武器がない
頑張って、連続更新です。
きりがいいところまで書けたので、今日はここまで。
皆様ほんとうにありがとうございます。感謝しています。
……ああ、無駄に疲れた。
なんとか、総ちゃんを言いくるめて、教室からでた私は重い溜息をついた。
初日からこのボリュームとか、全くもって身体がもたない。
早朝日本に帰国してからの学園直行に、兄と誠司くんとのやりとり、代表挨拶。極めつけは、ストーカーの幼馴染とか。入学式ってこんなイベント盛沢山だったっけ。
1年の教室は高等部教室棟の2階にある。階段を上ったすぐ手前に普通科があって、特進クラスは一番奥側。兄が属している音楽科は別棟だ。特進クラスの向かい側は図書室になっていて、勉強時などは便利に利用できそうだ。人の気配がするので、開室しているのだろう。のぞいてみたい気もしたが、とにかく今は帰りたいと思ったのでそのまま通り過ぎた。
階段を下り、通用口前にあるロッカーで靴を履きかえた。ポケットに入れていたスマホが着信を知らせる。開いてみると、SNS系アプリ『INEL』に未読2の文字が。差出人は兄からで、生徒会の仕事がもうすぐ終わるから一緒に帰ろうというものだった。
一刻も早く帰りたい気分ではあるが、久しぶりに兄と一緒というのも悪くない。待っていますと可愛いキャラクターのスタンプとともに返信した。
スマホをポケットに戻し、さてこれからどうやって時間を潰そうかと思う。
待っていると返したものの、すでに靴も履きかえてしまったので今更教室に戻る気にはなれない。
大体、逃げるようにでてきたあの場所に戻るとか絶対に無理だ。こうなるとさっきの図書室にでも寄ればよかったかとも思うがそれも後の祭り。
うーんと考え込む。
「暇つぶしに中庭にでも行こうかな」
先ほど、ホールから教室へ移動したときに中庭が見えたのを思い出したのだ。
大きな桜の木が植えられていて、あれには思わず見惚れてしまった。
桜は暁学園の象徴花になっていて、あちらこちらに立派な桜の木が植えられているがあれは特別大きかった。
今日は入学式。
学園生徒なら誰でも知る不文律どおり、桜は満開をむかえている。
見応えは十分だし、時間つぶしには丁度いいと私は中庭に進路をとった。
先ほど見た記憶のまま中庭への道を行けば、中央に大きな桜の木が花びらを舞い散らせているところがみえた。そのまま近づく。中庭は、不思議と誰もいない。しんと静まり返った静寂の中に聞こえるのは、私の落ちた花びらを踏みしめる足音だけ。
桜の真下にたどり着いた私はその太い幹にそっと手をあてた。一面ピンク色の世界に目を細める。
幻想的だ。この景色を今自分が独り占めしているかと思うと、何とも言えない高揚感があった。なんだかどきどきして、叫びだしたい気分だ。
ここにピアノがあればよかったのに。
何の曲が似合うだろう。
クラシックじゃない。日本の曲を奏でたい。この世界には存在しない歌だけれど、前世ではよく聞いた大好きな桜のうた。
ピアノはないけれど、どうしても今の気持ちを表現したかった。
だから私は誰もいないのをいいことに、思い切り高らかに、大好きだった歌を歌った。歌を歌うのなんて前世以来。ずっと私の音の表現はピアノだったから。
久しぶりで、ちょっと調子外れなところはあるけれど、それはそれでご愛嬌。
心をこめて歌い上げる。
……気持ちいい。
何とも言えない満足感にひたりながら、余韻を十分に残して最後の音を吐き出した。
そのまま胸を抑えるように両手をあてる。
ああ、楽しかった。最後もちょっと音を外してしまったけれど、やっぱり音楽はいいなあ。家に帰ったら思いっきりピアノをひこう。
でも、いつまでもそうしているわけにもいかない。そろそろ兄も仕事が終わるころだろう。そう思って、その場を動こうとしたところで、上の方からパチパチと拍手が聞こえてきた。
「え」
誰もいないと思っていたのにと私は瞬間青ざめた。
まさかさっきの歌を聞かれていたとか、さすがに恥ずかしすぎる!
慌てて音の鳴った方を見上げた。
「誰?」
桜のずいぶんと上の方。枝の上に誰か寝そべっている。
よく見ると同じ年位の、綺麗な赤い髪をした見たこともないような美貌の男がそこにいた。美形は見慣れているはずの私でさえ、一瞬息が止まってしまうかの端正な顔立ち。同じ人間とは思えない。まるで桜と同化しているかのように思えて思わず目を見張った。
そんな私を彼は面白そうな顔で見下ろす。
そして、とても綺麗に笑った。
「綺麗な歌でした」
そう言って。
だが私は、その笑みよりも彼の声の方に反応した。
……聴き覚えがある。男性にしては高めの、色気を感じさせる響き。
この声にやられて、私はいったいいくらつぎ込んだだろう。
考えるのも嫌だ。
そう、これは私が前世で大好きだった声優さんの――――。
―――――瞬間。
記憶があふれ出した。今まで一度たりとも思い出さなかった記憶が。
前世で、隠しキャラであるこの人のルートがやりたくてコンプリートした、恋愛シミュレーションゲーム。通称乙女ゲー。
『パンドラ プリンス ~君の歌は世界を包む~』
特待生として音楽科に入学した主人公の女の子が、大好きな歌を通じて男の子たちと愛と友情をはぐくんでいく物語。各キャラクターをより堀下げる為とのメーカー側のこだわりにより、1ルートはどれも軽く30時間を超える大ボリュームだった。
そしてこの場面は、全ルートをクリアしたあとの、唯一彼へと繋がる真相ルートのオープニングスチル。
「あ……ああ……あああああ」
どうしよう。
一瞬にして全てを思い出し、自分の立ち位置やなんかを理解した瞬間、何よりも重大な問題に気が付き、私は崩れ落ちそうになった。
ここ、あのゲームの世界か! とつっこむ暇もなかった。
……どうしよう。詰んだ。
『君の歌は世界を包む』先ほども言ったゲームの副題だ。言うまでもない。言葉通り、このゲームは歌うことが前提。
時には歌で愛を伝え、喜びを伝えてルートをすすめていくのだ。
わざとフラグを折ったり、好感度を下げることですら、確か歌が関係していたはず。
エンディングソングも主人公が歌っていた。
乙女ゲーには珍しく主人公ボイスのあるタイプで、最早歌は主人公の武器そのものといえた。それなのに。
――――どうしよう、どうしよう、どうしよう。
思い出してから、ぐるぐるぐるぐる頭に回るのはそればかり。
だってそうだろう。
何故なら
――――私、歌なんてやってない!!
この一言に尽きるのだから。
あはははは。……絶望。
兎にも角にも、私はどうやら乙女ゲームの主人公として、この世界に転生していたようです。
ということで、モブでもライバルキャラでもありませんでした。
読んでくださり、ありがとうございます。
またよろしくおねがいします。




