は嫣然と微笑むディアナシアの目を思い出す。
美しさと共に底知れない何かを感じた。
エルークは、何も答えずに大樹の傍に建てられた記念碑のようなものへと俺たちを導く。
リスティがその記念碑を見て。
「これは……」
「やっぱりですね」
そこにはこう記されていた。
『我と我の研究を信じて下さった、赤い薔薇の女神に全てを捧ぐ』
恐らくタイアスさんが記したものだろう。
エルークが言う。
「今から数十年前も前に刻まれたものだと聞く。まだタイアスも若く、この国に嫁いで間もない王妃が、四面楚歌の自分に手を差し伸べてくれたことに、感激したのだろう。いや……もしかすると」
エルークはそれ以上口にすることを、躊躇っている様子だった。
(……愛だろうな)
ディアナシア王妃への愛。
それしか考えられない。
タイアスさんは四大勇者だ。
いくら王妃から箝口令を出されても、普通なら他の四大勇者にまで魔族のことを伏せるだろうか?
仲間以上の存在に、頼まれなければそれはあり得ない。
エルークは、記念碑を見つめながら──
「タイアスの母親は隣国のランザスの出身だ。その国の王女だったディアナシア王妃陛下が、助け舟を出してくれた時は嬉しかっただろう。あの赤い薔薇に忠誠を誓うほどにな」
エルークは師の胸の内までは語らなかったが、彼が誰に忠誠を誓っていたのかはこの碑をみても明らかだろう。
ディアナシア王妃とエルークの対立も、タイアスさんがいる頃は問題になる程ではなかったと聞くからな。
エルークは、過去の記憶を手繰るように話を続けた。
「タイアスにとっては、ディアナシア王妃は絶対的な存在だった。ここに刻まれたが如くまさに女神のようにな。タイアスは研究に没頭し、その成果をディアナシア王妃に報告した。それが、この国、ひいては世界の為になると信じていたからだ」
(過去形だな……三年前に一体何があったんだ?)
もし、二人の関係が上手くいっていたなら、タイアスさんが突然姿を消した理由が分からない。
俺がそんなことを考えていると、リスティは不思議そうにエルークに尋ねる。
「殿下。そもそもこの研究施設は、一体何のために作られたんですか? 魔族の研究だけなら、これほど大掛かりなものがいるとは思えませんわ」
その問いにエルークは答える。
「確かにな、地下に眠るあの女と黒い獣の存在。それを突き止めるだけならば、これほどの施設は必要がない。タイアスが没頭したのは、その先の知識と技術だ」
エルークの答えにリスティは首を傾げる。
「その先の技術? 一体それは……」
リスティの問いにエルークは答える。
「簡単なことだ。脅威の存在が明らかになった以上、やるべきことは一つしかない」
(なるほどな、そういうことか)
俺はアーミラさんを見る。
そして、巨大な大樹とその根元に眠っていたエリーゼに似た少女のことも。
「つまり、ここは『対魔族兵器』の開発の為に作られた研究所ってことですね?」
リスティが俺の言葉に目を見開く。
「『対魔族兵器』!? エル君、あなた何を言ってるの……」
「魔族への対抗策、それがこの大樹でありあの少女。ホムンクルスの技術だって、その為の一つじゃないんですか?」
地の底に眠る女が目覚めた時、ただ座して死を待つというのなら別だ。
だが、真の脅威の存在が明らかになった以上、『その先の知識と技術』なんてものは、それへの対抗策以外はあり得ないだろう。
どうやったのかは分からないが、俺たちが手も足も出なかった魔族をあの装置に入った少女が放つ光が消滅させた。
あれを見れば、積み重なった研究の成果が分かる。
エルークは、俺を静かに見つめると口を開いた。
「その通りだ、エルリット。そして、その研究は三年前のあの日から途絶えた」
「タイアスさんが、姿を消した日からですね。一体何があったんですか? それにエルーク殿下がどうしてバールダトスに……あの剣は一体何なんです?」
俺たちの前に現れたエルーク、その手に握られていたあの剣。
そこから感じられた力と、エルークの力が融合するようなあの気配。
エルークは暫く、考え込むと俺を正面から見据えた。
「タイアスの研究を、恐るべきことに利用しようとする者達がいるのだ、私はその実験台にされたに過ぎん。エルリット・ロイエールス、お前には力を貸してもらうぞ。私には奴らに対抗しタイアスが残した研究を、正しく引き継ぐ義務があるのだ」
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