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第二話

 腕を掴まれている、と理解したのは走り出してしばらくしてからだった。

 ところどころ段差で躓きそうになるたびに、掴んでいる腕に引き寄せられる。

 どれくらい走ったのか。

 心臓が喉から飛び出しそうなほど息切れして、けほっと咳き込んでしまった。それを合図に開放されると、膝から崩れるようにアスファルトに座り込む。

 一体何が起きたのか?それ以前に…

「ここ…どこ?」

 肩で息をしながら辺りを見回す。

 植栽の隙間から、ひときわ明るい光が見える。見回すと、手入れされた花壇や置かれたベンチに見覚えがある。

 幹線道路につながる遊歩道だった。

 自転車に乗った男が傍らを通り過ぎたが、座り込んだ都にはチラ、と視線を投げかけただけだった。

「大丈夫か?」

 頭の上から降ってきた声に、都は顔を上げる。

 若い男だった。

 若いといっても都より年上、二十代半ばくらいだろう。革のジャケットにジーンズ、それに首筋で束ねた長い真っ直ぐな黒髪。職業不明の風体ではあるが、都のことを心配そうに覗き込んでいる。そして手にはスクールバッグ。

「えと…」

 まだ呼吸が荒くて声が出ない。こくっと唾を飲み込んでからようやく深呼吸する。

「カバン…」

「余裕なさそうだったから、拾っておいた。」

 それを聞いて、この人に腕を引かれていたのだと気づく。

「あ、ありがとうございます。というか、助けてくれたんですよね?」

 男は頷いた。

「襲われる覚えは?」

 ぶんぶんと首を振る。

「とりあえず…この場から離れよう。」立てるか?と手が差し出される。

 それを無視して自力で立ち上がろうとするが、

「あ、あれ…?」腰が抜けて立ち上がれない。

 そんな都の様子を見ていた男が、すっと腰を落とす。

 背中を向ける意味が判らずきょとんとしていると、

「おぶってやる。」

「え?でも、あの…」

 予想もしなかった展開に、都は焦った。

 頭の中が真っ白になって戸惑っているのを、傍らを通り過ぎる人たちが不思議そうに眺めて行く。

「あのな…」業を煮やした男が都を振り返る。

「強制的に抱き上げるのと、背負われるのとどっちがいい?」

「ええと、ええと。」

 二者選択にしても選びようがない。

「その他って…」

「ない。」と男は断言する。

「警察を呼んでもいいが、あの状況を説明できるか?」

「あの状況」がさっきの公園での出来事を指していることは判った。ということは、彼もあの黒い靄を見たのだろうか?けれど言われれば、確かに「あれ」を警察に説明して信じてもらえる自信はない。

 都は息を吐き出した。そして結論を下す。

「おんぶでいいです。」 

 促されて男の背に腕を伸ばす。肩に手をかけ、広い背に身体を委ねる。

 男が立ち上がると、一気に視線が高くなった。

 座っていて判らなかったが、背が高い。

「あの、重くないですか?カバン込みだし…」

「大したことない。それより家はどっちだ?」

 どうしようと迷ったが、仕方なく従うことにした。

 けれど見ず知らずの男に背負われている緊張と、すれ違う人の好奇の目で俯いたまま。男の人に背負われるなんて、保育園の園長先生以来じゃないだろうか。

 なんで、どうしてこうなるの?と泣きそうになりながらも、スカートの下にスパッツ履いててよかったと妙なことを思い出す。

 見慣れた建物が見えた時には、心底ホッとした。

 ここからは大丈夫なので、とオートロックの前で下ろしてもらい頭を下げる。

「とりあえず戸締りと、夜の外出は気をつけたほうがいい。」

 その瞳が、一瞬銀色に見えたのは気のせいだったのか。

 都が口を開く前に、彼が踵を返してしまったので確認のしようもなかった。

 都はその背に一礼すると、足早にエレベーターへと向かった。


「ただいまー」

 誰に言うともなく言って靴を脱ぐ。

 一人には十分すぎる広さのリビングダイニングにカバンを置くと、留守番電話を確認する。何も入っていないのを見て、肩の力を抜いた。

 と同時に先ほどの出来事を思い出し、思わず両手で自分の肩を抱き寄せる。

 影のような靄のようなもの…あれは何だったのか。それに声が聞こえたのは気のせいだったのか。いや、彼もあの状況を知っていたから、現実と考えていいのかもしれない。そもそも彼はどうして都を助けたのか?偶然?それとも…

 打ち消すように首を振る。

 考えていると、ただでさえ広い空間が寒々しく感じた。

 それでなくとも友達に言わせると、この家は隙間が多いのだそうだ。今は同居している保護者が海外に単身赴任しているせいもあるが、小さい頃から引越しが多く、物を持たない暮らしが身についてしまったので女子高生が暮らすにしてはシンプルこの上ない。普段は気にも留めないが、今日に限ってはそれが寒々しいと感じてしまう。

 戸締りを確認してから、やっと自室に行って着替える。姿見の前であっちこっち見るが、擦り傷が僅かにあるだけ。あれだけの目に逢ったのに、それで済んだのは幸いと言うべきなのか悩むところである。

 ダイニングキッチンに戻りパソコンのスイッチを入れ、起動している間に部屋の隅に置かれた写真と位牌に手を合わせた。

「とりあえず無事…とも言いがたいけど、無事かな?」

 気持ちを落ち着かせようと湯沸かし器の電源を入れて、急須にお茶の葉を入れる。焙じた茶葉の香ばしい香りを吸い込むと、ようやく肩の力が抜けた。

 小さい頃、母親が忙しい合間に「休憩」といって淹れていたのを真似し始めたのはいつの頃だったか。ペットボトル全盛の今でも、こうやってお茶を入れるのが習慣になっている。友達には面倒じゃない?と聞かれるが、都にとってはむしろ精神安定剤のようなもの。

 マグカップにたっぷり注いで、起動した画面を覗き込む。

「メール…来てるな。」

 見慣れた名前を確認して開く。 

 通り一遍の安否を確認する文面に、どうしようと一瞬迷う。

 黒いモヤモヤに襲われかけた…と書いたら相手はどんな顔をするだろう。それ以前に文字だけであれを説明できる自信はない。せいぜい夢でも見たんじゃない?と言われるのがオチだろう。

 うーんと腕組みをして唸る。

 たっぷり五分考えて、学校からの連絡事項を打ち込み始めた。

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