愛のチョコレート
「どうしてそうなるのよぉ!」
美奈は思わず言った。
「ごめん…」
電話の向こうで、恋人の達也が謝っている。
「先週も先々週もバイトだって言って全然会ってくれなくてさ…。」
「…ごめん…」
「ホワイトデーには会えるの?」
「…会えると思う…たぶん…」
「たぶんじゃなくて、会うんでしょ!?」
「…うん…」
何か煮え切らない達也の様子に、美奈はとうとうキレた。
「もういいっ!達也なんかもう知らない!」
美奈はそう涙声で言うと、電話を切った。
……
(きっと他に彼女ができたのよ…)
美奈は、アドレス帳から達也の連絡先を表示しなおしながら、そう思った。
そうじゃないと、バレンタインデーを過ぎてからずっと、デートを断られることの説明がつかない。
付き合い始めてから2年…初めての事だった。
(そうならそうとはっきり言ったらいいじゃないの!)
美奈はためらいもなく、達也の連絡先を消去した。
……
「ずっと君が気になってたんだ。」
大学の講義の後、1期上の「拓斗」にそう告白され、美奈は舞い上がった。
拓斗が社長令息だという事は、噂で聞いていた。会社の規模はどれくらいかわからないが、育ちの良さがしぐさや顔に出ている。美奈が舞い上がるのも無理はない…のである。
「今度さ、一緒にフレンチでも食べに行かない?」
「はい!是非!」
美奈は即答した。
……
約束の日は、ホワイトデーの日だった。
「…私、バレンタインの時に何もしてないのにごめんなさい…」
美奈は拓斗と腕を組んで歩きながら、呟くように言った。
「そんなこといいよ。」
拓斗は優しい笑顔を美奈に向けて言った。
実は、告白されてまだ1週間も経っていないのに、美奈は拓斗の両親に紹介されたのだった。
緊張する美奈に、拓斗の父親が「今度は、品のあるいいお嬢さんじゃないか」と言い、隣にいた母親に腕を叩かれていた。
美奈は思わず笑ったが、その時の拓斗の気まずそうな表情が、拓斗への想いを一層募らせた。
……
美奈が連れて行かれたのは、よく雑誌にも載っている高級フレンチレストランだった。全国にチェーン店がある。
美奈は緊張気味に、ボーイが引いた椅子に腰を掛けた。
その時、店長が慌てるように、拓斗たちの席に駆け寄ってきた。
「拓斗様!ごぶさたをしております!」
「ん、ごぶさた。」
拓斗はにこにことして、店長に言った。
(常連なんだ…すごいー)
美奈がそう思っていると、店長が「オーナーは今日はお見えにならないのですか?」と言った。
「ああ、今日は僕だけ。仕事じゃなくてプライベートで来たから気にしないでいいよ。」
拓斗のその言葉に、美奈は「えっ?」と思わず言った。
「ここ…父さんが経営しているレストランなんだ。」
「!?えっ!?」
美奈は両手を口に当てた。拓斗が微笑みながら言った。
「黙っててごめんよ。美奈を驚かせようと思ってさ。」
美奈は両手を口に当てたまま首を振った。あまりの驚きとうれしさに、体中に鳥肌が立った。
…その後、出てくる料理は本当に美味しかった。一皿ごとに、センスのいい細工を施された料理は、美奈の目と舌を満足させた。
特に、最後のデザートは美奈を興奮させた。
「これ生チョコですよね!すごくおいしい!それに色とりどりで可愛い!」
「これは確かに美味しいな…。細工もいい…。あ、店長!」
拓斗が手を上げて、店長を呼んだ。店長は慌てるように駆け寄ってきた。
「はい!何か…」
「あ、いや、これ誰が作ったんだい?かなり味がよくなってるけど。」
「ありがとうございます!…実は、先月から入った修行生に、スイーツ作りに熱心な子が入りましてね。コック達にも好評なので、その子に作らせています。」
「ちょっと呼んでくれる?どんな子か見たい。」
「はい!すぐに呼んでまいります!」
拓斗は、うれしそうにしている美奈に笑顔を向けた。
「なんなら、おみやげにこのチョコをもらって帰ろうか。」
「うれしい!」
美奈がそう言うと、拓斗が笑顔のままうなずいた。
その時、店長が独りの青年を控えて歩いてきた。
美奈はその青年を見て、ぎくりとした。
「!!」
青年も美奈の顔を見て、顔を強張らせている。
店長はそれに気づかず、にこやかに青年を拓斗の前にすすめた。
「こちら、次期オーナーの「拓斗」様だ。」
青年は「山野達也です」と震える声で言い、拓斗に頭を下げた。
拓斗は立ち上がり、微笑みながら青年に頭を下げた。
「拓斗です。よろしく。」
青年は青い顔をして、もう1度頭を下げた。
拓斗は座りながら言った。
「君がこれを作ったんだってね。すごく美味しいって、彼女が。…ああ、実は僕のお嫁さんになる人なんだけどね。」
拓斗はそう言って、美奈に手を向けた。美奈の顔がこわばっている。
「美奈?どうした?」
「…いえ…」
美奈は慌てるようにうつむいた。拓斗は微笑みながら、青ざめたままの青年に言った。
「初めてのデートで、こんな素晴らしいスイーツを食べさせてもらって、僕も誇らしいよ。今まで、どこかで修業してたの?」
「いえ…ずっと独学で…」
「ええ!?それはすごいな!店長、彼を他に取られないように気を付けてね。」
「はい!それはもう!」
店長がにこにことしながら言った。対して青年は青い顔をしたままうつむいている。
「また来週も来るから、新作を頼む。」
拓斗がそう言うと、青年は青い顔のまま、拓斗に深々と頭を下げた。
……
家に帰った美奈は、色とりどりのチョコレートの詰められた、小さな箱の中を見つめていた。
(…ずっと会えなかったのは、達也が修行中だったから…?)
…レストランを出る時、達也はまるで初めて出会うような笑顔で、美奈に箱を差し出した。
「お口に合って良かったです。またお越しいただける日をお待ちしております。」
美奈が震える手で受け取り、小さく頭を下げた。達也は深々と頭を下げ、ニコニコしている拓斗にも笑顔で頭を下げた…。
(彼女ができたんじゃなくて…)
美奈は箱を慌てるように机に置くと、携帯電話を取り出した。…だが…
「…消去したんだった…!」
美奈はそう呻くように言い、携帯電話を閉じた。
(…達也に謝りたい。もう元には戻れなくても、せめて謝ることだけでもできたら…。)
そう思った時、携帯電話が鳴った。
美奈は慌てて携帯電話を開き、表示された文字を見た。電話番号だけが表示されている。…アドレス帳にはない番号だが、見覚えがあった。
「!!達也!」
美奈は受話ボタンを押し、すぐにそう言った。同時に涙があふれ出てきた。
「…美奈…」
消え入りそうな達也の声に、美奈は言葉が出なくなっていた。
「…美奈…おめでとう…」
「…!…」
美奈は口に手を当てたまま、声が出せない。達也が震える声で続けた。
「…あのチョコレート…喜んでくれてよかった。俺…小さいころから菓子職人になりたくってさ…。でも、それを言ったら女の子に笑われるかと思って…美奈にも黙ってたんだ。…それで…バレンタインデーのお返しに、あのチョコレートを考えたんだけど…。」
「……」
「…なかなかうまくいかなくてさ…。バイト先にあのレストランを選んだのも、有名なパティシエがいるからだったんだ。…そこで学んで最高級の物を美奈に食べてもらおうと思ってた…。でも俺、ひとつの事に集中すると周りが見えなくなるから…それで結局美奈を怒らせる事になっちゃった…。ごめんな。」
「……」
美奈は、口に手を当てたまま声を出せない。達也の震える声が続く。
「拓斗さんって、噂によるとすごく好き嫌いが激しい人らしいんだ。そんな人に気に入ってもらったなんて…美奈…すごいよ。」
「……」
「…結婚式の時は、俺がウェディングケーキ作るからね。それまでに、もっと修行するから…」
「……」
「…もう…電話もしない、メールも。だから最後に…声を聞かせてくれる?」
美奈は、嗚咽を漏らし泣き出してしまった。
「達也…ごめん…私…」
「…ううん。俺が悪かったんだ…。…じゃあね…。お幸せに。」
プツッという音の後に、ツーツーツー…という音が美奈の耳に虚しく響いた。
(終)