【短編】婚約破棄されて山にこもったら聖女として覚醒したので、ご飯を分けてくれた騎士さまと2人で国を救い、ついでに結婚しました
婚約破棄された。わたしは公爵家の娘で、婚約者は王太子なのに。婚約破棄された。
「シア! お前との婚約は破棄して、オレは聖女であるピーチェと結婚する!」
わたしの婚約者であるゲルコが何か叫んでいるが、理解することを脳が拒否している。
なぜ?
どうして?
わたしは公爵家の娘なのに、男爵令嬢に負けた?
頭の中でガーンガーンと振り子時計が時を告げるような音が響いている。脳がとても騒がしい。胸のあたりがドックンドックン激しく騒いでズキズキ痛む。……え? 脳って心臓の近くにもありましたっけ? いやいや騒がしいのは脳だけじゃない。全身が騒がしい。汗が噴き出て流れて落ちる。肌がザワザワして落ち着かない。冷静に考える余裕なんて全くなくなってしまった。
何がどうなっているの?
わたしは助けを求めるように周囲へ視線を巡らせた。今宵は夜会。ただでさえ豪華な王城大広間は飾り立てられていて、そこには着飾った国内外の貴族が集っている。わたしの周囲には王族も、貴族も、大勢いた。あふれんばかりに集った権力者たちも、王太子の突然の暴挙に唖然とするばかりだ。そんな中にあっても、王太子であるゲルコはマイペースを保って叫ぶ。
「お前は何から何まで地味なのだ。茶色の髪に、茶色の瞳。名前まで『シア』とシンプルかつ地味だ。地味なうえにお前には、何の取り柄もない」
わたしに向かってそう告げるゲルコだって派手なタイプではない。短い黒髪に黒い瞳。浅黒い肌。だが身長も高く、筋肉もたっぷりついている軍人タイプの王子だ。今日着ている黒地に金モールの貴族服もカッコイイ。カッコイイのだ、ゲルコは。だから王太子婚約者に選ばれたとき、わたしはとても嬉しかった。子どもの頃から知っているから、性格が雑で行動が乱暴で、頭脳は明晰とはいかないのは知っている。でもだからって、好きになっちゃいけないということはないし、実際わたしの初恋はゲルコだ。初恋の君と婚約をして、結婚して王妃となり、初恋を成就させて御伽噺のように暮らす予定だったのだ、わたしは。だってわたしは公爵の娘だぞ。その程度のファンタジーなら叶えられる範囲内の身分だぞ、わたしは。だけどそっちは男爵令嬢じゃないか。
「ですがゲルコさま。わたしは婚約が決まって以降、王妃教育を受けて……」
「はんっ」
ゲルコは鼻先で笑うと、わたしを見下すような表情を向けて言い放つ。
「行儀作法も、社交も、実務も。全てにおいて中途半端じゃないか。有能というわけではない上に、特技もない! しかも王妃に相応しい華やかさもないっ! 何もないじゃないかっ!」
「うっ」
ゲルコにぴしゃりと言われて、わたしは言葉に詰まった。言われた通り、わたしの能力は普通だ。普通よりも、ちょっとできない部類かもしれない。だからなんだ? わたしは公爵の娘だ。後ろ盾が違う。
わたしは反論しようと口を開きかけた。そんなわたしに、まるで追い打ちをかけるかのようにゲルコが言う。
「それなのに聖女であるピーチェをいじめているそうじゃないか」
「うっ⁉」
しまった。思い当たる節がある。
わたしはゲルコから視線をそらした。その隙を突くように、ピンク色のドレスを着た物体がゲルコに向かって絡みついた。
「ゲルコさまぁ~。そんなにお怒りにならなくてもいいのですよぉ~。わたくしはぁ、ちょぉ~っと階段から突き飛ばされそうになったり、お茶会の席で足を引っ掛けられそうになっただけですからぁ~」
耳障りな高い声と、わざとらしく間延びした話し方。ピーチェだ。声の主に目を向ければ、妙に胸だけデカい体を擦り付けるようにしてゲルコの右腕に絡まっているピーチェの姿が見えた。
ピーチェは、クルンクルンの縦巻きカールにセットされたピンクブロンドの髪をフワンフワンさせながら、ゲルコを見上げて甘い声を出した。
「シアさまに悪気はなかったと思うのですぅ~。ちょぉ~っと迂闊なだけでぇ~」
「あぁ、ピーチェ。貴女は優しいな」
ゲルコはピーチェに視線を向けながら、だらっと鼻の下を伸ばした。元が男らしい精悍な顔つきだから崩れても男前なあたりが憎らしい。わたしが心のなかで舌打ちしていると、ゲルコがギュンッと顔をこちらに向けた。
「それに比べてシア、お前はなんなんだ。性格も悪ければ、有能でもない。男爵令嬢とはいえ聖女であるピーチェのほうが有能だ。見た目も華やかで王妃に相応しい」
王侯貴族たちが、わたしとピーチェを見比べて、うなずいたり、唸り声を上げたりしている。
ゲルコがどんな女性を好もうと罪はない。だが彼は、未来の国王だ。王妃となる結婚相手選びを間違えれば国を傾けることになってしまう。だから合点がいったとばかりにうなずくのはやめろ、そこの貴族。顔覚えておくからな。わたしは婚約破棄されても公爵の娘に変わりはないぞ。有力者の娘だぞ。
わたしは父を見た。なぜだ。父まで合点がいったとばかりにうなずいている。娘が可愛くはないのか。そうか。わたしは父が苦手としていた祖母と容姿が似ているから、見た目のことを言われたら納得するしかないのか。だがわたしは父にも似ているぞ。わたしは父の茶色の瞳を睨みつけた。父は誤魔化すようにゴホンと咳をする。誤魔化すな、真実を見つめろ。茶色の髪と瞳は直近、父譲りということは明白だ。
母の金髪碧眼を引き継いだ兄は何やら考え込んでいた。兄は見た目も華やかで整っている。中身はそこそこだ。でもそこそこでいいのだ、貴族なんて。なまじ優秀だと国を乗っ取るとか考えたり、裏切りを疑われたり、悪い人たちからの誘惑があったりするから。そこそでいい。だから兄、考えるな。感じろ。そしてわたしを助けてくれ。
その横にいる兄の護衛騎士であるジャスパートが、青い瞳に同情の色を浮かべてわたしを見ていた。
いや同情は要らない。
同情するくらいなら、この王太子を一発殴ってくれないか? 頭でも腹でもいいから。
ああ。ああ。でも分かっている。誰もわたしに何もしてくれない。本来であれば、我が家から聖女が出るはずだった。そういう家系だからだ。我が家から聖女が出て、王太子に嫁ぐ。この国は、そんな風にして回っていた。だがわたしの代で変わってしまった。わたしは何故か聖女の力が覚醒しなかったのだ。それでも公爵家と王家の約束事である婚約が解消されることはなかった。聖女の力はいつ覚醒するか分からないし、王家は力のある貴族を敵に回すのは避けたかったのだろう。我が家は王家との繋がりが深く、王位継承権の順位も高い。そんな公爵家をわざわざ怒らせる必要はないのだ。
しかしわたしは聖女として覚醒しなかった。代わりの聖女が現れたら、取って代わられても仕方ない。そんな空気は以前から感じていた。この国には兄と年頃の合う王女もいる。我が家との関係を悪化させたくないなら、王女を兄のもとへ嫁がせればいいだけだ。わざわざわたしを王家に嫁入りさせる必要はない。そんな判断を王家はしたのだろうと、周りの貴族たちは感じているのだ。そうなれば、わたしを持ち上げる必要はない。
わたしは孤独だ。わたしは見捨てられたのだ。
そう思った瞬間、考えるよりも先に体が動いていた。
「シア!」
「待ちなさい、シア!」
兄と父の焦ったような声が響いていたような気がする。だけれども今のわたしには、そんなことに構っている余裕などない。
わたしは体の命じるままに、走って、走って、走り抜けたのだった。
◇◇◇
夜会とは、夜に行われるものである。だから外は当然のように夜だ。だが今夜は満月。わたしは目がいい方だし、夜にしては周囲の様子はよく見えた。そのせいだろうか。走り出したわたしは止まるということを知らなかった。追手を振り切って走り続けて、気付いたときには山の中にある森へ迷い込んでいた。
「う……あ~。どうしよう……」
わたしは森のなかから王城の方を見た。山の中にある森といっても王城は見下ろせる立地なので、戻るべき場所はだいたい分かる。あそこに戻りたいか、戻りたくないか。問題はそこだ。
「戻りたくない……戻りたくないなぁ。ピーチェがいるもん」
わたしは、ひとりごちる。
聖女は本来、公爵家から輩出される。他家で見つかることもあれば、平民のなかにも聖女がいたりする場合もあるが、稀だ。そのような場合、だいたい公爵家とどこかで血縁関係があったりする。特殊な血であるがゆえに管理はキチンとなされているのではあるが、本妻以外と関係を持つ男性貴族は後を絶たない。
「スケベな祖先を持つと苦労するな」
だからピーチェも、どこかで血は繋がっているのだろう。使用人に手をつければ平民に聖女の血が渡るし、貴族間は政略結婚だらけだから薄っすら血の繋がりがあっても不思議はない。
問題は、わたしに聖女の力が発現しなかったことにある。
「わたしが聖女だったら、何の問題もなかったのに。ゲルコさまとの婚約だって破棄されるようなことは……」
なかった、と言い切れるだろうか? ピーチェに対する行いの全てが無罪や冤罪だったら大丈夫だっただろうが、なかには真っ黒に近いグレーもある。そこを握られたら、やっぱり婚約破棄されていたかもしれない。
「でもでもでも……。聖女になっていたら、わたしの髪と瞳だってピンクだもん」
むろん髪や瞳の色がピンクになったからといって、可愛くなったり、美人になったりするとは限らない。本体変わらないからそれなりである。
「でもでもでも……。ピンク色は可愛いし……というか、婚約破棄っていうなら、ピーチェにピンクを着せてくるのは卑怯よ。ゲルコさまの色である黒を着せてくればいいじゃない」
わたしのドレスは黒地に金色を刺して、フリルとレースで飾り立てたようなデザインになっている。普通ドレスは婚約者の色に合わせるものなので、黒髪に黒い瞳のゲルコに合わせたドレスは当然のように地味だ。どれだけ金色を使っても、地色が黒なのだ。無理がある。黒地に全て金ラメ入れたドレスという手もあるが、そもそもわたしの色は茶色。どうしても地味になる。無理だ。
「なぜわたしは聖女にならなかったのかなぁ?」
今までの生活を思い返してみても、思い当たる節はない。
「わたし、橋の下から拾ってきた子なのかしら?」
そう思うには、わたしは父に似すぎている。それはもう絶望的に父に似ている。父を女性化させたらわたしになる、と言われるほど似ているのだ。橋の下から拾ってきた子であるわけがない。逃げ場などないのだ。……実際には逃げてきているわけだが。
「公爵家の血筋で、確実にお父さまの子。そして王妃となるべく教育を受け、王立学園で貴族子女として恥ずかしくないように学び、淑やかな令嬢となるべく躾けられてきた。勢いで山の中へ来ちゃったけど、こんなところで生活できるかしら?」
屋敷へ戻る気にはなれなかった。わたしはまるで当然のように山で暮らすという判断をしていたが、それを不思議に思う余裕すらない。
「戻らないなら、ココで生活していかなきゃならないわ」
わたしはとりあえず休む場所を探した。周辺は木と草と岩といった感じで、広い草原すらない森の中のようだ。山肌はところどころ露わになっていて、表面にチョロチョロと植物を生やしている。
「あら、こんなところに丁度良さげな洞穴が」
わたしは木の枝に隠れていた大きな入口を目ざとく見つけた。なかをそっと覗いてみる。わたしは夜目が利くほうではあるが、さすがに洞穴のなかともなれば真っ暗で何も見えない。
「こんな時に王立学園で学んだことが役に立つなんて。騎士団コースを選んでおいてよかったわ」
王立学園では令嬢教育の授業数に余裕があり、いくつか選択科目を入れることができるのだ。
「もっとも剣は重くて振れないし、馬には嫌われて乗馬もできなかったけど。遠征するときに使う生活魔法は及第点をとれたから、火くらい起こせる」
わたしは地面に落ちていた枯れ枝を拾って火をつけた。空中に照明用の灯りを浮かべる魔法もあるが、ずっと魔力を注ぎ込み続ける必要がある。魔力消耗が激しい照明用の灯りを浮かべるよりも、火のつく物が側にあるなら火をつけてしまったほうが、手っ取り早くて魔力消耗が少なくて済む。
「さてさて。この洞穴はどんなかなー?」
立ったまま歩いて入っていける入口をくぐって、わたしは中へと進んだ。周囲を火で照らして確認すると、スペースは充分にあるようだ。
「うーん。さすが洞穴。地面はデコボコね。これじゃさすがに寝られない。枯れ葉とか集めて……あ、その前にひと手間」
わたしは洞穴の外に出ると、内側に向かって火を放ち、内部をこんがりと燃やした。
「これでヨシ、と。万が一、危険な生き物がいても出てくるか、燃えちゃうから安全」
自然環境への配慮はしない。自分の身を守るのが一番大切。安全第一。それが貴族の考え方だ。
氷魔法と風魔法の応用で内部を冷まし、慎重に確認しながら中へと再び入っていく。
「ん、ついでに洞穴の強化もできたみたい。これなら安心して眠れそう。なんとなくいい匂いがしているような気がするけど、危険な生物はいなかったみたいね。それでは、と。まずは火を焚くための場所を作って……こんな感じでいいか」
洞穴の中央に火を起こす囲炉裏のようなスペースを作った。
「あ、ここじゃないほうがいい?」
わたしは洞穴の入り口を振り返る。
授業では野生動物避けや換気のために、入口近く、もしくは外で火を焚くほうがいいと聞いたような気がする。大規模な隊の移動なら外で煮炊きするのは当たり前だが、今はわたしひとりだ。どちらがいいかしばし迷う。
「迷ったときには『どっちも』よね」
わたしは入口近くの外側にも火を起こす場所を作った。そこで火を焚いて、洞穴内の照らされ具合を確認する。
「あー……今夜は寒くないから、外だけでいけそう」
ひとりでの野営となるから、万が一のことを考えたら安全性を重視したほうがいい。
わたしはひとりうなずいて、今度は枯れ葉や枯れ枝などを集めてベッドとソファと絨毯を兼ねたような物を作った。燃えやすい物で地面を覆いきってしまうと火事になりやすい。火と離すのはもちろん、必要最低限のサイズにしておくほうが安全だ。わたしは自分が使っていたベッドよりも1回り大きなサイズを想定して、枯れ葉や枯れ枝を敷いた。
一通り終えてなんとか今日の寝床を確保したわたしは、改めて王城の方を見る。まだ大広間に灯りが見えるから、夜会は続いているのだろう。呑気なものだ。
「まぁ、いいや。今日は寝ちゃお」
わたしは気持ちを切り替えて、自分で作った寝床の上にゴロンと横になった。
◇◇◇
爽やかな朝が来た。
「ウーン。よく寝たぁ~」
上半身を起こしたわたしは、座ったまま両腕を上に突き上げて伸びをする。
昨夜は『貴族令嬢のわたくしが、野宿なんてできるのかしら?』などと思ったけれど、横になったら秒で寝た。寝つきの良さが自慢なだけはある。
首を傾けたり、肩を回したりしてみたが、体はどこも痛くはないようだ。丈夫さが自慢なだけのことはある。
貴族の娘が野宿という状況は絶望でしかないのだろうが、なぜかわたしの心は希望に満ちていた。ただひとつ残念なことといえば、ここにはわたししかいないので自画自賛するしかないことであろうか。学園時代の褒め上手な取り巻きが懐かしい。
ちょっと感傷に浸りつつも、現実を思い出したわたしは立ち上がり体を動かしてみる。
「うん。体は大丈夫そう。ドレスは……ダメそうね」
わたしは改めて自分の姿を確認した。昨夜は夜会に合わせて豪華にドレスアップしたが、今となっては見る影もない。というか、山の中で移動するのにドレスは合わないと改めて思う。
「ボロボロだぁ。あー、これは早めにお直ししたほうがいいね。山の中でドレスは必要ないけど、布は貴重だもん」
わたしは立ち上がるとドレスを脱ぐことにした。昨夜脱いでから寝たらよかったのだが、さすがに仕立て直す気力はないし、着る物もなく枯れ葉や枯れ枝の上で寝たら傷だらけになる予感しかしなかったから止めた。
生活魔法を使ってなんとかドレスを脱ぐ。ドレスの下にもワンピース並の下着を着ているから、裸になることはない。色が白でいかにも下着という見た目だからそのままというわけてにはいかないが、庶民ならこの程度でも問題なく生活していると聞いたことがある。
「でもわたしは公爵家の娘だから~、下着姿はナシよねぇ~」
ひとりつぶやきながら、脱いだドレスの肩あたりを両手で持って、前と後ろを確認する。
「ん。布としては活用できそう。ドレスとしては無理だし、ワンピースも山の中では不便そう。そもそも住居が洞穴だし。今のわたしは村娘にすらなれないのだから。あーどうしようかなー。山の中だから、やっぱり乗馬服スタイル? 布はシルクだから、どうせすぐに擦り切れちゃうけど。布貴重~。いっそ熊でも狩って毛皮を手に入れる?」
なんとなくはしゃいだ感じでつぶやきつつ、必要なことを考えてみる。屋敷に戻るつもりはない。婚約を破棄されてしまったのだ。もうわたしの居場所なんて屋敷にも、王都にも、ありはしない。誰に言われなくても、わたしが決めたのだ。ココで暮らす。暮らしてみせる。意味不明な意地のようなものが、わたしのなかに湧き上がって満ちていく。なんだろうか、コレ。やけくそってヤツでしょうか。こんな感情、初めてだから分からない。わたし、お嬢さま育ちだし。
何も感じたくなくて、矢継ぎ早に頭の中に浮かんでくるやることリストに、わたしは集中することにした。
「井戸とか、水の確保も大事よね。食べ物は自然にあるものを活用するとして……保存食は作らないと。今は夏だから、今から作れば冬場に困らない。後何かなぁ。だいたい魔法でなんとかなるけど、毎日となるとクリーンの魔法だけでは物足りなくなりそう。お風呂も欲しいかなぁ……」
色々と並べ立ててみたが、リストアップするだけで疲れてしまった。とりあえず、枯れ葉と枯れ枝のベッドに腰を下ろす。貴族令嬢はお世話されるのが普通だ。わたしは公爵家の娘だから、複数の侍女とメイドがお世話してくれる。様々なことが同時に行われていくのに慣れてしまっているので、自分でも自然にその状態を想定してしまって考えるだけで疲れてしまう。
「ん。ひとつずつやる。ひとつずつ済ませていこう」
指導教官も言っていた。欲張ると全てが中途半端になって意味がないと。団体行動している時ならいざ知らず、ひとりきりでは確実に済ませていくことが特に重要となる。わたしが倒れても、誰も頼ることができないのだ。健康第一、安全第一である。
「ドレスは……ああ、もうゲルコの色とか気にしなくていいのだし。痛んでいないところの布を使えば……」
世の中というのは、時に残酷である。手持ちのドレスで生き残っている布のほとんどは黒地の部分だった。
視界が涙で滲んだような気がしたが、気のせいだ、きっと。
涙が頬をツーと伝っていったような気がしたが、気のせいだ、きっと。
わたしは大丈夫。わたしは大丈夫。
わたしはまるで魔法の呪文を唱えるように心のなかで繰り返しながら、生活魔法を使ってドレスを黒の乗馬服へと作り替えていった。
◇◇◇
人間とは慣れる生き物である。
わたしが王城から山の中に逃げ込んで幾日かが過ぎた。もっと経っているかもしれないが、まだ季節は変わっていない。
夏だ。暑い夏だ。セミが鳴きまくる夏だ。
暑い夏の森の中は意外と過ごしやすい。わたしは黒い乗馬服を着て、森の中を駆け回っていた。選択科目で選んだ騎士団コースの授業では鍛錬をサボりがちだったわたしではあるが、命が懸かるとそれなりに動けるようだ。
まずは食料の確保と山の中を歩きまわり、野生で実っていた野菜や果物を採取した。人の手で育てられたものほどではないが、それなりに美味しい。ちなみに料理は苦手なので丸かじりだ。火であぶる程度なら、と思ってやってみたが、秒で蕩けて無くなってしまった。ご飯ナイナイはあり得ない。料理をすると食べ物が消える。イッツ・マジカル! いや、そういうのはいいから。人間は食べないと死ぬから。ということで生食が主となった。
とはいえ、それでは冬が越せない。悩んでいたところ、運よく岩塩を見つけることができた。イッツ・マジカル! こういうのでいいんだよ、マジカルは。岩塩の山脈を見つけたので、いざとなったら商売ができる。この山、わたしの山ではないんですけどね。勝手に採掘すると怒られるかなぁ? やっぱ怒られるか。ここは誰の領地……。あ、そうだ。ココは王国所有の山で、誰でも採取していい山だった。だからココへ逃げ込んだのか。妙に冷静な判断が出来ていたんだな、わたし。偉いぞ、わたし。だけど商売は無理だ。誰でも採取できるけど独占はできない。……まてよ? あの山脈の続く先に、我が家の領地があったな?
などと考えながら、わたしは岩塩で野菜をつけ込む。保存食料を作っておく必要があるからだ。
「実りの秋が来たら、雪の降る冬まであっという間だから」
わたしはマイホームとなった洞穴で作業しながらつぶやいた。小さな声だったと思うんだが、この洞穴、声が響くんだよね。ま~ひとりだからいいけど。
「狩りもしないとね。肉が欲しい。お肉が食べたい。寒くなるから毛皮が欲しい」
森を駆け回っていたら、シルク製の乗馬服なんてあっという間にボロボロになる。布は貴重だ。動物を狩れば毛皮が取れる。毛皮は身にまとうこともできるし、あったかぬくぬくで、寒い冬を乗り切るのに最適な素材のひとつだ。
「でもなぁ。植物と違って動物はなぁ……動き回って捕まえられないというのもあるけど、生々しく命だからなぁ……」
ちょっぴりだけの躊躇いが、わたしを獲物から遠ざける。
山での生活が始まって、わたしは少しだけ逞しくなった。森で日々を生きるわたしは、毎日が鍛錬。毎日が修行。自然って素晴らしい。修行につぐ修行。というか、ほとんどの修行は食料確保で終わった。生きることは食べること。食料確保はとても重要だ。もちろん他にも重要なものがある。髪とか体とかの臭いも気になるが、それ以前の問題として、マジで布をどうにかしないといけない。
「裸族は……人間としての尊厳を守るために服は必要。あと防寒にも必要」
わたしは動物を狩る必要に迫られていた。
そんなある日のこと。転機はあっさり訪れた。服が破れたのだ。乗馬服のズボンの、よりによって尻の部分が破れたのだ。ドレスがただのぼろきれになるのはいい。ズボンの尻部分が破れるのはダメでしょう。急場しのぎに上着を腰に巻いて隠してみたが、このままではマズイ。困った、困った。
困った時の神頼み。わたしは女神さまに祈ってみた。結果はすぐに現れた。
「運がよかった」
わたしはひとりごちる。洞穴はわたしの声を反響させる。響いてうるさいけど、まぁいいよ。わたしひとりだし。
結果としてわたしは狩りに成功した。知識としては持っていたが実践したのはこれが初めてだ。
で、運よく狩れた動物はうさぎだ。森を散策していたわたしに驚いたうさぎが、その辺の岩に頭をぶつけて気を失ったのだ。菜食生活が続いて肉に飢えていたわたしは、秒で飛びついた。残酷だが、うさぎはしっかり捌いていただいた。
毛皮は腰に巻く。というか、お尻に縫い付ける。デザインとしてはアレだが、腰にうさぎが抱き着いている可愛らしさが……あるような、ないような。どっちだよ。
まぁ知識としては知っていたが、うさぎを捌いたのは初めてだ。毛皮のほうはクリーンの魔法で何とかなったが、肉のほうは血抜きがイマイチで味がちょってアレだった。が、シチューにして食べた。最近は火を使った調理ができるようになったのだ。なぜなら鍋を手に入れたから。なぜかその辺に鍋が落ちていたから拾ったのだ。
最近気が付いたのだが、このあたりには忘れ物が多い。鍋だけでなく皿も転がっていた。この間は木に刺さったまま放置されていたナイフを見つけた。近くに白骨が転がっていたような気がしたが、多分わたしの気のせいだ。
人間、色んな物を忘れるものだ。肝に銘じておこうと、わたしは思った。だけれどもちょっと忘れているくらいでないと山の中では暮らせない。文明が恋しい。ついでに屋敷の料理も恋しい。
自分でうさぎを捌いて作ったシチューは、屋敷で食べていた物とは全く違う味がした。仕方ない。調味料は岩塩しかないし、手に入る野菜も限られる。ハーブ系は豊富だが、生で食べられる葉っぱは妙に苦いし、根っこの食べられる野菜は芋っぽい見た目のものやニンジンっぽい見た目をしていても味が違う。だがそんなこと、今は気にしている場合ではない。生きるためには日々戦いだ。
うさぎの命を絶つときに、ついうっかりピーチェの顔を思い浮かべてしまったり。うさぎを捌くときに、ついうっかりゲルコの顔を思い浮かべてしまったり。それによって思いのほかスムーズに作業は進んだが他意はない。あれはなんだ、事故みたいなもんだから。あんなのは普通よ、普通。ついうっかり思い浮かべてしまう印象の強い過去の人っていうのは、誰にでもいるものでしょう? そうでしょう? 異論は認めない。
そんなこんなで日々は過ぎていった。
◇◇◇
虫は食べられる。
山での生活で得られる叡智は実に幅広い。
実りの秋がもうそろそろという時期に入り、わたしは行動範囲を広げていった。食料を探すためだ。実りがあっても野生動物に先を越されたら手に入れることはできない。わたしは目ぼしい作物を探して、熟すのを待つことにした。この『待つ』というのも工夫が必要で、待ちすぎると野生動物に先を越されるし、早すぎれば食べられたものではない状態だったりする。タイミング重要。
山の天気は変わりやすいというけれど、今日は晴れ渡っていて澄んだ青い空が爽やかだ。わたしは洞穴から出ると、両手を広げて大きく深呼吸した。
「さぁ、今日も張り切って食べ物を採取するわよ!」
大声で宣言する。ひとりだから何にも恥ずかしくない。鼻歌を歌いながら獣道を行く。今日は芋を採取する予定だ。迷子になった時、それっぽいのを見つけておいた。前回は迷子だったが、今回は確信をもって進むのだ。楽しいったらない。背中にはカゴを背負っている。洞穴生活も長くなってきたので道具を自分で作ろうか、と思っていたら拾えた。落ちていたのだ。近くに白骨も落ちていたがそちらは拾ってこなかったし、記憶からもなるべく早く消そうと思う。とにかく今のわたしには背負えるカゴがあるのだ。
「どのくらい収穫できるかなぁ? 楽しみぃ~」
スキップする勢いで目的地へと向かう。山暮らしが思いのほか性に合ったのか、目的地が決まっていれば道に迷うことはない。なんとなく散策というのは危険だ。ほぼ迷子になる。だが山からは王城が見えるので、迷子になってもどうにか洞穴へ戻ることができるのだ。便利。
ただし、尻にうさぎの毛皮を張り付けたわたしが山の中をウロウロしていると、思わぬ危険に遭遇することがある。
「ほほっ。大漁、大漁」
目をつけていた植物は、やはり芋だった。
「たっぷり収穫できそう。カゴ持ってきてよかったぁ~」
わたしが尻を獣道に向けて、夢中になって芋っぽい植物の採取にいそしんでいた、その時だ。
「うわっ⁉」
尻への攻撃を感じて、わたしは振り返りながら立ち上がる。後ろには何もいない。おかしいな? 動物に襲われたと思ったのに。と、その時。鳥の羽ばたきは聞こえた。
「空かっ! えっ⁉ トンビ⁉」
羽ばたきの音が聞こえた方向へ目を向ければ、トンビなのか、タカなのか、ワシなのか分からないが鳥がいた。猛禽類がわたしの尻を狙っている。
「これはうさぎじゃない! 毛皮だけっ!」
叫んだところで鳥が相手では通じない。猛禽類は、わたしの尻に向かって襲い掛かってきた。
「だから止めろって!」
山暮らしで少し体力のついたわたしは、最近、ちょっといい気になって鍛錬も始めた。騎士団コースを選んだので鍛錬方法についての知識はあった。だが今までは実践する体力も、気力も、時間もなかったのだ。人間、自分の命が懸かっていると鍛錬にも身が入る。そして今のわたしには、鍛錬による効果が出始めていた。
「止めろと言っているだろうっ!」
叫びと共に繰り出す蹴りが、猛禽類にヒットした。こうしてその晩のメニューは鳥の丸焼きとなったのである。芋っぽい植物の焼き物と鳥の丸焼き。最高だ。岩塩の味付けでも何も寂しくはない。そして鳥の羽が残った。コレも何かにしよう。そろそろ寒さ対策が必要だ。
わたしはひとりウンウンとうなずいて、洞穴のなかの火を落として寝た。外側の火はもちろん絶やさない。絶えてしまっても生活魔法でまたつけたらいい。わたしはだいぶ図太くなっていた。ガラスのような令嬢はどこにもいない。もちろん、過去にガラスのような令嬢がいたかどうかは不問に付す。人生細かいことに構っていたら負けだ。
負けないためにはどうするか? 鍛錬相手の木で作った人形に、ゲルコとピーチェと名付けることだ。わたしは何体も、何体も作っては壊し、作っては壊しした鍛錬相手の木の人形に、毎回ゲルコとピーチェと名付けた。効果はバツグンだ。わたしの腕はメキメキと上がった。
そして初雪が降った日。わたしは新たなる山の叡智に出会ったのだった。
◇◇◇
初雪は風に舞ってすぐ溶ける。地面に積もるほどではないが、冷たい風が運ぶ儚い雪は冬の到来を告げていた。そんなある日のことだ。
「なんでこんなところに本が?」
わたしは森の中を散策中、ひときわ大きな木の下に、本が山積みになっているのを発見した。
「不法投棄? それとも隠してあるの? なんだこれは」
わたしは訝しく思いながら、本をタイトルをざっと見た。
「ナニナニ……『フォース入門』? 『あなたでも出来る『気』の簡単操作』? なんなんだこれは?」
わたしはその中の本を一冊、手に取った。
「えーと……『怒りは何も生まない ~ 暗黒面に落ちないためには』? いや。そんなことないから。わたしの鍛錬にとって怒りは、重要な原動力だから……」
内容をチェックしていく。どうやらこれらの本たちには、生命に宿り流れる目には映らないエネルギーの存在についてや、その操作法などが書かれているようだ。
「ははは。生命エネルギーというものは存在するだろうが、操ろうとするのは自然の摂理に反するのでは?」
わたしは乾いた笑いを浮かべ、山になった本を振り返って眺める。
これらの本が山のようにココへ捨てられて、あるいは保存されているのは、何かしら意味があるのだろう。もしかしたら禁書だったのかもしれない。少なくともわたしは、これらの本に見覚えがない。もっとも本を読むのは苦手だったので、わたしの知らないところで存在していたのかもしれないが、それだとココにまとめて置かれている意味が分からない。理由を聞きたくても一番側にいたと思しき人物は、既に白骨化している。
わたしは白い骨が転がっている方向から視線を外しつつ、本のチェックを続けた。本をパラパラとめくりながら思う。これは久しぶりの文明の香りだ。山に迷い込んだわたしは野生に目覚めた。ゆえに文明の叡智にも触れたほうがいい。そんな女神さまのお導きすら感じた。
「この本の山は、もしかして女神さまがわたしへ与えてくれた何らかのヒントなのかも?」
本の山を崩しながら、次から次へとタイトルをチェックする。気やらフォースやらをエッチなパワーとして使う本も落ちていたが、それは参考にならなさそうだったから捨てた。わたしは役立ちそうな本を見繕って、背負ってきたカゴのなかに放り込んだ。
山には叡智が詰まっている。わたしはウンウンとうなずきながらカゴを背負って立ち上がり、クルリと踵を返した。近くに落ちていた白骨は見て見ぬふりをする。そんな些末なものには構っていられない。わたしは女神さまが与えてくださった本を読んで勉強するのだ。生き延びるために。
わたしは拠点である洞穴に本を持ち帰ると暇を見つけては読んだ。その内容を実践しては、また読む。その繰り返しだ。冬はあちらこちらを凍えさせながら勝手に深まっていく。この山は雪が積もるタイプの山だ。わたしは鍛錬を続けながら、厳しい冬が過ぎ去るのを待った。
◇◇◇
何度目かの春が来て、何度目かの冬を乗り越えた。冬のうさぎの毛は白だ。わたしは白いうさぎの毛皮も手に入れた。うさぎの肉は脂が少ない。だからうさぎばかり食べていると健康を害する。鳥は運が良ければ手に入るが、運次第というのはリスク要因だ。わたしはイノシシ狩りにチャレンジして見事成功した。鹿のほうが肉は多いし、毛皮も使い道が多いが、わたしはイノシシ肉のほうが好きだ。まっすぐ来るから動きも分かりやすい。イノシシはわたしの主な獲物となった。
更に何度目かの春を迎えた頃には、冬眠から目覚めたばかりのポヤポヤした熊を素手で仕留めることに成功した。熊肉はイマイチだし、毛皮も好みと違う。だが強敵というのは、倒し甲斐があるものだ。
この頃には、わたしは令嬢の嫁入り適齢期をすっかり逃していた。結婚だけが人生の全てではない。
わたしはゲルコとピーチェと名付けた何代目になるか分からない手作りの木の人形相手に、鍛錬に勤しんだ。恋愛だけが全てではない。結婚だけが全てではない。だが未練というものは、あって当然の感情だろう。これは暗黒面ではない。断じて違う。わたしは心のなかで何度も繰り返しながら己の拳を鍛えた。
そこからまた何年かが過ぎ、わたしは28歳になった。30歳は目前。もう初老だ。茶色だった髪色が少し退色しはじめている。わたしは結婚もせず、子どもを持つこともなく、せっかく見つけた岩塩の鉱脈を活かすこともできず、ただ年を取り死んでいくのだろう。わたしは人生の意味を考えてしまう軟弱な思考を叩き潰すように、ゲルコとピーチェと名付けた木の人形を壊すことに勤しんだ。
秋のたっぷりと肥えた熊を倒すことに成功し、ほくほくしながら冬を越したわたしは、いつものように洞穴から外へと出た。たっぷりと積もっていた雪も、あちらこちらで溶け始めている。今年も春がやってくるのだ。
冷たさのなかにも春の柔らかさを感じさせる風を体いっぱいに吸い込みながら、わたしは山を歩いた。山はいい。植物と野生動物、そして岩と土。わたしが大声で歌いながら歩いていても、誰も文句は言わない。小さな声でぶつぶつ言い続けても怒られることはない。夜中に木の人形を叩き壊していても、夜明けとともに丸太相手に体術の鍛錬を始めても、誰にも何も言われない。ここには白骨はあるが、命ある人間はわたし以外いないのだ。死人に口なし。文句があっても何も言えない。いい気味だ。どこの誰かも分からない白骨相手にウザ絡みしたところで意味はないのだが、正直、わたしは正気を保っているかどうか怪しかった。
だから最初にそれを見た時、ついに狂ったかわたし、と自分自身を真っ先に疑った。
「あら? あんなところに人が……」
溶けかけた雪の間に、人間の形が立体的に転がっているのが見えた。わたしの髪色は落ちても、視力のほうは落ちている気がしない。だからあそこに何かあるのは確かなのだろう。わたしは恐る恐るそこへと近付いた。敵かもしれないし、味方かもしれない。生きているかどうかも分からない。わたしは襲い掛かられたら拳で殴り、蹴りで遠くへ吹き飛ばす程度の身体能力を得ていた。それでもイレギュラーな状況はちょっぴり怖い。女の子だもん。……などというひとり芝居をしながら、そろりそろりと近付いた。
「人だ」
思わずつぶやく。肉が付いた人間は久しぶりに見た。
「生きてるのかな……」
わたしは恐る恐る近付いて、足先を崖の外にダランと落としてうつ伏せで倒れていた人間を、安全な場所に向かってグルンと仰向けにした。
「うぅ~ん……」
「わっ、びっくり。生きてた」
驚いて腰が引けているわたしの前で、倒れている人間がうめきながら目を開けた。そこにあったのは見覚えのある青い瞳。
「ジャスパート⁉」
「ん……なぜ、俺の名を?」
弱々しくこちらを向いた顔に驚きの色が広がっていくのを、わたしは身じろぎひとつできずに見守っていた。
◇◇◇
驚いた。兄の護衛騎士であるジャスパートが山の中に落ちているなんて。
ジャスパートはわたしを認識したあと、再び気を失ってしまった。仕方ないので、わたしはジャスパートを背負って洞穴へと戻った。重たいが熊ほどではない。洞穴に敷いた熊の毛皮の上にジャスパートを転がすと、わたしはマジマジと彼を見た。最後に会ってから軽く10年は過ぎていると思うが、ジャスパートの外見はあまり変化がないようだ。肩口あたりまで伸びたちょっと癖のある金髪。鍛え上げられた肉体。日に焼けて健康的な色になっている肌には、細かな皺があるが、年寄りというほどではない。王都暮らしは山暮らしよりも苦労が少ないようだ。チッと思わず舌打ちする。相変わらずの色男ぶりだ。もう結婚して子どももいるだろう。なんかムカつく。
わたしは洞穴のなかに木の人形を並べて鍛錬を始めた。外での鍛錬が基本だが、ジャスパートは意識を失っているのでひとりにしておかないほうがいいだろう。何体目になったか分からないゲルコとピーチェを殴ったり、蹴ったり、背負い投げしたりしながら、ジャスパートの意識が戻るのを待った。
洞穴の中は音が響く。わたしの上げる奇声と、木の人形が壊れる音は大きいと思うのだが、ジャスパートが起きる気配はない。何があったのか分からないが、相当消耗しているようだ。
昔はお世話してもらう側だったのに、今はお世話する側か。
わたしはちょっと不思議に思いながらも、ジャスパートの世話をした。元が良いジャスパートは、年を重ねたといっても相変わらず美形だ。軽い嫉妬を覚える。同性だったら少し意地悪したり、少しいたずらしたり程度のことは考えるかもしれないが、ジャスパートは男性だ。異性だ。そこは淑女のたしなみとして、一定の距離を置いて……。
いや、ここは洞穴だからゼロ距離だな? 充分な広さがあるから離れて寝られるけれど。同じ部屋がゼロ距離なら、ここはゼロ距離ということに……。などと考えても詮無いことをついうっかり考えながら、わたしはトラ皮を敷いた枯れ葉と枯れ枝のベッドの上に寝そべる。
トラは少し前に狩ったものだ。この辺りに生息している生き物ではないので、どこかの金持ちがペットとして飼っていたものだろう。栄養はしっかり摂れていて毛並みはよかったが、ペットにしては躾がなってなくて飼えそうになかったので狩った。トラの肉は、わたしの口には合わない。毛皮に関しては気に入っている。手持ちの毛皮のなかでは一番のお気に入りだ。でもジャスパートが気に入ったら貸してやろうと思っている。なんといってもケガ人だからな。
だがジャスパートはまだ意識が戻らない。とりあえず意識のない人を意識しても仕方ないので鍛錬に励むわたし。何体目かのゲルコとピーチェをぶち壊した頃、ジャスパートが目を覚ました。
「ぅう……」
「お。ジャスパート。意識が戻ったか」
わたしは駆け寄ってジャスパートが上半身を起こすのを手伝った。
「えっと……なぜ俺の名を……」
まだジャスパートは頭がハッキリしていないようだ。年を取ったからって、勤めていた屋敷の娘の顔を忘れるか?
「わたしよ。シアよ」
「え……ああっ、お嬢さまっ!」
なんだよ。急に思い出したのか、驚くだろう、やめてくれ。洞穴のなかにガンガン響いていく声に、ジャスパートは肩をすくめた。
「意識が戻ってよかった。どこか痛いところはある? 骨が折れたりしてない?」
「うーん……ハイ。大丈夫なようです」
ジャスパートは体のあちこちを動かしながら確認している。それにしてもいい体だな? わたしは女だから、いくら鍛えても筋肉が付く量は限られる。しかもココ、食料事情悪いし。でもまず先に確認しておく必要がある。
「それでジャスパート。いったい何があったの? こんなところで倒れているなんて」
わたしは自分がこんなところで暮らしていることを棚に上げて聞いた。
「あ……はい。お嬢さまが行方不明になったあと、大変なことが起きたのです」
「なんだって! 詳しく教えて」
ジャスパートが真剣な表情をして説明するのを、わたしはワクワクしながら聞いた。
◇◇◇
要約すると、わたしが出奔したあとの王国はとんでもないことになったらしい。
ゲルコは婚約者が死んだので、代わりとしてピーチェと婚約。わたし、死んだらしいですよ。じゃ、ここにいるのは幽霊ってことですよね。どろろぉ~ん。
ほどなくして聖女である王妃さまが崩御され、国王は病んで引退。ゲルコはピーチェと急いで結婚して王位を継いだそうだ。
なんだそれ。わたしの18年返せ。少なくとも婚約が決まって王妃教育を受けて失った11年は返してもらってもバチは当たらないはずだ。いいなぁ、聖女は。男爵令嬢でも、行儀作法を知らなくても、なんの叡智も得ていなくても、王妃になれるんだもんなぁ。わたしなんて公爵令嬢なのに、いまは山にこもってイノシシ狩ってる。まぁいいけど。好きでやってることだし。
国王としてのゲルコは、まぁまぁ頑張っていたらしい。だけどやっぱりピーチェは力不足だったみたい。
「ピーチェさまは王妃となりましたが、やはり男爵令嬢では……」
ジャスパートは言葉を濁した。そうだろう、そうだろう。王妃教育を受けてないからね。そもそも貴族令嬢としても、男爵令嬢だと教育の範囲が微妙だからね。無理だ、無理。
「それにピーチェさまは聖女としても聖力が足らず……妊娠中にお腹の子どもと共に亡くなりました」
「なんと⁉」
あーあ。親の因果が子に報いてしまったよ。赤ちゃん可哀想に。男爵令嬢はどうなろうと自業自得だけど、赤ちゃん関係ないからね。
「それで国王陛下であるゲルコさまも心労でおかしくなり、いまは幽閉の身です」
「なんと!」
バチ当たったね。いい気味だ。とんな女性を好もうと罪はないが、責任ある立場と身勝手な愛の両立は無理だったねぇ~。まぁ~、いいや。どうでも。
「我が国にとって王妃を聖女に据えることは重要な意味を持ちます。ピーチェさまが亡くなったことで王国の結界がゆるみ、瘴気が発生・侵入。魔獣の大量発生と、王国は大騒ぎになっています」
「なんと⁉」
あー。それは大変だ。急いで聖女の王妃を立てないとね。
「王国内では、あちこちで魔獣が暴れております。王都にも魔獣が」
「えーっ⁉」
あー、魔獣。王都に魔獣が入っちゃったかぁー。魔獣はなぁ。うん。あれは大変。
「今の国王は誰?」
「あなたのお兄さまです」
「ふへっ⁉」
「なんだかんだ色々あって、あなたのお兄さまが国王となりました」
「ふぇぇぇぇぇぇぇっ⁉」
そんな馬鹿な。あの意地悪で低機能なアイツが棚ぼたとかありえねぇ。この世には神も仏もないのかい。ないのか。そうかそうか。
「ときに、シアお嬢さまは聖女ですか?」
「え? ごくごく普通の公爵家の娘ですけど……」
「ですが、お嬢さま。今のお嬢さまは、聖女の証であるピンクの髪にピンクの瞳をしておられますよ?」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ⁉」
なんたるご都合主義。わたしは修行により聖女になっていたようです。
◇◇◇
あー。どおりで木とか、蹴るまでもなく手をかざしただけで倒せたりとかできたのか。そうなのか。フォースとか、気の力とかじゃないんだー。つか聖力とフォースと気の力って同じもの? 謎が謎を呼ぶが、面倒なので考えることを放棄した。人生にはよくあることだ。
「それでナニ? ジャスパートは、わたしを探しに山に来たの?」
「いえ、違います。魔獣討伐で隊を組み入ってきたのですが……力及ばず生き残ったのは私ひとりです」
「そっかぁ。ちなみに魔獣って、どんな?」
「そんな感じの……」
ジャスパートが指さした先には、わたしのお気に入りであるトラの毛皮があった。アレってもしかして……。いや、冷静になったら負けだ。アレはトラだ。ペットの可愛いトラちゃんが逃げてきて、あまりの躾のなってなさに、わたしが涙を呑んで処分したペットのトラだ。そうでなければ話がおかしい。アレを殺したとき、わたしは素手だった。……あー、そうか。アレはわたしが聖女になったから……いやいや、魔獣を素手で倒せる女ってヤバいでしょ? アレは躾のなってないペットのトラだよ、うん。きっとそうだよ。そういうことにしとこうよ。
「シアお嬢さま。どうかお願いです。王都に戻って、この王国をお救いください」
「え? それはどうだろう? 王妃でしょ? わたしと兄は実の兄妹だから、結婚できないよ?」
「いや、だからそこは……神殿で聖女さまになるという方法もありますし」
わたしは眉をひそめる。
神殿で聖女? そんなの一生独身で結婚できないし。そもそも自由がなくなる。
「あぁ~、メンドクサイ。そんな話はおいといて、何か食べよう。ジャスパートもお腹空いてるでしょ?」
「そういわれてみれば……」
ジャスパートは自分の腹を両手で押さえた。
そりゃそうだろう。何日か意識不明の状態だったんだから。水くらいは飲ませたけど、お腹は空いてると思うよ。とはいえ、いきなり肉を食うとか無理だろうからどうしようかな。わたし、おかゆとか作れないよ? そもそも、おかゆが作れるような材料はココにないし。
「火と鍋を借りていいですか? 自分で作ります」
「あ、そう? ならやって。水は井戸が外にあるから汲んでくる。火はそこにあるよ」
わたしが立ち上がると、ジャスパートも立ち上がった。寝たきりだった割には元気だね?
「なんだか動けますね。ケガも治ってきているようですし。もしかしてお嬢さま、聖力を注いでいてくださいましたか?」
「ふへっ? いや、そんな覚えは……もしかして無意識でやってたのかな?」
早く良くなれ、と思いながらジャスパートの体をさすったりしていたけど、アレが効いたのか? アレは気の巡らせ方だっけ? それともフォースのほう? いやいや小さい時に聖力の使い方のレクチャーは受けたっけな。忘れてたけど。アレが。アレを無意識にやっていたのか。凄いぞ、わたし。でもアレって愛の力とか言われたような……。
「いずれにせよ動けますので。幸い携帯食は無事なようなので、私が食事の支度をしますよ」
「おお。ありがたい」
ジャスパートは手持ちの食糧とその辺の食材でササッと料理を作った。
「おおっ。久しぶりの文化的な食事!」
「大げさですよ、お嬢さま」
ジャスパートは自分用におかゆ、わたし用には卵焼きを作ってくれた。
「いやいや。わたしは生かじりか茹でたものしか食べてないから、卵もゆで卵しか食べてなくて。焼いたものは久しぶり」
「どんな食生活ですか? 生かじり?」
ジャスパートの問いに、わたしはコクリとうなずいた。
「遠征慣れした私でも、その辺に生えているものを生かじりしたりはしませんよ」
「だって最初はその辺に生えてるものを適当に生かじりするしかなくて……」
ジャスパートに呆れられてしまった。わたしは適当にモゴモゴ言いながら、いつものようにベッドの端に腰かけた。要するに、トラの毛皮の端っこにお尻を乗せた。ジャスパートが溜息を吐く。
「こんな生活をするくらいなら、屋敷にお戻りになればよかったのに」
「だってぇ……」
わたしはモゴモゴいいながら、卵焼きを口にした。甘い玉子焼きだ。塩は岩塩を見つけたから困っていないが、果物以外の甘さは久しぶりだ。
「あまぁ~い。美味しいぃ~。砂糖、すばらしい!」
「ふふふ。お褒めいただきありがとうございます」
ジャスパートは粥をすすりながら、嬉しそうに言った。
「お嬢さまを見ていると、なんだかお腹が空いてきますね。こちらの食材を使っていいでしょうか?」
「いいよ、いいよ。肉なら干し肉がたくさんあるし、野菜も雪が解けてきているから外を回れば何か生えているから、どんどん使って。ジャスパートも食べられそうな物を作ってよ」
ジャスパートはわたしのリクエスト通り、色々と作ってくれた。井戸はあるし、火は使えるし、食材はあるし、なので作り放題だ。わたしは鍋がないと火の上で食材が消えるタイプの人間だが、ジャスパートがやると食材は料理になって現れる。イッツ・マジカル!
わたしが感動していると、ジャスパートが疑問を口にした。
「この塩は?」
「ああ。岩塩の鉱脈を見つけたから、塩は困ってない。他の調味料は何もないけどね」
「でも山ならハチミツとか獲れるのでは?」
「あ、そうか。うっかりしてた」
ハチは刺されると痛い。避けるものだという思い込みが、わたしを甘い物から遠ざけていたのか。思い込みというのは、いかんな。
「携帯食のなかにビスケットがありますけど、食べますか? 携帯用なので、とても硬いですけど」
「食べる、食べる」
わたしは久しぶりの甘味に、遠慮なく手のひらを差し出した。ジャスパートがニコニコしながらビスケットを乗せてくれた。わたしはそれを口に運ぶ。硬い。ジャスパートが言った通り、ビスケットはかなり硬かった。だがほんのり甘い。
わたしはジャスパートとほほ笑み合いながら、久しぶりの文化的な食事を楽しんだ。
◇◇◇
「お嬢さま。王都の魔獣を狩り、結界を直して聖力を注いでくれませんか?」
ジャスパートは体が回復すると、わたしへそんなお願いをした。ジャスパートらしい。自分のことではなく、王国のことを考えたお願いだ。面倒だが、好きな人にお願いされたら断れない。それにゲルコも、ピーチェも、今となってはいないのだ。それならばとわたしは王城へと向かった。
道すがらであった魔獣は片っ端から退治する。肉と毛皮は勿体ない気がしたが、数が多くて持ち帰れないので臭いが出ないように焼き払った。瘴気を帯びているから、放置すると怖い病気の原因にもなるらしい。
そんなこんなで領民に驚かれたり、感謝されたりしながら、わたしとジャスパートは王城を目指した。振り返れば、ちょっと前まで暮らしていた山がある。もうあそこに戻ることはないだろう。だからといって王城に住むのは嫌だ。
わたしは王城で再会した兄と取引をした。
「メンドクサイから神殿付きの聖女にはなりたくない。王妃はもちろん嫌だ。その代わりに屋敷と領地をくれ」
「オッケー♪」
兄は記憶よりも軽い男になっていた。まぁ両親も亡くなったそうだし、嫁もいなくて叱ってくれる人もいないとなれば、まぁそうなるか。わたしは理解ある妹としてふるまった。ひとりで国を守るとなれば重責で気が狂いそうになっているだろうから、軽いぐらいで丁度いいのかもしれない。わたしは嫌だから逃げるが。
今まで通り兄が国王を務め、前国王の娘を王妃として迎えることになった。
「本当にこれでいいのですか? 女王になる道もあったのですよ?」
わたしの領地へ向かう道すがら、ジャスパートが聞いてきた。
「ん~、無理。嘲笑してくださった貴族ならびに領民の皆さまのために、わざわざ重責を負ってやるほど、わたしはお人よしじゃない」
わたしが婚約破棄されたときに、守ってくれる人はいなかった。だから別に恩があるわけではない。わたしは逃げていいのだ。
「でも瘴気とか魔獣とかは面倒だから、結界くらいは維持してあげよう」
王国全体を瘴気から守る結界は存在する。結界へのエネルギー注ぎ口は王城にあるから、わたしの聖力を注いできた。これで当分は魔獣の被害もでないだろう。わたしは自分の領地へ向かう前に、山にいったん戻った。今となっては貴重な毛皮を運び出すためだ。岩塩は置いていく。わたしの領地は、この山の岩塩鉱脈とおそらく続いているからだ。もしも繋がっていなくて岩塩が掘り出せないとなったら、またここへ来て掘ればいいだけだし。この山は王国民であれば誰でも立ち入ることができる。勢いで住み着いたわたしは知らなかったが、道は険しいし、微妙に結界からズレていて運が悪いと魔獣も出ると、人があまり近寄らない場所らしい。その代わり、訳アリの荒くれ者や、自殺志願者には人気の場所なのだそうだ。
そのことについては、深く考えないようにしようと思う。
「わたしのことよりも、ジャスパート。あなたは後悔していない? 大丈夫?」
「何がですか?」
「わたしと結婚することよ」
領地へ向かうわたしの横には、ジャスパートの姿があった。本心では爵位は要らなかったのだが、領地にもれなくついてくると兄に言われて仕方なくわたしは辺境伯を名乗ることとなった。
「爵位も要らないというし、何で報いてあげたらいいか分からないわ」
わたしはジャスパートに結婚を申し込み、了承を得た。その代わりといってはなんだが、辺境伯位はジャスパートにあげる予定だったのだ。しっかり断られてしまったが。そうなると代わりにあげられるものがない。ジャスパートにとっては、メリットがあるのかないのか分からない結婚だ。
だというのに、彼は笑って言う。
「ふふふ。私はシア、貴女がいれば充分ですよ」
そしてジャスパートはハンサムな顔に甘い笑みを浮かべると、わたしの頬にキスをしたのだった。




