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アイラの冒険 異世界からの帰還  作者: まさふじ
第3章 魂の共鳴、光と剣

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第14話 精神の島、神羅(シンラ)

東方の海に浮かぶ孤島、神羅シンラ島。


ゴードンさんの手配してくれた船に揺られること数日。あたしたちはついに、武術の聖地へと足を踏み入れていた。


波止場に降り立った瞬間、肺の奥まで洗われるような潮風が吹き抜けた。王都の喧騒とは違う。鼻をくすぐるのは、太古から息づく深い森の苔と、得体の知れない香木の香り――。


切り立った崖と鬱蒼とした森に囲まれたこの島は、まるで外界から隔絶された「聖域」のような張り詰めた空気を纏っていた。


「ここが、神羅の修行場……」


石段を長く登った先、開けた高台にある道場の中央にその人は立っていた。


質素な道着を身にまとったその男性――リャンさんは、あたしたちが想像していた「武術の達人」とは、少し違っていた。


奏よりも一回り小柄で、どこか柳の枝を思わせるしなやかな体躯。四十代くらいに見えるその顔立ちは穏やかだが、道着から覗く手首は、古木の根のように硬く引き締まっている。


岩のような威圧感はない。むしろ、そこだけ音が吸い込まれるような圧倒的な『静寂』が、彼を中心に広がっていた。


「ロレンスからの手紙は読みました。……ふむ、なるほど」


リャンさんは穏やかな声でそう言うと、あたしと奏を順番に見据えた。その瞳は、まるでこちらの骨の髄まで、いや、もっと深い『何か』を見透かしているようで、思わず背筋が伸びる。


「王都の魔法の『器』とやらの話は聞いております。ですが、ここで教えるのは『外の理』を力任せに振り回す術ではありません。己の『内の理』……気を練り、導く術です」


リャンさんは静かな足取りで庭の中央へ進み出ると、足先でさらさらと砂地に小さな円を描いた。


「まずは、あなた方の現状を見せてもらいましょう。この円の中から、私を外へ押し出してみてください。魔法を使っても構いません。どちらからでもどうぞ」


「え……それだけでいいんですか?」


あたしは拍子抜けして聞き返した。岩を砕けとか、組手で勝てとか言われると思っていたからだ。


「油断しないで、アイラ」


隣で奏が、スッと表情を引き締める。彼女もまた、この男から放たれる異質さを肌で感じ取っているようだった。


「……じゃあ、あたしから行きます!」


あたしはリャンさんの正面に立ち、両手をスッと前に出した。リャンさんもゆっくりと手を伸ばし、お互いの手のひらが軽く触れ合う。


まずは、小手調べ。あたしは足を踏ん張り、ぐいっと体重をかけた。


(まずは物理的に……これくらいで!)


「――えっ?」


驚いた。

リャンさんの体は、まるで地面から生えた大樹のようだった。細身の体のはずなのに、あたしがどれだけ力を込めても、微動だにしない。それどころか、押せば押すほど、こちらが壁を押しているような反動が返ってくる。


(嘘……。こんなに細いのに、「岩」みたい……。だったら!)


あたしはムキになって、胸元の魔法石に意識を向けた。

体内の魔力を一気に腕へと流し込む。


(押し出すだけ……あの時みたいに暴走させず、力だけを出せば!)


――バチッ!


青白い火花が散るような熱いエネルギーが、腕を通じてリャンさんに叩きつけられる。これなら、さっきの「岩」だって砕けるはずだ。


だが――。


「……あ、れ?」


次の瞬間、「岩」だったはずのリャンさんの腕が、形を失った。

あたしの全力の魔力は、どこにもぶつかることなく、リャンさんの腕を滑るようにしてクルリと円を描き、そのままの勢いで自分の方へと跳ね返ってきたのだ。


「わ、わっ……!」


力を逃がされたあたしは、自分の魔力に振り回されるような格好で、無様に砂地に転がった。


エネルギーは膨大ですが……道が完全に塞がっていますね。それでは自らの身体というダムを決壊させるだけです」


リャンさんは静かにため息をつきながら、あたしを見下ろした。

魔力を『受け流された』……? ロレンスさんの言っていた通りだ。この人には、あたしの魔力の流れが完全に見えている。


「次は、私が行きます」


奏の目は、獲物を狙う鷹のように鋭かった。


(相手は私よりも小柄。重心の高さ、足幅、そして腕の長さ……。論理的に考えて、正しいベクトルで力を加えれば、動かないはずがない)


奏は腰を深く落とし、足の先から指先まで、一切の無駄がない完璧なフォームを作った。奏の白い手が、リャンさんの手に触れる。


「シッ!」


鋭い呼気とともに、奏が踏み込んだ。

体重のすべてを一点に集約した、物理的に完璧な一撃。


しかし――。


「……っ!?」


押している感触がない。

目の前にいるのは確かにリャンさんなのに、奏のてのひらが捉えているのは「底のない沼」か「どこまでも続く空」のようだった。


リャンさんがふわりと手を添え、ほんの少し手首を返しただけ。それだけで、奏の完璧なフォームは根元から崩れ去った。

まるで重力を操作されたかのようにバランスを失い、奏は膝から崩れ落ちた。


「な……ぜ……」


信じられないという顔で、奏が自分の両手を見つめる。


「刃は鋭く、形は美しい。技術は完璧。ですが……己の『心』を殺して、頑丈な蓋をしていますね」


リャンさんの穏やかな声が、道場に響いた。


「恐怖か、後悔か……感情を抑圧し、己を閉ざしてしまえば、誰の『気』とも、何者とも繋がることはできません。それでは、本当の強さには至れませんよ」


図星を突かれたのか、奏の肩がビクッと震えた。


「……っ」


何か言い返そうとして、奏は小さく口を開いた。けれど、そこから言葉が紡がれることはなかった。


彼女はギュッと拳を握りしめ、そのまま深く俯く。流れる長い黒髪がその表情を隠したが、砂の上にポツリと落ちた彼女の影が、小刻みに震えているのが見えた。


いつもは冷徹なまでに冷静な彼女が、今は嵐に耐える雛鳥のように、必死で自分を繋ぎ止めている。


「……失礼、いたしました」


数秒の沈黙の後、ようやく絞り出されたのは、ひどく掠れた、けれどどこまでも礼儀正しい声だった。


「膨大な力を詰まらせるお嬢さんと、完璧な技術で己を閉ざすお嬢さん、ですか。……ふむ、手がかかりそうですね」


リャンさんは困ったように苦笑すると、口元に笑みを浮かべた。


「まずは、その見えない壁を壊すところから始めましょう。覚悟はいいですか?」


砂にまみれたあたしと、膝をついたままの奏。

あたしたちは顔を見合わせ、そして同時に、強く頷いた。


 * * *


初日の神羅島での修行は、あたしの予想を裏切るものだった。


もっと激しく体を動かしたり、滝に打たれたりするのかと思っていたのに、リャンさんが命じたのは、ただ「立つ」ことだった。


「膝をわずかに緩め、頭のてっぺんから糸で吊るされているように背筋を伸ばす。全身の力を抜いて。腕は大きなかめを抱えるイメージで。……そう、そのまま動かずに、ただ呼吸だけを感じ、身体の内側を観察するのです」


石段の上の平地。海を見下ろす絶景の中で、あたしたちは一歩も動かずに立っていた。

これがリャンさんの言う「立禅りつぜん」という修行らしい。


(……足が、笑ってる……)


最初はただ立っているだけで簡単だと思った。けれど、五分も経つと鉛をぶら下げられたように太ももが震え始め、十分を過ぎる頃には、指先が脈打つようなピリピリとした痺れに襲われた。自分の身体の重さが、これほど過酷なものだなんて知らなかった。


だが、筋肉の悲鳴よりも何よりきついのは、この逃げ場のない「静寂」だ。


あたしの体の中には、いつも制御しきれない魔力が渦巻いている。

じっとしていると、その魔力が逃げ場を求めて暴れだそうとするのが分かった。


魔力暴走の記憶がフラッシュバックする。体中の節々が熱を持ち、皮膚の裏側を針でつつかれているような不快感が襲ってくる。


「アイラさん、吐く息を長く。体の中の淀みを、すべて外へ押し出すように」


リャンさんの穏やかな声が飛ぶ。

言われた通り、細く、長く息を吐く。

吸うことよりも、吐き出すことに集中する。

すると一瞬だけ、荒れ狂っていた魔力の波がぎ、自分の内側にある「詰まり」の正体が見えそうになった。


(あたし、怖がってるんだ……。この力を出すことも、制御することも)


目を閉じると、暗闇の中に自分の魔力がどろりと停滞しているのが見える。それはまるで、出口のないダムのようだった。


ふと、隣の気配が気になって目を開ける。

奏は、完璧だった。


指先一つ動かさず、リャンさんに教えられた通りの姿勢を維持している。彫刻のように美しいその立ち姿は、基礎がしっかりしている彼女ならではのものだ。


けれど。


(……奏?)


彼女の横顔を伝う汗の量が、尋常じゃない。ポタポタと砂地に落ちる滴の音が、不気味なくらい大きく聞こえる。


完璧な姿勢とは裏腹に、彼女から漏れ出す「気」は、あたし以上に激しく乱れていた。


それは熱い怒りでも、荒れ狂う魔力でもない。触れればこちらが凍りついてしまいそうなほど冷たく、鋭い――絶対的な拒絶の波動。


奏は、この静寂の中で自分自身と向き合うことを、激しく拒んでいるように見えた。

姿勢を正せば正すほど、彼女の心にかけられた「蓋」が、内側からの圧力で悲鳴を上げている。


「奏さん。形は美しいですが……呼吸が止まっていますよ」


リャンさんが静かに奏のそばへ寄る。

奏はビクッと肩を揺らしたが、視線は前を向いたままだ。


「『無』になろうとする必要はありません。ただ、そこに在る自分を認めなさい。恐怖も、後悔も、あなたの一部です」


「……わかって、います」


奏の声は、今にも消えそうなほど細かった。

彼女が握りしめている「完璧」という名の盾が、少しずつ、みしみしと音を立てて軋んでいる。


あたしは、そんな彼女の震えを隣で感じながら、もう一度深く息を吐いた。

今はまだ、この「詰まり」を解消する方法はわからない。

でも、隣で同じように……いえ、あたし以上に苦しみながら立っている彼女の手を、いつか取れるようになりたい。


(吐いて、吐いて……全部、空っぽにするんだ)


水平線の向こうから、朝日が昇り始める。

あたしたちの長い、けれど静かな戦いは、まだ始まったばかりだった。


今度こそ、力を押し出すんじゃない。

導けるようになりたい。




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