プロローグ
足を踏み出すたびに、かさかさと落ち葉を踏みしめる音がする。
「もう、踏んでも切りないよ。寒くなってくるし、帰ろう。」
パンツスーツとはいえ、ローヒールの足元は寒い。小刻みに足踏みをしながら、繋いだ手に力を込める。
けれど女の子は首を振って「嫌」と意思表示する。
大きな手をしっかりと握ったまま、一心に足踏みをするリズミカルな動きにあわせて、茶色い細い髪が肩でふわりと揺れた。
「さぁちゃんも。」見上げた瞳は嬉しそうに輝いている。
「だーかーらー、さえちゃん、もう飽きたよ。」
えー、と小さな唇を突き出した。
「それに朝子ママも帰ってきちゃうよ。」
「しょうがないなぁ。」
どこで覚えるのか、ませた口調に大人は苦笑する。
ずり落ちそうな保育園のイニシャルが入った帽子を直し、再び手をつないで歩き出した。
商店街から住宅地へと続く道を歩けば、あちこちから美味しそうな匂いが漂ってくる。今日の夕飯はなんだろう?といいながら歩くのはいつものこと。
と、一軒の建物の前で小さな足が立ち止まった。
「どうしたの?」
「奥におうち。」首を傾けて、格子の間から中を覗き込もうとする。
「ああ。そういや…」ぐいっと背を反らして、自分よりも背が高い鉄製の門扉を見上げた。
「夏の間、蔦が茂ってたもんね。葉っぱが落ちたから奥が見通せるようになったんだ。」
大振りな枝に邪魔されて見えづらいが、石を敷いたアプローチの奥に家の入り口らしきものが見える。塀や辺りの様子からすると、相当古そうだ。
エントランスの庇を支える太い柱に、無垢の木を用いた玄関扉。漆喰塗りの外壁には葉の落ちた蔦が、血管のように張り付いている。だが人の気配は全くない。それも昨日今日…ではなく何ヶ月、あるいは何年も人が足を踏み入れていないような静けさがある。
「人、いないの?」
「住んでないみたいだね。しかし洋館とは…コロニアル様式かな?戦前の建物がまだ残ってたんだ。」ふうんと感心する。
「せんぜん?」
「日本が戦争をしていたときより前。」
「どれくらい前?」
「うーん。ママが生まれるよりずっと前。」
「さぁちゃんも?」
「さえちゃんもママと同い年だよ。」
「なか、どんなおうちなんだろう。」
「気になるの?」
うん、と頷く。
「さえちゃんも気になるが、こればっかりは無理だねぇ。」
ちら、と門柱を見上げた。
年季の入った陶板の表札に名前が刻まれているところを見ると、個人の所有なのだろう。このまま気づかないうちに取り壊されてしまう可能性を考えて、勿体ないと思う反面、それが日本…特に東京の現状だから仕方がないかと心のうちで呟く。
「いつか、あえるかなぁ。」
「会える?」
「おうちに。」
「ああ、おうちね。」言いながら腕の時計に目を落として、ありゃ、と声を上げる。
「朝子ママ、待ってるよ。」
さ、行こう、と手を差し出す。
その手を掴みながら、女の子はもう一度門を振り返った。