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第七話

「出掛けるのかい?」

 頭の上から降ってきた声に、竜杜は顔を上げた。しかし答えず、軽く三和土(たたき)に爪先を当てて靴の踏み心地を確認する。

「ランニングって風体ではないな。」

 フリューゲルの店主は、竜杜の姿を上から下まで眺めて溜息をつく。トレーニングウェア姿ではあるが、足元を固めるのはもっと頑丈な靴だ。

「奴が動き出した。多分…フェスが感じたことだから間違いない。」

 そうか、と頷く。

「無茶はするな。何かあったら呼べ。」

 返事の代わりに軽く笑みを浮かべると、竜杜は玄関扉を開けて外へ出る。扉が閉まる直前、小さな白い影がふわりと飛びながら彼を追って外に飛び出した。

 外に出ると夏の気配を含んだ空気がまとわりつく。その中に水の匂いを感じて、空を見上げる。

 駅から離れるにしたがって人通りは少なくなるが、時折トレーニング目的なのか、同じような格好で走っている人とすれ違った。ペースは崩さず、けれど絶えず周囲と自分の頭上に気を配りながら駅一つ分走ったところで足を止めた。街灯のない暗がりの下を見つけると呼吸を整えるように軽く身体を動かす。

「感じたのはこの辺か?」

 以前、都が襲われたところとは駅二つ分離れている。人がいないことを見計らってちら、と頭上に目を向ける。

「フェス。」

 応えて、白く小さい影がすぅっと降りてくる。

 空中に静止したままのそれを確認すると、竜杜は軽く目を閉じた。小さな声で唱える。

「白き翼の盟友、その力、その瞳を我に与えん…」

 それを合図に白い影は空高く上昇して行く。

「どこだ?」

 再び開いた竜杜の瞳は、銀色がかって見えた。そしてその眼の内に映し出されるのは、空から見下ろした夜の街並み。先ほど羽ばたいたものが見ている景色が、そこには映し出されていた。

 家から漏れる明かり。

 規則正しく並ぶ街灯。

 そして真っ暗な闇に包まれているのは、うっそうとした森に囲まれた公園だろう。

 ここしばらく地図を眺めていたおかげで、近隣の地理は把握している。

 誰かのお屋敷だったところを整備したとかで、敷地の半分は昼間だけ開放される保護地区。そして残り半分はいつでも自由に出入りできる広場スペースになっている。

 と、眼の前が闇に包まれた。

 一瞬にして光が消えたのだ。

 けれど空を飛ぶものは、闇の中でそれを捉えていた。

 ぐん、と急降下する映像。

 その中で一層黒いものが、蠢いているのが判る。

 そしてその傍には二人の人影。

 竜杜はハッとなる。

「まさか…」

 ちっ、と舌打ちして走り出した。


 それは本当に突然だった。

 最寄りの沿線まで戻ろうと待ったバスが、途中止まりだと気づいたのは乗ってしばらくしてからだった。終点である団地の一角でバスを降り、どうしようと考えた都は、そこが知っている場所だと気が付いた。近くに広い公園があり、演劇部が発声練習するのを同行取材したことがある。確か公園を抜ければ沿線の駅に近いはず。

 そう思ってこの場所に足を踏み入れた。人通りの少なさもさることながら、空気が雨の匂いを含んでいることに気づいて歩みが速くなった。公園の中ほどに差し掛かった時、目の前に人が立っていることに気づく。

 若い男だった。

 まるで道を塞ぐように佇む姿に、一瞬歩みを止める。Tシャツにグレーのパーカー、くたびれたジーンズにスニーカー。目深に被ったキャップから金色に染めた髪が覗く。

 その時。

 ぞくり、と背筋が震えた。

 あの感覚だ。

 それを待ち構えていたかのように、足元を照らしていた明かりが消えた。

 辺りが闇に包まれる。

 戸惑う都の耳に声が響いた。

 “にげられない”

 闇の中で何かが動くのがわかった。それは都に近づき、身体にまとわりつく。

「いやっ!」

 叫んで逃げようとするが足が動かない。

 それどころか、それは都の身体に巻き付ついてくる。何かに触られているような実感はないのに、冷たい空気の塊が彼女を徐々に締め上げていく。

 苦しかった。

 けほっとむせるが、巻き付く力はどんどん強くなる。

 目の前を、黒い靄が揺らめく。

 “ちからのみなもと。ひとみのけいしょう。”

 言葉なのだろうが、何を言ってるのかさっぱり判らない。

「なんで…」自分なのか、と言いかけたその喉にも、黒い靄が巻き付く。

 そして次の瞬間。

「っつ!」

 首筋に鋭い痛み。

 自分が一体どうなっているのか判らない。ただ暗闇の中、徐々に研ぎ澄まされていく感覚が、傍観している男の気配を感じ取る。

 遠雷が聞こえる。

「美味しい?」

 それは小さい声だった。けれどどこか楽しそうな含みに都は震える。

 “ああ。おんながかくしたことはある”

 無理に締め付けられた腕が軋む。泣き出しそうなほど痛い。

「や…」

 声を出そうとしても出すことができない。

 男が近づく。

 目深に被ったキャップで表情は読めないが、その口元は笑みを浮かべ左右に引かれている。そして彼の身体から黒い靄が滲み出ているのも、闇の中なのにはっきりと判る。

 男は手を伸ばし、彼女の首筋に触れる。そして指先についたものをぺろりと舐めた。

 “みちしるべ”

「取ったりしねーよ。」

 声は聞こえているのに、意味を考えることができない。

 その時。

 不意に体が離された。

 自分で身体を支えることができず、膝から崩れる。

 ぎゃあ!という悲鳴。

 あの時と同じだ。

 ぼんやり考えながら、都は地面に倒れた。


「都!」

 肩で息をしながら竜杜は大声で叫んだ。

 だが、倒れた少女の身体はぴくりとも動かない。

「あんたが邪魔者、か。」

 闇の中から聞こえた声の主を、竜杜は見据えた。

「なぜ…それを受け入れた。」

「別に。何となく。」

「そいつはお前を殺す。」

「かもな。」

 ゆらり、と男の姿がぼやける。黒い靄が立ちこめ、その姿を覆う。

 空から白い物が突進した。

 けれど靄は一層闇に溶け込む勢いで色を濃くし、その姿をくらませる。

 白い影が戸惑うように失速する。

 “いちぞくが、まだいたのか”

 ゆらり、と揺らめいた靄は人ではない異形のものを形作る。

「なぜ彼女を狙う!何が目的だ!」

 くくっ、と低く笑う声。

 “おまえはつぎにいただくとしよう。”

「次など…」

 あるわけない、と言おうとして呻く声が耳に入る。

 はっと気づいて、竜杜は倒れている都に駆け寄った。一瞬かがみ込むと、舌打ちして顔を上げる。

 相手は竜杜が気を取られた隙に、ばさりと翼を広げ飛んだ。

 白い影がそれを追いかけようとするのを竜杜が制する。

 黒い翼を持った異形の者は、いよいよ近くなった雷の音に吸い込まれるように消えていく。

「それより応援を…」

 呻くような竜杜の声に呼応して、白い小さな影が空に舞い上がる。

 竜杜は膝をついて都の上半身を抱きかかえると、首筋の傷を押さえた。暗くて判りづらいが、指先に触れるのは生暖かい、ぬるりとした感触。

 思わず眉をしかめる。

「木島都!聞こえるか?都!目を開けるんだ!」軽く頬を叩くと、微かに瞳が開いた。

「俺だ、竜杜だ!判るな?」

 唇が動いた。

「聞こえるか?」

「…竜杜…さん…?」目がかすんでよく見えない。けれど声は確かに聞き覚えがある。

「喋らなくていい!」

 竜杜は傷に掌を当てる。

 けれど瞬時に、自分が思うような結果を得られないことに気づいた。それどころか黒い靄に急激に血を搾取されたことで、彼女の命が危険に曝されているのだと理解する。

「力が弱すぎる…」どうして、と焦る。

 もう一度意識を集中させる。

 けれど結果は同じだった。

「くそっ!」

 どうすればいい?と自問自答していると、

「…手…あったかい…」

「え?」

 とっさに何を言われたか判らず、腕の中の少女を見る。

「寒くて。」

 はっと息を呑む。

「でも…りゅうとさん…あったかい…」

「…そうか。」

 この場では精一杯の穏やかな声で応えると、傷口から手を放し、傍らに投げ出された都の手を取った。

 すでに力の入らない指はひどく冷たく、脈も弱い。

「また…迷惑、かけちゃい…まし、た。」

「気にするな。」

「…助けられて…」ばっかり、と言おうとして咳き込む。

「喋らなくていい!」

 嫌な音が混じるのを聞いて、思わず細い指を握り締める。

「俺は…君を助けたい。」

 万に一つの可能性。それが成功するとは限らない。けれど何もしないでこの手を放すより、「もし」を信じたい。

 つと、顔を上げ真っ直ぐに前を見据える。そうして意を決して小さく頷くと、竜杜は少女の耳元に顔を寄せた。

「名前を…俺が名前を言ったら、都も自分の名前を言うんだ。」判るね、と念押しする。その優しい笑顔に、少女の表情が少し和らぐ。

 迷っている時間はない。目を閉じ、軽く呼吸を整えると口を開いた。

「一族の名の下、この者と交わす契約を見届けん。」

 彼女に声が届いているのか判らない。

 けれど都は、もうほとんど聞き取れない声で、言われた通りに自分の名を告げる。

 それが精一杯だった。

 言い終えると同時に、都は意識を失った。ただ、唇に暖かいものが触れたのだけは感じつつ。

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