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第一話

「えっと…」少し首を傾けて、都はデジタルカメラのボタンを操作する。

 中庭からはホイッスルの音。

 そして体育館の中からは掛け声と、床を踏みしめるシューズの音。

「こんな、感じですけど…」

 無骨な一眼レフカメラの液晶画面には、たった今見てきたバトミントン部の練習風景が映し出されている。

 新聞部の腕章をつけた男子が横からそれを覗き込む。

木島(きじま)さん、人物撮るの苦手?」

「苦手というか…あんまり撮らないから…」言葉を濁す。

「文化祭で展示した写真はよかったけどなぁ。」

「あれは、フィルムで撮ってるから。」

「デジカメじゃないんだ。」へぇっと志賀(しが)が感心する。

「じゃあピントとか、自分で合わせるの?」

「そうです。」

「現像するまで判んないって、面倒じゃない?」

「慣れれば別に。それで、撮り直しますか?」

 いや、と新聞部の部長は手を振った。

「部活日じゃないのにお願いしたのはこっちだし。このままでいいよ。」にっこりと笑う。

 爽やかな笑顔にどう返していいか判らず、都は曖昧な顔をする。カメラの電源を落とすと、重たいレンズのついたそれを肩にかけた。

「今までのデータ、今週中に志賀先輩に渡せばいいんですよね。量があるからCD-ROMでいいですか?」

「それでオッケー。助かるよ。」

 都がぺこんと頭を下げると同時に、校内放送が夕方の時刻を告げた。それを幸いに足早にその場を離れる。

 ピーッっというホイッスルの音が校庭から響く。けれど新学期早々活動している部が少ないのか、すれ違う生徒は稀だ。

 校内に戻り写真部のプレートが掲げられた扉を後ろ手で閉めると、木島都(きじまみやこ)はそのまま大きく息を吐き出した。そっと顔を左に向けると、もうずっとそこに掛けられたままの鏡に自分の上半身が写っている。

 紺のブレザーにえんじ色のタイ。下はブルーを基調にしたタータン柄のプリーツスカートにハイソックス。身長に合わせて、胸を含めたプロポーションはやや控えめ。ようやく肩に届くほどの髪は茶色がかっていても、瞳はしっかり日本人カラー。肌が白いのでどこかで西洋人か東北の血が入ってるんじゃない?と言われるが、母親が亡くなった今となっては確かめようもない。

 美人でもなく可愛いでもなく普通。性格は内向的で運動神経も今ひとつ。ついでに唯一の趣味が写真とくれば、女子高生的には地味なんだろうと自覚している。だから彼氏なんていないし、男子が苦手な都としてはそれで充分だと思っている。


 身体を起こす。

 さして広くない部屋の右側には、壁に沿ってグレーのキャビネット。左側の壁にはホワイトボードがあるのだが、今は一面にスナップサイズの写真が貼られている。ほんの一月前に卒業した先輩達が残したものだ。そして真ん中には会議室仕様の机とパイプ椅子がいくつか。文化部の常で資材が多いのは仕方ないが、こことは別に専用の暗室もあるので日常の活動に支障はない。ただし校内の片隅にあるそこは、部室とは距離が離れているため部員には「別荘」と呼ばれている。

 都はカメラをキャビネットにしまうと、カバンから引っ張り出したファイルにメモリーカードを挟んで呟いた。

「苦手なものは仕方ない。」

 本来であれば、部活のない日。それが一人部活動になってしまったのは、帰り際に新聞部部長の志賀に声をかけられたのが、そもそもの発端。

 いつもは新聞部からの依頼が来ると、部長の采配で撮影の分担をするのだが、新入部員もまだいないこの時期に、しかも上級生に「急ぎで必要」と言われては、断ることもできなかった。仕方なく引き受けたものの、放課後を図書館で過ごす計画が頓挫したことに加えて、志賀と二人で行動するのも気疲れする。

「なんだか…なぁ。」 

 友達に言わせれば志賀は成績優秀、見た目もそこそこ。そして新聞部の部長だけあって先生からも、後輩からの信用も厚い有望株らしい。

 卒がないのは判るが、それがかえって煩わしいと感じてしまう。できることなら話しかけずに放っておいて欲しいと願うのだが、相手は都の関心を引こうとしているのか、あれこれ話しかけてくる。流行に疎い都はついていかれず、適当に相槌を打つだけで疲れてしまった。

「お仕事だから仕方ないか。」

 はぁーと深い溜息をつくと、カバンの中からカメラ用の小さなポーチを取り出す。使い込まれた小ぶりのカメラは世の中ではクラシックカメラと呼ばれる部類だが、都にとっては現役の相棒だ。設定を確認してから部室の窓を開け、グラウンドに向かってファインダーを覗く。校庭の隅に見える体育館にピントを合わせてシャッターを押した。

 かしゃん。

 指先に伝わる小さな感触と音。それに目の前を一瞬よぎるシャッター膜に、少し気分が落ち着く。

 と、扉が開いた。

「木島さん?まだ終わってなかったのか?」顧問が顔をのぞかせた。

「もう、終わりです。志賀先輩…部長さんとも打ち合わせしました。」

「活動日じゃないのに済まなかったね。」

 自身も写真好きの初老の教師は、すまなそうに言う。

 そして思い出したように、

「そういえばコンテスト、どうする?」

「今回は遠慮しておきます。あんまりいいのがないから…」

「試しと思って応募してみるものいいと思うんだけど…木島さんがそう言うのなら。」仕方がない、と残念そうな顔をする。

 顧問が職員室に戻ると、都も慌ただしく片づけ部室を閉める。鍵を返却して外に出ると、他の生徒もだいぶ帰宅してしまったらしく昇降口に人影はない。しかもこういう時に限ってバスは行ったばかり。もともと沿線の学校需要に対応している路線なので、少し遅い時間になると本数が減ってしまうのだ。最寄り駅までたどり着けば、そこからは家までは徒歩十五分ほどなので歩けない距離ではない。

 立ち止まって思案する。

 春とはいえ、寒さがぶり返しているこの時間に、大人しくバスを待つべきか。それとも運動だと思って歩くべきか。

 一瞬考えて、後者を選んだ。

「なるようになる。」口の中で呟きながらカバンを肩にかけて歩き出す。

 それは母親の口癖だった。

 母親は都が中学三年の時に亡くなった。風景を中心に手がける写真家だったが、撮影中事故に遭い、帰らぬ人となった。もともと父親がいない都はそこで天涯孤独の身となったわけだが、子供の頃から同居していた、都にとっては家族同然の母の親友が保護者を買って出てくれた。

 それも「なるようになった」結果だと思っている。

 だから歩いて帰ることは、ほんの小さなめぐり合わせと思う程度だった。

 その時は、まだ…。


 途中で本屋に寄ったりしていたので、気がつけば辺りはすっかり暗い。

「電話、かかってこなければいいんだけど。」左腕のクォーツに目を落としながら小走りに道を急ぐ。

 住宅地に差しかかる分れ道で足を止めた。

 幹線道路を経由して行けば人通りも多く安心…だけど遠回り。

 そして住宅街の中にある公園を横切れば近道。

 それだけ。

 なのに躊躇するのは、直感とでも言うべきか。

 霊を信じるわけでも、そんなものが見えるわけでもないが、「なんとなく」嫌な感じがまとわりつく場所なのだ。都の保護者は何も感じないというから、きっと気のせいだろうと思うが、できればあまり近づきたくない。けれどそこを通れば近道というのが、今日に限っては魅惑的である。

 もう一度腕時計を見て逡巡し、ええい!と公園への道を選ぶ。

 住宅地の中にぽつんとあるその場所は、元はアパートか何かがあったと聞いている。敷地の半分は元の庭木がそのまま大きくなって鬱蒼としている。その傍らに申し訳程度に遊具があってトイレもあり、昼間は人の流れもあるのだろう。けれど今の時間は誰もいない。

 外灯が機能していることを確かめ、走って横切ろうとした。

 その時。

 “ようやく”

「え?」

 頭の上から声が聞こえた気がして、都は立ちすくむ。

 “やっと…”

「な、何?」

 それは声というよりは「音」に近いものだった。

 “ずっと、さがしていた。ながいながい、じかん”

 見ると少し離れた所に、黒いモヤモヤしたものが落ちている。目の錯覚かと思って瞬きするが、それは消えるどころかだんだん色を濃くしていく。

 ぞくり、と背筋が震えた。

 それに呼応するように敷地内の外灯がすーっと暗くなる。

 慌てて走り出そうとする。

「え?ちょ…」

 前に踏み出そうとしているのに足が動かない。

 “にがさない”

「いやっ!」と叫んでカバンを振り回す。

 誰か!と叫ぼうとして声が出せないことに気づく。まるで封じられたように、喉の奥が張り付く。

 目を上げれば、黒い靄は都の背丈ほどまで膨らんでいた。それはじわじわと地面を這い、明らかに都に向かってくる。

 “われのちから。われのみちしるべ”

 耳をふさいでも声は流れ込んでくる。

 冷や汗が背を伝う。

 黒い靄が都の足元に近づく。

 “われのかて。そのち…”

 両腕で頭を抱える。

 黒い靄が都の足にまとわりつこうとした、瞬間。

 何かが傍らを物凄いスピードでよぎった。

 ぎゃっ!と鋭い声。

 がくん、と体が傾く。

 戒めが解かれた、と思う間もなく強引に引っ張られる。

「こっちだ! 」

 つんのめりそうになりながら、何とか体勢を立て直す。

 後ろを振り返る余裕はない。

「走れ!」

 言われるまま、都は走り出した。

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