CHAINS
一人の少年が夜の町を逃げていた。服装は、全体的に見てボロボロにくたびれた学ランを着ていることと、全体的に少しやつれていることを除けばごくごく普通の少年である。街から遠く離れた山の屋敷から逃げ続けた少年は、気がつけば警備用ロボットもいないような裏路地に逃げ込んでいた。
全ての始まりは三ヶ月前までに遡る。放課後、家路を急いでいた少年は、一人のクラスメイトの少女に呼び止められた。
「ごめんなさい。あなたにどうしても話したいことがあるの。他の誰かに聞かれたくないから屋上手前の踊り場まで来てくれるかしら」
少女はそれだけ言うと少年の手を引っ張り階段の方へ向かった。
「で、話ってなんだよ。」
早く帰りたいと思っていた少年は少し苛々しながらも少女に問いかけた。その時ふと少年はクラスメイトの少女の容姿を改めて確認した。
まず目に付いたのは流れるような長い黒髪である。長い髪は少女の落ち着いた雰囲気とは異常なほどに調和しながらも、どこか社会とは一線を隔てたようなに少年には見えた。次はまるで全てを見透かしているかのように冷めた黒い目である。その瞳はまるでこの世界のありとあらゆる物を見透かしているようであった。そしてそんな少女の髪と瞳とは正反対の純白の肌は少年にとっては異常に美しすぎるものに思えた。そして校則通りに規則正しく着こなされた制服は少女の用紙に異常なほど合った物であり、まるで少女の純白の肌を守る城壁のように少年には思えた。
「それであなたを呼び止めた理由なんだけれども……」
少女の容姿に見とれていた少年は少女の声で我に返り少女の話に意識を戻した。
「あなたのことが好きです。あなたと同じクラスになった時に私を助けてくれたあの時からずっと……だから私と付き合ってください」
生まれてから一度も告白をされた事の無い少年は、少女の言葉に驚愕した。何故、自分の事が好きなのか少女に聞くと、当たり前のことを語る様子で答えた。
「学年が上がってすぐの時に、周りに馴染むことができなかった私を、クラスの仲間に入れるようにしてくれたのはあなたじゃない。もっとも、あなたにとっては当たり前のことをしただけだったのかもしれないけれども」
少女の言葉を聞いた少年は、クラス替えのすぐ後に少しでも多くのクラスメイトがクラスに馴染めるように声掛けをし続けたことを思い出した。
「その様子だと思い出してくれたようね。フフ。思い出してくれただけでも嬉しいわ」
今まで能面のように無表情だった少女は、嬉しそうに微笑んだ。それを見たとき、少年の中での答えが決まった。それが間違った選択であり、今までの人生全てを縛り付ける鎖であるとも知らずに……
それから少年は少女と交際を始めた。しかしそれは、第三者から見ればひどく歪で一方的な物であった。まず一日に来るメールの件数は百件を超え、電話だけでも三十件を超えた。少年がそのことを抗議しても、少女は意に介していない様子であり、むしろメールも着信もますます増えていった。さらに少女は、それでは満足できなかったのか少年にこういった。
「学校で女子と会話しないでちょうだい。事務的な内容も可能な限り避けてちょうだい」
少女は少年が、異性のクラスメイトと接することを一方的に禁止したのである。少年もこの段階になってようやく少女の異常さに気づいた。異常はそれだけではなく、告白されて以来、外に出かけている時に、何者かに監視されているような視線を少年は感じていた。
そんな生活を一ヶ月過ごしていたある日、少年は後輩の女子生徒に告白された。この時、少年は少女と交際していることもあって断ったのだが、それ以来少年に告白した女子生徒は学校に来なくなった。気になった少年が調べてみると、女子生徒の両親はそれぞれが勤めていた職場で首を切られ、女子生徒とその家族はその日の生活にも困る日々を送っていたそうだった。驚愕した少年がその原因を探ろうとした時に、少年は交際を続けている少女の家に招待された。
「何があったのかはしらないけれども、最近のあなたは疲れているように見えるわ。お菓子とかもたくさんあるし、私の家で少しお茶でもいかがかしら?」
少年は、交際を始めてからの少女の異常な執着からか、内心少女こそが女子生徒の不幸を引き起こしたのではないかと考えていた。しかし、それと同時にそれを信じたくないという気持ちもあったのである。少年がいざ少女の住まう豪邸に入った次の瞬間、少女に催眠効果のある薬品を染み込ませた布を口元に当てられた。
気がつけば何処ともわからない部屋で少年は拘束されていた。少女は、少年を眺めながら口を開く。
「手荒な真似をしてごめんなさい。でもこうするしか私には方法が浮かばなかったのよ」
少女は悪びれる様子もなくそう答えた。少年はふと気になり少女に訪ねた。
「待ってくれ。まさかと思うけど、あの後輩の家族は……」
少年が言い切るよりも早く少女は動けない少年の口を塞いだ。
「私の前で他の女の話をしないで。大体、アイツを消すのにどれだけ苦労したか……」
少女はそれだけ言うと少年の口を塞いだ手を話し、部屋を出て行った。それが三日前の出来事である。
「ここまで来れば大丈夫だよな? あとは警察まで行けばいいだけだしアイツが来るまでもう少しかかるよな?」
少年は周りを見渡しながら自分に言い聞かせ、路地の端に座り込み体を休め始めた。しかし、この時少年は、アレがすぐ近くまで近づいてきていることに気がついていなかったのである。
「どうしたの?もう追いかけっこはおしまいかしら?」
澄み切った少女の声がした次の瞬間、座り込んでいた少年はその場から飛び上がった。しかし、疲れきっていた少年は足がもつれて転んでしまった。
「ヒーッ! そんな。どうしてここまで追って来てるんだよ!」
少年の言葉に答えるかのように曲がり角から少女が現れた。黒で統一された髪と衣服とは正反対である純白の肌が、夜の路地裏では妙に映えている。
「どうして? あなたの行動は私にとっては筒抜けに決まっているじゃない。だってあなたのことを愛しているのだもの。愛している人の行動を全て把握することは当然じゃない」
少女はさも当たり前のことかのように長い髪をかき分けつつ答える。少年は立ち上がって逃げようとしたが……
「なんだよこいつら……」
黒い服を着た男たちが退路を塞いでいた。少年が唖然としていると少女が口を開く。
「無駄よ。さっきも言ったけど、あなたの行動や考えは筒抜けなの。だからこの路地裏に逃げ込むことも想定済みだし、予想出来た進行経路にいる警備用ロボットを前もって警察に圧力を掛けて止めることができたのよ。せっかく屋敷からは抜け出させてあげたのに、あなたが、思ったより早く私の用意した袋小路に来たことは嬉しかったけどちょっと残念だったわ」
少女のあまりに常軌を逸した発言に恐怖しながらも、少年は口を開いた。
「もうやめてくれよ……俺はこんな関係なんて……」
少年が言葉を紡ごうとした次の瞬間、少女は鬼のような形相で少年に詰め寄り口を塞いだ。
「黙りなさい。私があなたをあんな俗物共と一緒に過ごさせるわけがないでしょ。どうしてそんな簡単なこともわかってくれていないの? そんなことはとっくに理解してくれているとばかり思ったのに残念だわ。」
少女が捲し立てるように少年に言葉をぶつけた後、目元に涙を浮かべながら続けた。
「本当にひどいわ……私はただこんなにあなたのことを愛しているだけなのに……」
少女はひとしきり喋った後に少年口から手を離した。動けるチャンスではあったが、ただでさえ体力を大き消耗していた少年は酸素不足からかその場に蹲って動かなくなってしまっている。
「あの時からずっと私は、こんなにもあなたに恋焦がれているのに、あなたは私がどれだけあなただけを見ているのか分かってくれないのね。やっぱりアイツらやその家族を社会的に排除して、あなたを隔離しただけじゃ分からないのね……」
少女はそう言うと、何かしらの薬品を染み込ませたハンカチを蹲っている少年に嗅がせる。すると薬品を嗅がされた少年は忽ち意識を失ってしまった。
「あなたたち。彼をあの部屋に運んで行ってちょうだい。警備用ロボットがそろそろ動き出したと思うから注意して運びなさい。見つかったら面倒だから」
少女の命令を受けた黒服の一人が素早く少年を抱えると、そのまま路地の奥へと消えていった。少女ももう一人の黒服と共にその場を去っていった。
少年が目を覚ますとあの部屋のベッドに寝かされていた。
「あら気がついたのね。思ったよりも目を覚ますのが早くてよかったわ」
少年が顔を枕元に戻すと少女が少年の顔を覗き込んでいた。
「フフ。寝顔、可愛かったわよ」
手にデジカメを持った少女は満足気な様子で微笑んでいる。体中に寒気が走ったことを感じた少年はベッドから飛び起きようとしたその時、少女が口を開いた。
「逃げようとしても無駄よ手足を拘束したから」
少女の言葉に驚いた少年が自分の手足を確認すると、確かに手足には拘束具が取り付けられていた。
「なんだよこれ?」
少年に問いかけられた少女は、少し首を傾げた後に答える。
「簡単なことよ。本当は手足を切断しようかとも考えたのだけれど、それじゃあなたに抱きしめてもらえないからそれは辞めにしたの。その代わりに……」
少女はひと呼吸貯めた後に言った。
「あなたの心と体に分からせることにしたの。徹底的にね」
その言葉を聞いた少年は必死で体をばたつかせる。しかし手足を拘束されている少年にとってそれは全く無意味な行動であった。
「大丈夫よ。あなたが想像しているみたいに痛くなんてしないから。ただ私から離れられないように優しくしてあげるだけよ。だから。ね?」
少女は今までの無表情な顔からどこか愛しい者を見るかのような様子で少年の頭を撫で始めた。
「あなたも物分りが悪いのね。でもこれも運命だと思って私だけを見てほしいわ」
少女の言った運命という言葉が気になった少年は少女に訊ねる。
「運命ってどういうことだよ?」
少年の素朴の疑問を受けた少女は何故か誇らしげに答える。
「フフ。この屋敷は私の一族が代々自分の配偶者を監禁する場所なのよ。自分にとって理想の配偶者として教育するためにね。私のお父様もお母様と昔ここで過ごしたそうよ。お父様のお母様への独占欲が異常に強くて教育の内容が特別酷かったらしいわね。それ以前も似たようなものだったそうよ。私たちの一族って狂ってるでしょ?」
少女から信じられないような事実を聞かされた少年は言葉を失った。少女はそんな少年の様子に気づいているのかいないのかそのまま続ける。
「でも私はそんな家に生まれたことに感謝しているし、誇りとさえ思っているわ。だってそのおかげで私はあなたをこうして独占することができているのだもの。家の権力を使えば警察を黙らせることだってできるし、あまりお義父様やお義母様相手にそんなことやりたくはないけれど、あなたのことを買い取ることもできなくはないわ。」
その言葉を聞いた少年は全てに絶望した。それと同時に彼女の一族がどういった存在かも認識したのである。
(そうか……彼女は……彼女のご先祖たちはこうやって自分の気に入った相手に異常なまでに執着して、相手を執着という名の鎖でがんじがらめにして自分だけのものにするんだ……)
絶望しきって反応しなくなった少年を少女は一瞬不思議そうな様子で眺めた後に嬉しそうに微笑みながら口を開いた。
「フフ。その様子だとやっとわかってくれたのね。私とても嬉しいわ。これであなたと私はずっと一緒ね。例えあなたの心が壊れてしまっても私は永遠にあなたの傍で尽くすわ。だって私はあなたのモノであなたは私のモノだもの」
少女は少年の顔を愛しげに撫でた後に続ける。
「あなたを私という鎖でがんじがらめにしてあげる。私から二度と離れていかないように、ね」
終わり
こんにちはドルジです。最近は鼻づまりがひどく少々辛いひびがつづいています。皆様はいかがでしょうか?
今回は今まで書いてきたものとは異なった何とも言えないジャンルの歪んだ愛情と鎖という言葉をテーマにした小説を書いてみました。この小説を読んだことで何かしら感じることがあれば幸いです。
3月9日
細かい修正を加えました。