帰国。12年後。
長い空の旅を終え、私は空港に降り立った。
「50番搭乗口ご搭乗開始しています。お急ぎ下さい」
「507号8時着予定機、28番口に到着いたします。30分の遅れがでています」
飛行機の到着時間や離陸時間を告げるアナウンスがそこかしこで流れている。人ごみに閉口しながら入国審査をすませ、荷物を引き取りようやく私は人心地ついた。
ああ、やっと帰ってきた。
転生したと気づいてから12年が過ぎていた。
あれから色々あったが、なんとか上手くやっている。まあ、一言で色々と言ってしまったが本当に様々なことがあった。
今年の春で私もようやく高校生になるわけだが。いやあ、本当に長かった。精神年齢だけなら、50歳だ。全く笑えない。
一人自嘲しながら、ごろごろとトランクケースを引きずって歩く。明日は高校の入学式だ。そのために私は帰ってきた。遠く離れた欧州の地、ドイツから。
ドイツには、ピアノ留学で行っていたのだ。
転生したと気づいた私は、前世で後悔したことは絶対に繰り返さないと心に誓った。とりあえずは、勉強。勉強は前世でもかなりできた。最終学歴は大学だったが、私大のトップの大学に現役合格していたのだから頭は良い方だと思っていいだろう。
だが、前世の私は非常に後悔していた。本当は国公立の大学へ行きたかったのだ。高校の時点で数学と化学に見切りをつけてしまった私は早々に自分で可能性を絶ってしまっていた。あれだけは本当に後悔している。
それはいけないと、幼いながらも猛然と勉強を始めた私を父は不気味なものを見る目で見ていたが、私は全く構わなかった。
変人というなら言うがいい。せっかく与えられたチャンス。最大限に利用すると決めたのだ。私は今世は絶対に数学と化学を捨てない!
他にも手を出せるものは皆手を出した。可能性はすべて掴む。
幸いにも私は社長令嬢。お金には困っていない。やりたい習い事はすべてやらせてもらえた。
……空手を始めた時には父は泣きそうな顔をしていたが。
ピアノもその一環、というかこれは兄の影響だ。
あれから父は運命という名の再婚を果たし、私には2つ年上の義理の兄ができた。
これがまた、顔よし、性格良し、運動神経良しの3拍子揃った少年で、初対面から私のことをそれこそ本当の妹のようにかわいがってくれた。
義理の父の連れ子なんて嫌われてあたりまえと思っていたから、本当にほっとした。前世では弟しかいなかったので兄には非常な憧れがあったのだ。
そんな憧れの存在でもある兄が
「伊織と何か同じ習い事をしたいな」
なんてにっこり笑ってくれたものだから、兄ができてうれしくて仕方なかった私は二つ返事で引き受けてしまった。
「じゃあ、お兄ちゃんヴァイオリン習ってるから、私はピアノを習う! そしたら、一緒に合奏できるでしょ!」
その時の兄の満面の笑みを私は忘れない。
兄にはヴァイオリンの才能がある。
それを聞いていた私は、彼に釣り合うため必死にピアノに取り組んだ。前世でもピアノには触れていたし、中途半端なところで投げ出していたことに後悔していたので、私にとっても渡りに船といえた。その甲斐あってか、ピアノの才能は見事開花。兄の小学校卒業と共にドイツに渡ることになったのだ。
「伊織、一緒にドイツへ行こう。勿論きてくれるよね?」
というすっかりシスコンと化した兄の言葉のせいであったことは間違いないが。
大体、当初の予定では私も小学校の卒業を待ってからという話だったのだが、兄がどうしても私と離れたくないと駄々をこね、根負けした私が2年早めて留学ということになったのだ。
その兄は二年前に高校入学と同時に帰国している。当然のことながら私を連れて行こうとしたが、私の師の反対と両親の説得により渋々単身での帰国となった。彼らにはとても感謝している。
そうそう、再婚した父だが、なんと婿養子に入った。再婚相手が巨大企業の一人娘だったようで、結婚の挨拶に訪れた父を向こうの祖父母がいたく気に入り、会社を継いでほしいと頼まれたのだ。父は少し悩んだもののそれを引き受け、自らの会社と社員をその会社に吸収合併させた。
その会社というのが、鏑木財閥。
主に貿易関連に強い企業であったが、父が得意としていたIT関連も平行事業として展開し、今ではさらに大きな企業として発展させている。
そういうわけで私の名前は、小鳥遊 伊織から鏑木 伊織に変化した。
だから改めて自己紹介するのなら、鏑木伊織15歳(50歳)。
10歳の時、兄とともにドイツへ音楽留学。
高校入学と師の日本凱旋を機に帰国した、とそう説明すればわかりやすいだろうか。
◇◇◇
のんびりとトランクを引きずりながら駐車場のほうへ歩いていく。
ジーンズのポケットに放り込んでいたスマートフォンがなった。着信音はとあるゲームの主題歌。実は前世ではいわゆる腐女子をやっていて、今世でもライトではあるが現役だったりする。
「もしもし、兄さん。どうしたの?」
着信相手は兄だった。今から自宅へ向かうというのになんだろう。それとも迎えにでもきてくれたのだろうか。それならうれしい。
「ああ、伊織。久しぶりだね。今どこにいるんだい? 君のことだからもう学校へきていると思ったんだけど、また迷っているのかな?」
柔らかい声音。久しぶりの懐かしい声に口元が緩む。だが、兄さんが何をいっているのか全く分からなかった。
「何言ってるの? 兄さん。知ってるとは思うけど、私今日本についたばかりだし。大体入学式は明日でしょ。今日はこのまま家に帰るつもりだけど」
疑問のままに口にすれば、電話口の向こうでは絶句したような沈黙が。
「兄さん?」
沈黙が気になり呼びかけると、兄の真剣な声がスマホから聞こえてきた。
「伊織。残念なお知らせだけど入学式は明日じゃない。今日だよ」
「え」
「さっさとおいで。待っているからね」
とんでもない勘違いをしていたことに気づき、青ざめる。
空港には、私のぎゃーという絶叫が木霊した。