11月中旬 文化祭 悠斗とリザ 上
『案内してやるから』
――――ほとんど強引にと言っていいほど無理やりとりつけた約束。
渋る彼女は最後には頷いてくれたけれども、本当に来てくれるかは五分五分だと思っていた。
「いた……」
劇が始まる少し前。舞台の袖から観客席を眺めていた俺は、目的の人物を発見しほっと胸をなでおろした。
この演劇のチケットは抽選方式だが、出演者は特別に数枚程度であればチケットを自由にできる。俺は数日前、それを彼女に渡したのだった。
『せっかくだから見に来いよ』
そう言って返事は聞かずに押し付けた。
考えてみれば、この劇の配役を決めるときにも彼女はいた。出演者でこそなかったが、まるで無関係というわけでもない。
チケットを握らされた彼女は困惑気味ではあったが、結果的には来てくれたみたいでよかった。
席は関係者席なのでかなり前の方の良い席だ。
早く終わらせて、一緒に文化祭を楽しみたい。
そのためにも、頑張らないと。
気合を入れ直して、俺は劇に集中した。
『悪い。待たせたか?』
劇は無事終了した。
伊織を連れ出すのだろう、誰よりも早く更衣室を出て行った会長に続き、さっさと着替えて待ち合わせ場所にやってきた。
劇が終わってすぐこちらに来ていたのだろう。
ベンチに腰かけた小さな彼女の姿が見え、慌てて駆け寄った。
『悪い、待たせたな』
『大丈夫だ。待っている時間も楽しいから』
立ち上がった彼女はそう言ってほほ笑む。
毛嫌いして碌に彼女を見なかったときには気が付かなかったが、彼女はたまに妙に儚い笑みを浮かべる。
それを見せられると、どうにも抱きしめたい衝動に駆られてしまい、ものすごく焦る。
『あー、そうか。ならいいけど。……お前、どっか見て回りたいところはあるか?』
今更「お前」呼びは変えられず、ずるずると今に至っている。
『実はパンフレットを見ていたんだが、良くわからなかったんだ。話すのはなんとかなるんだが、日本語の読み書きはどうにも苦手で……』
『漢字も混ざるから、日本語は難しいよな。かせよ、説明してやるから。これはな……』
彼女が困ったように見せてきたパンフレットを奪い取り、簡単に何をやっているか説明してやる。
その中で彼女が興味を示したものは、以前見回りを一緒にしたときにみていたものばかりだった。
……そういうことを素でやってくれるから、困る。
――――あの倒れた日。
確実に、俺の中で何かが変わっていた。
最初は分からなかった。だけど日に日に感じる違和感。
鬱陶しいくらい毎日きていた彼女がぱったりと来なくなった。
最初は、清々した。そう思った。紛れもなく本心だった。
だけどその状況は、日が経っても変わらず続く。
あんなに毎日来ていた彼女が来ない。
遂には彼女が現れないか無意識に扉を気にしている事に気が付き、そんな自分に甚くショックを受けた。
……俺は彼女に会いたいのか。
まさか。いや、でも。
認めたくない。俺が彼女に会いたいと思っているなんて。
あれだけ毛嫌いしてきた彼女に今更会いたいだなんてどの面下げて言えるというのだ。
悶々とした気持ちを抱え、でもどうしようもできなくて途方に暮れていたところに、伊織から天の啓示とばかりに電話があった。
「どうしてもつきあってほしいところがある」
伊織のその言い方でピンときた。いつになく焦っている様子の伊織。
きっと彼女のことだ。そう思った。
彼女の事を気にしていると悟られたくなくて、伊織の前ではできるだけいつも通りの自分の態度を装った。
格好悪いと分かっていたけど、見栄を張った。
そうやって緊張しつつ初めて彼女の家を訪れた。
――――彼女が自分の国に帰るという発言を聞いて、頭の中が真っ白になった。
気が付けば、彼女を部屋から引きずり出していた。
久しぶりにみた彼女の顔は以前よりもこけており、目の下の隈はさらにひどいことになっていた。
その姿に言いようもなく腹が立って仕方なかった。
声をかけても以前とはちがい、よそよそしく距離を置こうとする彼女にもいらだった。
違うだろ!!お前はそうじゃないだろう!!
いっそ思い切り首根っこをひっつかんで揺さぶってやりたかった。
目を逸らそうとする彼女を許さず、その目を覗き込んだ。
そこに映った、どうにも情けない男の顔。
……気づいてしまった。
認めたくない。そう思っていたのに、彼女の目に映る自分の姿をみて否応なしに納得させられてしまった。
――――いつの間にか、こんなにも特別になっていた。
彼女に落とされたのはいつだったのか。それは分からない。
だけど分かった時にはもう、底の底まで落とされていた。
「リザ・シュバインシュタイガー」彼女に。
自分の事だけで精いっぱいだから、トクベツなんて作りたくなかったのに。
なのに、俺をおとすだけおとしておいて、リザは一人祖国へ帰るという。
許さない。そんな勝手な事許すものか。
少しでもリザの心を変えたくて、次の日から時間の許す限り彼女の家へ立ち寄った。
リザは頑として意見を変えない。
だけど、時たま視線が揺らぐ時があった。
俺をみて、何か言おうと口を開きかけ……そして黙り込む。
日が経つにつれ、その仕草が増えてきた。
気分転換をさせてやりたい。
相変わらずリザは眠れないようだ。
目の下の隈は真っ黒で、応答もはっきりしない時がある。
眠れないのなら、睡眠薬を処方してもらってはどうかと言っては見たが、眠れないのではなくて、眠りたくないのだと断られた。
リザの悪夢はまだ続いているようだ。
何度か夢の内容を尋ねてみたが、青白い顔で首を横に振るだけで教えてはもらえなかった。
そんな折だった。
出演者用のチケットを手に入れたのは。
少しでも気を紛らわせてやりたくて、誘った。
迷うように視線をさまよわせた彼女は、しばらくして何かをあきらめたように頷いた。
約束をとりつけた俺は、その彼女の表情の意味には気が付いていなかった。
――――そして約束の日は訪れる。
文化祭は思った以上に楽しかった。
俺はずっと病に悩まされていたせいもあり、こういった学校行事にはなかなか参加できないことが多かった。
リザが興味を示した出し物や展示物をのんびりと見学したが、彼女が選ぶものは俺が一人だと絶対に選択しないようなものばかりで、興味をひかれるものも多かった。
大体、リザがいなければ多分文化祭を楽しもうなどと思わなかったに違いない。
『結構歩いたが……ユウト先輩の体調はいいのか?』
随分と歩いたし、そろそろ休憩でもいれようかと思ったところで、おずおずとリザがそう聞いてきた。
そういえば、倒れたときに居合わせたんだったなと思い出す。
『大丈夫。結構体調よくて、実はあれから一度も倒れていない』
『そっか。良かった』
ほっとした様子のリザに胸が暖かくなる。
本当に俺を心配してくれているその様子にたまらない気持ちになる。
実際のところ、健康については嘘ではない。
本当に、あれから信じられないくらい体調はいいのだ。
以前の頻度を考えれば、もう2~3回くらい倒れていてもおかしくはないのに。
おかげで文化祭を楽しめているわけだから、文句をいうつもりは当然ないのだが。
『そういうわけだ。俺の事はいいから。……お前も、いい加減寝ろよ』
『……』
この話を出すと途端に返事をしなくなるリザにため息をつく。
ついでにもう一つ聞いてしまおう。
『食事は?ちゃんととってんのか?』
『……少しは』
うつむいて答える様子にやっぱりかと舌打ちをする。
最初に見たときより、随分細くなってしまった印象だ。
元々線の細い少女ではあったが、今ではもう折れそうな勢いだ。
『ずいぶん小さくなっちまってるからそんなことじゃないかと思った。ほら、次は校庭の屋台辺りに行くぞ』
『え?いいや、私は腹は減っていないのだが……』
『食っていない奴が、何をいう。……病気で食いたくても食えないことの多い俺の前で、食わないなんて暴挙は絶対に許さないからな』
『……ずるい』
そう言われたら、食べないわけにいかないじゃないか。
視線を地面に落としたまま、彼女は小さくわかったとうなずいた。
自虐ネタ過ぎて引かれるかと思ったが、そうは受け取らなかったみたいでほっとした。
ならしっかり食えと、どきどきしながらリザの頭を不自然にならない程度に軽くなでた。
嬉しそうに目を細めた様子をみてほっとする。
どうやら嫌がられなかったようだ。
彼女の一挙手一投足を異常なまでに気にしてしまう自分に自嘲するしかない。
承諾を取り付けたので、気の進まない様子のリザを早速屋台の方へ促した。
その途中で伊織の姿を見かけた。
『……あれ、伊織?』
伊織だと思ったのだが、いつも一緒にいるはずの会長がいない。
先ほど、俺よりも素早い動きで伊織の元へ行ったはずの会長が、側にいないなんて事あるはずがない。
不思議に思い、じっと観察する。
よくみると一人ではないようだが、連れはやはりあの男ではないようだった。
銀色に光る髪の、小さな少年に手を引かれていた。
あまりにも違和感がありすぎて、伊織だと確信が持てない。
『??……リザ、あれ伊織だよな?』
『……本当だ』
見間違いかと思ってリザに確認してみたが、彼女からも肯定が返ってきた。
『あいつに弟なんていたっけ?』
『いや、聞いたことない』
『だよなあ』
首をかしげながら二人の様子を窺う。
楽しそうに会話をしながら、屋台に並ぶ二人は仲の良い姉弟に見えた。
だが、一緒にいるのは子供とはいえ「男」だ。何とはなしに不安がもたげる。
『……あいつちゃんと会長に言ってんだろうな』
『セイジに?なぜ?』
俺は先輩よびなのに、なぜ会長は呼び捨てなんだろう……。
少しだけ、ちくりとした。
そんな小さな事が気になってしまう自分にも嫌気がさす。
『うちの会長、伊織に対してのみ超心狭いから。相手が子供だろうが、知らなかったらぶちぎれると思う』
『……ああ。溺愛しているものな』
納得したように頷いたリザに苦笑した。
間違ってはいないが、「溺愛」と言うよりは「狂愛」に近いような気がする。
前世で酷い死に別れを経験しているからなのか、会長はできる限り伊織を自分の目の届くところに置こうとする癖があった。
まるで目を離せばいなくなってしまうとでも言いたげだ。
伊織もそれをわかっているのか、通常はおとなしく受け入れているようにみえた。
あくまでも通常は、だが。
今は通常の範囲外であるらしく羽目を外しているみたいだが、あとでこってり絞られなければいいが。
『ま、他人の心配してる場合じゃないか』
伊織の行く末を気にしているような余裕は自分にはない。
自分でまいた種は自分で拾えよと聞こえない声援を送り、俺は今の光景を見なかったことに決めた。
『?何か言ったか?』
『いいや。それより早くなんか食おうぜ』
リザの手を自然に見えるようにとり、近くの屋台へと引きずって行った。
拒否は、されなかった。
『このあたりでいいか?』
『ああ、私は別にどこでも』
色々調子に乗って食べ物を買いあさった。二人の両手いっぱいにたこ焼きやら焼きそばやらが乗っている。
どこか静かなところで食べたいと思い、思い当たったのが中庭だ。
ここは文化祭の会場外になっているから誰もいないと考えたのだが大当たりだったようだ。
備え付けらえているベンチを示すとリザはおとなしくそこに腰かけた。続いて俺も隣に慎重に腰を下ろす。右手のフランクフルトが今にも転がり落ちそうだ。
『先輩、危ない』
落ちそうなものを先に座ったリザが引き取ってくれる。
『ありがとな』
礼を言い、リザに食べるよう促す。
本当にあまり食べていなかったのだろう。最初はあまり食べられない様子だったが、そのうち少しずつ箸が進むようになった。
『……おいしい』
『そりゃよかった。こういう食べ物は初めてか?』
そう言えば、リザはこくりとうなずいた。
なんだか小動物にエサをやっている気分になる。……可愛い。
リザのする仕草、全てが可愛くみえてしかたない。
人を好きになると、こうまで脳みそ腐るのかと自分に呆れかえりながらも、そう思ってしまう自分の心は止められなかった。
――――こんなことをしている場合じゃない。
何とか死の回避のための対策を練らなければならないのに、どうして今俺はここにいるんだと別の自分が声を上げる。
だがその声を綺麗に無視して、結局彼女を構ってしまう愚かな自分。
してはいけない選択だと分かっているのにどうしたってやめられない。
『スイーツ系は母さんの趣味だったから大体食べたことはあるが、こういったものは食べたことがない』
彼女の話に笑顔で耳を傾ける。どんな情報だって聞き漏らしたくはない。
末期だとつくづく思う。
自分でも思うが、この年での「初恋」って本当に面倒くさい。
『そりゃ勿体ないことしたな。大阪のたこ焼きは絶品だぜ?ちなみに俺は醤油味のが一番好き。ないものは仕方ないけど、ソースしか選択肢がなかったのが残念だな』
『へえ。詳しいな、先輩』
『俺、B級グルメ好きなんだ』
関西出身だからとはさすがに言わない。
リザと会話しながら、次々とたこ焼きや焼きそばを片づけていく。
普段は俺も食べるほうじゃない。食事制限がかけられているし、食べたい気分じゃないことも多い。
だが、今日は何故か色々と口にしたい気分だった。
リザも思ったより気に入ってくれたみたいでほっとする。
『本当においしい』
『なら良かった』
しばらく食事に集中し、黙々と食べ続けた。
ある程度腹が膨れて、購入しておいたお茶を飲むとなんとはなしに気分が落ち着いた。
『……今日は来て、よかった』
さて、次はどうしようか。
そう話しかけようとしたところでリザから先に声がかかった。
発言の内容は前向きなのに、彼女の声は妙に硬く、不思議に思って顔をみた。
『リザ?』
『先輩。……話がある。聞いてほしい』
リザはうつむき、膝に両手を置いて震えていた。
先ほどまで浮かべていた笑顔はどこにもない。
急激な変化に、何が起こっているのかわからず混乱する。
『リザ?いきなり、何を』
質問しても、彼女は目を合わせない。
身体を震わせたまま俺に告げる。
『……突然のことだということは分かっている。こんなところで話すことではないことも。でも、もう時間がないから。人が来ないうちに、私に話す勇気があるうちに……話を聞いてほしい』
時間がないという彼女の言葉に反応し、息が詰まる。
それはつまり、帰る、とそういうことか。
『リザ』
許さないと、咎める俺の声にリザは首をふった。
『……すまない。ユウト先輩。こんなこと言っても迷惑なのは分かっているんだ。でも、国に帰る前に、この話だけは私の口からしておきたかったから』
『……何の話だ?』
リザが何を話そうとしているのかわからない。
だが、彼女が一生懸命な事だけはわかった。
だから俺も怒気をひっこめるしかない。
話の続きを促せば、おずおずとリザは言った。
『……夢の話』
押し殺すような声でそれだけを呟いた。
夢と言われて思い当たるものは1つしかない。
『……お前が言っていた悪夢、か?』
『そう』
今までに何度聞いても答えてくれなかったというのに、一体どういう心境の変化だと思ったが、彼女の顔色は酷く悪く、俺が口を挟める様子でもない。
何か重大な事を告げようとするかのような真剣な顔に、俺も黙って聞く姿勢をとった。
『ありがとう。……この話はまだ誰にも話したことはないんだ。イオリにも、勿論母さんにも。これからも話すつもりはない。でも、先輩には聞いてもらわないとダメだから』
そううつむくリザに、黙って頷いた。
勿論、聞いた後誰かに教えるつもりは毛頭ない。
そういう意味をこめて頷いたつもりだ。
彼女は謝意を示すように一度頭を下げ、暗い表情のまま語り始めた。
『どこから話せばいいだろう……』
続きます。
下はできるだけ早めにを心がけます。
ありがとうございました。




