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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒の三連星

目を合わせたら

作者: 高田 勲武

 この作品は深層心理を突いた――というより、私の実体験を誇張した、どうしても書きたかった小説の一つです。


 そう言った意味では黒の三連星としては異質なものとなりましたが、ねたみ、歪んだ愛情を描いた意味では、やはり黒の三連星なのでしょう。

 初めての題材で慣れていません……あまり怖くないかもしれませんが。

 僕が高校一年生になり、初めての夏休み。

 何かいつもと違うことが起きるかと期待と不安で胸一杯にして――今日は部活の合宿初日。


 高校に入り、僕は陸上部に入部していた。


 この高校は建設されて五年目。

 そこは新しいがために朝礼などの集会専用に建てられた講堂や宿泊施設――普通の高校ではあり得ないものが存在する。


 一日の練習が終わり、その宿泊施設でシャワーを浴びた後、僕は先輩と二人で夕涼みをする。


 夕日が落ちて暗くなっていく様。徐々に暗くなり……


 もう一つ、新設校であるがために強要されたこと。――それは建てられる場所に制限があり……山の斜面に造られたということ。

 それにより校舎の形状も(いびつ)となり、一階にいても移動すれば二階にもなる――傾斜を遮断するかのように建つ。


 学生達の教室が連なる校舎が一つ、専門教科の実習教室が集められた校舎一つ――計二つの校舎が特定の位置、階層で渡り廊下により繋がる。


 通常の教室がある校舎の二階にある生徒玄関――そこは一時的に平地となり、もう片方の校舎との間側に行けば講堂と傾斜の続き、反対側に進めば長い階段が連なり、下り切った所に校庭、体育館、体育系の部室、そして先程お世話になった宿泊施設がある。


 僕達二人はその階段で腰を下ろす。


「夜になるこの感じ……良いですね」

 僕は自分の周りを支配するこの景色に感嘆する。


「そうだな。涼しくなって来たし……」

 先輩も同意している。


 日が沈む一部始終を堪能(たんのう)した僕と先輩が宿泊施設へ戻ろうとした時……


 僕が何気なく向けた生徒玄関への視線。一年生の教室が集まる一階から二階に三年生、最上階にある二年生の教室に向けて駆け上がる白い影。


「はっ!」

 僕は思わず声を上げた。


 白い影のその移動において、必ず通らなければならなかった生徒玄関辺りで振り返り……


 顔半分ぐらいは占める真っ黒な穴二つ。――それが目だろう。

 瞳と判断できる黒い丸と目が合ったと判断できる。


 それは白い影も認識したようで……返事をするかのように黒い穴の下にある裂け目が異様に広がり、にやりと笑う。


「どうした?どうしたんだ?」

 身動き一つせず固まる僕の状態を心配するかのように先輩が声をかける。


 一瞬の出来事であった。――既に白い影の姿は見えない。


 だが、僕にはわかった。


 大きな目と裂けた口元が印象的であったが……黒く長い髪をなびかせ、ぼやけた白い光が織り成すきゃしゃな体型。


 それは女性だ。


「いや……何かの見間違いですよ」

 僕は頭を振り、取りあえずは自らを否定する。


 (そば)にいた先輩は気付いてさえいないのだ。僕の錯覚として処理するのが最も簡単で、健全的だ。


「いや、何かおかしい」

 先輩はそれを否定する。

 その後、しつこいぐらいに僕を問い質し……


 僕は根気負けし、今起きた現象を伝えるべく、恐る恐る口を開いた。


「この学校……まだ新しいです……よね?」

 僕は遠慮がちに確認の言葉を口にする。


 確認しなくても建設して五年目は新しいと言って良いだろう。


「この学校に幽霊なんて……いないですよね?」


 僕に偏見があったのかもしれない。

 学校にある何かしらの心霊現象――それは古い学校の特権とばかり思っていた。


「お、お前、もしかして……今、幽霊を見たのか?」

 先輩は興味津々に身を乗り出して言った。


 その返答に困る僕を尻目に……

「実は……いるっていう噂なんだ」

 と、続ける。


 僕は覚悟を決めた。


「実は女の人の幽霊が今……」

 その言葉に思いの外、強い反応を示す先輩。


「その特徴は?」

「全身真っ白で……白い服を着た異様に目が大きな女性……」


 先輩は絶句した。


 先輩は陸上部副部長。そのため、高校の生徒会とも繋がりが深く――生徒会で(ささや)かれている噂にも強い。


 生徒会――何をしているか僕には皆目理解できないがその活動のため、下校時間が遅くなることが多々あるようだ。


 冬などは大抵、真っ暗になってから下校しているとのこと。


 幽霊は何も夏だけの季節ものではない。

 夏にそういった話が盛んになるのは恐怖で血の気が去ることにより、蒸し暑い夜の涼みとしているだけ。――幽霊は年中存在する。


 先輩が語り始めたのはそんな冬の出来事。



 その日は当時の文化祭か何か……学校行事の準備のため、生徒会のほとんどの役員が残っていた。


 買い出しなども必要だったため、役員達は慌しく生徒会室と外を出入りする。中では行事のためのポスター制作に熱中しており――いつの間にか暗くなっていた。


「そろそろ帰ろうか」

 と、その中の一人が言った。


 まばらな返事と共に、ぞろぞろと生徒会室で全員が集まる。


「全員集まったか?それでは……」

 やはりここを仕切るのは当時の生徒会長。彼は点呼を取ろうと……


 人数が――いや、一人多い。

 それは数を数えて確認するよりも明らかに風貌の違う人が一人。


 案外、本当に恐怖を感じた時、人は悲鳴を上げることができないのかもしれない。――息を飲み込むばかりで発声ができていない。


 ――生徒会役員達は走り出した。


 幸い生徒会室のドアを閉めてなかった。――全員がここを出る共にドアが勝手に閉まる。


 その者はまるで宙を浮くかのように迫り、役員達は一目散に逃げる。――次の日、戸締りもしなかったことを教師に怒られたとのことだが……


 その役員達は口を(そろ)えて言う。


 真っ白い着物を着た若い女性の幽霊がこの学校にいると。



 僕がそんな先入観一つなく、同じ姿の女性を言い当てたことにより――先輩もど肝を抜いたようだ。


 見たのは本物のようだ。


 僕達は足早に宿泊施設に戻ることにする。――気になるのはその女性と目が合ったということ。




 就寝(しゅうしん)


 全員が小さな宿泊施設で眠ることもできず……一番下っ端である僕達一年生は数ある教室の一つで雑魚寝(ざこね)となった。


 一年生のフロアから生徒玄関で一瞬立ち止まり、二年生のフロアに向かって駆け上がった幽霊。――僕が今寝るこの場は少なくとも、その幽霊の通り道の一つ。


 落ち着かない。


 蒸し暑さも手伝ってか、なかなか寝付けないでいた。

 不安、恐怖……明日の練習のためにも体を休める必要がある僕は形式上、目を(つむ)っている。


『……名前……』

 頭の中に響く声。


『貴方の……名前……名前は、何……?』

 それは途切れ途切れに届いて来る。


 何だというのだ?


 それでもようやく……自らの意志でもなく、自然と(まぶた)が閉じられ始めた頃。

 眠気の方が(まさ)って、思考回路が正常に働かない。


『貴方の名前……』


 僕の名前を聞いているのだろうか。何故、そんなものに興味を……


『良いから……教えて……』


 高田(たかた)勲武(いさむ)

 僕は自分の名前を頭の中に思い浮かべる。


 声は必要ない。

 不思議なことに、それだけで頭に響く声と会話が成り立っているのだから。


 もっと違和感を覚えなければならなかった。


『たか……た……い、さ……む。たか……た……いさ……む。たか、た……いさ、む。たかたいさむ』

 繰り返し頭の中で自分の名前が響く。


『高たいさ武。たか田勲む。高田いさ武』

 しかも徐々に精度良く……流調になっていく。


『高田勲武。高田……勲武。勲武。勲武!』


 ――僕は我に返った。


 頭の中で自分の名前が連呼される異様な状況。ようやくそれを現実と認識でき、飛び起きようと……


 体が動かない。


 寝返りおろか、指一つも動かせない――まるで全身が床に沈み込むかのようで、息苦しささえも感じる。


 これが噂に聞く金縛りなのか。


 何とかその瞳だけは開くことができた。


 僕に馬乗りになる白い影。――間違っても布団ではない。

 白い影は僕がその瞳を開けたことに気付いたのか、音もなく覗き込む。


 驚く程に白い肌が光を帯びたようにぼやけ、それにより顔の輪郭を不確定にさせている。

 顔半分ぐらいを占める真っ黒な二つの点。それが少し歪み、すぐ下にある――口と思われる裂け目が口角を上げる。


 ――先程、僕が目を合わしてしまった女の幽霊。


『お静』

 僕の頭に声が響き、その女の顔が一際近付く。


 この頭に直接流れ込むかのような僕以外の声は幽霊の語りかけだったのだ。


 僕は出ない声で悲鳴を上げた。


『私の名前』

 そんな中、その反応をものともしない最後に響いた補足する声。


 僕は一緒に寝ていた同じ陸上部……合宿に参加していた同級生に起こされた。


 うなされていたとのこと。




 合宿二日目。


 眠りが浅かったのか体が重い。それでも何とか練習をこなし……


 今は夕方。


 僕はシャワーを浴び終え、昨日と同じ長い階段の最上段で腰を下ろしていた。――違うのは僕一人であるということだけ。

 昨日の経験から、避けても良さそうなものなのだが……


 斜面に建設されたというこの高校の特性上、ここからは部室や宿泊施設……校庭を一望でき、校舎一つまでも――この高校のほとんどの施設を傍観(ぼうかん)できる。

 (そば)の講堂が影を作るため涼しく、外のため風通りも良い。


 まさに夕涼みにはもってこいの場所。


 却って気分転換にもなると僕の足は自然に向いていた。――昨日の先輩も、おそらく後で来るのではないだろうか。


 沈んでいく夕日――徐々に失われていく太陽光。それと共に明かりが人工的な光を発する街灯へと切り替わっていく。

 物寂しさを感じる。


『勲武』


 ――正直、一度は聞き逃していた。


『勲武』

 僕を呼ぶ声。


 間違っても耳に入って来ているものではない。――それだけは認識できた。


 頭の中で聞こえる声。

 何度も僕の名前を呼び、頭を振ろうが……勿論(もちろん)、耳を押さえようとも聞こえて来る。


『勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。……』


 絶え間なく。


 僕は頭を抱えるようにしてこの場を離れた。




『勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。……』

 それは食事の時も途切れることはない。


 僕は早めに寝ることにした。


「どうした?調子でも悪いのか?」

 先輩――副部長が声をかけてくれる。


「はい。何だか……疲れたみたいで……」

 僕は額を押さえ、(うつむ)き加減で答える。


「明日一日……まだ練習があるから、ゆっくりと休んでおけ」


 僕は軽く頷いて寝床に着いた。


『勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。……ここまでおいで』




 僕は目を覚ました。


 ――何がきっかけでそうなったのかさえ、良くわからない。


 学校に良くあるあの木製の机。僕はその上に腰を掛けていた。


 電気は点けられていない。

 暗闇に目が慣れて来て見えるのは、その机が整然と並び――いつの間にここへ来たのだろう。


 学校の教室の中にいるようだ。


 教室の前方には巨大な黒板と、正面から少し奥へ入った所に置かれたグランドピアノ。――見覚えがある。


 ここは音楽室。


 そして、僕の横で肩を並べるのは声を押し殺して笑う白い物体――彼女だ。


 僕は悲鳴を上げることもできず……そうでありながらも慌てて立ち上がり、この場から逃げようと走り出した。


 音楽室のドアに手を掛け、懸命にスライドさせようとするが……


 ドアの構造が変わったのかと思える程にびくともしない。


 音もなく、僕の背後に忍びよるもの。

 僕は一瞬、動きを止め――ゆっくりと振り向く。


 白で包まれ、目だけが異様に黒く強調された大きな点二つを持つ彼女。思いの外、間近まで接近されており、さらに僕へ顔を近付けて来る。


 僕は身を引き、ドアに背中をすり寄せるが……


 彼女は(おもむろ)に頭を僕の頭に埋める。――急に衝撃を受けたように……頭の中に浮かぶ景色。



 山々が連なる風景。そこは緑に囲まれておらず、茶色い。

 草は何一つなく、握れば粉々に砕けそうなほど弱々しい木々。地割れを起こしている地面。


 山の(ふもと)には茅葺(かやぶき)屋根の木造家屋が数軒見える。――人が住んでいるようだ。


「このまま雨が降らなければ、この村も終わりじゃ」

 男の声が聞こえる。


「そうじゃ、そうじゃ」

「ここのところ、ずっと雨乞(あまご)いの祈祷(きとう)をしても……何の効果もない」

祈祷師(きとうし)を呼べ!あいつらじゃ無理じゃ!」


 僕は空を見た。


 雨乞(あまご)いの祈祷(きとう)と言えば漠然(ばくぜん)と――火を起こし、お祈りをするイメージがある。

 この場合、起こした火により上昇気流を起こして……結果、雲を作って雨を呼ぶ。――お祈り自体はとても信じられるものではないが、科学的には理に適っており……


 雨が降る可能性は格段と高くなるだろう。

 空は雨が降る程ではないが、厚い雲が成長している。


 人々が二人の男女に群がる。


 二人の姿――白を基調とした服とその身を飾る装飾品から、この二人が祈祷師(きとうし)のようだ。


 僕は気が付く。あの女性は……


祈祷(きとう)を続けて一週間じゃ。やる気があるのか?」

「もう、この村の蓄えは底を尽きたんじゃ!」

「他に(すべ)はないのか?俺達を助けてくれるって言ってくれたじゃないか!」

「この役立たず!」


 (みにく)いものである。


 ここまでの極限に立ったことがないから、理解ができないのかもしれない。


 しかし、我が身のみしか見えておらず、意味もなく他人を責める。――これを(みにく)いと言わず、何と言えば良いのか。


「待って下さい。もう一つ手はあります」

 祈祷師(きとうし)の男が言った。


「水神様へ(にえ)を捧げるのです。そうすれば水神様も雨を降らせて頂けましょう」

 人身御供(ひとみごくう)である。


 この風習――今では(すた)れているはず。


 僕にはそこまで詳しくないが――それは古く江戸時代……いや、もっと前の時代のもの。懸命に声を上げ、その無意味な凶行を止めようとするが……


 声が出ない。


 僕が男達を見ることができても、触れることができない。男達も僕に気が付いていない。


 ここでは蚊帳(かや)の外の存在のようだ。


「誰じゃ?誰が水神様の生贄(いけにえ)に……」

(にえ)には若い女子がよろしゅうございます。霊力を秘めた若い女子が……」

 男達は顔を見合わせる。


「この村に、そんな若い女子などおらん」

「私が(にえ)になりましょう」

 祈祷師(きとうし)の女は言った。


「お静。お前、良いのか?」

 お静と呼ばれた祈祷師(きとうし)の女は静かに頷く。


 ――場面が変わる。

 盆地のような場所――周りには何もない。地はひび割れているが一部、水溜り跡のような所もある。


 貯水場のような場所だろうか。


 お静は白装束を身にまとい、その水溜り跡の上に打ち付けられた木の杭に縛られている。


「水神様。この(にえ)を受け取り、怒りを鎮め給え。そして慈悲の雨をこの地へ」

 祈祷師(きとうし)の男はナイフを取り出す。そして、お静に目を向ける。


 お静は静かに頷き、その瞳を静かに閉じた。祈祷師(きとうし)の男の目より涙が零れ落ちる。


「お静……」


「どうしたんじゃ、早くやれ!」

「わし達が死んでも良いのか!」


 人とは、ここまで(みにく)くなれるのだろうか。


 僕は出ない声で、力の限り叫んだ。――そんなことに何も意味がない。


 祈祷師(きとうし)の男はお静の首へナイフの刃を立てると、素早く滑らせた。

 熱く真っ赤な血が生命の力と()わんばかりに吹き上がる。その血は木の杭の下にある水溜り跡に溜まり……


 空の色は少々黒ずみ……雨雲へと発達する。――それは雨を呼び起こす。


「水神様!どうぞ、慈悲の雨を!」

 祈祷師(きとうし)は空を見上げる。


「お、おお」

 体に一つ、また一つと冷たいものが当たる。


 雨。後一分でも待っていれば、黙っていても雨は降っていた。


 お静の顔色は……既に真っ白になっており、身動きをしない。



 いつの間にか現実に戻された僕は立ち尽くしていた。


「お静……ちゃん?」

 その無意識下の呼びかけに、笑顔で答える彼女。

 全身が白く見えたのは服が白い……白装束を身にまとっていたから。


 人身御供(ひとみごくう)の時の姿のまま。


 髪は(つや)のある長い黒髪。瞳はぱっちりと少々大きく可愛らしい少女――姿をはっきりと認識できるようになっていた。

 齢は僕と同じ齢ぐらい……もしかしたら、年下なのかもしれない。


 僕は簡単には言葉に表すことができない複雑な感情に囚われた。


 一種の同情だろうか。


『勲武が(うらや)ましい』

 彼女は僕の頭の中へそう語りかけて来た。


 恐怖は消え去り……その気持ちさえ理解できたような気がして。

 僕はとてもこの場から、逃げる気になれなかった。




 二泊三日の合宿は無事終わった。


 不慣れな環境のため体の負担は大きく……正直に言うとそれだけではなく――精神的なものの方が多大であった。


 だから終わった時は本当にほっと安堵した。


 あれから頭の中で聞こえて来る声が消えることはない。夜にしか聞こえなかった声も今では日中……


 朝でも昼でも聞こえる。


『勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。……』


 今も聞こえる。


 今では恐怖も感じなくなっていた。


 頭に響くその声とは別に、自分の名前を呼ぶ声が僕の耳に入って来る。僕は返事をしながら呼ばれる方へと歩み寄る。――母親だ。


 今は自分の家。――母親は裏口から外へ出た辺りで、ある一点を見定めたまま立つ。

 その態勢で、もう一度僕を呼んだ。


「何?どうしたの?」

 僕は答える。


「昨夜、どこかに出ていたの?」

 母親は僕の姿を見ると共にそう問いかける。


 いったい何の話だろう。


 僕は否定する。


 疲れていたので昨日は早めに就寝(しゅうしん)している。――何より母親自身がそれを良く知っているはすだ。


「おやすみなさい」

 と、ちゃんと挨拶をして眠ったのだから。


 だが、母親は僕のその答えを聞いても納得ができないかのように首を傾げている。


「おかしいわね。私が昨日、寝る前まではきちんとなっていたのに……」


 今は朝。しかも、そんなに遅くもない。

 母親が寝ている間――つまり夜中にこんな状態にならない限り、つじつまが合わない。


「だから、どうしたの?」

 僕はもどかしいとばかりに口調を少し乱暴にし、母親が見つめていたそこを覗き込む。

 母親はそんな反応を伺うかのように横目で僕を見る。


 そこには僕の自転車があった。


 いつもは裏口の前辺りに狭いながらも停め、鍵も掛けていたのだが――その自転車は家の壁に立て掛けているだけでステップすら出されていない。


 乗り捨てられているかのようだ。


 走るとタイヤの回転により点灯するライトも、タイヤ側に傾いたまま。


「どこに行っていたの?」

 母親はもう一度僕へ聞いた。


 僕は首を横に振り、その自転車を所定の位置へと戻す。


 記憶にない。


 合宿から帰って来た時に自転車はいつもの場所に停め、そこから――そもそも使用すらしていない。


 何だか気味が悪い。




『勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。……』


 僕の名前を呼ぶ頭の声は消えることがない。


 食事の時もトイレの時もお風呂の時も……そして寝る時も。蒸し暑さも手伝い、寝つきが悪くなる一方である。

 ただ単に自分の名前の連呼のみ。――それを聞きながら次第に眠りに入っていく。


『勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。勲武。……』

 繰り返し頭に響く声。


 それは眠った後にも続けられ……そのため睡眠状態のまま、その言葉の言いなりになっていたようだ。


 一種の催眠状態。


『ここまでおいで』




 僕は明かり一つない部屋の中で腰を下ろしていた。


 お尻に敷くそれは木製の机……手触りだけでわかる。――日頃、常に触れて来たものなのだから。


 学校の机。


 部屋と思われるこの空間も一般家庭ではありえない程に広いことからも、その事実は誰でもわかるだろう。――そう、ここは紛れもなく教室。


 今は自発的に夜の学校へ通っている。


 目が暗闇に慣れて来ることにより、それは明らかになるが――以前はグランドピアノのある音楽室であったが、今日はそこではない。


 特徴的なものは何もない普通の教室。


 隣には白装束姿の、まだ幼さが少し残った少女――彼女。


 少し微笑みさえ含んでいる。



 彼女と夜な夜な会う密会。


 幽霊の気持ちがわかる特別な人間――僕は霊能力者にでもなったような気がしていた。


 自分は特別だと浮かれてさえいた。そんな僕に、

「どうしたんだ?」

 同じ陸上部の部員が声をかける。――普段、あまり話をしない人だ。


「やつれているぞ」

 だから、その後に続く言葉にも信憑性が高かった。


 僕は鏡で自分の顔を見た。


 毎日、見ているものではあったのだが……それ程、気にも留めていなかったのが正直なところ。――随分と……深い(くま)まででき、瞳には生気がない。


「夏ばてしているのさ」

 僕はそう理由付けし、その場と心配する家族へ言い訳をするが……


 それを思い出し、僕の表情は暗く沈む。



「明日は止めに……少し、休憩を……」

 僕は思い切って……やっと絞り出した声で彼女へ提案する。


 彼女の顔が凍り付く。


 音もなく僕へ()り寄り――そして、額を近付けて……


「や、止め……て……」

 僕は口走りながら震える体を引き――追いかけ、彼女の額と僕の額が交差する。


 脳裏に浮かぶのは連なる山々と弱々しい木々。地面の地割れ。そして、(ふもと)にある茅葺(かやぶき)屋根の木造家屋が数軒。


 彼女の生前の記憶である。


「あ、ああ……あ、あ……」

 僕の口から声が漏れる。――逃げようにも体が動かない。


 その記憶に魅入られているかのように。


(うらや)ましい』

 彼女は僕の頭の中で呟く。


『貴方にはたくさんの思い出……記憶がある。私にはこれだけ……』


 どうやらこの行為は彼女が僕の記憶を見るのも兼ねているようだ。


『こんなにも優しい貴方が、私を見捨てることなど……できやしない』


 二度目なので少なからず慣れというものがあるのかとも思っていたのだが……


 こんなことなど、慣れるものではないらしい。――いや、人の悲しく死んでいく姿など、気持ちの良いものではない。


 何度も見るものではない。


 額を離した彼女を見る僕の目には――いつしか(あわれ)みが込められている。


「お静……ちゃん」

 僕の口から彼女の名前が自然と漏れる。


『これぽっちの記憶』

 彼女は悲しそうに呟き、(うつむ)く。


『でも、これが私の生きた証。お願い、目を逸らさないで』

 そして、頭の中の声がそう追加されると彼女は顔を上げ、僕に寄りすがるように抱き付いて来た。


 ――不意に僕は倦怠感(けんたいかん)を覚えた。


『貴方は優しい。そんな貴方が(そば)にいてくれるだけで……満たされる』

 彼女は僕の肩口に(うず)めた顔を緩ませ、声を押し殺しながら笑う。


 周りには夏ばてだと言い訳し、自分でも寝不足ぐらいとしか捉えていなかった。――だから少し休めば、すぐに回復するとばかり思っていたが……


 彼女に触れることで、どんどんと力が抜けていくような感覚。


 それは彼女への同情による気落ちでも、心が落ち着きを取り戻している訳でもない。影に隠れる彼女の表情――明らかに何かを吸われている。


 僕の血の気が去っていく。


「うわあああああっ!」

 僕は半狂乱気味に悲鳴を上げ、彼女から離れた。


 二、三歩後退りした辺りで足元がふらつき、尻餅を着いてしまう。恐怖によって腰が抜けたのか……


 それとも、もうそこまで生命力を失ってしまったのか。


『そうやって声を出して話をすることができる』


 彼女はゆっくりと振り返る。


『周りの人達と話をすることができる。――(うらや)ましい』

 彼女は静かに言うと、滑るように僕へと近寄って来る。


 僕は砕けた腰を引き()りながら――乱暴に閉めていたせいだろう。


 偶然、教室の扉が少し開いている。


 見た目も気にせず、()いつくばりながら教室の扉を開け放ち、僕は逃げ出した。


『貴方はこれから恋をして……結婚して……子供ができて……』


 それは生と言う名の(いとな)み。生命を持つ者の特権。何よりそれには……


『未来がある。――(うらや)ましい』

 逃げ(まど)う僕の頭に彼女の声が響く。


 ようやく立ち上がることができた僕は階段を勢い良く駆け降りる。


 辿り着いた廊下の先には生徒玄関。


 背後に人の気配を感じた。――彼女が追いかけて来ている。

 僕は振り返ることなく、その生徒玄関まで走った。


 月明かりにより冷たくさえ感じる(りん)とした夜。そこに金属同士がぶつかり合う――妨げていることを主張する音が響く。


 開かない。――何度もそのドアを揺するが結果は同じ。


 鍵が掛かっているようだ。


 そもそも夜の学校なのだから、それは当然と言えば当然。むしろ鍵が開いていることの方が不自然である。

 なのに僕が入る時は普通に開き、中へと入ることができた。


 振り返るとぼんやりと輝く白い影が迫って来ている――彼女。

 彼女が僕を校舎の中へ入れるため、鍵を開閉していた――そう考えるのが、残念ながら妥当だろう。


 何故今まで、その不自然さに気が付かなかったのか。そこまで僕の精神は麻痺(まひ)していたのか。――それとも慢心(まんしん)


 このままでは逃げ道を(ふさ)がれる。


 僕は生徒玄関とは反対方向へと走り出した。


『貴方は風を感じることができる。呼吸をすれば、空気を肺に感じることができる』


 彼女は今や、そんなことすら感じることができない。


(うらや)ましい』

 僕は今走っている廊下に連なる教室の一つへ駆け込んだ。


 引き戸を閉め、(そば)にある机や椅子を乱暴にその際へと押しやる。バリケードのつもりなのだが……


 幽霊にそんなものがどこまで通用するのだろうか。


 僕は気の済むまでその作業をすると、反対の窓際まで駆け寄った。

 そこで見えるのは外の景色。足元に広がる地面。手を伸ばせば届きそうだが……


 随分と遠く感じた。


 窓に付いている鍵は指で簡単に外せるもの――のはずなのだが、僕がいくら力を入れても……びくともしない。


 僕は近くの椅子を手に取り、振りかぶる。


 衝撃音と共にガラスが振動する。――割れない。

 何度も椅子を窓ガラスへぶつけるが、まるでそれを跳ね返すかのようで……


 ガラスなど、意図しないで割れる時は(もろ)く、簡単に割れるのに。


『私はそんな些細(ささい)な幸せが欲しかった。――でも、今はそれすら叶わない』

 僕の頭に語りかけて来る彼女の声。


(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい。(うらや)ましい……』


 それは繰り返される。


 僕はゆっくりと振り向いた。


 近寄せられた無表情の彼女の顔。僕は飛び出しそうになった心臓を押さえ、身を後に引く。


 背中には恐ろしく冷たい一筋の汗が流れ落ちる。


『うらめしや!』

 彼女は大き目の瞳を吊り上げ、裂けそうな程に口を開く。


 その形相――以前の可愛らしさの欠片(かけら)もない。僕は声を出すこともできず、息を飲み込みながら……腰が落ちる。


『貴方は私に目を合わせてくれた。だから私の気持ちもわかるはず。私の苦しみもわかるはず。――私の望みもわかるはず!』


 人は目を合わせて会話する。自分の気持ちを相手に伝えたくて。相手の気持ちを理解したくて。――その名残なのかもしれない。


 幽霊はいつも周りの人々に……(うらや)ましさから目を向けている。普通は見ることができないため、それは一方的となり、目を合わすことはない。

 幽霊も諦めているのだが……


 だから(まれ)に目が合う人間がいると、過剰なまでに求めてしまう。

 自分を理解して欲しい。望みを叶えて欲しい。――助けて欲しいと。


 幽霊と目を合わせるとはそういうこと。


 腰を抜かして怯える僕の姿に、冷静さを取り戻したのか――彼女の表情が穏やかになっていく。


『私が望むのは貴方だけ』


 彼女は僕の目の前に屈み込んで、ゆっくりと抱き寄せる。

 我がものにしたと高揚したのか――彼女は一瞬、身震いさせる。


 僕は抵抗することができない。


「あ、ああ……あ……あ」

 小さく口から漏れる。


『私を同情してくれる貴方がいるだけで……』


 彼女の背後に現れる漆黒の円――それは黒体のように一切の光も許さない球体。それが徐々に大きくなり……


 やがて彼女もろとも、僕を包み込む。


『私と……いつまでも一緒に……』




 長い夏休みが終わる。


「遠藤……岡田……木下……」

 久しぶりに顔を合わせたことにより、ざわめいて落ち着かない中、教壇で男性教師が生徒達の名前を呼ぶ。

 それぞれ個性溢れる返事が返って来る。――ここは僕のクラス。


「坂下……瀬戸……高橋……寺下……」


 僕の名前が呼ばれることはない。


 生徒……同級生達も何の違和感も覚えず、夏休みの思い出話に(はな)を咲かせている。


「全員、(そろ)っているな?」

 男性教師は念を押す。――元気に返って来る返事。


 僕は存在すら失ったようだ。


 おそらく家族も、僕が初めからいなかったかのように普段の生活を過ごしていることだろう。

 周りの人に悲しい思いをさせないことが唯一の救いか。


 声を押し殺した笑い声が聞こえて来る。

 女性の声――彼女だ。


『心配しないで。私はずっと貴方の(そば)にいるわ』

 彼女は僕へ上機嫌に語りかける。


 僕の心の()り所は彼女だけになったようだ。


 手を伸ばすと彼女の肩を抱くこともできる。微笑み、振り返る彼女は……まるで生前の姿――お静である。


 僕は少し照れ笑いをした。

 この物語――実は元々、書籍となった『Piece of Fate ―セリアの恋―』の冒頭の話でした。それが書籍化にあたり編集カットされ……

 なのでどうしてもこの物語は書きたくて……より実体験に近く、一小説として成り立つように追記もしましたが。


 ちなみに名残として、Web上に上がっている書籍のあらすじと、実際の本の内容が少し違う――始まり方が違うのはそのためです。

 あらすじの方の編集漏れです。


 如何だったでしょうか?

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